ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者の不自由さ考える 飯塚でシンポ

2016年03月07日 02時46分28秒 | 障害者の自立

 障害者差別解消法の4月施行を前に、障害者の生活面での苦労や不自由さを考えるシンポジウムが5日、飯塚市秋松の穂波公民館であった。

 知的、肢体、精神、視覚、聴覚の障害について意見を出し合った。

 障害者への理解を深めてもらおうと、NPO法人いいづか障害児者団体協議会と市ボランティア連絡協議会が主催。約150人が参加した。

 音訳ボランティアの女性は「だまされて違う書類にサインするかもしれないので、視覚障害者は買い物でクレジットカードを使えない。他人が代筆できない行政書類を書くのも難しい」と説明。耳が不自由な男性は「病院で名前を呼ばれても気付かない。聞こえる人と同じ情報を目で見える形で伝えてほしい」と訴えた。

 職場のストレスで精神障害を患ったという男性は「世の中の悪いことは全て自分のせいと考えるようになった。少しでも理解してもらい、困ったときには助けてほしい」と呼び掛けた。

 シンポ後、いいづか障害児者団体協議会の貝嶋栄一理事長代理(74)は「偏見を恐れて障害があることを自ら言えず、不自由さに悩む人もいる。健常者から歩み寄り、障害者も情報を発信し続けることが必要」と話した。

=2016/03/06付 西日本新聞朝刊=


故郷の視覚障害者に夢を ロイ・ビッショジトさん

2016年03月07日 02時38分28秒 | 障害者の自立

 県立盲学校彦根市)で、あんま・はり・きゅうの技術を教える全盲のバングラデシュ人がいる。ロイ・ビッショジトさん(38)。祖国の視覚障害者奨学金などを贈る活動を続け、昨年、顕著な活躍をする障害者に贈られる塙保己一賞の奨励賞を、海外出身者として初受賞した。

 「関節リウマチは聞いたことあるかな」。滑らかな日本語で、学生2人に話しかける。分厚い点字の教科書に指を走らせ、よどみなく専門用語を説明した。

 同校に赴任して約14年。辻美也子校長は「視覚情報がなく母国語以外で教えるのは難しさがあると思うが、いつも感心している。生徒からの信頼も厚い」と評価する。

 高校生のとき、弁論の全国大会で準優勝した活躍が同国在住の日本人の目にとまり、視覚障害者の日本留学を支援する国際視覚障害者援護協会(東京)を紹介され、1996年に来日した。

 当時は母国の名門ダッカ大学文学部の1年生だった。教師志望だったが、恩師に「留学すれば自分だけでなく、母国の視覚障害者のために何かできるようになる」と背中を押された。大学を中退し、協会の奨学金を受けて高知県盲学校に入学し、日本語や理療技術を学んだ。その後、筑波大学理療科教員養成施設に進学。現職についた。

 首都ダッカから北に600キロほどの村で生まれた。生まれつき目が見えず、4歳から現地NGOの支援を受け、寄宿舎に入って点字で学べる学校に通った。日本の高校2、3年生にあたるカレッジでは、成績優秀者向けの奨学金や知り合いの医者らの支援で学び続けた。こうした経験から、05年、NPO「ショプノ」(ベンガル語で夢の意)を設立し、カレッジの学生に奨学金や点字盤を贈る活動を始めた。

 ログイン前の続き一昨年亡くなった妻や同僚らが支え、これまで45人(一人あたり年約1万5千円、物価は日本の10分の1程度)を支援した。勉強のためのレコーダー購入費や下宿代など、使い道は自由だ。送った点字盤も110面にのぼる。

 やりたいことを諦めたことはないという。「周りにはいつも支えてくれる人がいました。できることは自分で工夫して、できないことは力を借りてやってきました」。伴走者と共に走るフルマラソンをこれまで14回完走した。自己ベストは3時間39分だ。

 座右の銘は「夢は大きく、そのために努力を」。高校時代の恩師の言葉で、目標をもって努力すれば、実現できなくても近くまでいける、と諭された。今も正しいと実感するという。

 母国で視覚障害者が勉強できる環境を整えることが夢だ。「母国には点字の教科書があまりない。点字図書館をつくれたらいいですね」。活動への問い合わせはビッショジトさん(happyhouse@zeus.eonet.ne.jp)へ。メールは音声変換ソフトで聞き取り、内容を確認するという。

写真・図版

授業するロイ・ビッショジトさん=彦根市の県立盲学校

2016年3月6日   朝日新聞デジタル


障害者に居場所を願い続け

2016年03月07日 02時32分45秒 | 障害者の自立

 知的障害のある人たちの通所施設「大阪ひかり作業所」(大阪市生野区)などを運営されている社会福祉法人「ひかり」から、前理事長、川端朝子さん(89)の訃報が届きました。当欄の前身「泉」の時代から、その歩みを紹介させていただいてきました。本日は、20年以上、お付き合いをいただいた川端さんを偲しのびたいと思います。

