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生きること:過去と未来とエスペラントと

書評:木かげの家の小人たち

2018-05-01 06:37:02 | エスペラント

世界エスペラント協会の機関誌Esperanto4月号にいぬいとみこ著の木かげの家の小人たちの書評が載りました。私はこの本が好きなので興味をもって読みました。


 書き手はロシアの若い女性です。ロシアにIMPETOという出版社があります。彼女の夫は母親と一緒にその出版社を経営しており、彼女たち夫婦はこの機関誌Esperantoの編集をしているそうです。この書評の内容がとても私にはとても分かりにくいものでした。それはロシア人と日本人あるいは彼女と私の生活経験あるいは歴史観の違いからくるものなのでしょうか。幾度か読み返しましたが私の頭は混乱しています。そんなわけで、書評の中身をまとめてみました。

 彼女は子どものための物語を三つに分類しています。


 1.子ども時代に楽しむもの。大人になってそういえば自分もそのお話し読んだことがあると思い出すくらいのもの。
 2.読んだときに楽しみ、その話にはこんな教えが含まれていたとか大人になって気が付くもの。
 3.大人も子どもも世代を超えて読むに値するもの。(物語、木かげの家の小びとたちは3に分類されてます。)

 ところが小人や小人を守る人への感じ方は私とは全く違ってくるのです。私にとって小人は自由とか平和とか権力によって奪われたくないものですが、彼女は小人を守る人は愚か者あり、何か見えないものが原因で他人を憎むことが大切であることを忘れてしまった人たちである。そして小人は人間にとって必要ではないと言います。


 小人は生きてゆくのに牛乳を必要としている。兵士にとっても牛乳は必要である。兵士たちは素晴らしくまた力があり、他の者たちを守り、国とその名誉を守る存在である。実際的で有用はなものをすべて防衛し、未来の世界は兵士のものとなるだろう。ですが小人なしには地球はむなしく回り続けることとなる。彼女の結論は'この物語は小人の物語でも牛乳の物語でもない。私たちが兵士を選ぶか、小人を選ぶか、それとも自分を選ぶかという日常の選択のものがたりなのだ。'

 腑に落ちないところがありますが、彼女の文章を抜粋してどうにか言いたいことがわかったような気になってきました。ロシアでは兵士つまり軍隊は称賛すべき存在なのかもしれません。プーチン体制の堅固さを考えると今でも社会主義時代の全体主義的思想が色濃く残っているということでしょうか!、国家と自分の考えが対立するとき自分の行動の選択を迫られているということかも知れません。国が違うと物語の解釈が全く違ってくることに戸惑っています。



コメント (2)
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