ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

車いすラグビー 畑中 功介選手 39

2012年01月03日 11時55分11秒 | 障害者の自立
「世界と戦う」生きる力に

 殺人を冠した物騒な異名を持つ。「マーダーボール」。バンパーなどで装甲した車いすを操ってボールを奪い合う。ウィルチェアラグビー(車いすラグビー)。火花を散らして転倒することも珍しくない。

 見る者の心配をよそに、畑中功介さん(39)(香南市)は「遠慮なく、思い切りぶつかり合えるのが魅力」と言い切る。県内唯一のチーム「Freedom(フリーダム)」の主将だ。

 高校2年だった1989年初夏。室戸市でミニバイクを運転中、車と衝突した。倒れた路上で両腕に力が入らず、下半身の感覚もなくなっていた。頸椎(けいつい)損傷。小学生の頃からバスケットボールに打ち込むなど、スポーツに親しんできた。ベッドの上からほとんど動けなかった半年間、「自殺の方法ばかり考えていた」。

 リハビリが始まると、約1年かけて車いすの乗り方、入浴の仕方を学んだ。そんな日々も終わりに近づいたある日、中年の男性障害者から「ツインバスケットボール」に誘われた。高低二つのゴールを狙う重度障害者向けの競技。「単なる球遊び」にしか見えなかったが、ここで同じ境遇の障害者と出会い、励まし合い、孤独感が消えた。

 衰えていた腕の筋肉を鍛え直すと、ボールを扱う感覚が戻ってきた。中四国選抜に選ばれ、全国優勝も味わった。しかし、ツインバスケは国内でしか行われていない。「世界と戦いたい。競技を通じて世界中の障害者と仲良くなりたい」。そんな折り、大阪のツインバスケ仲間に誘われたのが車いすラグビーだった。

 あまりの激しさに、最初は「そんなことしていいのか」と驚いた。が、すぐに「やってみたい」という衝動が上回った。前年にパラリンピックの正式競技に採用されたとも聞いた。練習場所を求め、高知から毎月のように大分、大阪などのチームに通った。県内ではツインバスケ仲間を「世界に挑戦しよう」と口説いた。仲間が3人集まった02年4月、チーム結成をかなえた。

 平日、訪問介護会社で事務員として働き、他のメンバーや家族らと練習を重ねる。現在、中四国で唯一のチーム。試合のための遠征費は年間20万~40万円かかる。暑さとの闘いも、健常者とは比較にならない。頸椎を痛めると発汗機能を失うことが多い。試合や練習中、こまめに霧吹きで体に水をかけて体温を下げる。

 それでも「外国人選手にも体当たりで挑める」という興奮が、畑中さんの体を突き動かす。チームからは、16年のパラリンピックで日本代表入りを目指すホープも生まれた。高知工科大大学院1年小谷慎吾さん(23)(南国市)。障害が重く、腕での捕球は困難だが、巧みな位置取りで相手の進路を妨げる。「障害の程度に合わせ、果たせる役割がある。生きる力を与えてくれた競技」と感謝する。

 メンバーは11年3月、NPO法人を設立した。競技を通じて障害者への理解を深めてもらおうと、小中高校で体験授業を行う。「どんな人でも楽しめる競技として広め、世界にはばたく選手を育てる道筋を作りたい」と畑中さん。その夢は膨らむ。


 ウィルチェアラグビー 1977年にカナダで考案され、2000年のパラリンピック・シドニー大会から正式種目となった。1チーム4人。バレーボール大の球をひざに乗せたり、味方にパスをしたりして運ぶ。敵陣のエンドラインを超えれば得点。コートの広さはバスケットボールと同じ。10年の日本の世界ランキングは米国、豪州に次ぐ3位。パラリンピックはアテネ大会8位、北京大会7位で、3大会連続となるロンドン大会(8月29日開幕)の出場も決めている。

(2012年1月3日 読売新聞)

韓国初の冬季スペシャルオリンピックス、2013年に平昌で開催

2012年01月03日 01時44分37秒 | 障害者の自立
2013平昌(ピョンチャン)冬季スペシャルオリンピックスは韓国が初めて招致したスペシャルオリンピックス大会だ。平昌スペシャルオリンピックスは2013年1月26日から2月6日まで江原道(カンウォンド)平昌のアルペンシア、竜坪(ヨンピョン)リゾートと江陵(カンルン)の室内スケートリンクで開かれる。127カ国から選手と役員3300人余りが参加する予定だ。平昌スペシャルオリンピックスは平昌が2018冬季オリンピック招致を確定する前の2010年9月に開催が確定した。スペシャルオリンピックスの開催が2018年冬季オリンピック招致にもつながったというのがスポーツ関係者たちの大半の意見だ。