 川端さんは、どんなに重い障害があっても働くことを通じて社会参加できる場をと奔走してこられました。「朝、起きて何するん」。きっかけは知的障害があった息子の修司さんの一言でした。養護学校卒業後、行く先のない状況から「この子らの働く場を作ろう」と思い立たれました。

 障害のある人たちの作業所は全国的にもわずかな頃。1978年、文化住宅の一室に設けた作業所からスタートしました。地価高騰による立ち退きなど3度の移転を経て、今は20人が通い、空き缶のリサイクルやハンガーの組み立てなどの作業をしています。

 <40年近く『ひかり』を引っ張ってきてくださいました。小柄な身体のどこにスタミナがあるのかと思うほど動き回ってこられて>。今回、そんなお便りをいただいた職員の鈴木由美子さん(53)に、作業所でお話も伺いました。

 川端さんは老いてなお盛んで、80を過ぎてパソコンを覚え給与計算もこなしていたそうです。2011年、84歳の時に「親亡き後も安心して暮らせる場所を」と障害者が共同で暮らすグループホームを開設。修司さんも親元を離れて新生活を始められました。

 けれど修司さんの入居は半年ほどでした。12年5月、がんのために亡くなられました。56歳でした。川端さんのショックは大きく、「修司を思い出す」と作業所からも遠ざかられるように。それでも一周忌を過ぎ、再び活動に関わるようになっておられました。

 しかし昨秋に体調を崩して入院され、他界されたのは今年1月20日のことでした。「もう一回戻りたいな」。病床で川端さんは、高齢になった障害者への支援や制度のあり方に問題点がある現状を改めなくてはと、作業所への復帰を強く望んでいました。

 「修司に障害がなかったら、私は鼻持ちならない女だったと思う。修司がいたからいろんな人と出会い、いろんなことができた」。川端さんは折に触れ、こう語っていたそうです。鈴木さんは「障害を持った子を産んだのはしんどいことはあるけれど、不幸じゃないんやと言いたかったのかな」とおっしゃいます。

 「ぽっかり空いた穴をどう埋めていけるか。川端さんの思いを継ぎ、こつこつ皆で頑張っていきます」と鈴木さん。さらに続く歩みを今後も伝えさせていただけたらと願っています。

2016年03月06日 Copyright © The Yomiuri Shimbun



「障害者」じゃなく「障害のある人」という視点から障害者差別解消法を考えてみませんか?

2016年03月07日 02時24分11秒 | 障害者の自立

「障害者」ときいてどんなイメージを浮かべますか?

それはなんらかの症状ですか?

人物像ですか?

「かわいそう」という感情ですか?

障害者や健常者という言葉を使う人が多いと思うんですが、その言葉の定義の違いは「障害があるか、ないか」ですよね。

でもね、障害のある人っていうのは、四六時中「障害者」ではないんですよね。障害の影響がある事もあればない事もあるはずです。

私は「障害者」ではなく「障害のある人」という表現を好んで使います。それはこの「障害の影響を受ける場合」もあれば「障害の影響を受けない場合」もあるという事を明確にしたいからなんですよね。

それともう一つ。アメリカでは、障害のある人をBeing(障害者)ではなくHaving(障害のある人)ととらえる傾向があります。これは、「基本は皆と同じ人間」で障害のある人は障害を伴ってるという考え方が根底にあるからなんだと思うんですよね。

例えば、生まれる前から障害を伴ってる人もいれば事故等で後から障害を持つ人もいますよね。後天的に障害を持ってもその人はその人のままですものね。こんな風に考えると、生まれる前から先天的に障害がある人も、皆と同じ一人の人っていうことがわかってもらえるかな。

でも、障害のある人もない人も同じ一人の人なんだけど、「障害がある」という事は、障害のない人にとって便利だったり不自由のない社会では「社会的不利」な状況に置かれやすいんですよね。

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●障害者差別解消法ってどんな法律?

来月、2016年4月に「障害者差別解消法」が施行されます。

「障害者差別解消法」ってはじめて聞く方はどんなイメージを抱きますか?

