ゴエモンのつぶやき

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【電通】高齢者や白内障を患う人にも読みやすい書体を。電通が開発着手。

2012年01月02日 01時27分19秒 | 障害者の自立
誰にでも読みやすい書体へ

今月22日、ブレーンの報道によると、電通は「高齢者や老眼、白内障を患う人など、年齢や障害の有無に影響されずに読みやすい書体の開発に取り組む」と発表した。
この取り組みは同社内にある横断プロジェクト「電通ダイバーシティ・ラボ」が推進しているものだが。このプロジェクトの協力者として「一般社団法人ユニバーサルコミュニケーションデザイン協会」がいる。同協会の理事長である福田泰弘は、トッパン・フォームズの相談役でもある。

書体開発のねらいは

同社と同協会が協力提携し、この書体の開発に乗り出したのは、消費者への多様性に配慮しての事だという。また、この「読みやすい書体」を、広告によるコミュニケーション活動に利用するだけでなく、商品開発でのコンサルテーションなどにも活かしていく予定だという。

しかし読みやすい書体開発に乗り出しているのは、電通だけではない。博報堂でも2009年に「博報堂ユニバーサルデザイン」を立ち上げており、こちらは慶応義塾大学の協力を得て、「つたわるフォント」を設計している。

電通PDF
http://www.dentsu.co.jp/news/release/2011/pdf/2011146-1222.pdf

2012年1月1日 15:00 販促グッズニュース

防災:元日に万一の備えを 迫る災害、大分に(その1) /大分

2012年01月02日 01時22分34秒 | 障害者の自立
 家族、恋人、友人……。多くの人の幸せを一瞬で奪い去った東日本大震災から間もなく10カ月を迎える。1年前の元日に誰が予想しただろうか。失った幸せな日々にはもう戻れない。しかし古来、「備えあれば憂いなし」と言う。人間が太刀打ちできない大災害でも準備があれば被害は軽減できる。

 住んでる地域にどれぐらいの規模の津波が来る可能性があるのか、緊急時に必要な物は何か--。知っていそうで知らないことは多い。万一の避難に備えて、事前に家族と決めておいたほうがよいこと、近隣住民に頼んでおいたほうがいいことはたくさんある。

 遠方からの帰省、普段は仕事や学校でなかなか顔を合わせることも少ない家族も正月は別。新年を迎え、日ごろ感じることの少ない絆を感じることもあるだろう。新年の幸せな日だからこそ、今後のみなさんの幸せのための防災に役立てれば。

 ◆避難シミュレーション

 東日本大震災の発生時、県内でも大分や佐伯市などに津波警報が出され、沿岸住民計約20万2000人に避難勧告が出された。しかし、避難者は約3700人、率は1.8%にとどまり、住民の避難意識の甘さが浮き彫りになった。11年4月現在、県内の自主防災組織は組織率91%と九州トップ。しかし、防災訓練の実施は15%と形骸化している。

 一方、東日本大震災では、自力避難困難な高齢者や障害者ら“災害弱者”が犠牲になりやすい実態が改めて浮かび上がった。警察庁の調べでは、岩手、宮城、福島3県で8月末までに身元が確認された死者1万4553人のうち65歳以上の高齢者が55.7%を占めた。

 いつ起こるか分からない地震や津波。避難に備えておきたいことや心構えを2家族でシミュレーションしてみた。(登場人物は架空です)

 ◇想定が生む安心--妻と小中学生の子2人の4人暮らしの佐藤智宏さん(45)

 地震発生は日曜午後2時。95年の阪神大震災では死者の9割以上が家具や倒壊物の下敷きになって死亡した。大分市の沿岸に住む佐藤さん一家は防災意識が高く、タンスや食器棚は倒れぬよう壁に金具で固定。自宅でくつろいでいた佐藤さんと長男誠君(8)にけがはなかった。

