枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

さても月日は・・・

2019年01月31日 | Weblog

 何となく気忙しさが残る昨今です。時間の経つのが、とても早く感じられて、動作が鈍くなった分、気づけば一日が終わる。如何なぁ、と思うのだが、慌てていて転倒してもと更にゆっくりとなる。職場に出向いて、その有り様になっている方がいて、びっくりする。夜勤者は1人なので、あっという間だ。

 元々、足元の悪い方なのだが、押し車でもなく、疾風の如く走るが、可なり傾いての格好に危ぶんでいる。認知症状もあるので、自分のことが判っておらずで、気の毒には違いないが、矢張り歳を重ねてきていることに自覚がない。でも、かと言って、縛り付けて置く訳にもいかないのだ。重労働でもある。

 人間の習性と言うか、今までの培ってきた中で、朝が来れば田畑に行き、夕方には戻って来るという生活では、体内時計が作用するから、じっとしているのが苦痛になるのだ。無論、ご飯を戴かねばならず、三度の食事の用意や、子どもの世話、姑等のことなどが手に余る。施設でゆっくりは無理なのだ。

 自分が歳を重ねて、認知症状になった時に、どうするのだろう?とも思うが、本人には分からないので有難い。でも、確実にしていたことや、出来ていたことは覚えているので、違った環境に置かれると混乱を招く。自宅でも出来なくなったことが、新規で遣って来た場所で分かる筈もない。面会もなく。

 人間としての尊厳にも、様々な形があるが、子が親を思うよりも、親の子を案じる気持ちは深い。そうしてまた、小さな時へと還っていくのだ。学校に行っている、明日は運動会、遠足等の想いに親は急き立てられる。こちらは現実が解るから、とんでもなく不思議に思える。確かに、自分に都合が好い。

 実に様々な方々が、施設に入って来て出て行かれるが、症状の差はあれども、愛情の薄さに愕然とするばかり。自分があるのは、親のお陰でしょう?産まれてきたことを感謝する、心にはなれませんか。物を買って与えるだけでは、躾はできません。他人への迷惑を説くと教え、命の貴さを悟らせてほしい。

 我慢したり、譲ったり、お互いが協力することで、人間として成長するのです。欲しい物は、金に任せて買い与えていては、自分を制御することも、何かを遣る気力も起こりません。今時の子どもではなく、大人が遣っている。機械が何もかも遣ってくれて便利かも知れませんが、何かが失われていくのだ。

 澄ましているすばる。最近は、携帯やデジカメにちゃんと顔を向けてくるが、アップには弱い。

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一仕事・・・

2019年01月30日 | Weblog

 枇杷葉の高くなっているのを、剪定して、花芽と生葉を採る。鋏で切って段ボール箱に詰めていたら、気づけば腹が減った。何と言うことか、既に3時ではないか。慌てて雑煮をして食べる。やれやれである。本日は、巻き寿しの準備もあるので、生姜を摺下ろし、炊きあがっていたご飯に混ぜる。

 節分が近づいていることでもあり、そろそろ手順をしておくのも、と巻くことにしたが、干瓢を戻しておくのを忘れる。材料は、その時の物で巻くのでいいが、色どりも考えておかねばならない。市販品のような派手さはないが、酢飯が美味しいのと、手作りで我慢して貰う。アレルギー反応なし。

 今回は木村式の遣り方での米で、炊きあがった粒に輝きがある。価格の方はべらぼうに高い。流石に江戸時代では買えまい。と言っても、その頃には全てが無農薬で、栴檀の樹の在る所では、更に収穫があったようだ。この樹は、農薬の代わりをして、雨が降れば注いでいたものだ。自然からの恩恵。

 すばるは、枇杷葉茶をせっせと作る傍らで、小さな葉を見つけてじゃれており、実に動き回る。花芽は、特にお気に入りで、手で掬っては、匂いを嗅いでかじっている。自分の飲んでいる、お茶の味だと知っており賢い。春の近いせいもあってか、温かく風も無い天気に、出窓に上がって外を眺める。

