ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

「障害者はテレビで利用されている」

2017年06月08日 03時01分50秒 | 障害者の自立

ろう者の両親を持つ韓国映画監督が語る、障害者問題

 耳の不自由な両親が「かわいそう」という目で世間から見られることに、ずっと違和感を覚えていたというイギル・ボラ監督。娘である監督は、両親を、そうしたイメージとはかけ離れた、家族を愛し、人生を楽しんで生きている夫婦として、ドキュメンタリー映画『きらめく拍手の音』でイキイキと映し出した。ボラ監督から見た両親の歴史、自身のルーツ、映画を通して伝えたいことから、韓国の障害者問題までを伺った。

■私の両親は「かわいそうな人」ではないことを伝えたい

――映画『きらめく拍手の音』で、ご両親の歴史をインタビューして、どんな気持ちになりましたか? 知らないことも多かったのでしょうか?

イギル・ボラ監督(以下、ボラ監督) 両親の出会いのことは、この映画を撮るまで知らなかったです。父が母に恋煩いをしていたこと、蜂の群れが花に集まるように、母のもとに男性たちが集まってきたことなどのエピソードを聞くのは楽しかったですね(笑)。両親はそれをすべて手話で語るので、情景が目に浮かぶのです。この2人から私が生まれたのだと、自分のルーツを探る旅にもなりました。私の名前イギル・ボラは、父の姓であるボラ、母の姓であるギルをミックスさせた名前です。普通、子どもは父の姓を名乗るので、イ・ボラとなるのですが、私は2人の影響を受けていますから、母の名字も加えてイギル・ボラと名乗っています。

――耳の不自由な人たちへの周囲の見方に対して疑問に感じていたそうですが、それにはどんなきっかけがあったのでしょう。

ボラ監督 私は耳が聞こえるので、両親と一緒にいるときは自然と通訳をすることになります。そのときに接する人の反応がさまざまなのです。とても驚かれる人もいますし、慌てる方もいますし、同情して哀れんでお金を包んで渡そうとする方もいます。そういう反応を見るたびに、「そうじゃないのに」といつも思っていました。両親は変わっていないし、かわいそうでもない。ただみんなと違う言語で生活しているだけなのです。だから私の大好きなドキュメンタリー映画で、うちの両親の本当の姿、幸福であることを伝えようと思ったのです。

――取材対象がご両親なのは大変でしたか? 家族だからこそ聞ける話もありますよね。

ボラ監督 確かにインサイダーとして撮影できたことは長所ですが、近すぎて距離感が難しかったです。あとスタッフは私ひとりなので、インタビューと撮影を同時にやらないといけない。そうすると、両親と手話で会話ができなくなるんです。カメラを回しながら手話をすることができなくて……。それは、面白くもあり大変なことでした。手話スタッフが必要でしたね。

――韓国ではろう者の映画やドラマは多いのですか?

ボラ監督 ほとんどありません。あっても脇役ですね。日本では健常者と同じようにろう者が登場する作品があると聞きましたが、韓国では、何かが不足している人、助けないといけない人として登場する作品がほとんどです。

――確かに日本では、ろう者が主人公のドラマや映画はあります

ただ、ときどき障害者を感動の材料に利用しているという声もありますね。

ボラ監督 それは嫌ですね。私の両親は何でもできる人たちです。私が頼んだことは何でもしてくれましたし、母は友達のお母さんの中でも飛びぬけて美人ですし、本当に自慢の両親です。でも、障害者はテレビなどでは、かわいそうという視点でしか描かれていなくて、何か利用されているように感じることもありました。だから、私の映画では絶対そうは見せたくなかった。「障害者の人達たちも頑張っているのだから、健常者の私たちも頑張りましょう!」というスタンスは絶対に嫌でした。

――でも、失礼のないようにと考えすぎて、どう接したらいいのだろうと悩むこともあります。障害者の方に対しては、どのように接するのがいいのでしょうか?

