2012年は五輪イヤー。ロンドン五輪とロンドン・パラリンピックでは、どんなドラマが見られるのだろう。メダル獲得をめざして練習に取り組むハイレベルのアスリートをはじめ、様々な競技の第一線で活躍する県出身者の素顔を追うとともに、各地域でスポーツを支える人たちを訪ねてみよう。
◇プロの意地 4冠つかみ取れ◇ 車いす陸上・伊藤智也選手(48)
ロンドン・パラリンピックが1年後に迫った2011年秋。鈴鹿市在住のプロ車いすランナー、伊藤智也さん(48)の腰に激痛が走った。白目をむき、口を半分開けたまま気絶した。
妻の奈美子さん(34)が、泣きじゃくりながら救急車を呼んだ。治療で使う薬剤がドーピングの規定に触れるため、試合に出られなくなる。極限まで痛みをこらえていた。
08年の北京大会では、400メートルと800メートルで金メダルに輝いた。ロンドンでは100メートルと200メートルも加えた4冠を狙う。この4種目を制した選手は、健常者の五輪を含めて例がない。
20歳で人材派遣会社を起こし、社員は一時200人に。がむしゃらに働き、カジノで遊んだ。ところが、34歳で突然、下半身がまひし、左目の視力を失った。
中枢神経が侵される難病「多発性硬化症」だった。一時は両目とも見えなくなり、言葉を発することもできないほど悪化。前妻とは別れ、会社も人に譲った。
苦境の中、カラフルな競技用の車いすが目にとまった。リハビリのつもりでこぎ始めると、負けず嫌いが高じてのめり込んだ。
医師に「生きられて3年」と言われてから、今年で14年になる。持病は半年に一度ほどのペースで再発し、その都度、体の機能が衰える。残された腕と胸の筋肉だけで、車いすをこぐ。1日4時間かけて筋トレに励み、ベンチプレス機で120キロを持ち上げる。
05年には、「自分を追い込むため」に、車いす陸上界で初めてプロ宣言。JAグループ三重、JA鈴鹿、伊勢せきやなどと契約。かつて二輪レースのスポンサーだった経験も踏まえ、「プロなら勝って当たり前」と妥協しない。
監督、コーチ、栄養士、トレーナーの5人でチームを組む。種目ごとに重さやしなり具合を変えるため、8台の車いすを使い分ける。「プロのライバル選手がひしめく欧州の強豪と対等に戦うには、そのくらい神経質にならなくては」。世界レベルを保つために、遠征や合宿費に年間2千万円ほどかける。
真摯(しんし)に打ち込む姿勢を慕って多くの選手が集まり、一緒に練習する。
96年のアトランタ大会の金メダリスト田中照代さん(52)=名古屋市=もその一人。5年前から毎日のように通い、休養の取り方や食事の方法を学んだという。北京大会では銅メダルをつかみ取り、見事に復活した。「車いす陸上は科学的なトレーニングが普及していない未熟なスポーツ。底上げしたい」
若手の加藤尊士(たかし)さん(23)=愛知県豊田市=は「スタートダッシュは日本一」と期待されている。1年前から指導を受け、100メートルのタイムを1秒以上伸ばした。「伊藤さんの期待に応えたい」と話す。
そんな後輩を育てるかたわら、いつも脳裏に浮かぶのは、同じ病で亡くなった友の姿だ。目を覚ますたびに、体が動き、目が見え、話せることがわかると、ほっとする。病気の恐怖から逃れることはできないが「生きた証しを残したい」。
◇取材余話… 黒帯が結ぶ親友との絆
堀之内宏行さん(48)は、伊藤さんの20年来の親友だ。「怖い」「不安だ」と弱音も吐ける。堀之内さんの宝物は、色あせて表面がぼろぼろになった黒帯だ。両端に「堀之内」「伊藤」と刺繍(ししゅう)がある。
帯は、堀之内さんが空手で全国優勝した時に着けていた。伊藤さんは、車いすにこの帯を結んで闘い続け、北京大会で優勝すると返してくれた。
