ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

はばたけアスリート 伊藤智也選手

2012年01月05日 02時35分57秒 | 障害者の自立
 2012年は五輪イヤー。ロンドン五輪とロンドン・パラリンピックでは、どんなドラマが見られるのだろう。メダル獲得をめざして練習に取り組むハイレベルのアスリートをはじめ、様々な競技の第一線で活躍する県出身者の素顔を追うとともに、各地域でスポーツを支える人たちを訪ねてみよう。


 ◇プロの意地 4冠つかみ取れ◇ 車いす陸上・伊藤智也選手(48)


 ロンドン・パラリンピックが1年後に迫った2011年秋。鈴鹿市在住のプロ車いすランナー、伊藤智也さん(48)の腰に激痛が走った。白目をむき、口を半分開けたまま気絶した。


 妻の奈美子さん(34)が、泣きじゃくりながら救急車を呼んだ。治療で使う薬剤がドーピングの規定に触れるため、試合に出られなくなる。極限まで痛みをこらえていた。


 08年の北京大会では、400メートルと800メートルで金メダルに輝いた。ロンドンでは100メートルと200メートルも加えた4冠を狙う。この4種目を制した選手は、健常者の五輪を含めて例がない。


 20歳で人材派遣会社を起こし、社員は一時200人に。がむしゃらに働き、カジノで遊んだ。ところが、34歳で突然、下半身がまひし、左目の視力を失った。


 中枢神経が侵される難病「多発性硬化症」だった。一時は両目とも見えなくなり、言葉を発することもできないほど悪化。前妻とは別れ、会社も人に譲った。


 苦境の中、カラフルな競技用の車いすが目にとまった。リハビリのつもりでこぎ始めると、負けず嫌いが高じてのめり込んだ。


 医師に「生きられて3年」と言われてから、今年で14年になる。持病は半年に一度ほどのペースで再発し、その都度、体の機能が衰える。残された腕と胸の筋肉だけで、車いすをこぐ。1日4時間かけて筋トレに励み、ベンチプレス機で120キロを持ち上げる。


 05年には、「自分を追い込むため」に、車いす陸上界で初めてプロ宣言。JAグループ三重、JA鈴鹿、伊勢せきやなどと契約。かつて二輪レースのスポンサーだった経験も踏まえ、「プロなら勝って当たり前」と妥協しない。


 監督、コーチ、栄養士、トレーナーの5人でチームを組む。種目ごとに重さやしなり具合を変えるため、8台の車いすを使い分ける。「プロのライバル選手がひしめく欧州の強豪と対等に戦うには、そのくらい神経質にならなくては」。世界レベルを保つために、遠征や合宿費に年間2千万円ほどかける。


 真摯(しんし)に打ち込む姿勢を慕って多くの選手が集まり、一緒に練習する。


 96年のアトランタ大会の金メダリスト田中照代さん(52)=名古屋市=もその一人。5年前から毎日のように通い、休養の取り方や食事の方法を学んだという。北京大会では銅メダルをつかみ取り、見事に復活した。「車いす陸上は科学的なトレーニングが普及していない未熟なスポーツ。底上げしたい」


 若手の加藤尊士(たかし)さん(23)=愛知県豊田市=は「スタートダッシュは日本一」と期待されている。1年前から指導を受け、100メートルのタイムを1秒以上伸ばした。「伊藤さんの期待に応えたい」と話す。


 そんな後輩を育てるかたわら、いつも脳裏に浮かぶのは、同じ病で亡くなった友の姿だ。目を覚ますたびに、体が動き、目が見え、話せることがわかると、ほっとする。病気の恐怖から逃れることはできないが「生きた証しを残したい」。


 ◇取材余話… 黒帯が結ぶ親友との絆 


 堀之内宏行さん(48)は、伊藤さんの20年来の親友だ。「怖い」「不安だ」と弱音も吐ける。堀之内さんの宝物は、色あせて表面がぼろぼろになった黒帯だ。両端に「堀之内」「伊藤」と刺繍(ししゅう)がある。


 帯は、堀之内さんが空手で全国優勝した時に着けていた。伊藤さんは、車いすにこの帯を結んで闘い続け、北京大会で優勝すると返してくれた。


 いつも応援席で声をからす堀之内さんだが、「優勝するよりも、一日でも長く生きてほしい」と友の体を気遣う。「パチンコでも、飲みに行くのでもいい。伊藤さんのように、障害のある人が普通に外に出てこられるようになれば」。堀之内さんの言葉が心に残った。(高木文子)


