ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

プロに必要なサンタクロースの心

2017年12月26日 01時27分42秒 | 障害者の自立

伊丹心身障害対策市民懇談会主催のクリスマス会に参加した阪神・陽川(中央左)と才木

【内田雅也の広角追球】サンタクロースはいるのですか?

 子どもなら皆が抱く純粋な疑問に答えた、有名な新聞の社説がある。

 今から120年前の1897年、ニューヨーク西95丁目に暮らす8歳の少女、バージニアちゃんは友だちから「サンタクロースはいない」と言われた。父親の「分からないことがあったら、サンしんぶん」という勧めで、ニューヨークの新聞「ザ・サン」に手紙を出した。フランシス・チャーチ論説委員が書いた返事は社説となって掲載された。

 「バージニア、それは友だちの方が間違っているよ」と書き出し、「そうです、バージニア、サンタクロースはいるのです」と明言している。

 「サンタクロースがいなかったら、素直に信じる心も、詩も、夢のような物語もなく、人生はちっとも楽しくないでしょう。わたしたちが喜びを感じるのも、目で見たりさわったり聞いたりできるものだけになってしまいます。そして、子どもたちが世界中にともした永遠の光も、消えてしまうことでしょう」

 小説『星の王子さま』のように、本当に大切なものは目には見えないのだ。素直な心、寄り添う気持ち、信じることの素晴らしさを伝えている。

 バージニアさんはおとなになると教職に就き、47年間、子どもたちを教え続けた。

 この社説は読者から幾度も再掲要請が相次ぎ、1920年代には毎年、クリスマスに掲載されるようになった。今も世界中で語り継がれている。

 今年もまた、子どもたちの枕元に贈り物が届いていたことだろう。聖夜、その姿をひと目見ようとがんばった子どもたちが寝入ってしまったころに、やって来たはずだ。

 「純粋さに心を打たれるんだよ」と、つい先日会った、柏原純一さん(65)が話していた。八代東高(熊本)からドラフト8位で南海(現ソフトバンク)入り。日本ハム、阪神と渡り歩き、ベストナイン3回、ダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)賞4回などに輝いた内野手だった。

 1軍初昇格した1973(昭和48)年から毎年オフ、故郷・熊本の重症心身障害児施設、芦北学園(現・くまもと芦北療育医療センター)を慰問に訪れていた。八代東高の先輩が同施設に勤務していた関係から交流が始まった。スポーツ用品やおもちゃなどプレゼントを大量に持ち込んだ。もちつき大会などで一緒に遊んだ。外に出られない重症患者には病室を訪ねて回った。当初は自身の給料も低く、カンパしてもらって、何とか続けたそうだ。

 「まだ無名の選手だったが、プロ野球選手だというだけで子どもたちは喜んでくれた。あの子たちが一番ほしいのは健康で丈夫な体だろう。自分はおかげさまで元気に野球ができていた。それが憧れの対象だったんだと思う。あの子どもたちを励ますことが自分の使命だと思ったし、逆に励みになっていた」。純粋な心で通じ合っていた。

 12月21日、伊丹市のスワンホールであった伊丹心身障害対策市民懇談会主催のクリスマス会「手をつなぐ市民のつどい」には、阪神から陽川尚将内野手、才木浩人投手が参加した。阪神とはもう30年以上、交流が続いている。

 きっかけは、いま統括スカウトを務める佐野仙好さん(66)だった。現役時代の1977(昭和52)年、飛球を追って川崎球場で左翼フェンスに激突、頭蓋骨陥没骨折の重傷を負った。リハビリ中、伊丹市の障害者の女性から励ましの手紙をもらって感動し、復帰後、交流が始まった。

 「最初はたくさん、クリスマスケーキを持って来てくれたんです」と当時を知る女性が教えてくれた。シーズン中、甲子園球場に招待する「佐野シート」も続けた。今は後輩の選手たちに引き継がれている。

 懇談会の幹部は「参加者の方々の表情をご覧ください」と話していた。じゃんけん大会、質問コーナー、サイン会……と交流した子どももおとなも本当の笑顔があった。

 22日には大阪・和泉市の大阪母子医療センターのクリスマスパーティーに北條史也選手が参加している。球団によると、才木も北條も「地元ですから、ぜひ参加したい」と自ら申し出てきたそうだ。北條は「引退するまで続けたい」との意向を示している。

 当欄で先に書いたように、阪神にはプロ野球選手の社会貢献・慈善活動の先駆けとなったOB、若林忠志氏の存在がある。球団では「若林忠志賞」を設けるなど、グラウンド外の活動を推進しており、揚塩健治球団社長が1、2年目の若手選手に「社会貢献活動をしよう」と呼びかけている。

