glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

ヴァシュティラス:キャンプ場の夜

2005-07-15 09:35:52 | Weblog
やって来たポーランド人は夫婦と妻にエスペラントを教えている女性の3人でした。夫は車の持主兼運転手でエスペラントは全く話せませんでした。その指導者の名前を思い出せないのですが、Mとしておきます。
 これ以来、東ヨーロッパからの便りを時折り受けるとるようになり、どうしてかと思っていたら、ある時名前しか知らない日本人から電話が来ました。彼が援助している子どものための教育組織の機関紙に私の名前が載っていたと言うことでした。

 夕食に何を食べたのが全く記憶がありません。多分パンとチーズとお茶でしょう。Mは私達にコーヒーを勧めました。私は遠慮しました。コーヒー漉しが無いのにどうやっていれるか興味津々で見ているとカップにコーヒーの粉末を入れてお湯を注ぎウィンに渡しました。一口飲んでウインはこれ『インスタントじゃない、どうやってのむの?』Mは笑って上手に上澄みだけ飲んで見せました。

東ヨーロッパの一般的コーヒーの飲み方
 カップはガラスが一般的でした。勿論持ち手がありません!お湯を注いだら、ゆっくりとかき回します。コーヒー滓がそこに沈むのを待ちます。ミルクを入れたいときは静かに入れます。コップの縁に親指をかけ、底に人差し指その他をかけてそっと持って飲むのです。とても熱いのでしっかり持つことなどできません。チェコの森を歩いた時にもこれには苦労しました。すい方にも要領があるようで、私の飲み方は滓が口に入ると言われましたが、上手に飲むのは難しいですね!当時砂糖は貴重品なので殆ど入れてなかったようです。

 キャンプの夜の過ごし方は昔、囲炉裏を囲んで子ども達がおじいさんやおばあさんの話しを聞いていた頃を想像して頂けたら良いと思います。
 長い黄昏の時間を近況を話したり、『機関車が山を上って行くよ・・・。』などというエスペラントの童謡を歌って過して、暗くなった11時過ぎ、ウィンは自宅へ戻り、私達はテントへ。二人の女性は隅がよいと言う私に、風が入ると可哀想だからと二人の間に寝かせてくれました。
翌朝、かれらは北上するのだと勇んで出て行きました。3人で数週間エスペランティストの所に泊めてもらいながら旅をするということでした。

私とウィンは湖から水を汲んできてテントを洗いました。今年はもう誰も来ないかテントはお蔵入りすのです。

洗ったテントを干しながら私達はお茶を飲むことにしました。でも、お茶が無かったのでエスペラントの敵の友だちからウィンがティーパックを貰いました。

そして広い森の中でのんびりとお茶を飲みながらウィンが奇妙な事を言い出しました。

つづく




コメント (5)
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