ボラ監督 自分の方が上だと思わないことです。相手が障害者じゃなくても、そう思ってしまうことはあると思いますが、それは危険です。例えば紛争地域の方、難民の方などに寄付しましょう、寄付したらエライ、みたいな考えはよくありません。でも、メディアはそういう考えを拡大させてしまう恐れがありますね。

■韓国の障害者教育は日本より25年遅れている

――日本では2017年に初めての「東京ろう映画祭」が開催され、いい方向へと動き始めたと思うところもありますが、韓国ではそういう動きはありますか?

ボラ監督 韓国は日本より遅れていて、25年前くらいの状況です。この映画を字幕入りで公開しても、私の両親は字幕を読めません。

なぜなら、韓国の障害者への教育はとても遅れていて、例えばろう者には「リンゴは手話ではコレ、文字ではコレ」と教えるべきなのに、両親が学んだ韓国の障害者学校は手話ができる教師がいないので、文字を学べないのです。クラスにさまざまな障害者を集めて、普通に授業をするので、耳が不自由な私の両親の場合は、教師が何を教えているのかがわからない。ちゃんとした教育を受けられないから、文字も読めないし、書けないし、文脈もわからないのです。障害者学校で起こった実話をもとにした映画『トガニ 幼き瞳の告発』という作品がありますが、あの映画と同じようなものです。
(※映画『トガニ 幼き瞳の告発』は韓国のろう学校で起こった児童虐待事件を描いた実話の映画化)

――きちんとした教育をさせるために制度を作ったり、立て直そうとしたりする人はいなかったのですか?

ボラ監督 両親が学生だったのは、もう何十年も前ですが、障害者学校では不正も多かったのです。学校建設費用を国からもらっていたにもかかわらず、それを横領して、児童にレンガで学校を建てさせたということもあったそうです。普通は告発すべきと思いますが、障害者学校に手話ができる人はいないので、何もできないのです。教育を受けていないので、何が自分たちの権利なのか、それが間違っているのか否かもわからない。こういうことを認識できない教育になっていることが韓国社会の問題点です。ろう者の人たちは、諦めた方が簡単だと思っています。

だから私は映画を通して真実を発信し、こうやってインタビューを受けたり、文章を書いたりすることで、伝えていきたいと思っています。

――ご両親は、娘であるボラ監督が作った自分たち夫婦の映画を見て、どんな感想をもたれましたか?

ボラ監督 すごく喜んでいましたが、母は「おなかの肉がはみだしているところが映ってる!」とか「お化粧もしてないのにカメラを回している!」とか、いろいろ言っていましたけど(笑)。でも、両親は文字が読めないから視覚で情報を得るのが日常なので、手話言語の映画を娘が作ったことが、とてもうれしかったようです。

――映画を見ていると、ご両親は行動的で社交的。毎日をイキイキと暮らす姿がとても素敵だと思いました。ボラ監督自身、ご両親の影響を受けていると思うことはありますか?

ボラ監督 私の両親は、何事も目で見ないと信用しません。それはろう者の特徴でもあるのですが「実際に見て、やってみないとわからない」という考えなのです。行きたい場所へ行ってみる、やりたいことをやってみるという、目で見て体で覚えていくのが両親の生き方です。そういう人たちに育てられたので、私もまず「実際に見たい、体験したい」というタイプです。だから高校生のとき「もっと世界を見てみたい。学びたい」と思って、学校を辞めて世界へ飛び出しました。実際にそうして良かったです。多くの人に出会えましたし、学びもたくさんありました。それは私にとって財産です。

サイゾーウーマン    2017年6月6日


業者や農家、協議会発足 わら納豆、安定生産へ

2017年06月08日 02時41分24秒 | 障害者の自立

原料確保、供給図る

将来的な生産継続が危ぶまれている本県名産の「わらづと納豆」を守ろうと、原料となるわらの安定確保に向けた協議会が6日、発足した。農家の高齢化や機械化により、わら不足が深刻さを増す中、行政や納豆メーカー、コメ農家らが連携した取り組みを本格化させる。2年後の2019年度には、年間で約10万食分に当たる約12トンのわら供給を目指す方針だ。

