ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者の自立を支援 高梁で6社・団体が就職面接会

2016年02月07日 02時27分07秒 | 障害者の自立
 働きたい障害者と事業所とのマッチングを図る「就職面接会」(高梁市、市自立支援協議会主催)が4日、原田北町の高梁総合文化会館であり、障害のある人々が企業、団体の採用担当者と面談した。

 市内に事業所を置く建設業、製造業など6社・団体が、面接用のブースを開設。参加者は興味のある事業所を訪ね、履歴書を示しながら「御社の仕事をやってみたい」とアピールしたり、「最初は短時間勤務でも大丈夫ですか」などと尋ねていた。企業側は「意欲のある人に来てほしい」「勤務時間より責任感を持って取り組むかが重要」と答えていた。

 高梁公共職業安定所によると、管内の高梁市と旧賀陽町で就労している障害者は215人(昨年12月末現在)、求職登録は49人(同)。面接会は障害者の自立を支援しようと昨年から行っている。
 
 
高梁市などが開いた障害者の就職面接会

熊本県宇城圏域で障がい者支援協議会が障がい者雇用セミナーを開催

2016年02月07日 02時17分09秒 | 障害者の自立
熊本県宇城圏域での活動

熊本県にある宇城圏域障がい者支援協議会「就労支援部会」では、障がい者の就労を促進するために、宇城圏域内にある就労支援機関や団体、企業、行政などが互いに連携を図り、雇用先を増やす取り組みを行っている。

当事者と障がい者雇用を考える企業に向けて

そうした活動の一環として2016年3月14日(月)に一般就労を考えている当事者、また障がい者雇用を検討している一般企業などの事業主、担当者に向けた「宇城地域障がい者雇用セミナー」を開催する。                                            

事例とそれに則した公的制度の説明

このセミナーでは、宇城地域で障がい者を雇用している事業所の事例を紹介し、その事例に関して熊本障害者職業センター、宇城公共職業安定所から公的助成制度等の説明を行う。

事例紹介は就労移行支援センターらぽーる宇城就労支援、熊本障害者職業センタージョブコーチ支援、不知火温泉有限会社レストラン勤務Mさん、不知火温泉有限会社支配人中田鳴海氏から。
 
時間は14時から16時20分、会場は宇城市役所本庁舎3階大会議室、参加費無料。申し込み、問い合わせは宇城圏域障がい者支援協議会就労支援部会事務局まで。申し込みはFAXで。締め切りは2016年3月7日(月)まで。

2016年2月5日 

「宇城地域障がい者雇用セミナー」の開催について
http://www.city.uki.kumamoto.jp/q/aview/11/9931.html


大谷室蘭高生が養護学校を訪問、障害者に理解深める

2016年02月07日 02時12分13秒 | 障害者の自立

 北海道大谷室蘭高校(竹本将人校長、391人)の福祉専攻の2年生20人が5日、室蘭養護学校(高橋正志校長、108人)を訪れ、中学・高等部の生徒70人と交流・共同学習を行った。大谷室蘭の生徒たちは、劇やみんなで楽しめるレクリエーションを繰り広げ、和やかな時間を過ごした。 

 交流・共同学習は毎年恒例で、2015年度(平成27年度)は昨年5月を皮切りに全5回で実施。大谷室蘭の生徒が企画したゲームや、体力づくりのためのウオーキングや版画制作などを一緒に楽しんできた。大谷室蘭の生徒は交流を通じて、障害のある生徒への関わり方や支援方法などを学び、理解を深めてきた。

 最終回のこの日は、大谷室蘭の生徒が「オオカミと7匹の子ヤギ」の劇を披露。養護学校の生徒たちは興味津々で見入り、笑顔を浮かべて拍手していた。この後はじゃんけん列車ゲームを行い、盛り上がりを見せていた。

