枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

扉は開く

2010年09月30日 | Weblog
 人間は、死ぬために生きているのか。生きるために死んでいくのか?ふと、考えてみた。自分が死ぬ時の瞬間には、一体何を思うのだろう。肉体から、離れる一瞬は気持ちのいいものではない。眠り薬を嗅がされて、一気に奈落の底に落とされたような、或いは、ぐらりと振り回されて、何処ともなく飛ばされていくような感じである。詰まりは、とらえどころのない不気味さがある。依って何度もできるものではない。

 或る日、私は異空間にいた。自分の体が見え、一気に宇宙に翔けあがり、青い星を観ていた。突然暗くなって、観えるものは闇であり、私の実体は何処にも存在せず、拡張する様々な星を視覚だけで感じていた。闇、漆黒の闇だ。そこには全てがあり、全てが無だった。私の意識は、何時しか宇宙そのものであり、星が産まれては消えていった。と、小さな渦が巻き出していき、あっという間に回り始めた。私も回る。

 気づいたら、元の体に還っていた。布団の中に居たが、体は冷え切って冷たかった。氷のような冷たさだった。それなのに体の芯は、熱を帯びて燃えていた。まるで熾りのように。とても説明できない体験だった。今でも、自分が居た処がどこであったか、定かな記憶ではない。時々、宇宙を見上げながら、ふと懐かしい想いに囚われる。ああ、白龍がいた。あのやさしい眼差しは忘れられない。

 Aさんの手当てに寄る。3時に、お茶をしたが、サンタさんにもらった紅茶です。とてもおいしゅうございました。アールグレイのティーパックです。この香りがたまりません。極上の一時です。お菓子は雷のおへそ?あれ??何て言ったけ???親指大の、小さな半練菓子です。正式な名前を忘れました。Aさんは紅茶が好きなのだが、市内のデパートで買って来るのは茶葉の方です。って、いうか。ティーパックで、無農薬のはないそうです。(そこのデパート内には)それで、私が送ってもらって馳せ参じる。

 Aさんのご実家の姉上さまは、無農薬の紅茶が美味しくて、電話で注文して、販売元に送ってもらったとか。それを聴いて仰天しました。余程、気に入ってくださったらしい。紅茶にしても、珈琲も同じで、無農薬の物には、自然の香りがあります。ほんとうに何とも云えない風味です。茶葉も実に美味しいのですが、横着者故、ティーパックがいいのだそうで、とてもうれしそうでした。最近は、自宅のドクダミ茶を煎じておられるとか。

 お粥さんを食べていなかったのがわかって、何やらいい訳をしていたAさんだが、私のちょっと意地悪な言い方に、しょんぼりされていた。いえいえ、私の体ではありません。何日続くでしょうか?リンパ線マッサージをしていると、痛い!らしく顔をしかめる。電気が体中を翔けているようです。暫くすると、痛さは取れて、何も感じない。私の手は痛みを和らげ、電気を流して癒しているらしい。指を皮膚に当てているだけなのに、痛いけど、気持ちがいいのだそうだ。

 夕方から、研修会があって出かけた。皆さん、仕事が終わってからで、遅刻された方がいた。それでも、終了に近くなっては、講師の方に失礼です。況してや、内容がわからないでしょう。またわかっているというなら、遅刻して来なくていい。参加したというサインだけが必要であるなら、それは間違っている。と、思いながら駐車場まで歩いていたら、携帯片手にメールをしていた。え?若い子にあらず母親ですよ。遅刻する筈です。

 西の夕方の宇宙に、輝く金星。東方最大離隔ー4.6等星です。街路灯がこれだけ明るいのに、ここまで燦然と輝く。ヴィーナス・美の女神です。
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家事多し・・・

2010年09月29日 | Weblog
 休みであった。今日は、球根を植えたり、本が読みたかったので、何処にも出かけなかった。枇杷茶を変えたり、植え付けをしたりと、作業も間々ある。枇杷茶は、3パックほどを入れて煎じるのだが、1週間くらいで変えるようにしている。今回は、ぼんやりしていて、10日以上が経ってしまった。それでも、色が出ない訳ではないので、飲んでいた。香りがなくなったので終に変えた。

