車いすでの議員活動などを通じて障害者福祉の向上に努め、日本身体障害者団体連合会会長も務めた松井逸朗さん=岐阜市加納青藤町=が六日、七十五歳で亡くなった。関係者は、障害者スポーツの振興をはじめ、さまざまな分野で豊富な知識と熱意を持って尽力した足跡をしのんだ。
松井さんは幼いころ患ったポリオ(小児まひ)の影響で、両足が不自由に。一九六三(昭和三十八)年に県身体障害者福祉協会に入会。青年部長や理事などを歴任し、二〇〇〇年に会長になった。
以降は毎年、国体と合わせて開かれる全国障害者スポーツ大会で団長を務めた。一二年の「ぎふ清流大会」ではその経験を生かし、円滑な大会運営に努めた。
県身体障害者福祉協会の石原保雄事務局長(64)は「若いころから会員のソフトボール大会を計画するなど、スポーツを通じた障害者の社会参加に前向きだった」と語る。
長年親交があった岐阜市の障害者施設「清流園」の三宅徳重園長(57)は、利用者らの作品展の準備中に松井さんが来て作品の並べ方にまで気を配り、「気持ちが伝わるのが大事だ」と提言した姿が印象に残る。「障害者が健常者と同じように暮らせるにはどうすればいいか、熱く語っていた。大所高所からいろいろなことを教わった」と振り返った。
一一年まで六期務めた岐阜市議の在任中には、議場で車いすが使えるように申し入れ、〇四年、全国でも珍しい机の高さを調節できる演壇やスロープが導入された。細江茂光市長は「数え上げたらきりがない分野でご尽力をいただいた。今後も障害者政策に知恵を借りようと思っていたのに」と惜しんだ。
2016年3月8日 中日新聞