ゴエモンのつぶやき

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ある日、突然事故に会う でも諦めることはない ROGUE、不屈のバンド

2017年06月20日 23時50分21秒 | 障害者の自立

タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   不屈のロックバンド――。

   2017年6月24日に群馬県前橋市のYAMADAグリーンドームで音楽イベント「GBGB2017」を行うロックバンド、ROGUEをインタビューしながらそう思った。

首から下が不随に

   ROGUEは、82年に結成、85年にメジャーデビューした4人組だ。88年にはニューヨークの伝説のライブハウス、CBGBや日本武道館でもライブを行った。BOO/WYやBUCK-TICKと並んで群馬出身の3大バンドと言われている。

   90年にバンドは解散、それぞれがソロになり、ヴォーカルの奥野敦士は俳優としても活動、ギターの香川誠、ベースの西山史晃(当時・文明)ドラムの深沢靖明はKNiFeとして活動、西山・香川の二人は氷室京介のツアーのバンドメンバーだったことでも知られている実力派だ。

   ただ、彼らが他のどんなロックバンドとも違うのは過去の実績や活動の経歴ではない。今の姿そのものが、僕らの想像を超えている。少なくとも日本でこういう形で活動しているプロのバンドは他にないと断言しまっていいだろう。

   2008年、奥野敦士は、事故で頸椎を損傷、首から下が不随になった。つまり麻痺である。今も障害者施設で暮らしている。二度とステージに立てない姿になったのは、バンドの再結成話が持ち上がった直後だった。

   筆者が、奥野の歌う姿を見たのは、静岡県掛川市の「つま恋」多目的広場で開催された2012年のapbank fesの会場でだ。イベントのホストの一人、Mr.Childrenの桜井和寿が、「これから歌うのは僕が好きだった歌です」とROGUEの「終わりのない歌」を紹介しつつ奥野の現状を伝え、彼がYou Tubeに投稿した映像を流した。

   そこには車椅子に乗ったままルイ・アームストロングの「ワンダフル・ワールド」を歌う奥野の笑顔があった。

   「伊東の頸椎を痛めた人ばかりのリハビリ施設にカラオケBOXがあったんです。でも、最初は腹筋に力が入らずに全く歌えなかった」(奥野敦士)

   伊東の重度障害者センター。麻痺した腹筋と横隔膜を使うにはどうすればいいか。担当の先生にお腹をぎゅっと押して貰う。車椅子のベルトをきつく締めてお腹に力が入った状態にする。身体を前後に揺すって肺に空気を取り入れられるようにする。頸椎損傷の人には無理と言われていた腹式呼吸。彼がYou Tubeに歌っている姿を投稿したのは、それから2年後だ。それを見て群馬に訪ねてきたのが桜井和寿だった。

   「わざわざ来てくれて、イベントに出てもらえませんか、と言ってくれたんです。どうしようかと思ったんだけど、車椅子で作曲を続けていてお尻に穴が開いてた状態だったし体温調節が出来ない身体なんで、真夏は無理なんですね。丁重にお断りしました」(奥野敦士)

   「歌えると分かった時もそういう姿をさらし者にしていいのか考えました。でも、彼のように障害を持ってしまった人のために何か出来ないか、歌えるか、と会って聞いたのは半年以上経ってからですね」(香川誠)

   バンドの再結成が実現したのは、2013年。第一回のGBGB(G-Beat Gig Box)が開催されたのも、その年だ。ROGUEも出演し、奥野は7曲を歌った。会場のYAMADAグリーンドームは、県下最大のコンサート会場である。

   「腹筋も肺活量も落ちてるし、最初は2,3曲の予定だったんだけどね。それじゃお客さんも喜ばないし、何とか7曲にしました」(奥野敦士)

   「出来れば、いきなりそんなに大きい所ではやりたくなかったんです。あそこは競輪の施設でしたから女子トイレを増やさないといけないしキャパも大きい。でも、バリアフリーの会場が他にないんです」

もう一度チャンピオンめざすみたいな

   すでに新作アルバムも出ている。2014年には古巣だったポニーキャニオンから「終わりのない歌」のセルフカバーも交えた「REAL AGAIN」、去年の秋にはフォーライフレコードから全曲新曲の「DESOLATION ANGELS」が出た。少なくとも、アルバムを聞いてヴォーカルが車椅子だと思う人は皆無だろう。年期の入ったロックバンドの満を持してのアルバムと思うはずだ。「DESOLATION ANGELS」には、奥野敦士の赤裸々な心情も綴られている。