 やっとのことで枇杷葉を切り、花芽をお茶パックに詰める。白枇杷も思いの外あって、冷凍庫に日付を記して仕舞う。こうしておかないと、新旧が不明で、効果も少なくなる。花芽茶は市販品でないので、保存が大事で、うっかり放っておくと虫が入るのだ。何だかんだと三連休を過ごしたが疲れたな。

 備えあれば憂いなし、の例えのように、時間を有効にしてこそだが、根を詰めるので疲労が溜まる。生葉も寒中の時が好いので、7ℓばかり焼酎に漬けておいた。個人の性格や、必要性にも依るのだろうが、どうして自分でしないのか?とても不思議な想いがする。手間暇懸けてこそ、効果も違うと思う。

 くれるのを待っている、とは呆れ返るが、そういう人には高額の値段を言う。前回には上げたが、昨年から今年にかけて、風邪引かずをどう思っているのか?感謝の気持ちの無い者には、ご遠慮したい。世の中には、貧乏で節約と倹約を重ね、我慢を強いられている者が少なくない。贅沢には限がない。

 昨年にも花芽を付けたが、結実はしなかった。今回には、花の咲いたところで採った。

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春節に向けて

2019年01月29日 | Weblog

 旧暦でのお正月が近く、お隣の国では祭り気分か?と思いきや、何と、海外へと娯楽に出掛けるらしい。まあ景気がいいのは、日本で経験済みであるから判る。それにしても暮らし向きの変化も、一気に貧困差をはじき出した。戦争に因って、文化も教育も、況してや心までも激変した。

 然し、憲法で謳われているように、戦争へと向かわない世の中を持続したい。改憲等以ての外だ。女性には辛く惨めな想いしか残らない。殺すために産んでいた、あの時代に逆戻りをさせてはならない。祖母の哀しみを知ってからは、一時の迷いでは堪えられない。原発にも同じ想いが。

 人間・人類の虚栄でしかない。それも私利私欲の塊で、核爆弾やミサイルを、機械を操って行う。命など何とも考えずで、況してや小さな生き物に等、どこ吹く風であろうか。でも、そういった微生物の集まりが、人間を支え、育って行って口に入る。ゼロからでは人類は何も作れない。

 枇杷葉茶を作るのに、3連休にしているが、同僚との食事を予定していて、鮨を食べに行った。酢飯の大きさは、我が家の3分の1である。ねたが酢飯を覆っている。見た目はいいのだが、どうにも腹一杯という気分が薄い。よくよく考えてみたら、手間暇で作り、持参で元は取れない。

 リエさんの所に行った時、鮨屋に入ったことがあるが、ネタも良かったし、量も可なりで旨かった。よし、もっと修業をしよう。でも時々は、誰かが作ってくれないものか、とも思うわね。まあ、お調子者なので煽てに弱く、ついその気になって作る。ピザは窯がないので作れませんよ。

 人生100年も要りません。80歳くらいが丁度好い。そうしてみると、十数年で終わる。それなりに悲喜こもごもの年輪が出来、頃合いを見計らって逝くのもいい。四季の衣類と、書籍があれば好いので、そこからの生き方は、自分のためでいいかもしれない。もうちょっとだけ遣ろう。

 病を避け、年齢を潔く生きていければ、それだけで有り難いこと。何が必要かは、天に任せておけばいい。雨が降れば読書に、天気であれば庭を探索して。他人の迷惑にならぬように、欲しがらず、充てにせずでいこう。身体があれば、可能なことは多くある。何事にも祈りと感謝の心。

 百日紅。夏の間中を咲き、晩秋までも彩どりを失わない。我が家には、白と薄紫、紫がある。

 

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師走、下弦・小潮

2019年01月28日 | Weblog

 寒中も余すところ七日ばかりとなり、枇杷苗の移植も済ませたいと、鉢を動かそうとしてみたが、根が張り過ぎていて割れただけであった。余り小さいのに植えておくのも考え物だ。本来は、地植えがいいのだが、ちょいと移したままにして、放っておくからで気をつけよう。

