もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

野次男女の判決に思う

2023年06月23日 | 裁判

 令和元年の参院選、北海道遊説中の安倍元総理の街頭演説を妨害したとして道警から排除された男女の控訴審判決が報じられたが、隔靴掻痒の感がある。

 原告の男女は「排除は言論・表現の自由の侵害」と北海道(道警)に賠償を求めていたが、高裁は、女は「妨害の程度が低く道警の排除は違法で1審の55万円賠償命令を支持」、男は「周囲の反感からの野次男保護にかなう行為で適法・請求棄却」と報じられている。
 素人観では、「野次そのものは言論・表現の自由であり保護されるが、周囲から危害を加えられる程度であれば違法」と裁判所が判断したものと受け止めている。
 では、安倍元総理側が「野次によって言論・表現の自由が損なわれた」と訴えた場合の判断はどうなるのであろうかと興味が湧く。
 現在の民事訴訟法では、訴えが無い限り司法が判断することは無いので、今回の裁判でも安倍元総理側の損害程度については判断の外に置かれているように思えるが、もし、大岡越前が判断するならば、「男女の自由は認めるが安倍氏の自由を損なっていることを相殺して痛み分け」とするのではないだろうか。

 今、権利を声高に叫ぶ人々に共通しているのは「自分の権利を守るためには他人の権利に斟酌しない」ことであるように思えるとともに、それに押された為政側の過剰反応で「声なき良識が無視・圧殺されている」ように思える。
 騒音被害による公園閉鎖もあったし、航空機騒音訴訟原告の大半が滑走路延長上であることを知りつつ移り住んだ人であることも知られている。それらは、かっては喧嘩両成敗の範疇で門前払い・痛み分けが常識であったように思う。

 聴衆の野次について全て否定するものではないが、北海道での野次は、「安倍辞めろ」や「帰れ」でウイットの欠片も無いものであったようである。
 帝国議会において隻眼の松岡洋右外相の演説時、「片眼で何が判る」と飛んだ野次に松岡外相が悠然と「一目瞭然」と応じたことが野次応酬の出色とされている。
 先に、参院法務委員会で望月衣塑子記者が記者席から野次を飛ばして顰蹙を買ったが、野次そのものは味も素っ気もない「掛け声」であったらしい。文筆に賭ける報道記者であれば語彙も豊富であろうし頭の回転も常人より秀でておられるだろうことを考えれば、大向こうをうならせ・後世に間語り継がれる野次であって欲しかった。


政府広報に思う

2023年06月22日 | 国政・行政

 ここ2,3週間、マイナンバーカードの紐付け作業について連日報道されている。

 報道の多くは、登録時の人為的ミスであるが、マイナンバー制度不要論も依然として根強く残っているように思えるが、ここに来て、マイナンバー制度の拡充はIT後進国の汚名返上のみならず、更なる少子化社会の将来に備えるためには必要不可欠であるとの意見も出始めている。
 その際、一様に「マイナンバー制度のメリットに対する広報が不足している」との意見が付け足されるが、この「為政者が行う広報」とは何だろうか。
 今回のケースでは、岸田総理も通常国会閉会時の会見でメリットを述べているとされるが「サテ?」記憶にない。会見をダイジェスト編集するテレビでは流れないし、会見の全文を掲載する新聞報道でも興味のある防衛と憲法以外は斜め読みしたのであろう。
 総務省・デジタル庁はパンフレット等を作成してい広報に努めているのだろうが、パンフレットは何処に行けば手に入るのか知らないし、通常の街ブラでは目にしたことが無い。
 ためしに、総務省・デジタル庁のHPを開いても、河野大臣の動画を除けば文字ばかりでハナから読む気を失わせるデザインである。
 テレビでCMを流すのも一法であろうが、15~30秒間では伝えられるものは多くないし、お決まりの「続き・詳細はWEBで」に終わるのは目に見えるように思える。