 ■吉田沙保里選手・野口みずき選手ら 注目の県関係選手

 今年7月に開幕するロンドン五輪と9月のパラリンピックでは、県関係の選手たちの活躍が期待される。


 心技体とも円熟期を迎えたレスリングの吉田沙保里選手(29)=津市出身=は2004年のアテネ、08年の北京に続く3連覇をめざす。世界選手権は02年から9連覇しており、得意の高速タックルを武器にロンドンに乗り込む。


 アテネで金メダルを獲得したマラソンの野口みずき選手(33)=伊勢市出身=は復活を期す。今月29日の大阪国際女子マラソンに出場予定だ。


 団体種目でも女性アスリートに注目が集まる。バレーボールの山口舞選手(28)=志摩市出身=は、日本代表に欠かせないオールラウンドプレーヤーに成長した。昨年11月のワールドカップは4位に終わったが、今年5月の最終予選を突破すれば自身初の五輪出場となる。


 76年のモントリオール以来の出場をめざすハンドボールは、5月に最終予選がある。三重バイオレットアイリスの伊藤亜衣美選手(28)=いなべ市出身=は攻守の要として注目される。チームメートの早船愛子選手(31)=富山県出身=、毛利久美選手(26)=岡山県出身=も日本代表に選ばれている。


 五輪閉幕後に開かれるパラリンピックでは、陸上競技の伊藤智也選手(48)=鈴鹿市出身=とテニスの斎田悟司選手(39)=四日市市出身=に注目が集まる。北京で2個の金メダルを獲得した伊藤選手は、持ち前のダッシュ力に磨きをかける。ダブルスでの出場をめざす斎田選手はアテネ以来の金メダルを狙う。


4冠をめざし、愛用の「レーサー」で走る伊藤智也選手=鈴鹿市桜島町7丁目の石垣池公園陸上競技場

朝日新聞 2012年01月04日


(3)行動する若者たち

2012年01月05日 02時18分41秒 | 障害者の自立
 ミュージカルが終わると、舞台上のパフォーマーが突然、客席に叫んだ。聞き取れた英語は「JAPAN」と「HELP」だけ。観客が小道具のバケツに次々と紙幣を入れる様子で、東日本大震災への義援金とわかった。


 青森公立大3年の飯村昂平さん(22)が、昨年3月下旬のニューヨーク旅行で見た光景だ。


 「地球の裏側で日本を気にかけてくれる人がいる。青森の僕は何をした?」。焦燥感に駆られた。


 帰国後、真っ先に大学の掲示板に向かい、被災地でのボランティア募集を探した。見つからない。諦めそうになった時、テレビで東京の学生団体がボランティアをしている姿を見た。


 「これだ」


 すぐ連絡をとって合流し、5月、岩手と宮城で被災民家の片付けを手伝った。5人で3日間かけても、片付いたのは1軒だけ。「仲間がほしい」と強く思った。


 「飛び込む窓口がもっと身近にあれば、志があっても、行動に移せない青森の同世代も立ち上がってくれるはず」。ボランティア団体の立ち上げを決意し、大学で被災地での活動報告会を3回開いた。


 16人の仲間が集まり、6月に県学生災害ボランティアネットワーク「虹」が誕生した。乏しい資金は2回の現地活動で尽きたが、青森でもできる支援を考えた。宮城県気仙沼市にある障害者の工房で作られているクッキーを学内で売る計画だ。


 県内のNPO法人数は昨年10月末現在315で、人口10万人あたりで全国44位にすぎない。飯村さんは自ら活路を開いたが、ボランティア活動の「窓口」が極めて少ないのは全県的な問題だ。


   □   □   


 大学として、「窓口」を提供したのは弘前大だ。震災の約2週間後、学内にボランティアセンターを立ち上げた。岩手県野田村を支援先に決め、週1回、村行きのバスを手配。登録学生は450人に上り、毎週約50人が野田村に向かう。


 12月10日、4年生の南部真人さん(22)は、北三陸の海が見渡せる丘の上の仮設住宅を訪れた。


 玄関先に出てきた高齢女性に手を握られる。「こーんな冷たくして。上がって温まってって」


 毎日、夕方まで家族の帰りを一人で待つ寂しさ、津波のショックで足が立たなくなったこと……。とめどなくあふれる女性の言葉にじっと耳を傾ける。


 帰る時、女性は壁に寄りかかり、いつまでも手を振り続けてくれた。「ほんとありがとね。またきてね」


 「こういう出会いがあるから、何度も来たくなる」と南部さん。元々ボランティアに興味があったわけではないが、今や「常連」学生の一人だ。家に泊めてもらえるほど仲良くなった人もいる。


