定例の朔日。神無月になって、神さま不在らしい。何やら暗雲たる気配と、厭な予感が募る。布団を干したが、天気怪しく仕舞う。洗濯物が乾かないのに、落胆しつつ、枇杷葉を見上げ、リエさんのに、15枝程が見えてほっとする。銀杏と胡桃を宅配に。
箱の隙間に、千振を少し入れたよ。これで1年間はあるかも。今朝も、枇杷葉茶で淹れたが、苦いのに口が下がる。いやいや、よく効きますな。次第に医者から遠のき、身体は適応していくばかり。実際、有難いことです。友人のお蔭でもあるが感謝に尽。
職場の上司が、茗荷鮨が好きで、何かと言うと美味しいと呟く。酢飯が好みの味らしく、堪らないとの殺し文句を言う。夕方からの勤務なので、作ろうと準備する。これで今年の茗荷は終わりだ。材料がなくては握れない。これからはお寿しの美味しい季節。
月曜日は、図書館が休みなので、返却には明日行こう。明日から、ブックカフェがあるのだが、珈琲もメーカーや、水にも依って、不味くて飲めない時がある。ため息が出るので、初めから持って行く。都会のブックカフェではどうなのか?行ったことがない。
昨夜は、満天の星空で、昴もオリオンも、シリウスも燦然と輝いていた。携帯で撮影したら、綺麗に写っていた。自宅から、宇宙が眺められる幸せを感謝し、もったいない気分になる。家には明かりがつき、賑やかなことだ。枇杷葉の香りに、身を委ねつつ。
僅かなことに感謝し、自分で満足しなければ、幸せには気づかない。天変地異も分からず、不運を嘆くだけでは始まらない。戒めや畏れのある、自然からの警告に耳を貸そう。不便さもまた愉しいものだ。便利と快適さだけでは、人間の暮らしは立ち居ず。
昨年の赤枇杷。長崎茂木だが、花芽が付いた割りには、雪や霜にやられて落ちた。今年も満開になってもどうかな。