■伝統文化維持へ連携
発足したのは、水戸市と同市内のコメ生産組合、県納豆商工業協同組合、障害者就労施設で構成する「市わら納豆推進協議会」。この日、水戸市内で開かれた設立総会で、同協議会の斉藤政雄会長は「本県の伝統文化とも言えるわらづと納豆を守るため、連携して課題を乗り越えたい」と訴えた。

わらづと納豆に使われるわらは、約70センチの一定の長さが必要となるほか、土が付着していないなどの品質が必要。特にコンバインなどの農業用機械で収穫すると粉砕されてしまうため、生産農家が手作業で丁寧に刈り取り、乾燥させたものが求められる。

ただ、農業の機械化が進んだことで手作業による収穫は激減。これまで手刈りを続けていた農家も高齢化で減少傾向が続いており、わら不足は深刻化している。このため昨春、県内の納豆メーカー各社はわらづと納豆を一斉に値上げ。わらの価格を引き上げ、生産農家や加工業者に生産の継続を促してきた。

こうした背景を受け、協議会では納豆メーカーがわらを安定的に確保できる仕組みを構築する。まず、市の支援により、収穫時にわらを粉砕しない専用機械を生産農家が導入。収穫したわらは障害者就労施設で結束などの加工を行い、市内各メーカーに供給する。本年度は5万食分、計6トンのわらを生産する計画だ。

県納豆商工業組合によると、市内の納豆メーカー4社が生産するわらづと納豆は年間で80〜90万食分に上る。同組合の高野克巳理事長は「(協議会によるわらの確保は)全体のほんの一部だが、少しずつでも生産量を増やしたい」と期待を込めた。

わらの安定確保へ向け発足した「市わら納豆推進協議会」=水戸市中央

わらの安定確保へ向け発足した「市わら納豆推進協議会」

2017年6月7日   茨城新聞


サロンバスで憩いのひととき 岩泉、台風被災地区巡る

2017年06月08日 02時29分18秒 | 障害者の自立

 岩泉町のNPO法人クチェカ(橋場覚理事長)は、昨年8月の台風10号豪雨災害で被災した地区を、車内がサロンスタイルになっているバスで訪ね、住民にお茶飲みをしながら憩いのひとときを過ごしてもらう支援活動を続けている。かつての集会場所が復旧していなかったり、仮設住宅に集う場所がなかったりして交流が少なくなっている地区もあり、住民に喜ばれている。

 6日は旧JR岩泉線二升石駅前にバスを止めた。あらかじめ回覧板やチラシで周知し、顔見知りには直接伝えており、延べ15人の住民が参加。車内でコーヒーやお菓子を片手に、会話に花を咲かせた。

 同法人は東日本大震災後、町内の障害者や被災者の支援を行ってきた。台風被害を踏まえ、その被災者支援に力を入れることとし、バスによるサロン活動を町や町社会福祉協議会などと共に、2月から週2回ほど実施。バスはNPO法人アドラ・ジャパン(東京都)から借り受けている。

【写真=コーヒーを片手に会話を楽しむ地域住民ら】

(2017/06/07  岩手日報 )


次世代型路面電車 導入機運高まるも様々な障壁あり

2017年06月08日 02時20分14秒 | 障害者の自立

 未来のまちづくりにおける課題のひとつは、高齢化社会を迎えても暮らしやすい街にすることだ。その解決策のひとつとして、次世代型の路面電車導入を検討する自治体が全国で増え、ちょっとしたLRTブームともいえるほどだ。しかし、いざ実行にうつそうとなると、様々な問題が立ちはだかりなかなかすすまない。ライターの小川裕夫氏が、栃木県小山市のLRT計画を例に、LRT計画の実情をリポートする。

