ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

難病カルテ:患者たちのいま/28 潰瘍性大腸炎 /佐賀

2012年01月23日 02時06分22秒 | 障害者の自立
 ◇「セーフティーネット必要」 患者団体の活動懸命に

 唐津市相知町の秀島晴美さんは看護師として働いていた23歳のころ、腹痛、下血が続いた。「仕事に行けなくなるし、入院したくない」と、我慢し続けたが、40度の高熱と貧血で緊急入院。体重は約10キロ落ちていた。検査を受け、潰瘍性大腸炎と判明した。

 約半年間は絶食し、点滴だけ。病院から外出もできない。腹の内部をえぐられるような痛みは24時間続いた。

 一度は退院したが、半年後に再発。医師からは「看護師は無理です」とストップがかかった。しかし病気になったことで「今まで、患者さんの気持ちを十分くめていなかった」ことに気付き「このまま辞めたくない」という思いも強まった。

 25歳のころに結婚、29歳で妊娠が分かった。喜び以上に感じたのは不安だ。前年に早期流産しており「2度目があったら生きていけない」という恐怖感が先行した。

 無事に出産できたが、長女は腎臓や目に病気を抱えていた。現在は健康な状態だが、東京まで通院が必要な時期もあった。自身の症状は子育てに奔走していた約8年間は、不思議と治まっていた。

 仕事を頑張っても、体調悪化を繰り返す。そこに差した光が子供の存在だった。将来は閉ざされていると思っていたが、子供が生まれたことで「生きていく未来が描けるようになりました」。

 一方で30歳代後半からは毎年のように再発、入院を繰り返した。「もうだめ」という絶望感に何度も襲われたが「諦めたくない」とも強く思った。

 「不安に襲われる自分の平常心を保つ」ため、ケアマネジャーや社会福祉士などの資格も取得し、活動の幅を広げた。現在は看護学校の非常勤講師として、後進の指導にも当たる。

 クローン病をあわせた「炎症性腸疾患」の県内患者会の設立にも携わった。活動を通じ、制度の谷間に置かれる患者たちの状況を痛感し、全国組織の活動にも関わる。

 雇用・生活支援が不十分で、成人患者には、医療費助成以外の支援策がほとんどない。潰瘍性大腸炎患者の障害者手帳取得率は約3%。障害者向けサービスも十分に受けられない。それなのに「助成対象から外す」という話題が何度も取りざたされる。

 懸念するのは、若年患者の生活が壊れることだ。秀島さんが以前受けた治療法も助成がなければ約70万円かかっており「助成無しで高額な医療費を強いられれば、社会的基盤がない若者にとっては、就職も結婚も出産も、将来が閉ざされてしまう」と感じる。だからこそ、「患者を支えるセーフティーネットが必要です」と訴える。【蒔田備憲】

==============

 ◇潰瘍性大腸炎

 大腸の粘膜に潰瘍などができる病気。原因は不明。下血や下痢、腹痛が起こる。完治に導く治療は難しく、原則は薬による治療だが、手術が必要なこともある。医療費助成の対象になる特定疾患に指定されており、10年度の受給者数は11万7855人。

毎日新聞 2012年1月22日 地方版

災害時、難病患者ら支援は? 嬉野でシンポジウム

2012年01月23日 02時01分42秒 | 障害者の自立
 災害発生時の障害者20+ 件や難病患者の避難や生活支援について考えるシンポジウムが22日、佐賀県嬉野市塩田町の同市中央公民館で開かれた。昨年11月に同町で行われた300人規模の避難訓練を踏まえ、「地域の人の支援が大事」「小さな集落単位でも訓練してお互いにつながろう」などの意見が出た。

 

 パネル討論では、区長や民生委員、消防団などの地元代表と患者や特別支援学校の代表が議論。災害時要援護者登録や地域コミュニティーを活用した連携が探られ、難病患者からは「多くの患者は自分の病を隠しているが、打ち明けられる地域にしてほしい」と日常的に理解を深める必要性が指摘された。

 

 シンポジウムは県難病支援ネットワーク(三原睦子理事長)が主催。避難訓練に参加した地元高校生や東日本大震災被災地を訪問した中学生の発表もあり、地元市民ら約100人が耳を傾けた。三原理事長は「患者と行政、自主防災組織のつながりが重要なことを今後も伝えていきたい」と話した。

佐賀新聞 - 2012年01月22日更新

発達障害に理解を 西条で講演会

2012年01月23日 01時44分43秒 | 障害者の自立
 発達障害の一つ「注意欠陥多動性障害(ADHD)」の当事者で、新居浜市こども発達支援センターの相談員を務める漫画家あーささん(31)=今治市=の講演会が22日、西条市大町の「ウイングサポートセンター」であり、来場者が発達障害の特性やサポートの仕方などについて耳を傾けた。
 同センターは子どもの成長や、発達に不安を抱える保護者や教育・福祉関係者らの支援を目的に西条市が昨年11月に開設。講演会は開所記念事業で、約130人が出席した。
 あーささんは発達障害の疑いがある子どもは決して珍しい存在でないことを強調した上で「周囲の環境に適用できないまま成長することで、心の病や精神障害などの二次障害を引き起こすことが問題」と指摘。障害の長所と短所を紹介し、短所を補う手法としてほめ方や言葉の接し方のこつなどを披露した。
 同センターによると、開設から昨年末の2カ月間で138件の利用があった。永井敬則所長は「保護者や学校関係者の支援ニーズが高いことが再確認できた。引き続き課題把握などに取り組みたい」としている。