 大谷室蘭の渡部舞美さんは「初めのころは緊張したけど、交流を重ねるうちに顔や名前を覚えてくれてコミュニケーションをとるのが楽しかった。好きな芸能人の話をしたりして、同年代の私たちと変わらないと思いました」と笑顔を浮かべていた。

2016年2月6日     室蘭民報

森健氏『小倉昌男 祈りと経営』 2016.02.06

2016年02月07日 02時07分57秒 | 障害者の自立

〈宅急便の父〉ことヤマト運輸の2代目社長・小倉昌男は、〈人の親〉でもあった。森健氏の第22回小学館ノンフィクション大賞受賞作『小倉昌男 祈りと経営』では、この伝説的経営者の私生活や家庭での横顔に、あえて紙幅の大半を割く。

 2005年、享年80で逝去した小倉に関しては自著・評伝共に多数刊行され、〈論理と正義の人〉として知られる。だが生前の小倉に取材した経験もある森氏は、晩年「ヤマト福祉財団」の障害者支援事業に時価46億もの私財を投じ、末期癌の闘病中にわざわざ渡米してまでロスの長女宅で最期を迎えた小倉に、どこか唐突さを拭いきれなかったという。その謎を解くカギは彼の家庭にあった。娘の反発、妻の死等々、しかし〈どんな家にも問題はある〉──。

「1998年に航空自由化に関して取材した時の小倉さんは、新規参入組と既存大手の格差を論理的かつ、意外にボソボソと批判する清廉な方でした。夫人の死後、彼女の郷里に1億円もの寄付をしたのも、いかにも愛妻家らしいと言う人は多い。

 ただ、今ならビル・ゲイツが財団を作っても驚きませんが、ヤマト財団の設立は1993年です。なぜ子供に残さずに財団なのかという素朴な疑問をもち、財団や福祉関係者から取材を始めたら、いつのまにか家族の話になっていたんです」

 小倉は福祉の現場に経営感覚を持ち込み、1998年にはリトルマーメイド等を全国展開するタカキベーカリーの協力を得て、同社のパン生地を仕入れて店先で焼くスワンベーカリー1号店を銀座にオープン。〈障害者の月給を一万円から十万円〉に上げることを目標に掲げ、見事達成した。

 また、1991年に亡くなった玲子夫人がマザー・テレサに憧れていたことや、自身もカトリックに改宗したことなどは自著などに書いている。しかし、なぜ障害者なのかについては、はっきりした動機はありませんと言葉を濁し、語ることはなかった。

 森氏はまず財団関係者ら、小倉と親しかった人々から取材を進める。当初警戒していた彼らが、「君なら話していいか」と、女性関係なども小出しに匂わせたりする信頼関係の変遷も面白い。

 そうして名探偵よろしく証言を予断なく積み上げていく森氏に、ある人は、夫人の死に際してなぜ小倉があれほど泣き崩れ、口を閉ざしたのか、今もわからないと言ってこう続けた。

〈その語らなかったところに、小倉さんの本当の思いがあったのかもしれません〉

「人にはいろんな面があって当然ですが、小倉さんの謎はなぜ隠したかに尽きる。彼には、家族に関して誰にも相談ひとつせずに墓まで抱えて行こうとした秘密があった。結果的に墓を暴くことになった僕を恨んでいるかもしれません。ただこうして本にできたのは、周囲の思い、娘の真理さんや弟の康嗣さんの理解があったからで、何より小倉さんが愛されているからです」

◆最期まで苦しさを見せなかった

 前身の大和運輸は京橋で〈挽き八百屋〉を営んでいた父・康臣が自動車時代の到来に着目し、1919年に創業。官立東京高等学校、東京帝大経済学部へと進み、学徒出陣を経て1948年に入社した昌男はその間、結核で4年の入院生活を強いられるが、幸い取引先の進駐軍から薬を入手できたおかげで奇蹟的に生還を果たす。