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 CO2を排出しないから環境にやさしい・バリアフリー対応のため高齢者や障害者でも使いやすい・中心市街地活性化にも寄与するetc…。

 路面電車の整備には、そんな大義名分が掲げられる。そうしたメリットがあるとわかっていても、路面電車をゼロから建設することは、かなり難しい。栃木県宇都宮市が2019年に開業予定にしているLRT(Light Rail Transit)計画も、その道のりは決して順調とは言えなかった。

 宮城県仙台市や愛知県名古屋市のように路面電車を運行していた歴史を持つ自治体ならば、まだ市民からの理解を得られやすかったかもしれない。宇都宮市は路面電車を運行していた実績がないだけに、市民の理解を得られるかも未知数。そういう意味で、宇都宮LRTは、前人未到への挑戦でもあった。

 宇都宮のようにゼロから路面電車を計画する自治体がある一方で、JR西日本の富山港線の線路を転用した富山ライトレールのように既存の施設を活用・転用することを検討する自治体もある。そのひとつが、東京都葛飾区だ。

 今年2月、葛飾区は2017(平成29)年度予算にLRTの調査費用を盛り込むことを発表した。葛飾区が着目したのは、金町駅-小岩駅を走る貨物専用線。同線は新金線と通称されている路線で、貨物列車が1日に2、3本運行されている。葛飾区は貨物列車が運行していない時間帯に路面電車を走らせることで、線路の有効活用を図ろうとした。

 貨物線を転用するという計画は、栃木県小山市でも検討されている。小山市には、小山駅から北東に約4.8キロメートルの貨物専用線が延びている。この貨物線は地元民や鉄道ファンから「高岳引込線(たかおかひきこみせん)」と呼ばれている路線で、現在は電気機械メーカーの東光高岳が変圧器を輸送するためだけに年10回ほど使用している。輸送されるのは、200トンを超える巨大な変圧器なので、自動車輸送に切り替えることもできない。そうした理由もあって、わずか年10回しか使われないのに今まで線路が残されてきた。

 2015(平成27)年、小山市は今後のまちづくりを議論する検討委員会を立ち上げ、同線を有効活用するために旅客化の検討を始める。

「検討委員会では、まちづくりなども踏まえた小山市全体の交通体系について議論しました。高岳引込線については、需要や収支予測、建設費、運営費・事業スキームをはじめ停留所は約600メートル間隔で設置して全9か所、運賃は一乗車200円均一ということまで議論されました。わずか2年間という短い歳月だったこともあり、詳細な内容まで詰めることができていませんが、高岳引込線は軌道法で運行することは決まりました」と話すのは小山市都市整備部都市計画課の担当者。

 小山市が鉄道として運営されている高岳引込線の線路を利用するにもかかわらず、軌道法で整備することに決めた理由は、軌道法が線路と道路の平面交差、線路で道路を横切ることを認めていることだった。

 日本国内には数多くの鉄道が運行しているが、鉄道事業法か軌道法のどちらかに準拠して運行される。新幹線やJR、私鉄の多くは鉄道事業法に準拠されている。

 一方、大阪市営地下鉄御堂筋線やモノレールなどの例外はあるものの、軌道法は一般的に路面電車に適用されてきた。そのため、小山市が軌道法を選択したことで「高岳貨物線に路面電車が走る」という報道も見られた。

 あくまで、小山市は「旅客化するにあたり軌道法を適用する」という内容までしか決めていない。いまの時代に路面電車を始めるなら、完全電化された次世代型路面電車のLRTになると予想されるが、まだ決定はしていない。

 小山市が即座にLRT化すると明言できない理由は、高岳引込線が非電化区間になっているからだ。LRTに転換するには、変電所や架線などの電化施設を新たに整備する必要がある。

 検討委員会はLRT化した場合の事業費を約27億円、非電化のままディーゼル車を運行する場合の事業費を約20億円と試算している。費用面だけで比べると、LRT化の方が分は悪い。しかし、政府もLRTの整備には力を入れており、小山市が高岳貨引込線をLRT化すると約9億円が国から補助される。そうした国からの後押しもあり、小山市も高岳引込線をLRT化することに前向きだ。