 この時期のは、ちょうど中途半端で、花芽の香りもなければ、葉の色合いもイマイチで、ちょっとがっかりした。庭の枇杷葉を覗いたら、硬い苞が形成されかけていて、中心が膨らんでいた。どんなに早くとも、来月の末にならないと、蕾にはなりません。辛抱強く待つしかないようです。陽射しが幾分和らいできた分、水遣りも控えています。天水で充分な加減です。秋口は、気をつけていないと、根腐れします。

 シクラメンの芽が覗いていました。これからは毎朝少しづつ、水遣りをしなければ。折鶴ランも、移植しました。多少は、陽が当たらないと、光合成ができませんから、根付くまでは出窓がいいかな?1株毎、鉢に植えていった。さてさてどれだけが育つかな。期待をし過ぎると枯れてしまうし、放っていても育たないこともある。植物と云えど、そこは生きているのだ。人間のようには喋らないけれど、通じることだってあるんだよ。

 水道代が半端でなく必要だった7・8月です。今月も少々要りますが、最低限の水量です。除湿機をかけますから、来月からは電気代が高くなります。暖房費は大して要りません。真冬になれば多少は要りますが、その殆どが湯たんぽですから。いやいや、重装備の格好になります。軽くて温かい物を着ます。冬の凛とした寒さは好きですが、だらだらと寒いのは苦手で、梅の香りが待ち遠しいですね。

 桜が咲いているようですね。昨今は、至る処で咲くのを知っているので、珍しくありませんが、その昔には、異変を疑ったり、気味悪がったようですね。今年のような天気でも、彼岸が来れば涼しくなって、暑さも何処かに雲隠れします。大騒ぎをした割には、急に冷え込んだ気温に慌てます。本当に、辛抱するという心がありません。川岸の土手に曼珠紗華が咲いていました。ごんの姿がちらつきました。

 今日は、午後からは雲ってしまい、折角の金星も、木星も観えません。日没後の宇宙に、金星は西の彼方に、木星は東の天頂に届くように光っています。マイナスがつくと明るさが増していくのですが、金星はー4.6等星で、木星はー2.9等星だそうです。大都会の中でも、一際明るく光っています。地球に住んでいることを感謝しつつ、宇宙を見上げています。自然を堪能できるのは、どれほどの幸せか、想うのですよ。

 我が家から、暮れ行く宇宙を撮りました。最近の携帯の便利さですね。充電を小まめにしなければなりませんが、感度は良好です。
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記憶の曖昧さ

2010年09月28日 | Weblog
 例えて言えば、何等かの目的でしようとすることがあった場合。もしそれが、悪事であれば、人間は可なり性格に記憶している。だからこそ、事が露見した途端に、白を切るのだ。やっていないとか、そんな心算はなかった。とか弁明する。悪気がなくて何故できる?故意にでなくて、犯人にはできない。私なら、そういったことを想定して、緻密な計画を練っておく。だからこそ、敢えて悪くならないように、設定をしておく。

 赤穂浪士が、吉良上野介邸に討ち入ったのは、12月14日未明。月の出はなく、折りしも雪の降りしきる中を選んだのには、其れなりの理由があった。これは旧暦でないとさっぱりわかりません。大石内蔵助は、藩内で『昼行灯』と陰口をたたかれていましたが、財政を預かって、切り盛りをする重要なポストにいました。主君の無念さを晴らす想いには、如何なる決断を考えていたことであろう。計画は入念に練り、決行は1度で成功させる。

 事が成就した暁には、逃げも隠れもしない正義があった。曖昧な記憶ではなく、証拠隠滅も図らない。忠臣蔵、と言われる所以です。47義士の一人が抜けて、実際は46人だそうですが、表門と裏門と、二手に分かれるには、この人数が最適です。多ければ、力を過信して、手抜きをしてしまう。少なければ気負いも生じて、蹈鞴を踏んでしまったかもしれない。加えて辺りは、月の出る前の闇で、味方の合言葉は『山・川』応えられなければ敵である。

 人間の記憶も、日々薄れていくが、そこは心が咎めていることでもあり、鮮明に覚えていよう。人間の頭を輪切りにして、機械にかけるMRIが、こういった犯罪に役立てられないものか?自分の眼で見たことは嘘はつけない。また、言葉も同じで、白々しいものである。そういったニュアンスや、トーンを聴いて、事実を記するのが、検事や弁護士であろう。本当に守らざるは、殺された者の無念さである。