 今朝は、雪の残骸もない代わりに、空はどんより曇っており、今にもちらつくありさまだ。この時期の休日は、枇杷葉茶を作っておくのに最適で、空気が乾燥していて、虫も見当らない。葉裏に蜘蛛が巣食っているのはあるが、虫の殆どが動かない。春を心待ちにしているのだ。

 そうしてみると、人間は贅沢なものだと思う。自然からの恩恵を、何等感謝しないで口にしている。金さえ払えばとし放題である。海も空も、人間だけのものではないことを、心したいものだ。自然を破壊しながら、その恵みを取り尽くす。愚かなる人類を、神は試しているのか。

 沖縄の辺野古反対の方々の、個人情報を勝手に作成し、如何せん政府に手渡しているのは、弁明を聞くまでもなく事実だろう。かも知れない等呆れ返る。政府は、だからこそ埋め立ててしまいたいのだ。恥も外聞もなく、抹殺したいだけのこと。国民の気持ちに寄り添う等嘘だ。

 況してや、沖縄の人だけの問題でもなく、無関係なことでもない。庶民の一人として、地球のかけがえのない財産を、人類の自由にしてはならない。アメリカの物でもなく、政府の物でもないからだ。地球という青い星に棲む、万物の惑星なのだ。海を埋め立てないで。慟哭す。

 日本の四季には、それなりに行事があるが、節分には、季節の区切りと言う意味があるそうだ。翌日は、二十四節気の立春。ここから始まる節気にも、書かれている言葉なりの謂れがあるのだ。暦に含まれる雑季にも、旧暦でははっきりと表れている。人間の身体にも影響するが。

 新聞の読者欄に、女の子にも冬にはズボンをとあったが、寒がりの者には分かる。スカートを穿いて寒くない方法は、腰に懐炉を貼り付けること。昔はなかったけど今はあります。縦しんば、枇杷湯にするか、足湯で温め、塩で擦ることでしょう。面倒くさい等では解決しません。

 自分から遣ってみて、効果がなければ仕方がないが、誰かに依存してだけでは埒があきません。自分で気づくことが、加えて実行するのが好いのです。小さな子どもではあるまいし、自分で可能なことはやりましょう。努力してこそ、効力も発揮され、自然治癒力を援けるのです。

 パソコンで検索すれば、大量のデータが出て来るでしょう。先ずは、枇杷葉茶を手に入れることです。塩は安い漬物塩で充分。肌はつるつるして、足元は温かです。寒いのは食べ物にも依りますが、腰から下を極力冷やさない。冬には冬の格好をして、暖房器具に頼らないことも。

 晩秋の澄んだ青空の広がる庭に、枇杷葉の葉が繁っている。苞も付き始めており、綻んでくる。

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雪の花が・・・

2019年01月27日 | Weblog

 枯れ木残さず花が咲く。の如し、真っ白になってしまった道路脇の樹木や、山の斜面である。何時もながら、自宅から主幹道路に出るまでが難儀で、そこまで行けば、アスファルトの上には何も無い。勤務先に安全運転で向かうが、車の数は少ない。日曜日の早朝では無理もない。施設に入れば南国。

 潮の関係もあって、小潮で助かる。大潮の満月であれば、積雪量が増えていたろう、と安堵する。雨も然りで、潮がもたらすものは、引力にも無関係でなく、月の満ち欠けにも重要な関りがある。地震や津波の際にも、そういった知識が役立つことも。暦の見方を知らなくても、持っておくと便利よ。

 明日から、枇杷葉の茶葉作りをしておこう。職場の者が待っているのよ、と言うが、その分の葉や、手間暇を何とも思っていないようで、無料では困ると話しておく。実姉の嫁ぎ先にはあるようで、自分で作ればいいのだ。わたくしにも都合があり、分ける理由もない。家族がインフルに罹らなかった。

 インフルエンザ蔓延になると、出勤停止になるが、菌は保持しているので、直ぐには出て来られない。従って、昨年10間程休んだ。人数が少ない上に、業務は目白押しで、回復をひたすら待った。今年は、枇杷葉茶を飲用し始めてから、元気になって休まないのである。医者に払う金を貰いたいものだ。

