趣味と節約と時に妄想の記録

節約を通して未来を創造するブログです。
時に妄想も書いたりします。時々趣味の写真もUPします。

人は些細な事に突き動かされる

2010年02月22日 11時18分18秒 | 日記やらぼやきやら
ある銀行の近くの話である。

その銀行の隣には、スーパーの広い駐車場がある。

銀行にも広い駐車場がある。ただ、銀行の入口がスーパーの駐車場の方がより近いだけだ。

銀行の入口と、スーパーの駐車場の間には、幅2メートル位な、小道があり、そこは奥にあるマンションや民家への通り道である。

さらに、スーパーの駐車場と小道の間には、小さな高さ1メートル位の石垣がある。

スーパーも銀行も幹線道路に面しており、十分な幅の歩道もある。

この条件で、あなたならどうやって銀行へ行きますか?

私が、観察していたわずか3分の間に、ほとんどの人が、スーパーの駐車場に車を止めて、石垣を飛び降りて小道を横切り、銀行へ入って行った。

時間帯は10時ころ。当然銀行の駐車場はガラ空きだった。

私なら、確実に銀行の駐車場に止めてから、入口へ向かう。もしも銀行の駐車場が満員ならば、やむを得ず、スーパーの駐車場に止めて歩道を歩いて銀行の入口へ向かう。

数秒も違わない。わずか数秒しか違わない。それなのにあえて石垣を乗り越えてほとんどの人が銀行の入口へ向かうのだ。

帰りも同じコースをたどる。石垣が低くなっている個所へまわって乗り越えてスーパーの駐車場に向かうのだ。

その場所は歩道までわずか1メートル。あと数歩、歩けば歩道。歩道へまわっても数秒と違わない。

近道。合理的。最短距離。

自然界の物質は、もっともそうなり易い形で結合する。分子の結合も同じである。

安定が得られる最短の形状に自然になろうとするのである。

つまり人は、無意識にもっとも最短で、エネルギーを浪費しないだろうと思われる行動をとるのである。

さて、それを合理主義と呼ぶ人々もいる。

ならば、万物の霊長であり合理主義の頂点に立つと思われし気人々よ、その行為自体が、なんら自然界と変わっていないではないか。

思いやって自然界は結合している訳では無い。そうなるべきが、もっとも効率的で安定するからそうなるだけなのである。

人が人である理由。

それは、思いやりと少しの回り道ではないであろうか。

一日わずか数秒間でいい、自分の効率を求めるのではなく、他人から見て、美しい行動をする瞬間を持ってはいかがだろうか?
コメント
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