 揚塩社長はこの講話の意味を語っている。「選手自身が人の道に反することがないよう、子どもたちや施設の子たちの顔を思い出して、踏みとどまってほしい。社会人教育の一環として社会貢献を勧めました」

 柏原さんの言う「励まし・励まされ」の姿勢にも通じている。「芦北学園の訪問を始めてから成績も伸びていった」というのも確かだ。

 戦後を代表する本塁打王、大下弘が「童心」の大切さを説き、村山実にサトウハチローは「わらべごころが豊富に残っている」と詩に書いた。プロ野球選手にとって、心の成長の元となっているのは純粋な子どもの心、サンタクロースを信じる心かもしれない。 

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 小学校の卒業文集『21世紀のぼくたち』で「2001年には野球記者をしている」と書いた。野球好きだが「プロ野球選手は無理」だからの次善策で、純粋さはともかく、夢がかなった現在に感謝している。1963年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高—慶大。85年4月入社。

12月25日      スポーツニッポン

 

愛媛大医学部、育児経験者の相談組織設立

2017年12月26日 01時06分47秒 | 障害者の自立

 発達障害児を育てた経験のある親が同じ境遇の保護者に寄り添う活動の運営組織「ペアレント・メンターえひめ」(代表理事・西嶋真理子愛媛大大学院教授)の設立総会が23日、東温市志津川の愛媛大医学部看護学科であり、養成講座やフォローアップ研修を含めた事業計画などを承認した。

 ペアレント・メンターは発達障害児を育て、相談支援などのトレーニングを受けた親が、サポートや情報提供などをする。愛大医学部子育て研究会では、2016年11月から学習会などを開いて保護者10人をメンターに登録し、17年3月には初めて県内4カ所でグループ相談会を開いた。

 「-メンターえひめ」では、メンターはサポートブック作成やグループ相談などの活動をする予定で、将来的には個別相談も想定。看護学科に事務所を置き、50~60人のメンター登録を目指すという。

 行政職員や保護者など約60人が集まった総会で、西嶋代表理事は設立経緯を説明し、「一人一人を大事にして信頼を得て、根付いていく活動にしたい」とあいさつした。旭川荘南愛媛病院・南愛媛療育センター(鬼北町)の森本武彦発達支援センター所長は講演で、「発達障害の子どもは学校のストレスを家庭で爆発させることもあり、家庭への支援は非常に大事」とメンターえひめへの期待を話した。

 

発達障害児の親をサポートする「ペアレント・メンターえひめ」の設立総会

2017年12月24日(日)(愛媛新聞)


発達障害の少年が大好きな歌で人を応援する

2017年12月26日 00時42分37秒 | 障害者の自立

10歳のカラム・コートニーはスモーキー・ロビンソンの歌をスーパーで歌い、来ていた人たちを驚かせました。

カラムは発達障害です。
歌を歌って、人を応援します。

カラムの歌は、音楽プロデューサーの目にもとまり、チャリティアルバムのためにスタジオで収録することも決まりました。

カラムの母親のトプニーはこう言います。

「息子は、自分が歌っている時の声を感じるのが大好きなんです。
息子は家の周りでいつも歌っています。

人前で歌うことも問題ではありません。
歌っている時に、人がいれば、息子はますます喜びます。

息子は動画を見るまで、自分の歌う姿がわかっていませんでした。
動画を見ると、これは本当にいいねと言っていました。」

カラムがスーパーで歌っている動画は、100万回以上Youtubeで視聴されています。

 発達障害の少年が大好きな歌で人を応援する

2017/12/25    たーとるうぃず (ブログ)


豊橋市、使用済みの紙を原料に再生紙を生産する小型製紙装置を導入

2017年12月26日 00時32分17秒 | 障害者の自立

豊橋市は、使用済みの紙を原料として再生紙を生産する小型製紙装置を導入、庁舎内で古紙の回収から再生紙の生産までを完結させる紙のリサイクルシステムを確立する。

導入日は12月25日。
9時30分より古紙の投入、再生紙の生産を開始する。
古紙投入後、約2時間後に再生紙が出来始めるという。

設置場所は豊橋市役所西館6階印刷室、生産能力はA4普通紙で1時間あたり約250枚、A4厚紙で1時間あたり約110枚。
導入機種はデュプロ精工株式会社(和歌山県紀の川市、池田弘樹社長)のRECOTiO(レコティオ)EV-i250。

また、一連の作業を庁内障害者ワークステーション「わくわく」スタッフが請け負うことで、障害者の雇用促進と活躍の場の拡大にもつなげるという。