 命を援けている訳だから、当然と言えば当たり前のことだが、料金を払うのは、感謝の気持ちがあれば、差し出すものだろう。ネットで買えばいいのを、こちらに頼むのであれば、同額の金額で応じたい。我が家の枇杷葉には、とても不思議な力が宿っている。それが分かればいいのに、と嘆かわしいが。

 枇杷葉を屋敷中に植えているが、祈りと感謝がなければ育たない。隔年での実の生りにもあるが、比較的につきがいいのも有り難い。味は、市販品に決して劣らないが小さい。摘果をしないので、実の大きさが揃わない。商売物ではないので、こちらの思う方に贈っている。木には、相手の名をつけている。

 職場の感染予防対策に、消毒液を貰ったが、手は荒れるわ、血が噴き出すわの代物で、クリームを塗ってやっている。いえ、わたくしは使いません。洗剤だって、専用のを持参しているのだ。感染対策って、枇杷葉でしているから、何等心配することはない。一昨年には、指先から血が出て衣類にまで付いた。

 昨日、握り鮨を作って行ったが、あの分量をぺろりっと食べたらしい。失敗作であったのだが、文句も言わず、お礼を言われた。米は朝日米ですね。これも上米なのだが、木村式の無農薬の米はもっと旨い。価格も莫迦にならない。土地さえあれば作るんだが・・・否、バケツでも可能なのよね。試みよう。

 人間、挑戦してみれば、不可能は何もない。何も、月や火星くんだりまで行くのではないから。それにしても、不必要な物が多いな。自分に何かあった時には、この書籍をどうするか。職場の者も貰ってくれるようだが、半端でない量です。子どもや孫等も大きくなって、読むこともなくなった。惜しいけども。

 南の宇宙には、そろそろオリオン座が上がって来る季節。その下に、猟犬の大犬と子犬座も。

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吹雪となる

2019年01月26日 | Weblog

 空が一気に掻き曇ったかと思う内、一瞬にして猛吹雪となった。降っては止むが、これは積るかもしれない。ひょえ・・・明日は早出なんですぅ、今晩は泊まりか。握りをする予定も崩れて、稲荷にしよう。然し、水だけは貰いに行かねば。日中なので、凍結はしないまでも、安全運転に越したことはない。

 昨日、枇杷葉の剪定をしていたのは正解だった。伐っておけば、葉を切るだけなので室内で出来る。それにしても、やっと寒中らしくなって、雪女もよろこんでいるか。旧暦のお正月には、雪の降ることが多いが、西高東低の季節感が薄いだけに、冬景色も悪くない。日本の四季に想いを通じる。椿が咲いた。

 15日から始まった八せんも、本日で終わる。土用と同じで、四季にあるが、昔からの行事には、何かと意味があったもので、歴史を調べるのも愉しい。平成も僅かになってきて、天皇陛下の御歳を想えば、当たり前のことながら、退位されるのに淋しさが過るが、体力的なことを慮れば、それもまた然りで。

 国民の幸せを念頭に、平和の持続と、謂れの無い差別に、想いをかけてくださった天皇陛下には感慨深い。不言実行も、並々ならぬ心がなければ出来る物でもないだろう。薄八百を並べて、未だに恥の上塗りを止めずに、ふんぞり返っている大臣とは、明らかに想いでの差が歴然としている。不言実行極まる。

 Aさんちまで、走行していたが、家から出るに従って、次第に雪は降っておらずである。道路は濡れているが、積っている風はない。水を分けて貰っての帰り、図書館までの数十分で、またもや吹雪となる。距離にして13㎞だが、南下するのと北に向かうのでこれだけ違う。雪は降るぅ・・・車は立ち往生。

 帰宅して、ご飯が炊けるのを待って、酢飯にしておく。握りの場合には、ご飯が軟らかいと握れないので、多少の時間が必要とされる。買い物は、遭難してもと断念して、冷蔵庫にある物で作ることにした。作って持って行って、金を貰わないのだ。贅沢を言わない上司と、同僚で助かる。酢飯が美味しいと。

