ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

イルカタッチ 車いす乗ったまま

2016年03月10日 02時52分02秒 | 障害者の自立

◇くじらの博物館 ステージにスロープ

 太地町立くじらの博物館がイルカショーのステージに整備していたスロープが完成し、招待を受けた地元の特別養護老人ホーム「南紀園」に入所する高齢者6人が8日、車いすに乗ったまま、イルカと直接触れ合った。

 車いすの高齢者や障害者にもイルカを間近に見て触れることで心を癒やしてもらいたいと、同館が1月から改修工事を進めていた。

 この日は、高齢者がクジラショーを見学した後、スロープを渡ってイルカショー用のステージに移動し、「イルカにタッチ」を体験。目の前で豪快なジャンプを見せるイルカたちに、盛んに拍手を送っていた。

 施設に入所している高野芳子さん(83)は「初めてイルカにさわったけど、ツルツルしていてかわいかった」と笑顔を見せていた。

 イルカにタッチは、同館の人気のイベントの一つで、1日4回行われるイルカショーの後に行われている。問い合わせは同館(0735・59・2400)。

車いすに乗ったまま、イルカに触れる女性(太地町で)

車いすに乗ったまま、イルカに触れる女性

2016年03月09日    読売新聞


介護職員不足が突出 福島第一原発抱える相双地域

2016年03月10日 02時46分09秒 | 障害者の自立

 東日本大震災から五年がたつ福島県相双(そうそう)地域で、介護職員不足が慢性化している。震災の津波被害に東京電力福島第一原発事故が重なり、域外に避難するなどして離職者が多かったのに、新しく就職する人材が少ない。地域の福祉施設で働こうとする県外の人を増やすため、県が研修料や就職準備金を貸し付けるなどの対策を講じているが、希望者が少なく苦境が続いている。 

 「震災前二百三十五人いた職員のうち約百人が震災で退職し、五年間で戻ったのは五人程度。厳しいですよ」。同県南相馬市で特別養護老人ホームやグループホームなど十施設を運営する社会福祉法人「南相馬福祉会」の大内敏文常務理事(59)は嘆く。

 昨年十一月に開設した個室タイプのユニット型特養(四十床)では、二十三人程度の職員が必要なところ六人しか確保できず、ずっと短期入所用十床のみの運営。「市内の他法人の施設も、職員不足で開店休業状態のところばかり」という。

 厚生労働省福島労働局によると、今年一月分の介護関連職種の有効求人倍率は、相双地域で実に六・四二倍。三百八人の求人に対して、四十八人の求職しかない。実際に就職したのはわずか十人だった。県の全職種の倍率は一・四六倍。介護職種でも県全体では二・九九倍なので、相双地域は突出して高い。季節変動はあるが、ここ二~三年は三倍以上で推移している。

 介護職員は、不規則な仕事に対して賃金水準が低いことなどから全国的な人材不足が指摘されているが、相双地域の場合は「原発事故の影響が大きい」(県社会福祉協議会)という。

 事故後は子育て世代の職員を中心に、域外への避難が相次いだ。避難は次第に「移住」となって人材は戻らない。地元にとどまっても、津波被害を含む環境の激変で仕事を続けられない職員が多かった。その後も「原発事故の避難が続く場所とのイメージが新規就職を遠ざけている」(同)。

 介護施設の全国団体から会員施設の職員を数週間から数カ月ずつ「派遣」してもらってきたが、二〇一五年度でいったん終了する。

 急場しのぎでない人材を確保しようと、県は一四年度から、県外から相双地域、いわき、田村両市の福祉施設に常勤の介護職員として就職しようとする人に、介護職員初任者研修等の受講料最高十五万円、就職準備金三十万円を貸し付ける事業を始めた。それぞれ一~二年勤めれば返済を免除する。ただ、八十人分の予算枠に対し初年度の利用者は二十六人。一五年度も同程度にとどまっている。

◆定住を望む若手も

 「仕事中はつられて福島弁をしゃべってます。利用者さんも同僚もとても大切にしてくれますよ」。一四年四月、故郷の福岡市から、福島県飯舘村の特養いいたてホームに就職した介護福祉士井上祥行(よしゆき)さん(30)は、笑顔で話す。

