右手の人さし指と中指は左に曲がり、第一関節はタコで盛り上がっている。点訳のボランティアを約二十年。点筆を紙に押し当てる作業を続けるうちに、指の形が変わってしまった。訳した本は延べ一万八千ページに上る。
■子ども心に芽生え
宮城県で過ごした子ども時代、近所に「大ちゃん」と呼ばれる全盲の男性がいた。子ども心に「自分がもっと大きければ、歩くのを手伝ってあげられるのに」と思った。いつか視覚障害者の役に立ちたいという気持ちが芽生えた。
本格的に活動をするようになったのは一九六三年。帰省した際に、大ちゃんのお姉さんから飯島さんに宛てて書かれた手紙を見つけて読んでからだ。
「いつか『点字を志してみる』と話していましたね。弟のような方が世の中にはいっぱいいます。ぜひ望みを果たしてください」
手紙には、大ちゃんは他界しただろうこと、お姉さんも既にブラジルに移住したことが書かれてあった。
その後、日赤神奈川県支部で点字点訳を本格的に学んだ。当時は教科書も少なく、一から写して覚えていった。点字は一ページ訳すのに数時間かかることもある。さらに、途中で間違えると一からやり直さなくてはいけない。苦労して訳した本には、松本清張の「逃亡」や旧ソ連のゴルバチョフ元大統領の「ペレストロイカ」などがある。
二十年ほど点訳を専門にしていたが、八〇年代からはワープロが主流となり、視覚障害者を誘導するボランティアに軸足を移すようになった。当時は今ほどボランティアがおらず、依頼は引きも切らなかった。数え切れない人といろんな所へ足を運んだ。
■活動、本につづる
昨年十二月には、これまでの活動をつづった「花の水曜日」(疾風怒涛社)を出版した。題名は、誘導をしていた障害者の一人に「飯島さんと会える水曜日が楽しみ。花の水曜日だよ」と言われたことにちなんだ。
人生の大半を視覚障害者を支えるボランティアに費やしてきた。いつも「つらい」とか「大変だ」という気持ちはなかった。むしろあるのは感謝。「点訳でたくさんの本を読んでいろんな勉強ができた。誘導することで自分も歩いて健康が維持できた。むしろ、こちらが幸せをもらったんです」
◆私の履歴書
1924年 宮城県で生まれる
42年 実科高等女学校を卒業、横浜に移る
60年代 点字、点訳を学び始める