「世界と戦う」生きる力に
殺人を冠した物騒な異名を持つ。「マーダーボール」。バンパーなどで装甲した車いすを操ってボールを奪い合う。ウィルチェアラグビー(車いすラグビー)。火花を散らして転倒することも珍しくない。
見る者の心配をよそに、畑中功介さん(39)(香南市)は「遠慮なく、思い切りぶつかり合えるのが魅力」と言い切る。県内唯一のチーム「Freedom(フリーダム)」の主将だ。
高校2年だった1989年初夏。室戸市でミニバイクを運転中、車と衝突した。倒れた路上で両腕に力が入らず、下半身の感覚もなくなっていた。頸椎(けいつい)損傷。小学生の頃からバスケットボールに打ち込むなど、スポーツに親しんできた。ベッドの上からほとんど動けなかった半年間、「自殺の方法ばかり考えていた」。
リハビリが始まると、約1年かけて車いすの乗り方、入浴の仕方を学んだ。そんな日々も終わりに近づいたある日、中年の男性障害者から「ツインバスケットボール」に誘われた。高低二つのゴールを狙う重度障害者向けの競技。「単なる球遊び」にしか見えなかったが、ここで同じ境遇の障害者と出会い、励まし合い、孤独感が消えた。
衰えていた腕の筋肉を鍛え直すと、ボールを扱う感覚が戻ってきた。中四国選抜に選ばれ、全国優勝も味わった。しかし、ツインバスケは国内でしか行われていない。「世界と戦いたい。競技を通じて世界中の障害者と仲良くなりたい」。そんな折り、大阪のツインバスケ仲間に誘われたのが車いすラグビーだった。
あまりの激しさに、最初は「そんなことしていいのか」と驚いた。が、すぐに「やってみたい」という衝動が上回った。前年にパラリンピックの正式競技に採用されたとも聞いた。練習場所を求め、高知から毎月のように大分、大阪などのチームに通った。県内ではツインバスケ仲間を「世界に挑戦しよう」と口説いた。仲間が3人集まった02年4月、チーム結成をかなえた。
平日、訪問介護会社で事務員として働き、他のメンバーや家族らと練習を重ねる。現在、中四国で唯一のチーム。試合のための遠征費は年間20万~40万円かかる。暑さとの闘いも、健常者とは比較にならない。頸椎を痛めると発汗機能を失うことが多い。試合や練習中、こまめに霧吹きで体に水をかけて体温を下げる。
それでも「外国人選手にも体当たりで挑める」という興奮が、畑中さんの体を突き動かす。チームからは、16年のパラリンピックで日本代表入りを目指すホープも生まれた。高知工科大大学院1年小谷慎吾さん(23)(南国市)。障害が重く、腕での捕球は困難だが、巧みな位置取りで相手の進路を妨げる。「障害の程度に合わせ、果たせる役割がある。生きる力を与えてくれた競技」と感謝する。
メンバーは11年3月、NPO法人を設立した。競技を通じて障害者への理解を深めてもらおうと、小中高校で体験授業を行う。「どんな人でも楽しめる競技として広め、世界にはばたく選手を育てる道筋を作りたい」と畑中さん。その夢は膨らむ。
ウィルチェアラグビー 1977年にカナダで考案され、2000年のパラリンピック・シドニー大会から正式種目となった。1チーム4人。バレーボール大の球をひざに乗せたり、味方にパスをしたりして運ぶ。敵陣のエンドラインを超えれば得点。コートの広さはバスケットボールと同じ。10年の日本の世界ランキングは米国、豪州に次ぐ3位。パラリンピックはアテネ大会8位、北京大会7位で、3大会連続となるロンドン大会(8月29日開幕)の出場も決めている。
(2012年1月3日 読売新聞)
殺人を冠した物騒な異名を持つ。「マーダーボール」。バンパーなどで装甲した車いすを操ってボールを奪い合う。ウィルチェアラグビー(車いすラグビー)。火花を散らして転倒することも珍しくない。
見る者の心配をよそに、畑中功介さん(39)(香南市)は「遠慮なく、思い切りぶつかり合えるのが魅力」と言い切る。県内唯一のチーム「Freedom(フリーダム)」の主将だ。
高校2年だった1989年初夏。室戸市でミニバイクを運転中、車と衝突した。倒れた路上で両腕に力が入らず、下半身の感覚もなくなっていた。頸椎(けいつい)損傷。小学生の頃からバスケットボールに打ち込むなど、スポーツに親しんできた。ベッドの上からほとんど動けなかった半年間、「自殺の方法ばかり考えていた」。
リハビリが始まると、約1年かけて車いすの乗り方、入浴の仕方を学んだ。そんな日々も終わりに近づいたある日、中年の男性障害者から「ツインバスケットボール」に誘われた。高低二つのゴールを狙う重度障害者向けの競技。「単なる球遊び」にしか見えなかったが、ここで同じ境遇の障害者と出会い、励まし合い、孤独感が消えた。
衰えていた腕の筋肉を鍛え直すと、ボールを扱う感覚が戻ってきた。中四国選抜に選ばれ、全国優勝も味わった。しかし、ツインバスケは国内でしか行われていない。「世界と戦いたい。競技を通じて世界中の障害者と仲良くなりたい」。そんな折り、大阪のツインバスケ仲間に誘われたのが車いすラグビーだった。
あまりの激しさに、最初は「そんなことしていいのか」と驚いた。が、すぐに「やってみたい」という衝動が上回った。前年にパラリンピックの正式競技に採用されたとも聞いた。練習場所を求め、高知から毎月のように大分、大阪などのチームに通った。県内ではツインバスケ仲間を「世界に挑戦しよう」と口説いた。仲間が3人集まった02年4月、チーム結成をかなえた。
平日、訪問介護会社で事務員として働き、他のメンバーや家族らと練習を重ねる。現在、中四国で唯一のチーム。試合のための遠征費は年間20万~40万円かかる。暑さとの闘いも、健常者とは比較にならない。頸椎を痛めると発汗機能を失うことが多い。試合や練習中、こまめに霧吹きで体に水をかけて体温を下げる。
それでも「外国人選手にも体当たりで挑める」という興奮が、畑中さんの体を突き動かす。チームからは、16年のパラリンピックで日本代表入りを目指すホープも生まれた。高知工科大大学院1年小谷慎吾さん(23)(南国市)。障害が重く、腕での捕球は困難だが、巧みな位置取りで相手の進路を妨げる。「障害の程度に合わせ、果たせる役割がある。生きる力を与えてくれた競技」と感謝する。
メンバーは11年3月、NPO法人を設立した。競技を通じて障害者への理解を深めてもらおうと、小中高校で体験授業を行う。「どんな人でも楽しめる競技として広め、世界にはばたく選手を育てる道筋を作りたい」と畑中さん。その夢は膨らむ。
ウィルチェアラグビー 1977年にカナダで考案され、2000年のパラリンピック・シドニー大会から正式種目となった。1チーム4人。バレーボール大の球をひざに乗せたり、味方にパスをしたりして運ぶ。敵陣のエンドラインを超えれば得点。コートの広さはバスケットボールと同じ。10年の日本の世界ランキングは米国、豪州に次ぐ3位。パラリンピックはアテネ大会8位、北京大会7位で、3大会連続となるロンドン大会(8月29日開幕)の出場も決めている。
(2012年1月3日 読売新聞)