船橋市に拠点を置く「ぐらすグループ」は、電話一本で呼ばれれば、家庭の草取り、掃除、庭木の伐採、粗大ごみの処分など何でも請け負う。仕事をするのは障害がある人たち。NPO法人が中心になって障害者の就労を支援する事業所・作業所を七つ運営している。
安全な仕事ばかりを選んだりはしない。ときには屋根に上る危険な作業もある。自分たちの仕事を「便利屋業」と呼んでいる。
「浦安市内に作業所がない」という障害者の母親の訴えに応え、昨年三月一日にJR京葉線・新浦安駅近くに開設した事業所「なゆた」もその一つだった。直後の東日本大震災による液状化で建物は傾き、水道、電気、ガスは止まってしまった。活動休止を覚悟したが、復旧に追われる親たちを思い、子どもたちが集まれる場として同二十日に活動を再開した。
震災後は、自転車の「ノーパンクタイヤ」作りで、被災地支援にも乗り出した。タイヤのチューブを空気を入れなくても済む素材に入れ替え、パンク知らずにしてしまう。以前から他の作業所で製造していたが、がれきが散らばる東北の被災地でこそ有効と考えたからだ。
浦安市から放置自転車五十台を提供してもらい、七月中旬、ノーパンクタイヤに替えて岩手県大辻町に届けた。周囲に何もない不便な仮設住宅で喜ばれ、さらに三十台を追加で送った。
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「浦安=被災地=支援される場所。障害者=弱者=支援される立場。この構図をひっくり返したかった」。グループ代表の友野剛行さん(42)はこう話す。新しい障害者福祉の世界を切り開くのが目標だ。
地域で共に生きる場所と仕事をつくるため、便利屋業など地域のニーズを探り続ける。働く障害者にも「周囲の人に名前を覚えてもらい、地域で役に立つ、価値ある存在になってほしい」(友野さん)と願う。
高齢者福祉と違い、障害者福祉は年長の支援者が先に現場を去らなければならないことが多い。作業所の存続のため、意志を引き継ぐ人材とシステムづくりも必要だった。
別のNPO法人の作業所施設長だった友野さんは二〇〇八年、株式会社「ふくしねっと工房」を設立した。会社法改正で最低資本金が撤廃され、株主一人の「一人会社」設立が可能になったからだ。
ぐらすは、同工房と二つのNPO法人の下に、事業所と作業所、障害者が共同で生活する八つのグループホームなどが、組織化されている。
一人会社を設立したのは、組織を機動的に運営するためで、「なゆた」には同社から運転資金四百万円を出した。「理事会のあるNPO法人なら、とても承認されないでしょう」と友野さんは笑う。
昨年九月からグループで企業と提携し、高齢者宅に弁当を配達する新たな仕事に乗り出した。弁当を届けながら話し相手になったり、安否確認をしたりする。四月にはグループホームが十カ所に増える。
障害者が「地域に必要とされる存在」としてあり続けるため、着実に“経営”の地歩を固めつつある。
<ぐらすグループ> 働く、生活する、相談する-総合的な障害者支援を目的に2008年、船橋市滝台町に「ワーカーズハウスぐらす」を開所。株式会社「ふくしねっと工房」、NPO法人「1To1(ワントゥワン)」「なゆた」を核に、それぞれ就労支援や介護を行う多機能型事業所、作業所、グループホーム、リサイクルショップなどを運営する。(1)社会的価値や所属場所の喪失から仲間を守る(2)地域にとって必要な1人1人になる(3)地域のニーズに即した事業を展開する-が設立理念。スタッフの生活設計の支援も主要事業とし、これからの障害者福祉を支える人材育成に力を入れる。現在、利用者は15~68歳の85人。スタッフは55人。
事業所「ぐらす」で活動する人たちと友野さん(左端)=船橋市で
東京新聞 2012年1月5日