 枇杷葉茶を飲んでいると、風邪を引き難くします。この季節は、気温が不安定であったりして、体調を崩し易くなるので、心しておきましょう。Aさんの体調不良は、お粥を食べていなかったためだ。私の体でないからいいが、その責任を自分で取らないので困る。言い訳をする。屁理屈も言われる。いくら枇杷葉茶を飲んでいても、効目がいま1つなのです。今日は、自分に都合よく解釈されていました。やる気がないのはしりません。

 電線に止まっていた、鳶です。猛禽類ですね。嘴が曲がっていて、鋭い眼をしています。
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わからなくなること。

2010年09月27日 | Weblog
 施設の殆どの方が、自分の症状は無論だが、時々、ふっと自分がわからなくなることがある。ところがそれが頻繁になると、余計に混乱してしまう。どうしていいかわからない。と心細げに言うのには、何はともあれ傍に居てあげること。話を聴いてあげること。それでも困惑しながら、「お爺さんが居らん。今、ここに居ったんじゃ。何処に行った?」と、おろおろしているのには、そっと手を握ってあげるしかない。

 自分がわからないだけであって、(私の顔を見て)知っているのではないか。とじっと見つめる。お爺さんは、自分よりは歳が上だということはわかる。自分の歳を尋ねてみれば、暫く考えて幾つか答える。あっちに居られるよ。と返事をすれば、生きては居らんな。と納得している。が、ものの1分も経たない中に、同じ事を聞いてくるのだ。ちょっと怯むが、初めから繰り返す話す。

 お粥さんを一緒に作ってくれたり、洗濯物をたたんだりはできる。洗い物も、こちらが手伝えばできるが、自分のやり方でないとできない。話の内容も、お爺さんが全てで、そこからが出発点。それ以上も、それ以外もない。息子のことは僅かしか理解できない。娘には尚更トンチンカンである。夜中、部屋に来ており、朝まで居ってくれるのだそう。朝、何処かへ出かけよんか?そうです、仕事に行かれよってじゃ。それでやっと納得。

 今年の桃は、品数薄だったらしい。清水白桃は絶品でした。黄桃は、缶詰があります。でも、生物は味が違う。自然の風味が鼻腔を擽り、口に入れると、頬が落ちそうなくらい美味しい。加えて、桃は長寿の果物で、西王母が果樹園を守り栽培している。桃の実が、というよりは種である。枇杷の種の核の中心にある、仁にはビタミンB17が含まれていて、その成分が長生きの秘訣になっているのだ。これが桃の種にもあり、李や杏にも含まれている。

 今年、送らせてもらった方には、大変に喜んでもらえました。ほんとうにこちらがびっくりするようなお礼を戴いて、仰天してしまいました。えへへ・・・うれしいです♥リエさんも、サンタさんも、がんこちゃんの作者さんも、どうもありがとうです。でも、桃の生産者でないのは残念です。この上は、枇杷葉をたくさん採って、枇杷の実も丹精込めて育てますね。今年は、寒さ除けをしてみようと思います。

 今朝、勤務先に向かうべく、車を降りて歩いていたら、親指大の、長さが15cmほどの毛虫をみてしまった。夕顔の蔓にさばっていた。うぎゃぁ~!!全身薄緑でした。これはマイマイかな?蛾の一種だと思うが・・・。揚羽蝶の幼虫は、柑橘類にいるので、直ぐにわかる。独特の臭いを出す。枯れ木で、わざと突いてみる。怒って触角を立てる。あ・いかん!遅刻するではないか。道端にはこおろぎがいる。芋堀の準備をしていた小父さん。猪が出るのだそう。ネットを張り巡らせていた。

 枇杷の花芽が、まだ硬い状態の時。この状態で何日か過ぎ、除々に綻んで咲いていく。その香りが、何ともいい匂いです。今年も、愉しみだよ。
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逃げないでいるには

2010年09月26日 | Weblog
 子どもの頃の私は、髪が天然だったため、ひどい癖毛の髪で、毎朝癇癪を起こしていた。祖母は、手拭をお釜に張った湯で濡らして髪に当ててくれた。櫛でそろそろと梳き、絡まっている髪を何度も解してくれた。雨の日には、見事なチリチリ頭だった。祖母の見事な黒髪に比べて、なんとみすぼらしかったことか。髪を洗うのも厭だった。濡れている時はいいのだが、乾くと散々である。鴉の羽のような綺麗な黒髪が羨ましかった。

