2~3日前のことです。NHKの視点論点を見ました。今の若者は変化に対応できないし、変化を嫌っているという話でした。70~60代は、見知らぬ世界にに対するあこがれや好奇心があるが、20~30代は海外旅行など未知の世界へ出て行くことを嫌っていることがアンケート調査にも見えるということでした。
はじめから見ていたわけではないのでおぼろげな理解です。彼らの恐怖はバブル景気に育ち、その成長期にバブル崩壊に遭遇した意識しない経験があるのでは?ということだったと思います。
私たちの青春時代は?
考えると、私たちも激しい変化の中にいました。ハンガリー動乱は高校生時代。自分たちと違う世界で人々が何かお求め血を流している。新聞の記事しか読み取れない事件をなぜと思い追いかけていました。
兄たちの砂川闘争の写真を見せられ、なぜという疑問。
大学生になると経済格差の広がる社会にいました。赤線が禁止されても青線があり、貧しい女性たちが売春していました。薄暗い街灯の陰に立つ女たちの惨めだったこと。婦人相談員になった姉から、彼らの経済的にも、精神的にも貧しい生活のことを聞きました。
現在より生活は苦しかったけれど、社会の不平等に私たちは憤り、議論し自分たちにできることはないかとオロオロと自分たちにできることを探し求めていました。
そうです。私の周りの人たちは宮沢賢治の作品が好きでした。自分たちの望む社会がこなくても、自分たちの行動が徒労に終わったとしてもその時できることはしてみるという姿勢が私たちの中にありました。
私たちの青春は無駄ではなかった、現在まで生き続ける原動力となったと今感じています。
雨ニモ負ケズ『宮沢賢治』
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい
現在も怒り続けていることを除けば、賢治の目指した人に近くなっているように思います。
はじめから見ていたわけではないのでおぼろげな理解です。彼らの恐怖はバブル景気に育ち、その成長期にバブル崩壊に遭遇した意識しない経験があるのでは?ということだったと思います。
私たちの青春時代は?
考えると、私たちも激しい変化の中にいました。ハンガリー動乱は高校生時代。自分たちと違う世界で人々が何かお求め血を流している。新聞の記事しか読み取れない事件をなぜと思い追いかけていました。
兄たちの砂川闘争の写真を見せられ、なぜという疑問。
大学生になると経済格差の広がる社会にいました。赤線が禁止されても青線があり、貧しい女性たちが売春していました。薄暗い街灯の陰に立つ女たちの惨めだったこと。婦人相談員になった姉から、彼らの経済的にも、精神的にも貧しい生活のことを聞きました。
現在より生活は苦しかったけれど、社会の不平等に私たちは憤り、議論し自分たちにできることはないかとオロオロと自分たちにできることを探し求めていました。
そうです。私の周りの人たちは宮沢賢治の作品が好きでした。自分たちの望む社会がこなくても、自分たちの行動が徒労に終わったとしてもその時できることはしてみるという姿勢が私たちの中にありました。
私たちの青春は無駄ではなかった、現在まで生き続ける原動力となったと今感じています。
雨ニモ負ケズ『宮沢賢治』
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい
現在も怒り続けていることを除けば、賢治の目指した人に近くなっているように思います。