高野連が、高校野球の7回制を検討しているらしい。
現行の9回制は選手の負担が大きいとの判断に基づく改革であるが、如何なものであろうか。
野球は9回制と考えるのは頑迷な伝統墨守・固定観念と切って捨てられるかもしれないが、これまでの9イニングを巡って繰り広げられる攻防・展開こそが野球と心得るので、7回制の野球は別のスポーツになるように思う。
野球は9回制と考えるのは頑迷な伝統墨守・固定観念と切って捨てられるかもしれないが、これまでの9イニングを巡って繰り広げられる攻防・展開こそが野球と心得るので、7回制の野球は別のスポーツになるように思う。
バレーからビーチバレーが、ラグビーから7人制ラグビーが、サッカーからはフットサルが、バスケットからはスリー・エックス・スリーが、と派生しているが、何れもが別のスポーツとして認知されているので尚更である。また、日米プロ野球でも、主として興行面から試合時間短縮のために、延長回制限、投球間隔制限、牽制球制限などのルール改正が為されているもののイニング短縮は取り沙汰されないのも、野球の原点は守るとの認識に立ってのことと思っている。閑話休題。
原点と云えば、日本の家族社会の根幹をなす夫婦同姓の原則が覆されようとしている。憲法の「同姓記述」にも抵触すると考える問題を、石破総理・自・公・立は拙速に変えようと前のめりになっているが、世論調査や識者からは反対の意見が多い。そんな世論を察してか国民民主の玉木代表が、慎重な議論を求める意見を述べているのは、心強い。
夫婦はともかく子供の姓をどうするのか、近年増加している離婚も絡めて検討する必要があると思うが、立民案では子供の姓選択に悩んだり確執が生じた場合は裁判所が判断するとして困難を丸投げしている。裁判官も、どの姓が将来に亘って有利かなどの判断に苦しむだろうし、姓の選択に司法が介入することは不適切であると思う。
そもそも、旧姓や通称の使用で解決できない問題を抱えている人は極めて少ないとも報じられていることを思えば、僅か1年にも満たない議論で結論しなければならない喫緊の問題とも思えない。
そもそも、旧姓や通称の使用で解決できない問題を抱えている人は極めて少ないとも報じられていることを思えば、僅か1年にも満たない議論で結論しなければならない喫緊の問題とも思えない。