 何時も髪をひっつめているのは、そういった理由がある。うっとおしいのも嫌いだ。前髪は眉にかからないのがいい。耳を覆うのも痒くてイライラする。まあ、他人がどんな髪型でもいいが、勤務エリア内では、長い髪は目障りである。同時に勤務中に髪を触るのも、次元の低さを感じる。安物の香水を振り撒いて、迷惑この上ない。勤務場所を間違っているのではないか?頭に疑問符がたくさん並ぶ。

 今でこそ、この髪に納得しているが、小学校の低学年では、親に文句を言うぐらいで、自分で方法が見つからない。腹立たしいばかりであった。今は違う。世の中には、いろんな境遇の人が居て、さまざまな障害を持っている人が、個性豊かに生きている。私の悩みなど小さなものだ。いつも自分の殻に閉じ籠っていれば解決できるのでもなかった。そうして、そのことに関しては、逃げ出さないでよかった。と思うよ。

 学校の勉強は嫌いだった。決まった答えだったから。可能性も、創造性の欠片もない答えがつまらなかった。それで算数、数学の類は苦手なのだ。中々好きにはなれない。本を見るというか、考えただけで目眩がする。時には、吐き気や腹痛も起きる。拒絶反応が半端でない。何故か心が寒々と白ける。でも、得意な人も居る訳だし、数字にいなくなられても困るので、妥協して折り合いをつける。

 12月に満開となった枇杷葉の花芽が、霜に遣られて枯れたもの。ところが、お茶にして飲めるのがわかった。風味は格段に落ちるが、色は同じくらい出るのだ。枝の枯れた花芽を集めてパックに詰めた。生の花芽は、パックに入れたままだと虫の被害に遭う。ところがこちらは乾燥しているので、なんということもなかった。
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秋の空には・・・

2010年09月25日 | Weblog
 なんという澄み切った空だろう。春の霞んだ空に比べて、くっきりとした青い色だ。そこに浮かぶ鰯雲も、海の中を泳いでいるよう。おっと、安全運転です。帰宅時の宇宙には、山裾にかかるように金星が輝く。日没がだんだん早くなるので、あっという間に沈んでしまった。写真に撮れたかな?木星が反対方向の東の宇宙に、一際鮮やかに光っている。夜空を見上げながら、路肩に車を停めているのは、自分だけらしい。

 一気に寒くなって、中途半端な格好になる。それでもまだ半袖か?いやいや、七分丈か長袖でもいい。カーディガンも要ります。暑いのは平気ですが、寒いのは苦手。それも、この季節のどっちにしようか、という決め兼ねる季節が厭です。寒さもキリッとしているのはいいですね。昴や、オリオンの季節に変わっていく。カシオペアが見事なWに観えています。アンドロメダ星雲も美しい。肉眼だと、なんだかぼうっと観えていますよ。

 彼岸花と言えば、新美南吉のごんぎつねを思い出します。田舎の方でも、滅多なことでは見かけませんが、私が子どもの頃には、尻尾の太いすらりとした姿のが、「ケーン」と啼いて、萩の向こうに消えたのを見たことがあります。狸は、庭にまで出て来ていましたが、狐は山と畑の際までしか、姿を見せませんでした。こんがり焼けたトーストのような毛色をしていて、どこか疑い深い目で、じっと見ていたのを覚えています。

 猫の狩りの獲物には、雀はむろんのこと。山鳩や雉もいて、留守をしていた理由はこれだと、得意顔で一散に帰宅するのでした。その獲物は、祖母の手に渡り、入り干しと交換されるのだった。炭火を熾した七輪に載せられて、香ばしい臭いに変わると、私のお腹に入っていった。焼き鳥とは、こういった類の物で、他の代物とは信じ難い。あれは、タレの味であって、本来の肉の味ではない。ちっともおいしくないのにがっかりした。

 豆腐も、揚げも、大豆の味がしない。何だか、とってもコンパクトな味がするんだ。よく言えば上品な、悪く言えば物足りない味です。庶民の暮らしに根付いた豆腐や、揚げであってほしいよ。薄っぺらで中味のないのは、最早、豆腐でも揚げでもないような気がして、店に行っても買う気が起こらない。こうなったら大豆を植えて、収穫して、豆腐を作るかな?って、道具から準備しなくちゃね。

