ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

大震災から10ヵ月、生活不安が心むしばむ-専門家が被災者調査、睡眠障害・重い心理的苦痛

2012年01月09日 02時35分36秒 | 障害者の自立
 東日本大震災の被災地で、睡眠障害を抱えたり、心の健康度を示す指標で「重い心理的苦痛状態の疑い」と判定されたりした被災者の割合が高いことが、専門家の調査で分かった。震災から10カ月を迎える中、被災者は仕事や住居を失った現実を直視する境遇に置かれ、生活の不安が大きくのしかかっている。
 東北大の辻一郎教授(公衆衛生学)らは昨年9~10月、仙台市の仮設住宅で18歳以上を対象に調査。440人のうち50・2%で、夜に目が覚めるなどの睡眠障害が疑われた。心の健康状態では▽絶望的と感じたか▽何をするのも骨が折れると感じたか▽自分は価値のない人間と感じたか-といった6項目の質問の点数評価で、重い心理的苦痛の疑いとされた住民も1割を超えた。

 辻教授は「睡眠障害は全国調査の3割弱を大きく上回る。失業で生きがいをなくしたり、仮設住宅になじめず孤立したりすることが影響しているのでは」と分析する。

 坂田清美岩手医科大教授(同)のグループは昨年9~12月、岩手県の津波被災地のうち3市町で18歳以上の約1万人を調べた。解析中だが、山田町では睡眠障害の疑いが4割程度、重い心理的苦痛の疑いがある住民も1割が見込まれるという。坂田教授は「震災直後の緊張から解放され、将来を客観的に見られるようになり不安が増幅した」ことを要因に挙げる。

 福島県は今月から、東京電力福島第1原発事故の警戒区域などに指定された13市町村の約21万人を対象に心の健康調査を始め、睡眠や飲酒などの生活状況も調べる。福島県立医大の丹羽真一教授(精神医学)は「原発事故では遠方への避難が多く、文化や気候が違う土地での生活は特に心と体の負担が大きく長期に及ぶ」と懸念する。

 国立精神・神経医療研究センターによると、新潟県中越沖地震(2007年)から1年後の調査で、重い心理的苦痛の疑いとされた人は6・7%だった。東日本大震災の被災者で高い割合を示している点について、鈴木友理子災害等支援研究室長は「身近な人を亡くした被災者が多く、喪失感が大きいことが関係しているのではないか」と話している。

平成24年1月8日 世界日報

“家族”に、なろうよ

2012年01月09日 02時27分59秒 | 障害者の自立
引きこもり

 子どもたちを巡る問題は、いくつもの要素が複合的に絡み合って表面化してくることが多い。その一つが「引きこもり」。引きこもりは病名ではなく、対人関係を含む社会との関係で生じた現象を表す言葉だ。

 府は、府内に現在、8000人~1万4000人がいると推定。府家庭支援総合センター(東山区)に、引きこもりの相談を寄せた当事者や家族は、2008年度に延べ1147人、09年度が同1021人、10年度は同1076人とほぼ横ばいで、状態を改善させる難しさをうかがわせている。

 「(引きこもりなどの)若者は、無意識に自分を認めてほしい、わかってほしいという欲求を潜在化させている。それをきちっと支えていくアプローチが必要。こうした『自己承認欲求』に応えることが、若者を豊かな人間関係へと再びつなぎ入れることにつながる」

 昨年12月11日、NPO法人「文化学習協同ネットワーク」(東京)の代表理事、佐藤洋作は、佛教大で開かれたシンポジウム「社会的排除される若者への総合的支援のあり方とは」で基調講演し、強調した。

 同月19日、宇治市小倉町の近鉄小倉駅近くにある、くらしと仕事のサポートステーション「おれんじハウス」に、キーボードやギター、シンバルなどの楽器が運び込まれた。「簡単だから、一度、みんなで合わせてみましょう」。音楽療法士の女性が呼びかけた。

 引きこもりの若者らやその家族の支援を目的に昨年9月に開設され、現在十数人が自分たちのペースで勉強したり、昼食を作ったりして“日常生活”を送る同ハウス。西村有哉(16)(伏見区)と山下佑(16)(同)の幼なじみ2人は、それぞれギターとシンバルに挑戦し、ぎこちないながら、時折、満足そうな表情を浮かべた。