 以前は福岡で障害者施設の職員をしていた。震災後の派遣事業で一週間、南相馬市の施設で手伝い、もっと被災地の役に立ちたいと願った。今は「被災地だから助けたいのではなく、自然も人情も素晴らしいこの地が大好き。定住して働き続けたい」と希望を語る。

<相双地域> 福島県浜通りの中北部に位置する相馬、南相馬両市と相馬、双葉両郡の10町村を指す。福島第一原発が域内に立地している。

「今日も元気そうですね」。すっかり福島の地に溶け込んで介護職の仕事をこなす井上祥行さん(左)

2016年3月9日     東京新聞


車いすラグビー日本代表を追う 試写会出席の崔監督「高い意識に共感」

2016年03月10日 02時38分36秒 | 障害者の自立

 衛星放送の「WOWOW」(港区赤坂)で八日、今夏のリオデジャネイロ・パラリンピックでメダル獲得を目指す、ウィルチェアー(車いす)ラグビー日本代表の姿を描いたオリジナルドキュメンタリーの試写会と、演出を務めた映画監督の崔洋一さんのトークショーがあった。

 車いすラグビーは頑丈な競技用車いすに乗り、激しい衝突や転倒を繰り返し、ボールを奪い合う。数ある障害者スポーツの中でも、最も激しい競技と言われる。

 作品は、エースの池崎大輔選手ら十二人の選手の、リオ大会出場を決めた昨年秋の「アジア・オセアニア選手権」に向けた合宿や練習のほか、競技を離れた時に見せる素顔を追う。「(車いすラグビーは)人生をかけられるもの」「障害者でも世界(の舞台)を目指せると思った」などの言葉が印象的だ。トレーナーら支える人々の言葉も紹介する。タイトルは「格闘球技ウィルチェアーラグビー 十二人の戦士と百の言葉」。

 崔さんは「パラスポーツの中でもメジャーな種目だが、練習を見て、もっと選手たちと同じ時間を共有したいと思い、企画を立てた」と説明。「選手たちがアスリートとして高い意識を持っていることに共感した。これからも追い続けていきたい」と話した。

 十二日午後一時からWOWOWプライムで放送される予定。

車いすラグビーへの思いを語る崔洋一さん(左)

2016年3月9日    東京新聞


若者強い地元志向 第5部 大学生座談会

2016年03月10日 02時32分32秒 | 障害者の自立

 「大分で幸福に生き続けていくこと」を考えようと、企画「幸福考おおいた」では地域の暮らしを取り巻くさまざまなテーマを取り上げてきた。まとめとして2月下旬、地域の将来を担う世代である大分大学の学生8人に集まってもらい、座談会を開催した。若者の幸福観や将来像、地域の課題に対する考え方を探った。
 ―自分の将来をどう思い描いているか。
 石村由貴也 無事に卒業、就職して、30代のうちに結婚したい。現役の間はどこで暮らすか限定しないが、引退したら地元の福岡県に戻りたい。定年後は子どもたちに何かを教えるような活動をしたい。
 上甲華 仕事を頑張りながらプライベートも充実させ、30代までに結婚したい。今、別府の実家から通っているので、仕事も別府市か大分市でしたい。
 大久保史穂 実家は佐賀県の田舎。親元から遠くない佐賀市などで就職し、20代で結婚して子どもを産みたい。地域住民と距離の近い環境で暮らしたい。
 吉光恭子 大分県の活性化に貢献できる、地域と密着した仕事に就きたい。20代のうちに結婚、出産をして可能なら仕事に復帰したい。なるべく親の近くにいてあげたい気持ちもある。
 石橋遼 出身地の島根に近く、都会すぎない広島で就職したい。子どもは伸び伸び育てたいから。
 馬場大輔 地元の鹿児島の金融機関に就職する。30歳までに結婚をして、すぐにマイホームを持ちたい。
 神田祐樹 大学院を出て教師になり、2、3年中には結婚して早めに家を建てたい。新しい住宅街で同世代の人たちと、子育ての相談をし合えるような環境で暮らせれば。夫婦どちらかの実家の近くがいい。
 渋谷はるな 結婚はしたい時もあれば、仕事を突き詰めたいと考える時もある。子どもは好きなのでいたら楽しいだろうとは思う。
 ―なぜこんなに安定志向、地元志向の強い人が多いのだろう。
 神田 自分は新興住宅地で育った。大人の目が多くていろんな人が叱ってくれるし、子どもも同年代ばかりだった。そういう土地で自分も子どもを育てたい。安定志向と言われればそうだが、育った環境が大きく出ている。
 大久保 両親の近くにいたいし、他県のことは分からないから、やっぱり育った場所がいい。アピールできるようなものはないが愛着がある。地元が好き。
 上甲 今の時代、将来に自信が持てないというのが根底にあると思う。だからこそ安定したところにいたいと思うのだろうし、都会で生活しようというハードルの高い目標もないように感じる。(敬称略)