愛媛のニュース2012年01月22日(日)

小学生ふうせんバレーボール:最多29チーム、熱戦展開--北九州市 /福岡

2012年01月23日 01時37分05秒 | 障害者の自立
 障害者と健常者が一緒に風船を追いかける「第4回小学生ふうせんバレーボール大会」
(北九州市主催、毎日新聞社など後援)が21日、八幡東区の市立総合体育館であった。過去最多の市内29チーム計約280人が参加し、熱戦を繰り広げた。

 市発祥のふうせんバレーを通して障害者への理解を深めてもらおうと企画。ルールは、1チーム(6人)に最低1人の障害者を交え、全員が1回はピンクの風船(直径40センチ)に触ってから相手コートに返す。障害者がいない場合は1人が固定椅子に座ってプレーする。視覚障害者も参加できるよう風船には鈴が入っている。

 参加者は、風船のトスに合わせて「いち、に、さん」と声を掛け合い、コートを走り回った。初優勝したワンピース(小倉南区)の小学5年、秋月翼主将(10)は「練習でやってきたことを全部出せた。最高にうれしい」と笑顔をみせた。

毎日新聞 2012年1月22日 地方版

東日本大震災:福祉作業所に笑顔 南三陸町「のぞみ」、自らの力で再開 /宮城

2012年01月23日 01時30分31秒 | 障害者の自立
 ◇震災乗り越え別の場所に拠点 「古里にお返ししたい」

 東日本大震災の被災地の障害者に笑顔が戻りつつある。南三陸町の福祉作業所「のぞみ」は津波被害で全壊したが、2カ月後に拠点を確保し、昨年9月には従来の作業を再開した。「『のぞみ』がなくなって寂しい」。居場所を失った知的障害者らの声に応え、施設側は行政の指示を待たずに動き出した。【平川哲也】

 「何べんも叫びました。『助けて』と」。利用者の高橋博行さん(38)は3月11日を振り返り、涙をこぼした。海から約1キロ離れた旧作業所。1階天井付近まで達した黒い波に、高橋さんは車いすごとのみ込まれた。畠山光浩所長(55)に助けられて難を逃れたが、津波は19年過ごした作業所と仲間2人の命を奪った。

 隣接する高校の教室に、利用者や保護者、施設職員ら約20人が避難した。教室にあったジャージーを借り、ストーブで暖を取った。事態はのみ込めず、電話も通じない。

 すすり泣く利用者もいた。だが、別の利用者が「大丈夫」と声を掛け、仲間同士が冗談を言い合って笑い声も漏れた。「支えられているのは、私たち職員の方だ」と、畠山所長は思ったという。利用者のため何ができるか。職員たちは、それだけに集中することができた。

 被災を免れた近くの家からストーブの灯油を分けてもらい、高校の教室で約1週間避難生活を送った。利用者を引き取りに来た家族には、避難先と連絡を取る方法を聞いた。家族の一人には「『のぞみ』はどうなるんですか」と聞かれ、畠山所長は「必ず元に戻します」と力強く答えた。

 3月中に再開に向けて動き出したが、発生直後の混乱で、行政とは連絡を取ることすら難しかった。避難所で暮らす利用者は「皆はどうしているの?」と聞く。当面の拠点を職員自ら探し、約300平方メートルの休耕地がある町内の利用者宅にたどり着いた。

 5月。プレハブの作業所を建てると、利用者が帰ってきた。被災前はシール貼りなど室内の作業が主だった利用者が、畑仕事を始めた。笑顔がはじけた。

 畠山所長は言う。「行政からの指示を待つことはできた。けれど『のぞみ』は、利用者の家族がつくってきた施設。待たせるわけにはいかなかった」

 作業所は、同様の施設が町内になかった76年に開設された。機運をつくったのは知的障害者らの家族たちで、工賃が支払われる仕事を自ら町内の企業に探し求めた。一昨年から社会福祉法人に運営がゆだねられたが、近隣住民が利用者に気軽に声を掛ける雰囲気は変わらなかった。

 そんな古里に根付いた作業所は今、震災前の輝きを取り戻そうとしている。利用者の大半は仮設住宅から通うが、9月にははがきの製作を受注、10月には別の高台に仮設作業所を移し、被災後初の工賃が手渡された。高橋さんは「仕事は楽しい。皆と一緒に仕事ができる『のぞみ』はもっと楽しい」と言う。「きっちりとした形で、古里の宝である『のぞみ』を町にお返ししたい」。畠山所長は将来を見据えて語る。

毎日新聞 2012年1月22日 地方版