 高岳引込線のLRT転換には、解決しなければならない課題がまだ、いくつかある。現在、小山市はLRT転換した際に小山駅東口のロータリーに停留所を新設する予定にしている。

 地図を見ると、高岳引込線の線路は東北本線(宇都宮線)とつながっており、そのまま小山駅に乗り入れることも構造的には可能なように思える。

 わざわざ駅東口のロータリーまで線路を引っ張り、新たに停留所をつくらなくても、そのまま東北本線に線路をつなげてしまった方が建設費も安価で工期も短くなるはずだ。JRに乗り入れしない理由は、何なのだろうか?

「線路・停留所などの建設費や用地の取得費だけを考えれば、高岳引込線を宇都宮線にドッキングさせて、そのまま乗り入れした方が安上がりです。しかし、JRに乗り入れると東北本線のダイヤに影響を及ぼすことになります。ダイヤ変更には、コンピューターシステムを変える必要があり、その費用が莫大になります。そのため、小山駅東口のロータリーに線路を引き込み、LRTの停留所を新たに設置した方が安上がりなのです」(同)

 ほとんど使われていない貨物線や引込線を活用しようと検討する動きは、ほかの都市でも始まっている。前述した葛飾区のほか、東京都江東区でも越中島支線と呼ばれる貨物線をLRTへの転換が議論されていた。江東区のLRT計画はかなり前に浮上したが、いまや地下鉄の整備を優先する方針が採られているために凍結状態にある。

 LRTと言えば近未来的で響きはいいが、多くの人が路面電車に抱くイメージは昭和30年代に走っていたレトロなチンチン電車だ。そのため、わざわざ税金を投入して公共交通を整備するのなら地下鉄やバスを整備した方がいいといったLRTへの反対意見も根強い。LRTの整備計画の最大障壁は、市民の根底にある古いイメージを払拭することなのかもしれない。
 
 小山市の計画は緒に就いたばかりで、これからもクリアしなければならない課題は出てくるだろう。宇都宮市が国内では自他ともに認めるLRTのトップランナーとして走り続けているだけに、同じ栃木県の小山市のLRT計画にも注目が集まっている。

次世代型路面電車 導入機運高まるも様々な障壁あり 

 2017年06月07日    NEWSポストセブン


障害持つ高齢者擬似体験

2017年06月08日 02時09分04秒 | 障害者の自立

藤ノ花女子高/日常生活の困難さや介助の大切さ学ぶ

 豊橋市老松町の藤ノ花女子高校(山崎宏人校長)は6日、「障害を持つ高齢者の擬似体験学習」を実施した。障害を持ち、身体機能が低下する高齢者の日常生活を体験し、その困難さを理解することで、介助の大切さを学んだ。(三浦ゆかり)

 生活情報科3年の授業「生活と福祉」の一環。豊橋創造大学短期大学部から大林博美教授と村上貴子助教授を講師に迎えて、180人の生徒が参加。障害を持つ高齢者の擬似体験と、応急処置としての包帯の巻き方と三角巾の使い方などを実習した。

 生徒らは、85歳で、白内障、脳梗塞により右上下肢に麻痺(まひ)があり、手首と大腿(たい)部も骨折しているという女性の設定で、腕にサポーターなどを装着して動きづらくしたうえ、ゴーグルを着用して視界を暗くした状態で、杖をついて階段を含む校舎内を歩行。介助役の生徒がそばに寄り添い、手助けをした。

 体験を終えた佐藤純奈さんは「足が全然上がらず、階段を下りるのが怖かった」、坂神里紗さんは「介助者として、大丈夫かどうかの声かけが大切だと感じた」と、感想を話した。

擬似体験をする生徒ら(豊橋市老松町の藤ノ花女子高校で)
 
2017/06/07   東海日日新聞