 有哉は、中学校に進んだ直後、小学校よりクラスの規模が大きくなるなど環境の変化になじめず、「1年生の最初に2週間くらい行っただけ」。その後は、京都市の教育支援センターに通い、高校受験には合格したが、「気持ち的にしんどくて1回も行っていない」。母親に勧められて訪れた同ハウスでは週のほとんどを過ごし、最近は週に2回、近くの飲食店で手伝いも始めた。「自分が明るくなった」と少し感じている。

 佑も中学1年の頃から引きこもるようになった。学校に行きたくない理由は「よく分からない」。家ではテレビゲームにのめり込み、昼夜逆転の生活を送っていた。以前は、人見知りも激しかったというが、唯一、友達関係が続いていた有哉が通い始めたことを知って同ハウスに顔を出すようになった。今では同ハウスを訪れる人の応対も行うようになり、生活のリズムも少しずつ戻ってきた。「ここでしゃべっている時が一番楽しい」と言う。

 同ハウスでは、それぞれの細かな背景までは立ち入らない。ただ、元中学校教諭で、同ハウスを主宰する古田京子(56)は「虐待を受けたような子も、愛情をかけられていないと見受けられる子もいる。だからこそ、実は、家族に対するこだわりが強い」と話し、「他人よりは親しい人との関係の中で“家族”を感じて自己肯定感を高めてもらい、次に進む力を持ってほしい」と願う。そして、「家族も当事者と同じように戸惑い、苦しんでいる」と、そのケアの重要性も強調する。

 有哉と佑は今月から、府などが運営する総合就業支援拠点「京都ジョブパーク」に通う。「不安もあるけど、半分くらいは楽しみ」(有哉)、「何ができるかわからないけど頑張りたい」(佑)。少しずつ、歩み始めた。<明日への扉>を開く日は近い。(敬称略)

■引きこもり 厚生労働省の定義は「様々な要因の結果として社会的参加(義務教育を含む就学、非常勤職を含む就労、家庭外での交流など)を回避し、原則的には6か月以上にわたっておおむね家庭にとどまり続けている状態(他者と交わらない形での外出をしていてもよい)を指す現象概念」.NPO法人「全国引きこもりKHJ親の会」の調査結果では「発達障害の一種で、アスペルガー症候群などを含む広汎性発達障害の可能性が高いと思われる人が多い」とされる。


楽器の演奏に挑戦する有哉(左から3人目)と佑(左)。古田(左から2人目)らの支援を受け、引きこもりを脱しつつある(昨年12月19日、宇治市のおれんじハウスで) 

(2012年1月8日 読売新聞)


リアル30’s:働いてる? (6)誰かの役に立ちたい 社会貢献 ビジネスで

2012年01月09日 02時19分11秒 | 障害者の自立
 「ほしい物があったら何でも言って。食べ物? おむつ?」。東日本大震災から4カ月たった昨夏、故郷・岩手県大船渡市に住む友人に電話すると、予想外の答えが返ってきた。「震災があったことを忘れないでほしい」 

 及川武宏さん(32)は当時、東京のコンサルティング会社から島根県のアミューズメント会社に転職したばかり。「まるで逃げたみたいだ」と後ろめたさを感じていた。友人の一言で心を決めた。

 ソフトバンクの孫正義社長が設立した公益財団法人「東日本大震災復興支援財団」の正規職員に応募し、面接で本心をぶつけた。「大船渡のためだけに働きたい。それ以外は興味がない」。採用され、島根の会社は2カ月で辞めた。

 少年のころは美しい海で泳ぎ、釣りに明け暮れた。県立大船渡高校時代は、サッカー部でフォワードとして活躍。小笠原満男選手(現・鹿島アントラーズ)らと全国大会で3度ベスト16入りし、町を挙げて祝ってもらった。「将来は大船渡に帰ろう」と考えていた。

 新卒で人材紹介会社に入社したが、希望の部署に行けず、半年で見切りをつけた。アルバイトをしながらニュージーランドを1年間旅行。バックパッカー向けの安宿に泊まり、ワイナリーで働いて旅行資金を稼いだ。「海外からの旅行者を、こんなふうに大船渡に集められたら」。起業を考え始めた。