 妻明美さん(40)は買い物で外出中。長女千佳さん(14)は部活動から帰宅中だった。佐藤さんは明美さん、千佳さんに携帯電話をかけたが通じない。余震が続き、マンションから出た方が安全と判断。水や食料などを入れた非常持出袋をかつぎ、誠君と共に避難した。

 避難の際、車を使うと渋滞が起きるため、徒歩が原則。佐藤家では近くの公民館か高台の小学校に避難することにしていた。公民館に歩いて向おうとしたが、民家のブロック壁が壊れ、道路をふさいでいた。小学校に向かうと、今度は道路が液状化して通れない。万一のため事前に複数ルートを把握しており、何とかたどり着いた。

 家族がばらばらになったときは福岡の親戚宅に連絡して避難先を伝えると決めていた。公民館に避難していた千佳さんは公衆電話から親戚宅に居場所を伝え、無事が分かった。

 小学校には多くが避難し、情報も少なく混乱していた。佐藤さんは非常袋のラジオで情報収集。落ち着きを取り戻した。県は災害物資の備蓄場所を増やしたが、3日間の避難生活で物資は届かなかった。非常袋の水や乾パンで空腹をしのいだ。

 東南海・南海地震は今後30年以内に60~70%の確率で予想されている。万一に備えていれば、不安は和らぐ。防災意識の高さが被害も軽減できる。

 ◇「助けて」が大切--マンションで一人暮らしの首藤マサヱさん(80)

 平日午後7時、大分市を震度6強が襲った。停電し、一人で身動きできず不安が募る。

 足が不自由で、1人で歩くのもままならない。毎日胃の薬も服用する。50代の息子夫婦は福岡で暮らし、急には来られない。

 隣人の顔すら知らぬ住人もいるマンションだが、社交的なマサヱさんは隣の小学3年、荒金彩音ちゃん(9)と仲良し。家を行き来して遊ぶ間柄だった。

 東日本大震災発生後、市役所に相談し、市町村が進める災害時要援護者登録をした。民生委員が自宅を定期的に訪れ、「何かあったらマサヱさんを助けて」と隣近所にもお願いしてくれた。

 だからこそ、彩音ちゃん一家はマサヱさんを迎えに行った。高台への避難路には手すりがあり、歩きやすいように道も平ら。周りは真っ暗で、用意していた懐中電灯を手に、肩を支えて避難した。マサヱさんの地区では、訓練を重ねるなど自主防災組織の活動が活発だ。地区の高齢者を把握しており、余裕のある人が避難を助けた。

 災害時、不安や動揺により薬の名や家族の連絡先を忘れてしまうことも。だから、病名や薬の名称、家族の連絡先が記載された緊急バトンが役立つ。全国共通で冷蔵庫に保管する。県補助で市町村が高齢者に導入を進め、マサヱさんも始めた。

 バトンが役立ち、1週間の避難所生活で医師から薬をもらった。彩音ちゃん一家と一緒に避難し、寂しさやストレスを紛らわすこともできた。

 県地域福祉推進室は「個人情報保護法で難しい時代だが、『助けてください』と手を挙げることが大事。黙っていたら誰も分からない」としている。

毎日新聞 2012年1月1日 地方版

手作りおせちに絆込めて 一人暮らしのお年寄りへ

2012年01月02日 01時18分11秒 | 障害者の自立

 名古屋市港区正保町の知的障害者施設「しおかぜ作業所」に通う人たちが31日、一人暮らしのお年寄りに届けるおせち料理の箱詰めをした。東日本大震災で見直された人間同士の絆をテーマに、収益金の10%を被災地の支援金に充てる。


 日ごろ弁当を手作りして地域の高齢者施設などに宅配している。おせち料理は、正月を孤独に過ごすお年寄りを元気づけようと企画。3000円と7000円の2種類に、計50人から注文を受けた。


 10日ほど前から下ごしらえを始め、黒豆や田作り、だて巻きなどの定番のほか、八事五寸ニンジンや名古屋コーチンなど地元産の農産物にこだわったお煮しめを完成。大みそかの朝から、20人が白衣にマスク姿で調理場に入り、2段の重箱に詰めた。


