ゴエモンのつぶやき

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鹿実から新たなW杯戦士

2018年10月15日 12時54分46秒 | 障害者の自立

 アンプティサッカー日本代表に初選出、GKでも武器は足技 奄美の東さん

 城彰二さんや遠藤保仁選手などサッカーのワールドカップ(W杯)日本代表選手を数多く輩出してきた鹿児島実高から、新たなW杯選手が誕生する。片脚や片腕が先天的にないか病気や事故で失った人たちがプレーする「アンプティサッカー」のW杯メキシコ大会(27日~11月4日)代表に、鹿児島県奄美市の東幸弘さん(36)が初選出された。強豪サッカー部では1軍昇格を果たせなかったが、地道に練習を重ねチャンスをつかんだ。

 東さんは生まれつき左肘から先がなく、手や足の指も短い障害がある。幼い頃は友達と同じ遊びができず引け目があったが、小学3年生になり鹿児島市内のサッカー少年団に入団。元アルゼンチン代表FWでW杯も制したディエゴ・マラドーナさんに憧れてドリブルを猛練習し、中学では県選抜に選ばれた。上達とともに引け目もなくなった。

 だが、推薦で入った鹿児島実高サッカー部は全国大会優勝経験もある名門で、1学年上には後に日本代表としてW杯南アフリカ大会に出場する松井大輔選手がいた。1年生も競争が激しく、2軍昇格がやっと。それでもサッカーへの情熱は尽きなかった。2年生でフットサルに転向したが、進学や就職後も社会人チームなどでプレーを続けた。

 アンプティサッカーとの出合いは3年前。テレビで競技を見た当時小学3年生の長女が教えてくれたのをきっかけに、九州在住・出身者のクラブ「FC九州バイラオール」に加入した。

 ルールでは片脚の選手がフィールドプレーヤー、片腕の選手がGKを務めるため、東さんはGKとなり初めてセービングに挑戦。当初は向かってくるボールに下半身から反応してしまい大量失点も経験したが、公園の壁にボールを蹴って跳ね返りを止める練習を何度も繰り返し、徐々に腕から反応できるようになった。

 ただ、東さんが代表に選ばれた大きな評価ポイントは磨いてきた足技だった。元Jリーガーで日本代表臨時コーチの矢島卓郎さん(34)は「アンプティで唯一、両脚でプレーできるGKのキープ力やパスは重要。東選手は足元の技術がしっかりしていて、代表の武器になる」と太鼓判を押す。

 同サッカーは1980年代に米国で誕生し、日本は2010年に導入。W杯には10、12、14年と3大会連続で出場した。24カ国が参加するメキシコ大会で、過去最高の4強入りを目指す。「試合に出てチームに貢献したい」。東さんは周囲も認める「足技の優れたGK」として大舞台での活躍を誓う。

試合形式の練習で低いボールに腕で反応してセーブする東幸弘さん(左から2人目)

=2018/10/14付 西日本新聞朝刊=


車いすの大統領が伝えたいこと 笑顔の力と障害者支援

2018年10月15日 11時04分14秒 | 障害者の自立

 「笑顔でいれば、いつか良いことが起こる」と語る国家元首がいる。エクアドルのレニン・モレノ大統領(65)。下半身不随で移動に車いすを使う「車いすの大統領」として知られる。銃撃され、両足の自由を失って絶望のふちにいたとき、「笑顔の力」に目覚めて政治家を志した。9月上旬の日本訪問に際し、朝日新聞の書面インタビューに応じ、障害者支援などについて語った。

 9月6日、都内のホテル。日本とエクアドルの外交関係樹立100周年を記念する式典で、大統領として初来日したモレノさんは車いすでスロープから登壇し、演説した。演説後は参加者からの握手攻めに笑顔で応じた。

強盗に襲われ、人生が暗転したその時

 モレノさんの人生が暗転したのは1998年のことだった。パン屋に買い物に行った帰り道で、2人組の強盗に襲われた。至近距離から背中を銃撃されて脊髄(せきずい)を損傷し、両足の自由を失った。モレノさんは当時を「手術の連続で悲劇のまっただ中にいた。毎日が苦しみだった」と振り返る。

 人生に絶望し、ふさぎ込むモレノさんを励まそうと、友人や家族が次々に見舞いに訪れた。ある日、会話が弾んで冗談で5分ほど笑い続けた。その時、ふと気がついた。笑っている間は痛みが消えていた。

ログイン前の続き 「笑うことには痛みを鎮める効果があり、それを広めることこそが、私の天命だと思った。神が私に道を与えてくださり、再び生きる喜びを手にすることができた」

 モレノさんは退院後、「笑いのセラピー療法」を提唱し、講演や執筆を始めた。その活動が2006年の大統領選の候補だったコレア氏の目に留まり、副大統領候補に指名された。コレア氏は大統領に当選。モレノさんは副大統領に就任した。

力入れた障害者支援

 モレノさんが副大統領として真っ先に力を入れたのは、障害者政策だ。エクアドルの障害者は貧しい人が多く、非人道的な扱いを受けていた。モレノさんは「障害者の権利向上が社会の発展には不可欠」と訴え、障害者の福祉拡充に取り組んだ。

 副大統領就任当時、エクアドルの障害者関連予算はわずか年200万ドル(当時のレートは1ドル=120円・約2億4千万円)。それを6年後には年1・5億ドル(同1ドル=100円・約150億円)まで増額させた。08年の憲法改正に際しては、「障害者に対する差別や非人道的な扱いは犯罪である」と明記することを主導した。

 その功績が認められ、副大統領退任後の13年には、国際社会で障害者支援の拡充を呼びかける国連事務総長の特使に就任。そして17年4月、エクアドル大統領選に勝利した。

 大統領としても、障害者の福祉拡充と権利向上への取り組みを続けている。書面インタビューでモレノさんはこう訴えた。

 「すべて人が団結し、障害者に対するあらゆる差別を今すぐ根絶しなければならない。障害の有無に関係なく、リーダーを生み出す社会にしたい」

エクアドルの首都キトで2008年2月、義足をつけた少年を見守るモレノさん。当時は副大統領

日本とエクアドルの外交関係樹立100年の記念式典に登壇したエクアドルのモレノ大統領

2018年10月14日      朝日新聞