 マイナメリットの浸透には、政府がキャッチ・コピーを案出し電波・活字媒体を総動員して雨嵐と流すことで国民への刷り込みを図るのが最も有効ではと思う。
 キャッチコピーで民心を駆り立て・統一することは洋の東西を問わずに行われており、戦前の日本でも、今にまで語り継がれる「鬼畜米英」「八紘一宇」「重油の一滴は血の一滴」などの秀抜な惹句が国民の団結と戦意高揚に大きく役立ったとされている。「リメンバー・パールハーバー」はアメリカの非戦世論を一挙に覆し、中国の「造反有理」「革命無罪」「百家争鳴」も意味不明ながら自分でも記憶している。また、中国国民党政権が掲げた「抗日有理、愛国無罪」は韓国に受け継がれ現在まで命脈を保っているかのようであるとともに、安倍総理射殺犯人への減刑嘆願書に署名する人々にも受け継がれているようにも思える。
 「たかが惹句・されど惹句」、政府広報に活用して欲しいものである。


ネット作法を学ぶ

2023年06月19日 | 報道

 本日の産経紙面で、ネット作法に関して自戒すべきワードを教えられた。

 東大大学院の鳥海不二夫教授は、《情報を得るのはそもそも楽しむ行為であり、気持ちの良い情報に浸る一方、実はどういう情報を観たいかを自己決定すらできない》。
 ハーバード大の法学者キャス・サンスティーン氏は《偶然の出会いと共有される経験が大事で、自分が選ぶつもりの無かった情報に曝されず社会の多くが共通経験を持たなければ、社会は分断して社会問題への対処は困難になる》
と、それぞれ述べておられるとし、産経紙は《この風潮を助長するのは(検索履歴などから)アルゴリズムで利用者の嗜好に沿うとみられる情報を推薦する「アテンションエコノミー」という経済モデルである》と続けている。
 数年前までは、検索エンジンでの表示は閲覧・アクセスの総数順に並べられていたが、現在は前述のアルゴリズムによって利用者個々の検索履歴をもとにした個人別表示順位が付されているかのように感じられる。
 自分を振り返れば、将に両氏の述べた状態に陥りつつあるようで、一つの事象の詳細を調べる場合は異なる複数の論調の記事を見つけて読むようにしてきたが、年齢の所為だろうか、例えば赤旗の記事を読み続けるためには相当な努力が必要となってきた。
 かって、ユリウス・カエサルは《人は、自分の見ようとするものしか見ない》と喝破したが、AIが利用者に忖度して好ましい情報しか与えないようになってくれば、ネット内で接する情報は自分の好みに沿ったものに限られ、それを信じることで特定階層の支持者・構成員となり、結局は社会の分断化に手を貸すことに繋がるように思える。

 孔子は「良薬は口に苦けれど病に利あり、忠言は耳に逆らえど行いに利あり」と諭し、古人も自分の様な無学者用に「良薬、口に苦し」とイロハ加留多にしてくれている。
 情報が多くなればなるほど、真実はより曖昧になってくると思っている。情報の分析官は、種々雑多な情報を精査して真実に辿り着く訓練をするとされるが、我々もAIが与える情報が全てではないことを知らなければならない時期に来たようである。


陸自の発砲事案に思う

2023年06月16日 | 自衛隊

 陸自の小銃射撃訓練で、隊員3名が死傷する発砲事案が起きた。

 現在までに判明しているのは、犯人が新隊員教育中の18歳隊員、死亡したのは教官である1等陸曹(52歳)と3等陸曹(25歳)、負傷したのは3等陸曹(25歳)である。
 犯人が目標としたのは1等陸曹の教官で犯行動機は「叱られたため」と速報されているが、詳細については不明である。死傷した3名は犯人に濃密な教育を施す関係に無かったとされているので、おそらく射撃や射場における教育のみの関係であったように思える。
 海上自衛官としての経験では、本人やバディを危険に晒す実弾射撃と消火訓練だけは指導・教育に際して身体的に強固な強制を加えるのが黙認されていたが、陸自にあっても射撃時の不安な行動や射場規律違反に対しては、罵声を浴びせることもあったであろうし鉄兜の上からではあるが拳骨くらいはあったのかも知れないが、騒音下で被教育者のパニックを正すためには止むを得ないと思っている。
 日常生活を正す生活指導や、自衛官としての服務規律指導に対しては、自分の生まれ育った環境・経験則と異なるために、長期の・度重なる指導をストレスと感じ、指導者に殺意を抱くことは起こり得るかもしれないが、射場のみに限った関係で相手に殺意を抱くとは理解できない。射場に限った教育関係とは、自動車教習所における同乗教官と教習生の関係に例えることができるが、罵声やレバー操作の手を叩かれても、一過性のもので教習車を降りれば関係は消滅する。
 今回の犯人はいわば”内部の腐ったリンゴ”であり、外側から事前に知ることは困難であったように思える。また、近年増えているとされる「叱られた経験が無い」・「叩かれた経験が無い」若者にとって、同僚の前で叱責されるのは耐えられないことであるのかも知れない。まして、拳骨の一つでも食らおうものならば、青天の霹靂・カルチャーショックで、相手を殺すことでバランスを保とうとするのかも知れない。