 昔に食べた味や品物が、何処を探したって見つからない。極たまに、細々としていたりするが、跡継ぎがなくて、自分限りだと言われる。また、品数が多くはないので、売り物にはできない。とかで断念せざるを得ない。品種は改良されて、常に新しい物が出来てくるが、果たしてどっちがいいのだろうか?トマトなども、あの独特の臭いがいいのに、現代っ子は嫌がるのだそう。そりゃ、マトモじゃねぇ。あ・違った。トマトじゃないんだよ。

 肉も魚も、特別に食べなくてもいい。でも野菜は食べたい。これって、脱皮するための必需品じゃない?人間は、進化するのではなくて、段々と退化しているのかな?なんだか取り留めのない思考になってしまった。突然に、思考停止になったり。ネジが切れたか、狂ってきたか。両方だろうな・・・。銀河が、乳癌であったのが、枇杷葉エキスで、治ってきています。患部に枇杷葉エキスをスプレーして、私の手を当てているだけなんですが、甲斐があって治り始めました。

 私の手当てで治ることがわかったのは、Aさん家の愛猫の腰を触った時です。逃げるどころか近寄って来たり、触っても怒りませんでした。そうして今では、軽いびっこを引いてはいますが、殆どわかりません。銀河は、私の片手大の病巣でした。触っている内に、それが萎んできて、小指大になっています。これには自分でもびっくりしました。何分、猫ですから枇杷葉温圧療法ができません。じっとしていてくれません。そこで思いついたのが、枇杷葉エキスをつけることでした。

 銀河は、エキスに反応して、嫌がるし、滲みるので逃げ回りました。また、あちこちにエキスを塗りつけていくので、掃除を増やしてくれました。けれども、そのエキスを甞めてもいました。根気よく何度もスプレーし、患部にじっと手を当ててやりました。その甲斐あっての結果です。一時は、もの凄く熱を持って腫れ上がり、沫やとも思いましたが、その後に急に小さくなった。熱も引いて元気になり、家中を走っています。

 猫は、自分から薬は飲みませんし、治療に連れて行くのも一苦労です。閃いた思いつきですが、効果があったことに確信を持ちました。枇杷葉は、お茶にしても焼酎にしても、症状にあった処方なら、効果が高いということに自信も持ちました。枇杷葉茶を飲んでいれば、認知症にはなり難く、また脳の病気を防いでもくれます。健康を維持するためにも、枇杷葉を活用されることをお薦めします。Aさん家の愛猫は、飼い主に似て、とても賢いのです。

 ドクダミの中に植え込んでいた枇杷の実から、芽が出てきて3ヶ月。これを寒中に移植します。月の満ち欠けや、その他は、旧暦を参照されるのがいいです。
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カレンダー作り

2010年09月24日 | Weblog
 ちょっと早いが、恒例となった自作のカレンダー。写真のどれを組み合わせてしようか、検討している。何処かに配る訳ではないので、楽しい写真がいい。孫の運動会や、泣きべそ顔もいい。次第に大きくなっていく孫たちを見つつ、こんな日々の来しことを感謝する。ほんとうに大きくなったね。負んぶしてやったことが幻のよう。重くって負ぶえない。それを聴いてうれしそうに笑っている。わが子でない分、思いは一入ですが。

 パンジーと、カーネーションの苗がたくさん出た。球根は、何が何処にあるのかわからない。立て札をしていたんだが、何処に消えたのか。まあ、花が咲いたらわかるというもの。しかしなあぁ・・・フリージアはどうなったんだ?なんか、芋虫の食事になった気がするんですが。乙女椿は、実までつけて、木丈がぐんと伸びました。蕾を早々とつけています。自然のものは、自然のままにいることがいいのですね。観察は必要ですが。

 現代農業に、自然農法というのは、特徴や発育の状態をこまめにみて、肥料を与えたり、草を刈ったりすればいい。とあったが、日々、その状態を知らなければ分からないことが多い。此処まで来たら、水を入れようとか、こうなったら枝を剪定しようとか、その節目を知って対策を立ててやることが大事なんだね。自然に任せるんだけども、ポイントを外さないようにするのも大切なんだ。今号は、書店に注文しておこう。