スペシャルオリンピックスもオリンピックのように4年に1回ずつ夏季大会と冬季大会が開かれる。夏季大会と冬季大会は軒2年おきに開催される。冬季大会では合わせて7つの競技種目が行われ、アルペンスキー、クロスカントリー、スノーボード、スノーシューイング(雪の上を歩ける大きな履物を履いて走る競技)の4つの雪上種目と、スピードスケート、フィギュアスケート、フロアホッケーの3つのスケート種目がある。細部種目は59個だ。

フィギュアスケートのキム・ヨナと女優キム・ユンジンが今回の大会の名誉広報大使を務めているキム・ヨナは知的障害者のフィギュア選手たちと会って1日コーチを行うなど活発な広報活動を広げている。

韓国は2011年にアテネで開かれた夏季大会に111人が参加し、11種目で67個のメダルを獲得した。4年前の2009年にアイダホで開かれた冬季大会では36人の選手が6種目に参加し総31個のメダルを取っている。


2013平昌(ピョンチャン)冬季スペシャルオリンピックスが、2013年1月に平昌で開催される。

2012年01月02日10時24分 [ⓒ ISPLUS/中央日報日本語版]

 助けてもらうことは、人生の醍醐味   女優石井めぐみさん(国立市)

2012年01月03日 01時36分49秒 | 障害者の自立
 未曽有の災害が昨年3月、東日本を襲い、日本列島に絶望と深い悲しみをもたらした。「艱難(かんなん)、汝(なんじ)を玉にす」という言葉があるように、自分ではどうすることも出来ないことに直面しても乗り越えれば人は成長すると、信じたい。「頑張れ」の代わりに、困難を乗り越えた8人の女神たちの言葉を読者に届ける。

 港区のマンションの一室にあるサロン「ラ・アンジェ南青山」。昨年11月、会員制交流サイト「フェイスブック」の勉強会が開かれた。女優の石井めぐみさん(53)は女性たちの輪に入り、愛用の多機能携帯端末「iPad」で活用方法を実演、「つながる」楽しさを伝えていた。

 サロンの会員は約500人。大半は子育てを終えた40歳代後半以降の女性だ。おしゃべりしながら、楽しい一時を過ごしていた。フラワーアレンジメント、美容講座……。毎回、会員が講師を務め、興味を持った人が参加する。

 「子供が独立すると女性は家庭の中で孤立する人が多い。こういう人たちが輝ける場所が必要だと思った」と、サロンの運営会社ウィメンズ・ラボを設立した。

 石井さんは彼女たちのことを、「フラワーエイジ」と呼ぶ。今まで大変なこともあったけど、これからが人生の本番。大輪の花を咲かせてほしいという願いを込めた。開設から2年半、サロンは、石井さんにとっても「大切な場所」になった。

 大学在学中に芸能界デビューし、テレビドラマやバラエティー番組で活躍。知的で清純なイメージでお茶の間の人気を得た。結婚を経て、順風満帆だった人生に思わぬ出来事が訪れた。

 待望の長男・優斗君が出産時のトラブルで重度の脳性マヒを負った。話すことも体を自由に動かすこともできない。たんや唾を自力でのみ込めず、1日何十回もの吸引が必要で24時間態勢の介護だった。

 優斗君の機能回復のため、デイケア施設に通った。「障害児とその家族の生活を向上させたい」という思いが募り、知り合った母親仲間と親の会「てんしのわ」を設立した。

 孤立しがちな障害児の母親のため、育児相談や情報交換ができるインターネットサイトを開設。相談事を書けば、誰かが対処法を教えてくれる。「ここでつながっているから何とか頑張れる」。いつしか、そんな声が寄せられるようになった。

 優斗君の進学を巡り、行政や政治家とも交渉に当たった。役者とスタッフ以外に関わりがない狭い芸能界と比べ「友達が増え、人生が濃くなった」。

 その後、次男の子育てをしながら優斗君の介護、会の活動、仕事とすべてを精力的にこなし、充実した日々だった。しかし、夫とは徐々にすれ違いが生じていた。やがて優斗君は人工呼吸器が外せないほどに体調が悪化、8歳でこの世を去った。

 心に大きな穴が開いた。気付くと優斗君が入院していた病院の前にいたり、骨つぼをお墓に入れることを考えただけで、呼吸困難になり、病院に運ばれたこともあった。夫とは離婚、次男は夫の実家で暮らすことを望んだため、親権も失った。「自分が情けなくて何で、何で……」。ただただ、もがき続けた。

 ある時、石井さんが生まれ育った調布市で霊園を偶然、見つけた。見学に行くと、優斗君を産んだ病院の近くで、そこは以前、お花畑だった。直感的に気に入った。墓を購入し、納骨が済むと、「すごく楽になった」という。

 石井さんは、これまでのことを振り返るようになった。吸引の仕方を覚えた近所の人など周囲の人が優斗君の面倒を見てくれ、助けられたことを思い出した。「だから自分も誰かの支えになりたい。人に助けてもらうことは、人生の醍醐(だいご)味」だと悟った。