なんだか、障害のある人に特権を与えたり、はれものを触るように何でもかんでもお手伝いしなきゃ罰せられるからとりあえず障害者を見たら助けなきゃ、的なイメージを抱える方もいらっしゃるかと思います。

でもこれは、障害を理由にした差別をなくして、障害のある人もない人も共に生きる社会を作ることを目指した法律なんです。すなわち、障害のある人の「社会的不利」をなくす為の法律であり、障害のある人も同じ一人の人として共に同じ社会で生きて行けるようにしましょうという法律でもあるんですよね。

それに「障害者」を優遇や特別扱いする為の法律ではなく、障害のある人が社会で生きて行く上でその人が抱える障害ゆえに難しい事を社会の問題としてとらえて解消し、障害のある人がない人と同じように同じ社会で当たり前に過ごせるようにしましょうという法律なんですよね。

ここでポイントになるのが先に説明した、「障害のある人をBeing(障害者)ではなくHaving(障害のある人)」と、とらえることだと思うんです。大切なのは、「何の障害をHaveしているか=何に困っているか」なんですよね。

例えば、障害のある人には障害の影響を受ける部分も受けない部分もありますよね。その「影響を受けない部分」にまで配慮があればそれは優遇・特別扱いになり、障害のない人から不満が出て当然だと思うんです。この法律で保障していることは「障害の影響を受けている部分」に配慮することなんですよね。

障害者だから配慮されるべき、ではなく、障害があって困ってることに配慮や支援を提供して、障害がある人も障害がない人と同じように過ごせるようにしましょう、同じように社会参加できるようにしましょうというわけなんです。


●「不当な差別的取り扱い」と「合理的配慮をしないこと」が差別ってどういうこと?

この「障害者差別解消法」では、障害のある方への「不当な差別的取り扱い」と「合理的配慮をしないこと」を障害のある人への差別と位置付けています。なんだか難しい言葉が並んでますよね・・・。

一つ例をあげてみます。

先日あるイベントに参加した時の事です、会場への入場の際長蛇の列に並ぶ必要がありました。おまけに入口の前には急な階段がありました。そこで、階段下の横に「車いす利用の方、急な階段を上るのが難しい方は声をかけてください。エレベーターまでご案内いたします」というコーナーが設けてありました。

その時に、車いすを利用した方が「階段が上れないから手伝ってほしい」と申し出ておられました。その時係の方が「列に並べますか?並べない事情があるなら今すぐお手伝いします。並べるのなら並んでください。そして改めてこの場所までいらした時にお手伝いいたします。」と。

 
このケースで「不当な差別的取り扱い」というのは、
  • 障害者という理由だけでイベントに参加することを断ったり
  • 車いすを利用しているという理由だけで入場を断ったり
  • 他の人と同じように並べないという理由で参加をあきらめさせる

ということです。

でもこれらの事は「合理的配慮」で解消できるんですよね。

「合理的配慮」というのは、障害のある人が障害が理由で困っている時に、その人がわかりやすい方法や工夫で配慮をして、その人の困ってる事を解消しましょうということです。

このケースだと、

  • 階段を上るのが難しい人の為にスロープやエレベーターを設置する。それが難しい場合、他の方法で工夫すること
  • 列に並ぶのが難しい人の為に配慮すること(なぜあの人だけ並ばなくていいの?という不満が起こりそうですが、これは目に見えない障害を持ってる人に多いんですよ)
  • 見通しが持てない事で不安になる人に、目安時間を示すこと
  • 耳の聞こえない人の為に、案内は口頭だけでなく文字や看板でも示すこと

といった、障害のある人が困ってる事を解消するための工夫なんですよね。

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障害者差別解消法が差別を禁止しているのは、役所や会社などであって、個人的なレベルで罰することはしません。

でもね、罰せられる・罰せられないじゃなく、困った人を見た時に自分に余裕があれば手を貸せる人が増えてくれればなって思うんですよね。だってね、いくら役所や会社が障害のある人に配慮しても、障害のある人は、人と人のつながりの中で生きているんですもの、やっぱり「人」の支援なしにはなかなか不自由なく暮らすのは難しいんですよね。

スロープをつけたりといった街中のバリアフリーは着実に進んではいるんですけど、障害のある人が障害があるという理由だけで差別されたり、見下されたりといった事はまだまだ多いんですよね・・・。

だからこの障害者差別解消法の誕生が、障害のある人も同じ一人の人なんだよっていう心のバリアフリーが進んでくれるきっかけになってくれればなって願っています。

2016年03月05日   ハフィントンポストひ


皇后さま 知的障害者の工芸展に

2016年03月07日 02時17分43秒 | 障害者の自立

皇后さまが5日、都内で行われた知的障害者の工芸展をご覧になった。

 訪問されたのは特別支援学校などを運営する「旭出学園」主催の工芸展。皇后さまは障害者が製作した小皿や箸置きなどをひとつひとつ手に取ってご覧になり、愛子さまと悠仁さまのためにおそろいのTシャツと布のバッグを買われたという。帰り際には「大変いいお買い物が出来ました」と、出品者たちの手を取りながら声をかけられていた。

2016年3月5日   日テレNEWS24