2006-1114-yis014
秋に吹く人恋い風はどんな色?
だって心にしみるんですもの 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○秋の風。いったいどんな色なのでしょうね。辺りを染めるばかりか、私の心まで、沁みて染めるんですものね。「しむ」は、「沁む」「染む」の掛詞と考えるのが、この時代の常識である。「人恋い風」は私の造語。候補詠としては「秋に吹く風が心にしみるのよ いったいどんな色合いかしら?」も。 <『源氏物語』御法巻に引かれて著名な歌。>(新潮版) memo 参照。
□和014:あきふくは いかなるいろの かぜなれば
みにしむばかり ひとのこひしき
□悠014:あきにふく ひとこいかぜは どんないろ?
だってこころに しみるんですもの
【memo】源氏物語・巻40・御法(みのり)所引個所①渋谷版2-1-1「秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては、御心地もいささかさはやぐやうなれど、 なほともすれば、かことがまし。さるは、 身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けき折がちにて 過ぐしたまふ。」
②角川書店版・与謝野晶子訳「ようやく秋が来て京の中も涼しくなると、紫夫人の病気も少し快くなったようには見えるのであるが、どうかするとまたもとのような容体にかえるのであった。まだ身にしむほどの秋風が吹くのではないが、しめっぽく曇る心をばかり持って夫人は日を送った。」
2006-1114-yts252
山小屋の縁に見ゆるは紫に
思ひ懸けたる歌人の花 悠山人
○短歌写真、詠む。
○標高数百メートルの小屋の狭い庭の縁には、まだまだ紫式部の実が房になって、賑やかに広がっていた。「実」を、仮に「花」と詠う。
□やまごやの ふちにみゆるは むらさきに
おもひかけたる うたびとのはな
【写真】先日、沢歩きとは別の日に。
山小屋の縁に見ゆるは紫に
思ひ懸けたる歌人の花 悠山人
○短歌写真、詠む。
○標高数百メートルの小屋の狭い庭の縁には、まだまだ紫式部の実が房になって、賑やかに広がっていた。「実」を、仮に「花」と詠う。
□やまごやの ふちにみゆるは むらさきに
おもひかけたる うたびとのはな
【写真】先日、沢歩きとは別の日に。
2006-1114-yhs019
葉の落ちて
ゆるりと回る
水車かな 悠山人
○俳句写真、詠む。
○このごろは、探さなくては、こういう風景は見られなくなった。初句で秋となるかどうか。
□はのおちて ゆるりとまはる すいしゃかな
【写真】例の山葵田で。
葉の落ちて
ゆるりと回る
水車かな 悠山人
○俳句写真、詠む。
○このごろは、探さなくては、こういう風景は見られなくなった。初句で秋となるかどうか。
□はのおちて ゆるりとまはる すいしゃかな
【写真】例の山葵田で。
2006-1114-yim213
title : memorial of the dam
yyyy/mm : 2006/11
memo : 正面に「尊きみはしらに捧ぐ」と刻銘がある。以下、「黒部ダムオフィシャルサイト 9 慰霊碑」を転載。
「戦後の深刻な電力不足に挑んだ黒部ダム建設。最も急がれた工事が、大町トンネル(現在の関電トンネル)の開通でした。北アルプスの黒部川上流のこの地に資材運搬のために掘ることになり、厳冬中も休まず掘り続けられ、工事は順調に進んでいました。
ところが昭和32年5月、入り口から2,600mの地点で毎秒660リットルもの地下水と大量の土砂が吹き出しました。大破砕帯に遭遇したのです。掘り進められず工事は中断。一時は開通が絶望視されましたが、当時の最新技術と土木工学の英知を結集し、苦闘の末に7ヶ月の期間を要し、ついに破砕帯を突破したのです。その模様は小説や石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」に描かれ、現在に伝えられています。
ダム堰堤東側の一角には世紀の大工事と言われる黒部ダム建設の殉職者慰霊碑が建設され、犠牲となった殉職者171名の名前が刻まれています。」
【写真】きのう初めてこの公式サイトを訪問して驚いた。私の撮影とそっくり同じ構図だった。だから私の写真は、もちろん剽窃ではない。念のために記す。
title : memorial of the dam
yyyy/mm : 2006/11
memo : 正面に「尊きみはしらに捧ぐ」と刻銘がある。以下、「黒部ダムオフィシャルサイト 9 慰霊碑」を転載。
「戦後の深刻な電力不足に挑んだ黒部ダム建設。最も急がれた工事が、大町トンネル(現在の関電トンネル)の開通でした。北アルプスの黒部川上流のこの地に資材運搬のために掘ることになり、厳冬中も休まず掘り続けられ、工事は順調に進んでいました。
ところが昭和32年5月、入り口から2,600mの地点で毎秒660リットルもの地下水と大量の土砂が吹き出しました。大破砕帯に遭遇したのです。掘り進められず工事は中断。一時は開通が絶望視されましたが、当時の最新技術と土木工学の英知を結集し、苦闘の末に7ヶ月の期間を要し、ついに破砕帯を突破したのです。その模様は小説や石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」に描かれ、現在に伝えられています。
ダム堰堤東側の一角には世紀の大工事と言われる黒部ダム建設の殉職者慰霊碑が建設され、犠牲となった殉職者171名の名前が刻まれています。」
【写真】きのう初めてこの公式サイトを訪問して驚いた。私の撮影とそっくり同じ構図だった。だから私の写真は、もちろん剽窃ではない。念のために記す。