 すばるは、雪が珍しいので、外に出せと飛び跳ねるが、猫は寒いのは苦手なのよ、手が霜焼になっても、手袋はありませんよ。叱られて拗ねてしまう。漸く諦めたのか毛布に包まってしまった。やんちゃれ坊主に困る。犬なら喜んで外に出すが、手が冷たくて啼くのが視える。去年は、大人しくしていたのに。

 左の足の横をくじいて、腫れているのに、焼酎漬けの枇杷葉を当てて眠った。未だ痛みは残っているが、腫れは引いた。世間は、インフルエンザ蔓延で、出勤停止もあるようだ。わたくしはどこ吹く風邪といった風情で、枇杷葉茶を飲用していれば、体調も整うので一石三鳥であるである。紙魚も雀斑も消える。

 机のパソコンの上。ディズニー、ふなっしー、DVDの類が並んでいる。タイガースを観ているの。

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足湯に・・・

2019年01月25日 | Weblog

 前回、足湯で好かったのか、それとも手当てがいいのか、訪問者がやって来た。昼食を出して珈琲を挽いて淹れ、ナルニア国物語を観ながら、手当てを行う。ストーブの上で枇杷湯を沸かし、両足を塩で擦る。仕上げには枇杷葉ローションを塗る。お八つ持参で来る処は、常識がある娘さん。

 本日の予定は、枇杷葉の剪定と、寒肥入れである。DVDを観ている間に済ませ、室内に入る。枇杷葉茶も、それなりに作っておかねば、いざという時に困る。備えあれば憂いなしを実行。今年の結実ははっきりとはしないが、花芽のない枝を見ながら伐る。花芽茶もたくさんできて満足する。

 ローションも作っておかねばならず、白枇杷の花芽を残しておく。なんだかんだと用事が多いが、誰も当てにはできない。却って頼めば更なる混乱を招いてしまう。こつこつと気長に遣っていくしかない。時間は、24時間あるのだから、一つづつでいいのだ。この歳になっては焦るまいと思う。

 自律神経失調症の症状が、枇杷葉茶を飲むことに由って改善されるが、医学的な見解ではないので、本人の気持ち次第だ。それでも、飲まないよりはいいのではないかと、奨めるには、神経を和らげて、気持ちを落ち着かせ、暗澹たる悲観に陥らせない。わたくしもそうであったから判るのだ。

 精神的に追い詰められて、悪夢にうなされ、汗びっしょりになってしまう。金縛りは無論のこと、誰もが自分を責めていると思い、生きているのも厭に、絶望しかなかった。相談する気にもならず、一人で抱えて背中を向けていた。唯一、書籍が支えであったが、枇杷葉に援けられたのも事実。

 人間として、生きている価値を問われると、金もなく地位もないが、自然を敬い信じていれば、そのこと事態が素晴らしい。わたくしは私であり、他の誰でもない自分です。自然に身を任せていると、判って来ることも多い。それでいいのだと、自分に言い聴かせて、そこからぶれないことかな。

 友人は、枇杷葉のお陰が分からないのか、感謝の気持ちが薄い。それでは症状は改善されないのだが、それもまた仕方がないことで、自分で気づかねば治らない。何をしても、お金を掛けても、根本の心には届かないものだ。枇杷葉に祈り、感謝することで自然治癒力も働く。信じる気持ちも有。

 植え替えてみたものの、鉢植えなのがまずかったのか、育ちが一向に進まない。枯れないで。

 

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寒中の花

2019年01月24日 | Weblog

 余禄に、厳寒の花として、梅類、椿が上がっていたが、常緑樹でありながら、芳香を放つ枇杷葉を、書いていないのにがっかりした。寒中に健気に咲いている様を、知らないのだろうか?旧暦では無論ことだが、寒中の作業に必須であり、自然への畏怖を感じて、感謝と祈りをしている。冬の花でもある。