 「少しずつ復興していくのもうれしいし、会いたい人たちもできたし」。野田村通いは30回を数えた。


   □   □   


 「虹」を立ち上げた飯村さんは今、就職活動に追われている。「卒業してもボランティア活動は後輩たちに継いでほしい」と飯村さん。一過性でない支援を目指し、メンバーと話し合う日々が続く。


 災害ボランティアの先駆地、神戸が拠点の被災地NGO協働センター代表、村井雅清さん(61)は「学生の活動を大学や行政が支援すべきだ」という。


 「ボランティアの日数を大学が公欠扱いにする、行政が空き店舗を学生の活動用に貸す……やれることはたくさんある」と村井さん。地域が育てた若い力は、災害時だけでなく、青森の未来にも活力をもたらしてくれるかもしれない。


昨年8月にボランティアで行った宮城県の宿泊所前で記念撮影する飯村さん(前列中央)と虹のメンバーら=宮城県登米市


仮設住宅で住民と一緒にミニクリスマスツリー作りをする南部さん(左から2番目)ら弘前大学の学生たち=岩手県野田村の下安家地区


朝日新聞 2012年01月04日

わくわくくつろぎサロン チーフは車椅子の青年 就活6年 地域交流の顔に

2012年01月05日 02時09分12秒 | 障害者の自立
 介護事業などを展開するNPO法人「ワーカーズわくわく」(中野しずよ理事長)で今月から地域交流サロンが開かれる。サロンのチーフになるのは、ブ・ビェット・ユンさん(28)。障害を抱えるユンさんは「居場所がない人が集まれる場所にできたら」と話す。

 ユンさんは専門学校の学生時代、身体の痛みで病院に行き、検査で精巣ガンが見つかった。ガンの転移で脊椎が傷付き、足が不自由に。その後2年近く闘病生活とリハビリが続いた。

 リハビリ施設を出た後、同級生と遊ぶ時間も多かったが、「みんなが就職して社会人になっていくにつれ、『何もしないってだめだ』と思うようになった」と就職活動を始める。車椅子でも仕事ができる環境の会社を探して応募するも、「社会人経験や仕事の実務経験がなく、書類選考で落とされることも多かった。何度も心が折れた」。その度に気持ちを持ち返し、昨年区役所で同法人の求人を知り、6月に面接を受けた。

 働き始めたのは9月から。現在は新人研修中で、事務の手伝いや福祉関係の研修会で勉強する毎日だ。

 病気で突然障害を持つことになり、「ネガティブな気持ちは常にあるけど、それに引きずられないで生きたい。できることもたくさんある」。落ち込む気持ちを根底に抱えながらも、笑顔や声には明るさが戻った。

 今後他のサロンの様子なども見て回り、実務に向けて準備する予定だという。

 自身も家に一人きりでいることが多かった。サロンを「障害者や高齢者など、平日に居場所がない人たちが気軽に集まれる場所にできたら」と展望を話した。

 同法人の中野理事長は「社会人経験がないまま障害を持った若い人たちは、社会参加のチャンスがないのでは」という。「雇用は自立支援でもある。地域で人の力になれることを実感してもらえたら」と話した。


「毎日の早起きが大変」と苦笑いのユンさん

タウンニュース 2012年1月 5日号

就労個別支援、沿岸でも 県の内閣府モデル事業

2012年01月05日 02時04分26秒 | 障害者の自立
 県は2012年度から、内閣府のモデル事業として取り組む求職者らへの個別支援制度「パーソナル・サポート・サービス」を沿岸部にも拡大する。「社会的包摂」をキーワードに、生活困窮者に寄り添う制度として盛岡と奥州の両市で事業展開してきたが、来年度は沿岸4市に出張所を新設し、被災地支援に本腰を入れる。


 盛岡市のNPO法人いわて生活者サポートセンターが運営する「これからのくらし仕事支援室」(吉田直美室長)は県から同事業を受託する団体の一つ。就労や生活再建、心の問題解決など支援活動は多岐にわたる。

 同支援室の11年4~11月の利用は延べ3392件。継続支援の対象者は205人で、就職やボランティア活動など計84件の社会参加を達成した。盛岡近郊に避難する被災者の就労に結びついたケースもある。