いつも応援席で声をからす堀之内さんだが、「優勝するよりも、一日でも長く生きてほしい」と友の体を気遣う。「パチンコでも、飲みに行くのでもいい。伊藤さんのように、障害のある人が普通に外に出てこられるようになれば」。堀之内さんの言葉が心に残った。(高木文子)
■吉田沙保里選手・野口みずき選手ら 注目の県関係選手
今年7月に開幕するロンドン五輪と9月のパラリンピックでは、県関係の選手たちの活躍が期待される。
心技体とも円熟期を迎えたレスリングの吉田沙保里選手(29)=津市出身=は2004年のアテネ、08年の北京に続く3連覇をめざす。世界選手権は02年から9連覇しており、得意の高速タックルを武器にロンドンに乗り込む。
アテネで金メダルを獲得したマラソンの野口みずき選手(33)=伊勢市出身=は復活を期す。今月29日の大阪国際女子マラソンに出場予定だ。
団体種目でも女性アスリートに注目が集まる。バレーボールの山口舞選手(28)=志摩市出身=は、日本代表に欠かせないオールラウンドプレーヤーに成長した。昨年11月のワールドカップは4位に終わったが、今年5月の最終予選を突破すれば自身初の五輪出場となる。
76年のモントリオール以来の出場をめざすハンドボールは、5月に最終予選がある。三重バイオレットアイリスの伊藤亜衣美選手(28)=いなべ市出身=は攻守の要として注目される。チームメートの早船愛子選手(31)=富山県出身=、毛利久美選手(26)=岡山県出身=も日本代表に選ばれている。
五輪閉幕後に開かれるパラリンピックでは、陸上競技の伊藤智也選手(48)=鈴鹿市出身=とテニスの斎田悟司選手(39)=四日市市出身=に注目が集まる。北京で2個の金メダルを獲得した伊藤選手は、持ち前のダッシュ力に磨きをかける。ダブルスでの出場をめざす斎田選手はアテネ以来の金メダルを狙う。
4冠をめざし、愛用の「レーサー」で走る伊藤智也選手=鈴鹿市桜島町7丁目の石垣池公園陸上競技場
朝日新聞 2012年01月04日
◇プロの意地 4冠つかみ取れ◇ 車いす陸上・伊藤智也選手(48)
ロンドン・パラリンピックが1年後に迫った2011年秋。鈴鹿市在住のプロ車いすランナー、伊藤智也さん(48)の腰に激痛が走った。白目をむき、口を半分開けたまま気絶した。
妻の奈美子さん(34)が、泣きじゃくりながら救急車を呼んだ。治療で使う薬剤がドーピングの規定に触れるため、試合に出られなくなる。極限まで痛みをこらえていた。
08年の北京大会では、400メートルと800メートルで金メダルに輝いた。ロンドンでは100メートルと200メートルも加えた4冠を狙う。この4種目を制した選手は、健常者の五輪を含めて例がない。
20歳で人材派遣会社を起こし、社員は一時200人に。がむしゃらに働き、カジノで遊んだ。ところが、34歳で突然、下半身がまひし、左目の視力を失った。
中枢神経が侵される難病「多発性硬化症」だった。一時は両目とも見えなくなり、言葉を発することもできないほど悪化。前妻とは別れ、会社も人に譲った。
苦境の中、カラフルな競技用の車いすが目にとまった。リハビリのつもりでこぎ始めると、負けず嫌いが高じてのめり込んだ。
医師に「生きられて3年」と言われてから、今年で14年になる。持病は半年に一度ほどのペースで再発し、その都度、体の機能が衰える。残された腕と胸の筋肉だけで、車いすをこぐ。1日4時間かけて筋トレに励み、ベンチプレス機で120キロを持ち上げる。
05年には、「自分を追い込むため」に、車いす陸上界で初めてプロ宣言。JAグループ三重、JA鈴鹿、伊勢せきやなどと契約。かつて二輪レースのスポンサーだった経験も踏まえ、「プロなら勝って当たり前」と妥協しない。