 枇杷葉は、薔薇科に属するので、匂いは馥郁としており、最近の薔薇よりも香りがするのだ。我が家の花木は、そのお陰でか、何れも佳い匂いがしている。同時に、心構えなのかも知れない。自然からの恩恵に、常に感謝と祈りを忘れないでいると、教えて貰えることが多い。気づかせて貰える有難さ。

 今朝は、起きようとするのに気力が萎えて、何だか夢うつつであった。結局、午後からの出勤にしてもらう。介護の業務は、全体の状況を、由り正確に対処していかねば、支障の出ることがあるので、行事の予定や、動きを察知することも大切だ。そういったことに、一人では不可能な事態が多くある。

 そのためにも、勤務者同士の連携が必要となる。自分勝手な動きでは、出来ないことも儘ある。相手の遣ろうとしていることを瞬時に判断し、自分はどうすればいいかをしないと、収拾がつかない。誰かがするんだから、ここに座っていればいい、では困惑する。疲労度もピークに達する。しんどいの。

 職員として未だ期間が浅いのは分かるが、自分から慣れようとせず、無茶苦茶を繰り返す。あちこち行って来た割には、自分の立場が分かっていない。同情を乞う発言ばかりでは、誰も相手にはしなくなるよ。自分をしっかりと見つめなきゃ。忠告してくれることを直す気持ちで。当たり前が分からない。

 人間誰しも、各々事情を抱えていて、我慢することも、辛い事にも耐えている。自分だけがしているのではない。そういったことにも気持ちを汲み、言葉も選んで言わねば。差別はないけど、後先の順番はあるでしょう。自分の嫌いな人だから、と言う理由では、自分勝手でしかない。職場の雰囲気察して。

 介護福祉士の資格があろうと無かろうと、心構えにも差が出るものです。わたくし等、可能な限りは、業務を遂行して、他の職員の迷惑にだけはなりたくない。辞めていく者の心構えでしょう。若い方には体力的、動いてもらい、こちらはカバーする方に回りたい。そう願い、気力をフル回転させているが。

 すばるは、外の様子がとても気にかかる。何にでも興味を示す。外にも何回か脱出して行ったが。

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不思議を信じる・・・

2019年01月23日 | Weblog

 枇杷葉は、不思議でも何でもないが、子どもだけが信じれるのではなく、大人になっても信じることは可能だ。見えない物が視え、聞こえない声が聴こえる。そこには心が真っ新で、色んな彩に染まっていく、不思議のパワーがある。何でもないありふれた、信じる気持ちがなければ、夢は不可能に終わる。

 枇杷葉に携わっていて、誰にも経験できないことに遭遇したり、奇跡が起きることにも、不思議を信じ、夢を可能にしてくれることを願う心を、持っているからだろう。子どもの頃にしかそういったことは、起きないと思えるが、然しまたそうでもない。大人でも未知との遭遇が起き、果てしない世界に繋ぐ。

 業務の人数が、少ないのは困るが、多くても同じもので、介護の何たるかが理解できていれば、身体の方が自然に動く、と思えるが、中々そうはいかない。遣り難いのは、きちんと話を聴かない者で、自分には関係ないと嘯く。寒ければ、暖房でしないで、自分の管理にしてよ。重ね着をしろというのではない。

 暖房が点いていなくても、身軽に動け、介護が可能ならばいいが、寒いので室温を上げるのはどうか。下着にも気をつけて綿素材、懐炉を貼り付け、首は囲ってしている。従って、25℃だと、汗が噴き出る。外に出るには、コートやジャンバーが要るが、余り風を通さない衣類を着用している。汗は吸い取る。

 安いからとアクリルのセーターを買ったが、下に綿素材の物を着ないと寒い。そう思ってLにしたら大き過ぎた。袖口が緩い。タートルなので、孫は着ないし、職場の者も、首がない連中で無理がある。仕方がないので、ぼてっと着ている。安物買いの銭失い、とも言うが、全くその通りである。無駄な買い物。

 先日、治療に来た職場の娘さんが、足湯が好かった、とニコニコしている。丹念に心を籠めての手当てだ。これが効かなくて、どうするんだ。手当てにも依るが、精魂真心で施行するのだから、悪い筈がない。塩も良かったようだ。身体が温まるのが佳いので、風呂場でも温泉でも同じこと。遣って貰うので好。