   「やるしかないと誓ったその日 地獄に落ちた 未来が見えた」

   「辿り着けない 目の前の明日 地獄に落ちた 未来を救え」

   「my song 俺に力を my friend 俺に 勇気を」(「GIVE ME A CHANCE」)

   「自分の中から出てくる言葉で共感してくれればと思うし。言葉を書くのが好きになってる。こんな身体でも脳みそは動いて人の気持ちも分かる。障害者のファンの方も多いし、彼らの希望にならないと。そこは昔と違うかな。若い頃はいい加減に書いてたなあと思います」(奥野敦士)

   「数奇なバンドだなあと思いますね。普通は解散した時点がピークでしょうし、それが良い記憶になるんでしょうけど、僕らは一度は、KOされたボクサーがもう一度チャンピオンを目指すみたいな形でしょうし。目に見えない運命みたいなものがある気がしてます」(西山史晃)。

   6月21日、入手不能だった87年のアルバム「VOICE BEAT」と88年の「SERENADE」も新たにマスタリングされて再発売される。24日には5回目の「GBGB2017」が開かれる。収益は障害者施設への福祉車両寄贈として形になる。Mr.Childrenは去年出場した。今年はF-BLOOD、Chara、FLYING KIDS、Respect up beat ら、もちろんROGUEも出る。

   「夢は、こういうコンサートが全国に波及すること。ノウハウは差し上げます。奥野をパラリンピックで歌わせたいんです」(香川誠)

   ある日、突然事故に会う。

   そして、身体が動かなくなる。

   それは誰にでも起こる事でもあるのだろう。

   でも、諦めることはない。

   彼らは身をもってそう歌っている。

2017/6/19       J-CASTニュース


「採算や効率より、働く人の人生が大事」障害者と共に歩むワイナリーの精神とは

2017年06月20日 03時07分24秒 | 障害者の自立

栃木県足利市にある「ココ・ファーム・ワイナリー」(関連記事「慈善ではなく、おいしいから」障害者のワイナリー「ココ・ファーム」収穫祭を訪ねて)。

ワイナリーに隣接する障害者施設「こころみ学園」の園生と様々な職種のスタッフが、ブドウを栽培したりワインを造ったり、一緒に働いている。「能力を生かし、それが仕事になる」というのは、障害の有無にかかわらず大事なことだ。

働く姿を紹介する連載の3回目は、専務取締役の池上知恵子さん(66)に、ワイナリーの成り立ちを聞いた。

 産後に農業大の醸造科で勉強・自然に寄り添い淡々と働く

池上知恵子さんの父は、学園を創設した川田昇さん。もとは知的障害のある教え子と急斜面を切り開き、ブドウ畑を作った。川田さんは「障害があるからと過保護にして、あてにしないと何もできなくなる」と実感していたという。草刈りや鳥よけなど、やってもやってもやりきれない仕事ができた。

園生が変わった。斜面の作業でバランス感覚が鍛えられ、体力がついた。おなかがすいておいしく食べ、よく眠れるように。さらに栽培したブドウを生かし、仕事を生み出すため、保護者が出資してワイナリーを設立。免許を取って1984年から醸造を始めた。

池上さんは東京の大学を卒業後、出版社に勤めていた。出産をきっかけに生活を方向転換する。31歳の時、産後まもなく試験を受け、東京農業大の醸造科に入った。2年間、醸造の基礎を勉強した。ワインは、バケツとブドウがあればできる。シンプルだけれど、科学・芸術・哲学がみんな関わっている。そんなワインに興味を感じた。

足利に戻り、ワイナリーを支えてきた。「よく福祉と農業の連携と言われますが、専門家とか障害者とか区別するのでなく、普通の人間として普通の仕事をしている。農作物は畑でしかできないし、ワインを造るのも微生物です。園生はよくわかっているのではないでしょうか。自然に寄り添い、淡々と仕事できる人が向いています」

朝晩、ビンを回して澱を集める・才能を生かし丁寧な作業

池上さんを訪ねた日、急斜面を切り開いたブドウ畑の頂上から、ファーム内を見せてもらった。その後、ワイン造りに使う建物に案内された。「カバネル」と呼ばれる建物は、高齢者が増えた園生の多目的スペースとして、2012年に完成した。1階でスパークリングワインを造っている。原酒に酵母とその栄養素を加えてビン詰め。王冠で仮に栓をして低温で長い時間、寝かせる。ビン内の二次発酵が進み、細かい泡が作られる。