 陸幕長や防衛大臣は原因究明と再発防止に努めるとしテレビの識者も同様であるが、いかにハード・ソフトの両面から見直しをしても、人間関係に起因する事故を局限することはできても根絶することは不可能で、国防と云う目的達成のリスクの一つと割り切るしかないように思える。
 こう書けば、「何を能天気な!!・死傷した人の身にもなってみろ」という叱責が聞こえてきそうであるが、学識豊かな人でも、殺人を犯し、ひき逃げを犯し、麻薬を服用し、公金をくすね、他人を誹謗し、・・・が茶飯事である。これらが今に至るも根絶できないのは、文明社会の病根で、文明社会のリスクの一つと捉えなければならないのではないだろうか。


リニア・静岡県

2023年06月15日 | 憲法

 頓挫しているリニア中央新幹線建設計画が、漸くに前進の気配を見せ始めた。

 リニア中央新幹線については「東海地震における東海道新幹線の代替路線」や「東海道新幹線自体の老朽化による長期運休補完」等の理由から、2011年5月に整備計画が決定され、2027年には東京~名古屋間で先行開業(最速で40分)、東京都 ~大阪間の全線開業は2037年を目指し、その場合は東京~大阪間は最速67分で結ぶとされていた。
 ルートや途中駅の選定時から通過する各県での思惑が入り乱れて前途多難の様相を見せていたが、何とか合意できたものの着工できずに当初計画であった先行開業は大幅に遅れることとなった。最大の原因は、途中停車駅が得られなかった静岡県(川勝知事)がへそを曲げて「トンネル掘削によって大井川の水量が大幅に減少する」と難癖をつけたものと思っている。
 以後、水利権を持つ大井川流域自治体や東電を巻き込んで侃々諤々の状態であったが、トンネルの湧水全量を大井川に放流するよう計画が変更されることで水量や水利権の調整も進んだために静岡県も矛を収める気配を見せ始めたと報じられている。
 昭和30年代、東海道メガロポリス云う言葉がもてはやされ、東京~大阪間の物流が日本を支えているとされてきた。そのために東海道新幹線と・東名高速道路が優先的に整備されてきたが、この物流網には致命的な弱点を抱えている。風光明媚なハイキングコースで有名な静岡市の薩埵峠から見下ろすと、国道1号(東海道)・東海道線・東名高速・東海道新幹線が全て富士川河口付近の1㎞内を通っていることが一望できる。もし、この付近が被災すれば東海道メガロポリスの地上物流網は機能不全に陥ってしまうことは明らかである。
 この事態を防ぐためにもリニア中央新幹整備の意義は大きいと思われるが、停車駅を持たない静岡県にあって難癖の一つも付けたい気持ちであろうし、東海道新幹線の「ひかり」や「のぞみ」の一部列車の静岡駅停車を実現させるために相当の時間と陳情が必要であった苦い経験もあるように思っている。

 川勝知事にあっては、度重なる舌禍による市町村長の離反によって、今や四面楚歌に等しい「死に体」であるとも報じられている。
 川勝知事のリニヤ中央新幹線に対する横槍も、静岡県の利益を守るための当然の要求・戦術であったであろうが、大井川水量の確保の目途が立ち、流域自治体も計画推進に同意している現状では、高所的見地から矛を収めて頂きたいものである。
 とは言え、恒常的な赤字補填を必要とする富士山静岡空港がリニア中央新幹線の開業によって更なる悪影響を被るという懸念には心から同情するところである。