座談会で意見を交換する大学生=大分大学旦野原キャンパス

 【参加者プロフィル(五十音順)】
 石橋遼(21) 経済学部3年。共同論文で、別府竹細工の後継者問題を論じた。島根県出身。就活は広島県でするつもり。
 石村由貴也(24) 経済学部3年。「官製ワーキングプア」の問題についてグループで研究した論文がある。福岡県出身。
 大久保史穂(21) 教育福祉科学部3年。住居学ゼミ所属。近隣の誰もが互いを見知っている離島の暮らしが理想。佐賀県出身。
 神田祐樹(21) 教育福祉科学部4年。ジェンダー意識を取り入れた小学校家庭科の授業を研究。大学院に進む。宮崎県出身。
 渋谷はるな(22) 教育福祉科学部4年。卒論のテーマは、知的障害者が旅行をする上での問題点と改善法。由布市出身。
 上甲華(22) 経済学部4年。卒論では竹田、宇佐両市などをフィールドに、移住政策について研究した。別府市出身。
 馬場大輔(22) 教育福祉科学部4年。卒論では障害者スポーツを研究した。鹿児島県の金融機関に就職が決まっている。
 吉光恭子(21) 経済学部3年。九重町出身。直近の共同論文では、別府駅周辺を事例に高齢者の買い物動向を調査した。

※この記事は、3月8日大分合同新聞朝刊27ページに掲載されています。


社会福祉法人「拓く」 活動記録誌「あたりまえに地域で暮らしたい」を発行

2016年03月10日 02時19分32秒 | 障害者の自立

知的、身障者共同住宅運営 協力の道のりまとめる

 久留米市内で知的、身体障害者のグループホームなどを運営する社会福祉法人「拓(ひら)く」(野田文子理事長)が、設立15年を記念した活動記録誌「あたりまえに地域で暮らしたい」を発刊した。法人化前の市民団体時代から目指す「障害者も健常者も共に地域社会で暮らす」取り組みを、表情豊かな写真や職員のコラムを交えながら紹介している。

 表紙の笑顔いっぱいの男女は、安武町の工場跡を改装したグループホーム「三原さん家(ち)」のオーナー、三原圭子さん(80)と住人の藤吉剛さん(38)。藤吉さんは発語は難しいが、平日は他の男女2人と寝起きを共にし、週末は両親の待つ自宅に帰る。平野由美子さん(53)は「彼がいないと寂しい」。三原さんは「皆私の家族のような存在。一緒にいると安心できる」と目を細める。

 グループホームは障害者や病気を抱える人が、食事の提供など必要に応じた支援を受けながら集団生活を送る場所。拓くは現在7カ所を運営しており、二十歳過ぎから中高年まで計34人が暮らす。ホームを出て1人暮らしをする若者もいる。

 拓くは久留米養護学校(現・久留米特別支援学校)に通う知的障害児の保護者と教員が1993年に結成した市民団体が母体。2000年10月に社会福祉法人に衣替えし、安武町に事務所を構えた。現在はパン屋や喫茶店、総菜の製造販売所も営み、約80人の障害者が働く。

 元養護学校教員の馬場篤子・常務理事は記録誌について「多くの人と協力しながら歩んできた道のりをまとめた。後に続く人たちに思いが伝われば」と話す。B5判変型、52ページ、300部作製。1000円(税込み)。希望者は拓く0942・27・2039へ。

夕食を終えて一休みする三原さん(右端)と平野さん(左端)。藤吉さんは自宅に戻っていて不在だった

〔筑後版〕   毎日新聞    2016年3月8日