そしてビン口に澱を集める「ルミアージュ」が、知的障害のある園生の大事な仕事だ。単純だけれど丁寧さが必要。栓をしたビンを、穴のあいた台に逆さに差し込むと、口のところに澱がたまる。ビンを朝晩、45度ずつ回す。1か月から100日の間、毎日だ。

内側の細かい澱が集まってきたら、ビンの口のあたりを凍らせて王冠を抜くと内側のガス圧で澱の部分が飛び出す。その後、澱を抜いた分のワインを足し、調整して味が決まる。コルク栓をしたら、その上にかけるキャップシールかけやラベル貼りも園生たちの手作業で進む。

ルミアージュは、フランスやスペイン、カリフォルニアなど世界の大きなワイナリーは機械でやっているという。「ココファームは機械が買えなかったというのもあり、園生に手作業の仕事を用意できました。お情けで買ってもらうのでなく、ブランドでもなく、味で選んでもらいたい。他のワイナリー以上に、上質なワインを造ることが大事です」と池上さん。スパークリングワイン「のぼ」はソムリエ・田崎真也さんの推薦があり、2000年の沖縄サミット晩餐会で採用された。

 ブドウがなりたいワインに・働く人の人生が大事

次に樽室へ。ココファームのワイン造りは、ブドウについている野生の酵母を使う。一般的には乾燥した培養酵母を添加するが、自然の野生酵母だと、コントロールは難しいけれどいい味わいがあるという。耳をすますと、醗酵している音がコポコポと聞こえる。酵母が働いて、醗酵栓から二酸化炭素が出る音だ。

醗酵が終わったワインが熟成する部屋では、木やステンレスの樽が並んでいる。ブドウがなりたいワインになれるように熟成方法も考える。木樽に入れることを「マキアージュ(化粧)」するというが、水分が蒸発して凝縮されたり、樽の香りがついたり。すっぴんがいいか、薄化粧がいいかで、加減が違ってくる。

最後に、大きなタンクのあるスペースを見せてもらった。タンク1本で、750ミリリットルのワインが1万本分。カリフォルニアで設計図をもらい、乳業のメーカーに注文した。カジュアルなワインや、ビン詰めの直前のワインが入っている。

ワイン造りは醸造スタッフが主に担当する。ビン詰めされたワインにキャップシールをかけ、ラベルを貼り、運ぶのは園生の仕事。4日間、根気がいる繰り返しの作業が終わった夕方、「またやろうね」と言った園生の言葉がきっかけで、デザートワインに「マタヤローネ」の名前がついた。

障害のあるなしにかかわらず、個人によってできることやできないことがある。「会社や組織だと、採算や効率が何より求められます。ココファームでは、働く人の人生が大事。目の前の問題を何とかしようとすることが仕事につながっている感じです」

【ココ・ファーム・ワイナリー】
1950年代、地元の教師だった川田昇さんが、知的障害がある生徒と一緒に山の急斜面を開墾し、ブドウ栽培を始めた。69年、障害者の施設「こころみ学園」ができる。現在は入所を中心に18歳~90代のおよそ150人がいる。「園生が楽しく働ける場を」と、80年に保護者の出資でワイナリーを設立。約20種、年間20万本のワインを製造。ワイナリーが学園からブドウを購入し、醸造の作業を学園に業務委託する。ワイナリーのスタッフは30人。

慈善ではなく、おいしいから」 障害者のワイナリー「ココ・ファーム」収穫祭を訪ねて

 

障害者と一緒にワインを造り続けたアメリカ人「期待することが大事。ハンディと考えず本気でやってもらう」

 

単純な作業をこつこつ続ける障害者たちと一緒にブドウ栽培「上下関係はない、みんな仲間」

なかのかおり ジャーナリスト Twitter @kaoritanuki


障害者の地域生活をサポート 柏に24時間体制の拠点「あおば」完成

2017年06月20日 02時56分40秒 | 障害者の自立

 障害者に地域で生活を続けてもらおうと、柏市は今春、二十四時間体制で障害者や家族らからの相談や緊急時の対応に当たる施設「地域生活支援拠点あおば」を、県内で初めて同市高田に整備した。運営は社会福祉法人・青葉会に委託。今秋には、別の法人が運営する市内で二カ所目の同様の拠点「たんぽぽ」がオープンする。 

 あおばは、木造二階建ての計三棟で、市有地に建設された。障害者や家族らからの相談を二十四時間、年中無休で受け付けるのが、最大の特長。緊急時には専門機関に取り次ぐ「ワンストップ」の役割も担う。