 先月結婚した子が、お返しを娘に渡していた。結局それは、娘の婿が使うから。と持って帰ったが、こちらの寸志がわかっていない。今時の若い子に説教でもないが、小さい時から知っているだけに、心が軋んでしまった。親は、教えなかったのだろうか?わかっているようで、まだ幼いところがある。考えが至らないのだ。けれどもこれが、今時の子どもの典型なのだ。さして珍しいことではないか。ちょっと残念である。

 それにしても、今日のこの涼しさは、一気に気温が下がって寒い。そろそろ湯たんぽの用意かな。暑いのは我慢できますが、寒いのはいけません。この連休には、孫を預かる予定でした。研修が入って急遽断念しました。研修も、出なくてもいいようなものですが、自分の知らないことや、わからないことを、それなりに教えてもらえるのはありがたい。言われて参加ではなく、自主的な参加と、意欲がなかったらついていけません。

 仕事も大事。趣味や興味の範囲も大切です。自分で楽しめることは多いほどいい。でも最近は、自然に関する農法や、無農薬が多いです。他は、読書です。これは、自分で時間を使えるからいいのです。もう一つはブログの更新です。あまり無理をしないで、自然のままがいいですね。枇杷葉には、たくさんのことを学ばせてもらえ、気づくことがたくさんあります。人間としての成長を続けていたいものです。

 今夏、枯れてしまった。原因不明です。ここまで育っていると、愕然としました。
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神さまの計らい

2010年09月23日 | Weblog
 先日、リエさんに桃を送ったのが、発送者の手違いだったのはわかったが、代金が要らないと言われる。それは困る、大いに困るではないか。しかし、相手も自分達のミスだと譲らない。そこでサンタさんにメールを入れた。無農薬の紅茶を送ってもらえるようお願いしたら、二つ返事で快く承知してくださった。なんとサンタさんが送ってくださる。と言う。これまたびっくりしたよ。サンタさんは苦労性だわ。世界中の子供が待っている筈です。

 世の中は、広いと思っているが、意外にも狭いこともある。また、他人が困っていても知らぬ顔でいるような世の中だと思うのに、サンタさんのような方もおいでだ。うれしいなぁ感激する。リエさんも、自分たちだけで食べればいいものを、お裾分けをされる。差し上げた方の喜ぶ顔が見たいもの。と言うのだ。ああ、そうなんだわ。ほんとうに気のいい連中なんだ。世の中棄てたものじゃないね。遠方の友を想い、夜空の月を見上げた。満月である。

 今日は、午前中の雨といったら凄かった。その中を墓参りに行った。息子夫婦と行き、次回は掃除に来るよ。と約束して帰路に着いた。帰って暫くしたら、雨が止んだ。うそだろ?
夕方、Aさんの所に出かけ、水を分けてもらった。饅頭は、京都の老舗和菓子やさん。月見団子です。おいしい~!疲れが溜まっているのか気弱なAさんに、てあてを少々。リンパ線マッサージをしてあげました。痛い!と喚いているのが、次第に声が小さくなって、黙ってしまう。私の手の温もりが、何とも言えなく気持ちらしい。

 騒々しい声は慣れていますが、黙ってしまうのは問題です。眠てます。はい、鼾もかいてますですよ。実に気持ちがいいのだそうで、喋らないとそのままになっています。安心してくださっているのか、単に眠いだけなのか?わかりませんが、本当に気持ち良さそうです。時々、リンパ腺を刺激してあげます。飛び起きて怒ります。止めましょう。と言うと、我慢するから続けて。と云われます。私に、してあげようか。とにっこりされますが、断固お断りしています。

 枇杷葉の苗も、この雨でほっとしている。涼しさも増したので、当分は大丈夫でしょう。Aさん家からの帰路、金星の輝きに見惚れる。-4.6等星、ダイヤモンドなら、何カラットだろうか?価格も値段がつかないような・・・、まあ、私には縁のない代物です。自然の中に暮すことは、様々な工夫が必要だし、考えなければならないし、生かしていくことも大切なことだし。自分の頭で考え、自分の体を使って行なうこと。

 白枇杷。これは、南西方向にあった時の様子。今は、北東に移動させた。あまり育たないのは同じです。夏の陽射しに弱く、その殆どが斑点をつけてしまう。葉の大きさは、南西方向が大きかった。
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赤ん坊は、不可解な生き物