監督、コーチ、栄養士、トレーナーの5人でチームを組む。種目ごとに重さやしなり具合を変えるため、8台の車いすを使い分ける。「プロのライバル選手がひしめく欧州の強豪と対等に戦うには、そのくらい神経質にならなくては」。世界レベルを保つために、遠征や合宿費に年間2千万円ほどかける。
真摯(しんし)に打ち込む姿勢を慕って多くの選手が集まり、一緒に練習する。
96年のアトランタ大会の金メダリスト田中照代さん(52)=名古屋市=もその一人。5年前から毎日のように通い、休養の取り方や食事の方法を学んだという。北京大会では銅メダルをつかみ取り、見事に復活した。「車いす陸上は科学的なトレーニングが普及していない未熟なスポーツ。底上げしたい」
若手の加藤尊士(たかし)さん(23)=愛知県豊田市=は「スタートダッシュは日本一」と期待されている。1年前から指導を受け、100メートルのタイムを1秒以上伸ばした。「伊藤さんの期待に応えたい」と話す。
そんな後輩を育てるかたわら、いつも脳裏に浮かぶのは、同じ病で亡くなった友の姿だ。目を覚ますたびに、体が動き、目が見え、話せることがわかると、ほっとする。病気の恐怖から逃れることはできないが「生きた証しを残したい」。
◇取材余話… 黒帯が結ぶ親友との絆
堀之内宏行さん(48)は、伊藤さんの20年来の親友だ。「怖い」「不安だ」と弱音も吐ける。堀之内さんの宝物は、色あせて表面がぼろぼろになった黒帯だ。両端に「堀之内」「伊藤」と刺繍(ししゅう)がある。
帯は、堀之内さんが空手で全国優勝した時に着けていた。伊藤さんは、車いすにこの帯を結んで闘い続け、北京大会で優勝すると返してくれた。
いつも応援席で声をからす堀之内さんだが、「優勝するよりも、一日でも長く生きてほしい」と友の体を気遣う。「パチンコでも、飲みに行くのでもいい。伊藤さんのように、障害のある人が普通に外に出てこられるようになれば」。堀之内さんの言葉が心に残った。(高木文子)
■吉田沙保里選手・野口みずき選手ら 注目の県関係選手
今年7月に開幕するロンドン五輪と9月のパラリンピックでは、県関係の選手たちの活躍が期待される。
心技体とも円熟期を迎えたレスリングの吉田沙保里選手(29)=津市出身=は2004年のアテネ、08年の北京に続く3連覇をめざす。世界選手権は02年から9連覇しており、得意の高速タックルを武器にロンドンに乗り込む。
アテネで金メダルを獲得したマラソンの野口みずき選手(33)=伊勢市出身=は復活を期す。今月29日の大阪国際女子マラソンに出場予定だ。
団体種目でも女性アスリートに注目が集まる。バレーボールの山口舞選手(28)=志摩市出身=は、日本代表に欠かせないオールラウンドプレーヤーに成長した。昨年11月のワールドカップは4位に終わったが、今年5月の最終予選を突破すれば自身初の五輪出場となる。
76年のモントリオール以来の出場をめざすハンドボールは、5月に最終予選がある。三重バイオレットアイリスの伊藤亜衣美選手(28)=いなべ市出身=は攻守の要として注目される。チームメートの早船愛子選手(31)=富山県出身=、毛利久美選手(26)=岡山県出身=も日本代表に選ばれている。
五輪閉幕後に開かれるパラリンピックでは、陸上競技の伊藤智也選手(48)=鈴鹿市出身=とテニスの斎田悟司選手(39)=四日市市出身=に注目が集まる。北京で2個の金メダルを獲得した伊藤選手は、持ち前のダッシュ力に磨きをかける。ダブルスでの出場をめざす斎田選手はアテネ以来の金メダルを狙う。
4冠をめざし、愛用の「レーサー」で走る伊藤智也選手=鈴鹿市桜島町7丁目の石垣池公園陸上競技場
朝日新聞 2012年01月04日