 障害者が自立に向けた練習などに取り組めるグループホームや、家族が休息を取るなどの際に利用する短期入所の機能も備える。昼間は定員二十人のデイサービスやヘルパー派遣の事業所などに利用され、社会福祉士や看護師らが常駐している。総工費は三億六千万円で、青葉会が二億七千万円を負担、国と市が計九千万円を補助した。

 市障害福祉課によると、障害者の高齢化や、親が亡くなった後を見据え、地域で暮らすことを選択した障害者を地域で支える仕組み作りが、課題となっている。運営費のうち、相談の委託費として市は青葉会に千八百七十万円を支払う。

 四月の開所後、五月末までに、あおばへ寄せられた相談は二百七十九件で、うち六件は、緊急対応が求められた内容だったという。「体験」という形で、短期入所を利用したのは、計七十人だった。

 今秋に柏市柏下にオープン予定のたんぽぽは、社会福祉法人・ワーナーホームが運営。施設の建設費は三億円で、同法人と、国・市がほぼ折半する。

写真

24時間体制で、相談を受け付ける地域生活支援拠点あおば

2017年6月19日   東京新聞


障害者のお守り作りに支援を 滋賀でクラウドファンディング

2017年06月20日 02時52分20秒 | 障害者の自立

 障害者福祉施設で作った信楽焼の勾玉(まがたま)のお守りを販売しようと、大津市の市民グループ「RAINBOW LIGHT(レインボー・ライト)」が取り組んでいる。勾玉は近江の麻生地の小物入れで包み、福祉と伝統が融合した特産品として広めていくといい、信楽焼の型の購入費など初期費用をインターネットを通じて募集している。

 同グループは、大津市秋葉台の画家HIDEKIさん(51)とグラフィックデザイナーの森友美子さん(52)が2006年に立ち上げた。芸術を軸にしたワークショップや親子キャンプなどに取り組んでおり、14年からは障害者福祉施設の手作り作品展にも携わっている。

 手作り作品展に展示されている作品は、独創的で質も高いが販売価格は材料費程度のものも多い。販路を持たない施設も多く、優れた作品を作っても通所者の収入増につなげられない現状がある。施設の収入アップの一助になればと、勾玉づくりは甲賀市の「信楽くるみ作業所」に依頼。勾玉を包む布は近江の麻生地で、巾着型と二枚貝の形の2種類を用意した。袋詰めの作業は大津市のノエル福祉会「ぽかぽか」に頼んだ。

 HIDEKIさんは「一つ一つ、心を込めて作ってもらっている。心のこもったお守りを届けたい」と語る。

 初期費用の募集は30日まで。クラウドファンディングサイト「キャンプファイヤー」内で募る。目標金額は50万円で賛同者には勾玉のお守りなどを贈る。すでに製作に取りかかっており、目標額に達しなくてもお守りづくりは続ける。

2017年06月18日   京都新聞


知的障害者ら力強く堂々と和太鼓演奏 満員の会場に響く 滋賀

2017年06月20日 02時42分36秒 | 障害者の自立

 知的障害を持つ子供たちと保護者らでつくるグループ「和太鼓とんとこ」の演奏会が18日、大津市におの浜のピアザ淡海で開かれた。ホールがほぼ満員となる約400人が訪れ、子供たちが打ち鳴らす音色に耳を澄ませた。

 グループは平成7年に結成し、大津市を拠点に活動。演奏を通じて子供たちの成長を促す狙いがあり、練習中には年長メンバーが精神的に不安定になった年少メンバーをなだめたりするという。今回の演奏会に先立ち、体力面での課題を解決するため、通常の練習に加え、グループ初の合宿も行った。

 この日はメンバー約40人が、石川県七尾市に伝わる「ほうねん太鼓」のアレンジ曲など11曲を力強く演奏。県立北大津養護学校高等部2年の岡本邦啓さん(16)は「練習はきつかったけど、今日はとても楽しかった。今後も活動を続けていきたい」と笑顔で話した。

 観客として訪れた、ダウン症の子供を持つ大津市南郷の主婦、曽我美穂さんは「メンバーの中にはダウン症の方もいて、すばらしい演奏をする姿に勇気づけられた」と話していた。大津市坂本の看護師、徳永なお子さん(65)は「失敗しても堂々と楽しんで太鼓をたたいている姿が印象的だった」と話していた。

 同グループは10月29日にも、大津市黒津の「とことんハウスいちえホール」で演奏会を開く予定。問い合わせは、グループ事務局(電)077・525・2277。

2017.6.19   産経ニュース