2010年09月22日 | Weblog
 新しい生命の誕生は、自然界では日常的に行なわれているが、人間界では、そうもいかないようだ。子どもが授かりたくて、お百度を踏むような気持ちの人たちも居るし、そうでない人間も居よう。だが、忘れてならないのは、自分も赤ん坊だった。育てられ方はどうであれ、大人になっているのは、この世に産んでくれた親が居るということ。どんな親も、最初から育て方を知っていた訳ではない。泣いていることしかできない、小さな生き物を曲がりなりにもわが子と認識して、可愛いと思えるのは、産後の精神状態にもよろう。

 お腹の中に居る時には、生まれたら。という期待や希望の数々があっただろう。しかし赤ん坊は気紛れだ。その小さな体の何処に、それほどまでのパワーがあるのか?と思うほど泣く。喧しい。と怒鳴ったり、叩いたりすれば、止む訳ではない。お乳を含ませても、おむつを替えても同じで、何としても泣き止まないことがある。赤ん坊は、ひたすら泣くという手段しか使えない。でも、子どもを育ててきたり、その鳴き声のトーンで、訴えていることがわかるのは、歳の功かもしれない。

 こんなふかふかの布団は厭だ。だっこしてよ。お腹の中に居たように話しかけてよ。着ている物が合わないの。洗剤を変えて、風呂の残り湯で洗って。こわいよ~。一緒にねんねして。この臭いは嫌いなの。人工的な臭いでなく、風の匂いを嗅ぎたいの。空気が澱んでいるのはいや。鳴き声での調子や、変化を見てやれば当然のようにわかることがある。自分の生活のパターンを、そのまま赤ん坊に馴染ませようとしても、最早人間として成長しようとしているのだ。泣くのは止まない。

 快適な生活の、しかも便利な物に囲まれた現状では、赤ん坊の言い分には気づかない。間違いか正しいかは分からないが、年寄りのいうことにも、耳を傾けてほしい。特別にも格別にも、神経質にならないで、おかあさんが産まれてくれたことに感謝することだと思う。即ちそれは、自分を産んでくれた親への感謝に値する。産後1ヶ月は床に居て、授乳することだけを行い、食べることはむろんのこと、生活の基本に戻ることは無理なのだ。でも、事情もあることだから止む無くであれば、枇杷葉茶をお薦めしたい。

 枇杷葉茶には、精神の昂ぶりを押さえて落ち着かせ、気持ちを和らげる働きがある。またお乳の出もよくする。けれども、何がストレスになるかは、本人にしかわからない。或いは本人にもわからなくて、どうしていいのかお手上げなのかもしれない。赤ん坊は、産まれた途端に手を取る。のではない。自分でできないのだ。手もあれば、足もあるが、まだ自分ではできない。況してや言葉を喋れない。それは赤ん坊だからだ。大人ではないからだ。

 私にも、そういった想いで、大きくなった娘が居るが、今思うと、その時にはわからなかったことが、最近はわかる。まあ、なにしろ頼れるのは親である私だけ。未熟であろうがなかろうが、娘にとっては私だけだったのだ。当時には、泣きたいのはこっちだ。と思っていた。幸いにお乳は充分過ぎるほど出た。片時も傍を離れられない。しかたなくいつも負ぶっていた。抱っこでは何もできない。取り敢えずは安心できた。娘は、背中で眠るばかり。

 娘の首が据わってなかった時には、座布団に包んで紐をかけ、おいこで負ぶっていた。それで猫背になったのか?農家であったから、何処に行くのも一緒だった。家に置いてなど、気になって仕事どころでない。そういった生活であったから、多少の悩みは自然が解決してくれた。今は、一歩家に入れば、そこから出なくてもいい。同時に、何処に居ても危険があり、心が休まらない。子どもを産み、育てることは、大変なエネルギーを必要とするし、消耗もする。

 赤ん坊は気紛れで、不可解な生き物だと思えばいい。無理をしない程度に、していけばいい。育児書やパソコンだけの情報でなく、近所の年寄りに聴いてみよう。人間としての基礎さえ間違えないなら、赤ん坊は育つ。自然が育んでくれる。親の思う通りの子供には、決して育ってはいかないものだ。また、育っていくほうが怖いよ。何よりも自分がそうあれば、子どもは路を違えない。赤ん坊と言えど、生きているのだ。言葉が喋れないだけで、ちゃんと話しているよ。