 最年長メンバーの仲谷順司さん(56)は「震災で多くの方が被害にあったとニュースで知った。みんなで助け合わないといけないと思った」と話した。おせち料理は正午前から職員が車で宅配した。 


震災支援のため、おせち料理を作るしおかぜ作業所の人たち=名古屋市港区正保町で

中日新聞   2012年1月1日

バリアフリー化で商機拡大-旅行業界、成長のカギ

2012年01月02日 01時15分08秒 | 障害者の自立
 バリアフリー化―。これから高齢化が急速に進む日本社会において、ビジネスの世界でも重要なキーワードだ。2011年11月時点の65歳以上の人口は約2990万人で総人口の約23%。これが15年には約3400万人に増え、割合も約27%と人口の4分の1を超えると推計されている。日本全体としては人口減少が進む中で、増え続ける高齢者。それに伴い増加する障害者や要介護者を顧客に取り込む施策は、企業成長のカギを握っている。旅行商品のバリアフリー化で商機拡大を狙う旅行業界の動きを追った。

 【無視できない市場】

 「日々、障害者の方を旅行に案内している中で、それなりのマーケットがあると実感している。旅行業界にとってもこれから無視できない市場になる」―。こう話すのはANAセールスCS推進室で障害者の旅行参加を支援する「ユニバーサルツーリズム」に取り組む田中穂積ツアーアシストグループリーダー。

掲載日 2012年01月01日     日刊工業新聞

夢チャレンジド物語:/上 パティシエへの道 洋菓子講座 教材は職人技 /兵庫

2012年01月02日 01時11分48秒 | 障害者の自立
 ◇希望の扉を開けて

 米国では障害者を「チャレンジド」と呼ぶ。「神から挑戦の機会を与えられた人々」という意味だ。夢や希望を失ってしまったかのように閉塞(へいそく)感漂う日本にも、夢を追いかけるチャレンジドがいる。挑戦する彼らの「物語」を追い、希望の扉を開く勇気をもらいたい。

 「スポンジを巻くときは空気を入れないように押して、押して」。昨年11月19日、日清製粉東灘工場(神戸市東灘区)で開かれた「神戸スウィーツ・コンソーシアム」の11年度最終講座。講師のフランス菓子店「ノリエット」(東京都世田谷区)オーナーシェフ、永井紀之さん(50)が、受講生にクリスマスケーキ「ブッシュ・ドゥ・ノエル」の作り方を伝授した。

 講座は、社会福祉法人「プロップ・ステーション」(神戸市東灘区)と日清製粉が08年から企画。洋菓子作りのプロを目指す障害者に一流パティシエらが指導する。この日は精神・知的障害者6人が受講した。受講生の徳山雄祐さん(30)=同市西区=は「難しいけど、やりがいがある。僕も永井さんのようなパティシエになりたい」と目を輝かせた。

 永井さんの長女(14)はダウン症の障害がある。「娘は成長していくにつれ、社会の支えが必要になる。私も自分が教えることができるお菓子作りで支える側になれれば」と話す。

 08年の開講当初から指導する「モロゾフ」テクニカルディレクター、八木淳司さん(60)の三男悠(ゆうき)さん(16)も軽度の知的障害で、愛知県の養護学校高等部に通う。

 「この子の将来はどうなるんだろう」。八木さんは父親として息子を心配する一方で、障害者の作業所などで作るお菓子が気になっていた。単調な味で、彼らの自立を支えるだけのビジネスとして成り立ってはいなかった。

 悠さんの将来のためにも、状況を変えたい。そう考えていたころ、プロップ・ステーションの竹中ナミ理事長から協力を求められ、引き受けた。講師は八木さんの人脈から紹介され、意気に感じた一流パティシエが毎回、手弁当でやって来る。永井さんもその一人だ。