 職場で、珈琲を淹れ、お茶を沸かし汲み、咽喉が渇く寸前に出すのも、何気なさが必要とされる。紅梅が綻んできて、一輪咲き始めている。白梅も、この暖かさに咲いて来るのだろう。節分も近くなっており、春が待たれるこの頃ですね。雪も降らねばだが、局地的な豪雪に難儀している。余り歓迎は控えたい。

 ゲーム・プランの、ペイトンの叔母役、カレンを何処かで観たと考えていたが、ヤング・スーパーマンでの、レックスの母親を世話していた役だった。まあ、映像の世界であるから、作品が重なるのは仕方ない。どっちの役も素敵だった。印象深かったとも言うべきで、記憶していたものだ。お買い得であった。

 花芽が咲き始めると、そこら中が馥郁とした香りに満たされる。夕顔ほどは匂わずで、銀木星よりも爽やかだ。

 

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寒肥を施す

2019年01月22日 | Weblog

 大寒の間に、寒肥の施行をする。墓掃除にも行かねばならず、寒い時期ならこそ、遣っておくこともある。田舎の墓は、不便な場所にあって、そこにたどり着くまでが難儀だ。大抵が山の中腹で、家を見下ろす所に造っている。掃除も、一度怠ると直ぐに草山になって、ちょっとやそっとでは入れない。

 以前には、息子の応援もあって、大勢で行き片付けていたが、最近は孫等が大きくなって揃わない。墓を取り巻く笹を刈っておかねば、お参りもままならない。毎朝、お茶湯をしているので、勘弁してもらっている。近くても不便さに変わりなく行けない。冬場には、蝮が出ないので安心して刈れる。

 今朝は氷が張っている。寒中らしい朝に、すばるが離れない。えっ体調不良か?というのも、飼い主がグダグダしていいるのが、すばるに移ったものか、何だかすっきりしない。昨夜、何だか色んな顔に覗き込まれ、余りの恐怖に叫んでいた。夢か幻か・・・否視えたんですよ。嫌な予感がしている。

 如何せよ。わたくしの力では、どうにもならずで、事態の収拾ができない。辺野古の基地埋め立てを、中止にしてくれ。あそこを埋めると、他の海が噴き出す。山が怒り、天地が震える。政府の何が何でも、という姿勢に問題がある。何故そこまでして、神の怒りを増長させるのか。人間の愚かさが。

 自然からの警告を、信じる者とそうでない輩との差は、心が消えてしまい、人間の姿だけに変貌するからだ。だが自分では気づかないし、誰しもに視える訳でもない。それが分かれば、しないという保証もなく、勢いに任せての愚策に走る。怪物となってしまうことへの疑問もないから。まるでSFだわ。

 花芽茶を上げていた知人が、ネットを検索して買おうとしたが、何処にも見当らなかった、と言う。そりゃそうですよ。わたくしの専売特許なの。それもリエさんの、思いつのきで採るようにしたが、香りが好く好評。手間暇を感謝され、味も美味しくてとお礼を言われた。美白効果にも満面の笑顔に。

 友人のように、娘さんと毒を呑もう、等と言いつつ飲めば、それは効果どころか、悪い方に転じてしまうのだが、勝手な時には、枇杷葉を頼って来る。我が家の枇杷葉には、宇宙からのメッセージも含まれて、とても不思議な効力があるのだ。それに気づく者には、佳い方向に進んでいく。信じなくては。

 枇杷葉茶を飲み、二日目から効果が出たようで、わたくしの言いつけを、きちんと守り実行したと話した。美白効果、血管の掃除及び、体調を整え、身体中の細胞を活性化させていく。緊急事態には陥らず、自然治癒力での回復に阿る。薬には、即効性があるが、害の方が多い。認知症状等どこ吹く風。

 宇宙とのコンタクトには、特別な方法はない。心を真っ新にして開放する。ほらっ聴こえない?

 

 

 

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