 今年は、ヘレン・ケラーが生まれて、130年だそうですね。彼女は、盲ろうあでありながら、その弛まぬ努力に依って学び、人間はみな等しく平等であると訴えました。地球には様々な肌の色や、ハンディを持っている人がいます。けれども、自分では何もできない。と泣いてばかりではありません。和波孝禧さんは、そのヘレン・ケラーさんにお会いされたそうですが、数年前、私はコンサートに行けて、長年の夢が叶いました。和波さんの、ヴァイオリンの音色に心打たれました。まさに努力の結晶です。

 ガラス容器に入れた、枇杷葉茶です。花芽茶や種茶は、これよりは少し色が薄いです。味や匂いはありません。飲み続けていると、体臭が消えます。肌が艶やかになります。美白効果もあります。ニキビや吹き出物にも効きます。難点は、色がつくと落ちません。
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自然に任す

2010年09月21日 | Weblog
 今夏、枇杷葉の苗が枯れた原因には、猛暑や酷暑が要因になったこともあるだろうが、あまり手をかけ過ぎたきらいも否めないようだ。寒肥をするのは、3年以上経ってが望ましく思う。できれば手を加えないで、放っていおくのが最も佳い。自然の物は、そのままでいるのが育ちやすい。野の花は手折るべきではない。枇杷葉によかれと思っていたのが、全くの反対で、成るに任せていた方が、自分で何とかしたのであろう。

 地球にとっての環境も、絶滅していく物もあれば、新種で生まれてくる物もあっていい。そうやって長い年月の中で、いろんな歴史を繰り返して、地球を変えていくのだ。絶滅を危惧する。って、それは人間の都合。滅んでいく物があるから、新しい生命が誕生するのだ。却って喜ばしいことである。この先には、人類も異変が起きて、新人類が地上に現れるかもしれない。形や、姿だけでなく、今の私たちには想像すらつかない生き物が。

 球根を植えねばならない。春にさくイメージを考えて植えるのも楽しい。我が家の場合は枇杷葉が中心だから、その周りに配置をする。クリスマスローズも主役的なものなので、見栄えがいいように置くのも悩む処。チューリップとヒヤシンス、パンジーやカーネーションも、出番を考えてやらねば。水仙は百日紅の鉢にあるのは咲くが、その他のは芽が出るだけで咲かない。何でかなぁ?芋虫の住居になっているかな?それともナメクジか?!

 乙女椿が蕾をつけ始めた。今年は30ばかり咲いた。今冬には、木香バラを剪定したり、月桂樹や蔦も切っておこう。伸び放題になってしまった。薔薇も剪定しよう。ドクダミが広がっているのも、ちょっと問題です。寒中の物はいいので、お茶にするつもりです。かといって蔓延らせると、始末に終えません。何事も程々がいいようです。神輿草もあちこちに飛んで花を咲かせています。これも驚くほど増えます。

 彼岸と云えば、道端に咲く赤い花を浮かべますが、今年は未だ見かけていません。最近は頓に季節感がないですが、この時期に、彼岸花が咲かないというのも、異常な気がします。人の心の移ろいも、常識の枠が外れていて愕然とします。勤務先の床が、リニューアルしていて、傷つけたり汚したりはしないよう、注意をされているのに、下履きで堂々と上がってくる神経がわかりません。軟らかい履物なら未だしも、ヒールの高い履物や、踵の音が突き刺さるようなのは、滑って危険ですし、上履きに履き替えるべきでしょう。

 どんなに資格がたくさんあっても、人間としての心構えが違っていたら、問題外ですね。平たく早く言えば、家庭での躾ができていません。二十歳を越えるまでに親がしておくことで、これ以上は自分で気づいてしていかないと、誰も教えてはくれません。区別と差別は違います。姿、形は持って生まれたものですが、心根は努力次第では変えれます。でも、そういった努力を惜しむ人が多いですね。善行は隠れて行なえ。と言われますが、公の場所では自分を出さないことです。仕事とプライベートは切り離しましょう。

 枇杷苗。やっと1年が過ぎたのに、今夏に突然、見る間に枯れた。30cmほどになっていたが、水を遣っても、場所を変えてもだめだった。4本ばかりやられました。
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