ろう者の両親を持つ韓国映画監督が語る、障害者問題
耳の不自由な両親が「かわいそう」という目で世間から見られることに、ずっと違和感を覚えていたというイギル・ボラ監督。娘である監督は、両親を、そうしたイメージとはかけ離れた、家族を愛し、人生を楽しんで生きている夫婦として、ドキュメンタリー映画『きらめく拍手の音』でイキイキと映し出した。ボラ監督から見た両親の歴史、自身のルーツ、映画を通して伝えたいことから、韓国の障害者問題までを伺った。
■私の両親は「かわいそうな人」ではないことを伝えたい
――映画『きらめく拍手の音』で、ご両親の歴史をインタビューして、どんな気持ちになりましたか? 知らないことも多かったのでしょうか?
イギル・ボラ監督(以下、ボラ監督) 両親の出会いのことは、この映画を撮るまで知らなかったです。父が母に恋煩いをしていたこと、蜂の群れが花に集まるように、母のもとに男性たちが集まってきたことなどのエピソードを聞くのは楽しかったですね(笑)。両親はそれをすべて手話で語るので、情景が目に浮かぶのです。この2人から私が生まれたのだと、自分のルーツを探る旅にもなりました。私の名前イギル・ボラは、父の姓であるボラ、母の姓であるギルをミックスさせた名前です。普通、子どもは父の姓を名乗るので、イ・ボラとなるのですが、私は2人の影響を受けていますから、母の名字も加えてイギル・ボラと名乗っています。
――耳の不自由な人たちへの周囲の見方に対して疑問に感じていたそうですが、それにはどんなきっかけがあったのでしょう。
ボラ監督 私は耳が聞こえるので、両親と一緒にいるときは自然と通訳をすることになります。そのときに接する人の反応がさまざまなのです。とても驚かれる人もいますし、慌てる方もいますし、同情して哀れんでお金を包んで渡そうとする方もいます。そういう反応を見るたびに、「そうじゃないのに」といつも思っていました。両親は変わっていないし、かわいそうでもない。ただみんなと違う言語で生活しているだけなのです。だから私の大好きなドキュメンタリー映画で、うちの両親の本当の姿、幸福であることを伝えようと思ったのです。
――取材対象がご両親なのは大変でしたか? 家族だからこそ聞ける話もありますよね。
ボラ監督 確かにインサイダーとして撮影できたことは長所ですが、近すぎて距離感が難しかったです。あとスタッフは私ひとりなので、インタビューと撮影を同時にやらないといけない。そうすると、両親と手話で会話ができなくなるんです。カメラを回しながら手話をすることができなくて……。それは、面白くもあり大変なことでした。手話スタッフが必要でしたね。
――韓国ではろう者の映画やドラマは多いのですか?
ボラ監督 ほとんどありません。あっても脇役ですね。日本では健常者と同じようにろう者が登場する作品があると聞きましたが、韓国では、何かが不足している人、助けないといけない人として登場する作品がほとんどです。
――確かに日本では、ろう者が主人公のドラマや映画はあります
ただ、ときどき障害者を感動の材料に利用しているという声もありますね。
ボラ監督 それは嫌ですね。私の両親は何でもできる人たちです。私が頼んだことは何でもしてくれましたし、母は友達のお母さんの中でも飛びぬけて美人ですし、本当に自慢の両親です。でも、障害者はテレビなどでは、かわいそうという視点でしか描かれていなくて、何か利用されているように感じることもありました。だから、私の映画では絶対そうは見せたくなかった。「障害者の人達たちも頑張っているのだから、健常者の私たちも頑張りましょう!」というスタンスは絶対に嫌でした。
――でも、失礼のないようにと考えすぎて、どう接したらいいのだろうと悩むこともあります。障害者の方に対しては、どのように接するのがいいのでしょうか?
ボラ監督 自分の方が上だと思わないことです。相手が障害者じゃなくても、そう思ってしまうことはあると思いますが、それは危険です。例えば紛争地域の方、難民の方などに寄付しましょう、寄付したらエライ、みたいな考えはよくありません。でも、メディアはそういう考えを拡大させてしまう恐れがありますね。
■韓国の障害者教育は日本より25年遅れている
――日本では2017年に初めての「東京ろう映画祭」が開催され、いい方向へと動き始めたと思うところもありますが、韓国ではそういう動きはありますか?
ボラ監督 韓国は日本より遅れていて、25年前くらいの状況です。この映画を字幕入りで公開しても、私の両親は字幕を読めません。
なぜなら、韓国の障害者への教育はとても遅れていて、例えばろう者には「リンゴは手話ではコレ、文字ではコレ」と教えるべきなのに、両親が学んだ韓国の障害者学校は手話ができる教師がいないので、文字を学べないのです。クラスにさまざまな障害者を集めて、普通に授業をするので、耳が不自由な私の両親の場合は、教師が何を教えているのかがわからない。ちゃんとした教育を受けられないから、文字も読めないし、書けないし、文脈もわからないのです。障害者学校で起こった実話をもとにした映画『トガニ 幼き瞳の告発』という作品がありますが、あの映画と同じようなものです。
(※映画『トガニ 幼き瞳の告発』は韓国のろう学校で起こった児童虐待事件を描いた実話の映画化)
――きちんとした教育をさせるために制度を作ったり、立て直そうとしたりする人はいなかったのですか?
ボラ監督 両親が学生だったのは、もう何十年も前ですが、障害者学校では不正も多かったのです。学校建設費用を国からもらっていたにもかかわらず、それを横領して、児童にレンガで学校を建てさせたということもあったそうです。普通は告発すべきと思いますが、障害者学校に手話ができる人はいないので、何もできないのです。教育を受けていないので、何が自分たちの権利なのか、それが間違っているのか否かもわからない。こういうことを認識できない教育になっていることが韓国社会の問題点です。ろう者の人たちは、諦めた方が簡単だと思っています。
だから私は映画を通して真実を発信し、こうやってインタビューを受けたり、文章を書いたりすることで、伝えていきたいと思っています。
――ご両親は、娘であるボラ監督が作った自分たち夫婦の映画を見て、どんな感想をもたれましたか?
ボラ監督 すごく喜んでいましたが、母は「おなかの肉がはみだしているところが映ってる!」とか「お化粧もしてないのにカメラを回している!」とか、いろいろ言っていましたけど(笑)。でも、両親は文字が読めないから視覚で情報を得るのが日常なので、手話言語の映画を娘が作ったことが、とてもうれしかったようです。
――映画を見ていると、ご両親は行動的で社交的。毎日をイキイキと暮らす姿がとても素敵だと思いました。ボラ監督自身、ご両親の影響を受けていると思うことはありますか?
ボラ監督 私の両親は、何事も目で見ないと信用しません。それはろう者の特徴でもあるのですが「実際に見て、やってみないとわからない」という考えなのです。行きたい場所へ行ってみる、やりたいことをやってみるという、目で見て体で覚えていくのが両親の生き方です。そういう人たちに育てられたので、私もまず「実際に見たい、体験したい」というタイプです。だから高校生のとき「もっと世界を見てみたい。学びたい」と思って、学校を辞めて世界へ飛び出しました。実際にそうして良かったです。多くの人に出会えましたし、学びもたくさんありました。それは私にとって財産です。
サイゾーウーマン 2017年6月6日