 吉田室長は「被災地からの相談も多かったが、内陸中心の事業のためうまく対応しきれなかった」と本年度の活動を振り返り「今後は新設される沿岸の出張所と連携して被災者支援を進めていく必要がある」と意欲を高めている。

 県は被災地のニーズを見込み、来年度は久慈、宮古、釜石、大船渡の4市に同事業の出張所を新設。相談員各1人が常駐し県内の関係機関と連携、被災者の生活再建にあたる。事業費は12年度当初予算案に盛り込む方針。

 パーソナル・サポートの根底にあるのは「社会的包摂」という政策理念。障害者や失業者らを排除することなく、就労支援などを通じ社会につなぎ留めようという考えだ。

 パーソナル・サポート・サービス 2011年度から県が実施する求職者らへの個別支援制度。内閣府のモデル事業として全国19地域が選ばれ、東北では本県のみ。失業者など生活に困難を抱える人の自立に向け、個々のケースに応じた生活再建プログラムを策定。必要な支援制度を紹介し、場合によっては相談員が行政窓口への申請や弁護士事務所などに同行することもある。「寄り添い」型の支援制度として被災地での活用も期待される。

岩手日報 -(2012/01/04)


にいがた朝活らいふ:/3 夢を語り合う 実現へ一歩踏み出す /新潟

2012年01月05日 02時00分14秒 | 障害者の自立
 ◇多くの人に後押しされ

 「朝活を始めてから半年で考え方が180度変わった。『やりたいな』と漠然と思っていたことが、『やろう』に変わった。だから、多くの人にこういう場を提供したいと思った」。師走の土曜日午前8時。新潟市中央区のファストフード、マクドナルド女池店で、主催者の大瀧剛さん(34)=新潟市西蒲区=はこう切り出した。

 朝活のテーマは「夢を語ろう」。インターネットの会員制交流サイト「ミクシィ」で呼び掛け、新潟市内に住む20~30代の男女6人が集まった。初めて参加する人も、なじみの朝活仲間もいる。

 大瀧さんは知的障害者作業所で職業指導員を務める。仕事以外にキャンプや年越し登山会を開いている。「大人が楽しむ姿を子どもたちに見せ、子どもに夢や希望を与えたい」。それが夢だ。

 大瀧さんは中学生の時、家族との関係に行き詰まり「死にたい」と思ったことがあった。そんな時、同級生の父親が、野球などで遊んでくれた。その経験が自殺を思いとどまらせたことが、今の夢につながっている。

 朝活に参加し始めたばかりの11年4月、この夢を打ち明けた。多くの人から後押しを受け、やる気が高まった。「友達とは夢や将来のことはあまりしゃべらない。よく知らない間柄だからこそ、思い切って自分をさらけ出せる」

 社団法人で事務職をしている渡辺祐子さん(33)=同市西区=は「夏まで目標も夢もなかった。でも朝活に参加して、自分が人をもてなすのが好きなんだって気づいた」と明かす。今は将来カフェをしたい人を集めて一日カフェ体験イベントを開いている。「以前は自分がこんなことするなんて考えられなかった」と驚く。飛び入り参加した記者も居心地が良く、心が和む2時間だった。

    ◇

 塾講師、富樫亮さん(33)=同市東区=は発展途上国と日本の間で双方の本を紹介するという夢への第一歩として、朝活を主催している。新聞販売店従業員、清野雅弥さん(28)=同=と一緒に半年前から、市内で月1回、好きな本を紹介し、本について話し合う朝活「あさこぽん」を始めた。

 クリスマスイブの朝8時。同市中央区のスターバックスコーヒー新潟紫竹山店に22~33歳の男性4人が集まった。出勤前の人もいる。富樫さんは「外国、特に翻訳が少ない発展途上国の本がとても面白い。日本の昔話や漫画も途上国に紹介したい」と夢を描く。一冊の本の良さをどう伝えるか、この朝活で紹介することで改めて考えるようになった。

 本の種類は問わず、フリートークが基本。少人数だと個人の考えをじっくり話したり、聞いたりできる良さがある。富樫さんは「本を語るとその人がよく分かる」と感じる。

 清野さんは「堅苦しいイメージの本を身近にしたい。テレビを見たってのと同じ感覚で、必ずしも完読しなくたって『読んだ』って言っていい」。これまで漫画や女性の写真集の紹介もあった。「それも有りだと思う」

 「人生を変えた本は何?」。この日のトークも次第に熱気を帯びた。気づけば正午を過ぎていた。

毎日新聞 2012年1月4日 地方版