 26歳で帰国し、IT系ベンチャー企業やコンサルティング会社で働いた。「待遇を気にしたことも、レールに乗らなきゃと思ったこともない。それより、たった一度のチャンスが巡ってきた時、逃さない自分になっていたい」。サッカーで学んだ教訓だった。

 今は被災地と東京を往復する生活。財団で奨学金を担当する一方、起業の構想を膨らませる。大船渡の休耕地にブドウを植え、ワイナリーを造る。空き家を改修して外国人旅行者向けのゲストハウスも造りたい。水産業の回復に時間がかかる中、内陸で産業を育てたい。古里への思いが、被災地全体の復興につながると信じている。

 「若いころの夢は空回りばかり。でも今は夢だけで終わらせない自信がある。人とつながり、人を巻き込んで形にするすべを学んだから」。これまでの仕事で一番やりがいを感じている。

◇  ◇ 小倉譲さん(34)は、介護付き旅行を手掛けるNPO法人「しゃらく」(神戸市)の代表。06年に事業を始めた。

 最初は6畳一間で仲間3人と共同生活。食事はコロッケ一つを4等分。ビジネスが軌道に乗るまで、休みはゼロだった。各自3万円の月給では暮らせず、夜もアルバイトをした。「はいあがろうぜ」と、毎日声を掛け合った。2年後、1400万円がたまり、月18万円の給与を払えるようになった。

 中学・高校時代はずっとヤンキー。誰かに認められたかった気がする。高2の時、阪神大震災に遭った。勤め先で陣頭指揮を執った父は10日間、家をあけた。「従業員もその家族もお客さんも、みんな家族。だからこの家はお前が守れ」。初めて認めてもらえた。自分も誰かの役に立ちたいと思った。

 福祉を志すきっかけは、入院していた時に知り合った年下の友人。不治の病気だった。涙を流しながら彼が言った。「俺にも夢がある。入院中ずっと本読んでたから、文章に自信がある。校正の仕事に就いたら両親に楽をさせられる」。自分とはスタートラインが違う、と打ちのめされた。社会の矛盾をなくしたいと、ソーシャルビジネスを考え始めた。

 障害者向けの服づくりを目指して入社したアパレルを、「まず利益」の社風に反発して退社。そのころ、自分では歩けない岡山在住の祖父が「生まれ故郷の徳島の神社に行きたい」と言い出した。大手の旅行代理店に介護付き旅行を相談したが「うちでは難しい」。自ら連れて行った。

 参道で祖父は車いすから立ち上がり、長い階段を自分の足でゆっくり上り切った。旅の持つ見えない力に気付いた。旅を必要とするのにサービスが届かない人たちがいる。友人たちとNPOを作った。

 「お金より大切なものっていっぱいあると思うんですよ。僕らが追求するのは、心から『ありがとう』って言ってもらうことだけ。仕事と人生、多くの人はすみ分けてるけど、僕にとっては一緒。自分で道を切り開きたい」

 事業が軌道に乗り、コンサルタント会社から「今より数倍の報酬でうちに来ないか」と引き抜きの声がかかったこともある。だが、仲間を裏切る気はない。


 ◇商売でも奉仕でもなく

 ソーシャルビジネス(SB)は、子育てや障害者の支援、貧困、医療、まちづくりなどの社会的課題の解決にビジネスの手法を用いて取り組む事業。利益追求も事業を持続的に成立させるのが目的で、一般的なビジネスやボランティアと区別される。社会的課題を解決しながら、新たな産業・雇用創出にもつながると注目されている。

 経済産業省が07~08年、SB事業者に実施したアンケートを基にまとめた「ソーシャルビジネス研究会報告書」(08年)によると、全国のSB事業者数は約8000で、雇用規模は約3.2万人、市場規模は約2400億円(いずれも推計)。組織形態はNPO法人が46.7%と約半分で、営利法人は20.5%。1団体あたりの年間収入は「1000万円以上5000万円未満」が最も多かった。


夕暮れの被災地を見つめる及川武宏さん。「まだ何も始まっていません」=福島県南相馬市で

毎日新聞 - 2012年1月8日

難病カルテ:患者たちのいま/26 先天性ミオパチー /佐賀

2012年01月09日 02時12分18秒 | 障害者の自立
 ◇家族の笑顔活力に 「大黒柱」仕事に責任感

 難病「先天性ミオパチー」患者で、電動車椅子に座る城島淳二さん(27)はかごを膝に乗せ、近所のドラッグストアに入店する。仕事帰りの買い物が「夫」としての担当だ。牛乳やティッシュをテキパキと選んで手に取り、レジに向かった。