 1956年には聖心女子大を卒業した後、教職にあった玲子と見合いで結婚。1971年には社長に就任し、1976年に民間初の宅配事業を立ち上げる。官庁相手に訴訟も辞さない〈規制緩和の闘士〉と恐れられ、公私共に一見充実したこの頃、彼は妻の影響で始めた俳句に人知れず苦悩を綴っていた。

 国に訴訟を挑むような強気の人物が妻と娘のいる家に帰ると一転して小さくなる。〈無力〉な父親の姿は人間臭く、意外でもある。

「小倉さんに限らず、女同士の揉め事に割って入れる男なんてそうはいません。ただ小倉家ではそれが単なる揉め事じゃない理由があった。家族の苦しみをわかっていながら何もできなかった小倉さんは一種の贖罪として財団を立ち上げたかに見える。

 事実関係を積み上げていくと、彼の行為には社会や障害者のためというより、もっと個人的な祈りのようなものを感じるし、身内である真理さんたちが賛同してくれた以上、そう思っていいと思うんです」

 森氏が集めたピースは、終盤のロス取材でいよいよ像を結ぶ。宝塚出身で、元米軍勤務の夫との間に三女一男がいる長女は、母との諍いや自身の過去についても、全てを語ってくれた。

「長女一家の渡米後、広い家に1人で住んでいた晩年の小倉さんには、実は毎週末を共に過ごす女性がいた。僕はその〈土曜日の女性〉にも会っています。彼は彼女に愛情ももっていたみたいですが、その表現に関しては不器用だったようです。

 でも僕はそんな相手がいてよかったと思うし、最期に娘夫婦や孫と過ごせた日々が救いになったと思います。今後は財団とは別の形で福祉に関わりたいという真理さんが全て話してくれたのも、自分の経験が誰かの役に立てばと思ってこそで、水面下で必死に足掻き続ける水鳥のように、最期までその苦しさを見せなかったのが、小倉昌男の凄さだと僕は思います」

 名経営者として知られてきた小倉昌男だが、本書はごく普通の家族が経験した、許しと再生の物語と言える。彼らが闘い、また苦しんだものは何だったのか。その正体が既存の評伝とは全く異質な読後感を残す、慟哭必至の小倉昌男伝である。

【著者プロフィール】森健(もり・けん):1968年東京生まれ。早稲田大学法学部在学中からライターとして活躍。2012年、『「つなみ」の子どもたち』『つなみ 被災地のこども80人の作文集』で第43回大宅壮一ノンフィクション賞、昨年、本作で第22回小学館ノンフィクション大賞を史上初の満票で受賞。著書は他に『人体改造の世紀』『グーグル・アマゾン化する社会』『就活って何だ』『ビッグデータ社会の希望と憂鬱』『反動世代 日本の政治を取り戻す』等。172.5cm、67kg、AB型。

※週刊ポスト2016年2月12日号


SO大会、7競技に全国618人挑む

2016年02月07日 02時01分02秒 | 障害者の自立

 12日に開幕する知的障害者の国内冬季競技会「スペシャルオリンピックス(SO)2016新潟」の大会実行委員会は5日、新潟市中央区の新潟国際情報大新潟中央キャンパスで記者会見し、大会概要を発表した。

 SOは新潟県では初開催。新潟市と南魚沼市の3会場で12~14日、アルペンスキーやフィギュアスケートなど7競技に全国31地区から618人の選手が挑む。新潟県からは、スピードスケートのショートトラックを除いた6競技に93人が参加する。大会前日を含めた4日間で、延べ3556人のボランティアが関わる。

 会見で平山征夫大会実行委員長は「障害者と健常者の共生社会を目指すことがSOの目的。開催を通じて障害とは何か、考えてほしい」と述べた。スタッフとボランティアの大会公式ウエアも紹介された。

 アルペンスキーに参加する新潟市東区の男性(21)は「地元開催だから全力を尽くしたい。全国の皆さんに負けないように頑張るので応援よろしくお願いします」と呼び掛けた。

握手する平山征夫大会実行委員長と、SOに出場する男性選手(右)

2016/02/06     新潟日報