 「人と人がつながる幸せを広めていきたい」。目標が見え、人生の再スタートを切った。障害者に優しい街づくりや命の大切さをテーマに月に3~4本、全国各地で講演を行っている。

 そんな中、東日本大震災が起きた。翌日、福島県南相馬市で講演をする予定だった。「楽しみにしています」。地元の人たちがツイッターでつぶやいた言葉とテレビに映る現地の映像を見比べ、言葉を失った。

 石井さんは昨年の約半年間、サロンで開いた講座の受講料を全額被災地に寄付した。会社はまだまだ黒字ではないが、できることをしたいと思った。

 「つらいことでも、見方を変えればどこかに『幸せの種』はある。諦めずにいいことを探して行けば、最後には『いい人生だった』って思える。今のところは、それができているかな」。苦難を乗り越えて来た石井さんの表情は、輝きに満ちていた。


「人のつながりを作り、大切にしていきたい。それが私に与えられた役割だと思う」と話す石井さん(昨年11月、「ラ・アンジェ南青山」で)

石井さんの歩み

1958年 調布市に生まれる

 77年 都立国立高校卒業

 79年 早稲田大学在学中に芸能界デビュー

 90年 テレビディレクターと再婚

 91年 長男・優斗君を出産

 93年 「てんしのわ」を設立。次男を出産

 96年 「笑ってよ、ゆっぴい」が出版され、ドキュメンタリー番組「ゆっぴいのばんそうこう」が放送される

 99年 優斗君が亡くなる

2000年 離婚、国立市に引っ越す

 09年 「ウィメンズ・ラボ」を設立

(2012年1月1日 読売新聞)

招き猫で千客万来! 大村の中央商店街に恋愛神社

2012年01月03日 01時30分04秒 | 障害者の自立
 招き猫のオリジナルキャラクターを恋愛成就の“ご神体”にした恋愛神社が、大村市の中央商店街にお目見えした。絵馬などのグッズ製作を障害者施設に依頼。地域活性化と障害者の所得向上を図る一石二鳥の新たな試みだ。

 まちづくりに取り組むNPO法人「キッズタウンおおむら」と大村市、社会福祉法人などが企画。市民やNPOが公共サービスの担い手となる「新しい公共」の取り組みとして、県がモデル事業に採択した。

 キャラクターは、アートデザイナーさかいさやかさん(25)=諫早市=が、西洋で幸運を呼ぶとされる「五つ葉クローバー」をモチーフに考案。愛称は「千客万来!にゃんだーふぁいぶ」。招き猫キャラは「恋愛成就」「商売繁盛」「交通安全」「無病息災」「学業成就」を願う5種類があり、各キャラをあしらったグッズを障害者施設が順次製作していく。

 手始めに「恋愛成就」を御利益に掲げた「桃天猫桃華(とうてんびょうももか)」の神社を、NPO法人の山口哲弘副理事長(47)が店長を務める「パフェ&レストラン・ハワイ」(東本町)前に建立。恋愛成就を祈願する絵馬やキャラをあしらった陶器類のテスト販売も店内で始めた。

 個々に取り組んでいた商品開発を、招き猫キャラに一本化することでブランド力を向上。さかいさんは、同法人の活動拠点「おおむらこども交流館」(本町)のシャッターに招き猫キャラを描き、PR。広報、販路開拓にも力を入れ、低水準にある障害者の給与所得増をめざす。

 同法人の蓮本高啓理事長(43)は「ネットでグッズを共同受注するサイト、ファンサイトも設けたい。招き猫キャラで大村をさらに元気にする」と意欲をみせている。


「恋愛成就」の絵馬を手にする山口哲弘副理事長=大村市東本町

1月1日のながさきニュース 長崎新聞

スキー場 被災地の障害者支援を

2012年01月03日 01時27分59秒 | 障害者の自立
ペットボトルのふたの分別作業が被災地で障害者の雇用の受け皿になっていることから、群馬県みなかみ町では、町内のスキー場が協力してペットボトルのふたを集める取り組みを行っています。

みなかみ町にある3つのスキー場では、震災の影響で仕事を失った障害のある人たちを支援しようと、宮城県石巻市にある障害者支援団体と協力してペットボトルのふたを集めています。スキー場には、回収する箱が置かれていて、1週間ごとにまとめて石巻市に送られます。石巻市の障害者支援団体では、仕事を失った障害者を雇って、届いたペットボトルのふたを色ごとに分別する作業に当たってもらいます。分別のあと、ふたはリサイクル業者に売却され、売上金の一部は被災地の復興費用などに充てられるということです。スキー場を訪れた30代の男性は、「身近なことで被災地の支援ができるのでとてもいいことだと思います」と話していました。スキー場の支配人、清永治慶さんは、「1人でも多くの方に被災地の支援に協力していただきたいです」と話していました。

NHK - 1月2日 11時58分