 養護学校の小学部入学後、三輪車や車椅子を使うようになった。「障害を持つ友達が多かったし、先生も理解をしてくれた」から、居心地は良かった。誰がどんな障害を持っているかも意識しなかったし、いじめを受けたことも無かった。

 03年、パソコンや福祉分野を学ぶため短大に進学。在学中、妻智美さん(38)と出会ったことが、将来を考えるきっかけになった。

 智美さんも難病「脳動静脈奇形」があり、右半身にまひ症状も出ている。交際直後から結婚を意識したが「安定した仕事を得ない限り、その資格はない」。そう考え、県職員の障害者枠を目指した。

 3度目の挑戦だった06年12月、合格発表の当日。アルバイトをしていた佐賀市役所のパソコンで番号を見つけた。帰り道、JR佐賀駅構内の宝石店で「給料の約3カ月分」の指輪を買った。同じ月の24日、福岡の高層ホテルでスイートルームを予約し、プロポーズした。

 07年、初任地は佐賀北高校だった。職場の理解はあったが、正職員としての責任、緊張感。結婚式の準備も立て込んだ。猛暑による夏バテも重なった上、野球部が夏の甲子園で優勝。多忙で追い込まれ、体重が6~7キロ落ち、就寝時に呼吸ができなくなった。

 睡眠が取れなくなってから丸5日目の朝、自宅玄関で意識を失った。病院に着き、呼吸器を口に当てられた瞬間、心地よさと同時に死を覚悟した。

 2年間は就寝中に呼吸器が必要だったが、現在は付けずに眠ることができる。短い距離なら自力歩行もできるが、それも体調次第。寒さや暑さが続くような時期は、全身の力が入らなくなる。

 ただ今は、働き続ける「責任」がある。長男生織ちゃんが生まれた09年、佐賀市の新興住宅地にバリアフリーのマンションを購入した。智美さんのため、ショッピングセンターに近い立地を選んだ。ローンは35年。「大黒柱」としての自覚で、疲労や体調安定にこれまで以上に気を使う。

 活力は、智美さんの笑顔だ。「こんな体だけど、男だから。嫁を幸せにしたいから、頑張ります」。「苦手」だという笑顔で、胸を張った。

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 ◇先天性ミオパチー

 新生児期、乳児期から、筋力低下などが起こる遺伝性の病気。一般的に進行は遅いとされているが、人工呼吸器が必要になることもある。症状などの違いでいくつかのタイプがあり、城島さんは「先天性筋線維型不均等症」とみられている。特定疾患の対象ではないが、東京都などは独自に医療費助成の対象に指定している。



毎日新聞 2012年1月8日 地方版

創造力いっぱい17作品 3大学学生ものづくり展in長崎

2012年01月09日 02時06分11秒 | 障害者の自立
 長崎市文教町の長崎大で7日、長崎大、新潟大、富山大共催のコンテスト「3大学学生ものづくり・アイデア展in長崎」があり、学生が創造力や技術力を競った。

 国の事業で連携して工学部教育に取り組んだのを機に、持ち回りで毎年開催。9回目の今年は17件の出品があった。

 長崎大のあるグループは、障害者が自動車から車いすに乗り移る際、胸で移動式の台にもたれかかる形で体を浮かし、足腰への負担を減らす装置を開発した。別のグループは黒板拭きがチョークの粉を舞い上げ、何度も使うと文字が消えにくくなる欠点に着目し、湿式黒板拭きを考案。取っ手の付いたスポンジを、黒板横に設置した縦型絞り器のローラー部分を通過させれば、水に浸して洗浄し、同時に余分な水を絞り取る仕組みで、特許出願中という。

 発想のユニークさや実用性、完成度などを教員らが審査。トップの金賞は富山大のプラネタリウムが受賞。湿式黒板拭きが3位の銅賞に輝いた。


車いす乗降時の身体への負担を軽減する装置=長崎大

1月8日のながさきニュース 長崎新聞