 八木さんは受講生について「4年間一緒にやって来て、彼らは限られた時間なら集中して仕事ができる。フォローさえすれば、十分就労が可能だ」と手応えを感じる。さらに、「私たちは趣味的な講座を開いているわけではない。将来は彼らが作った商品が売れるまで持っていきたい」と強調する。

 チャレンジド(障害者)の可能性を信じて。パティシエという夢に向けた挑戦は、そんな人たちに支えられている。【桜井由紀治】

 ◇トンネル抜け再出発

 神戸市北区の神戸電鉄大池駅前にある洋菓子店「スイーツ・ファクトリー・ポテト」のプリンは「絶品」と地域で評判だ。店を運営する障害者支援事業所に通う内海友人さん(36)=同区=が中心となって作る。「神戸スウィーツ・コンソーシアム」の受講第1期生で、八木淳司さんらプロのパティシエの手ほどきを受けた。

 精神・知的障害者の就労を支援する事業所「ほっとステーションぽてと」が10年6月、空き店舗を利用してオープンさせた6畳ほどの店内で、内海さんはスイーツ作りに励む。おいしさの秘訣(ひけつ)を尋ねると、「愛情を込めて作ることかな」と笑顔を見せた。彼は「引きこもり」という長いトンネルをくぐり抜け、ここに自分の「居場所」を見つけた。

  ■  ■  ■

 中学時代の成績は常にトップクラス。周囲の期待は大きくそれに応えようと、1日10時間、勉強したこともある。高校は県内有数の進学校で、大阪大工学部に現役で合格した。今思えば無理をしていたのだろう。反動が入学後にやって来た。

 大学の同級生に失恋したのをきっかけに、心に異変が起きた。周りが自分のうわさをしていると感じる。ある見知らぬ人は「あいつはエリートコースを外れたな」と笑っているように見えた。自分の考えていることが世界中の人に伝わっている気がした。

 人間不信に陥り大学を休みがちとなった内海さんは、統合失調症と診断された。被害妄想が強く、奇妙な体験は特有の症状だった。大学は何とか卒業したものの、症状はひどくなる一方で大学院の入試に2度失敗。「このままでは社会生活が送れなくなる」と医師に言われた母春美さん(61)は98年、下宿先から息子を連れ戻すが、彼はそこから約7年間引きこもった。自宅のソファに座っているだけの日々を送った。

 家族はどう接していいか分からず困惑した。息子の障害を理解するため、両親は一緒にカウンセリングを受けた。運動不足を解消させようと、夜になると春美さんは息子をランニングに誘った。内海さんは小学校のグラウンドを走りながら「なんで分かってくれんのや。なんでや」と大声で叫んだ。春美さんは7年間、日中に外出したのはスーパーへの買い物ぐらいで、ずっと息子に寄り添った。

  ■  ■  ■

 歳月は流れ、春美さんやカウンセラーの支援もあり、内海さんの症状は少しずつ改善されていった。05年ごろからは引きこもりもなくなり、病院の作業療法に参加した。園芸実習などで同じ障害を持つ仲間と出会い、人と話すことが楽しくなった。

 6年前から通う事業所「ぽてと」では、地域の人とふれあい、自分の作ったお菓子が、おいしいと喜んでもらえる。引きこもっていた時は自分が世の中に見捨てられた存在と感じていたが、今は社会に必要とされていると思えるようになった。

 内海さん親子は気持ちを素直に伝えられるからと、手紙の交換をしている。春美さんは「頑張らなくてもいいよ。生きていてくれるだけで十分」と息子に書いた。一昨年の「母の日」、内海さんが母に宛てた手紙にはこう書かれていた。「産んでくれてありがとう 育ててくれてありがとう 信じてくれてありがとう」。春美さんは思わず涙した。

 内海さんは自立に向け、自宅を出てグループホームで暮らす。今も、妄想が彼を苦しめるが、障害と向き合えるようになった彼の夢は膨らむ。「スイーツの技術を生かして就職したい。それと結婚も」

〔神戸版〕毎日新聞 2012年1月1日