行く者と 宿題に閉口し、読書はいいが、感想文に手こずり、算数・数学にはそっぽを向かれ、切羽詰まって透明人間になりたかった。あの頃、授業は面白みがなく、社会の歴史だけに楽しみがあったが、小学校からの教師の態度に、不信感が消えなかった。中学校でも同等のことを思ってもいた、多感な思春期。
義務教育であるから、学校には行くものと決まっていたから。劣等感に苛まれ、自分のしたいことも分からず、心も身体も彷徨っていた。タイガースはその頃に飛び出して来て、瞬く間に若者の心を掴んだ。アシモフの、子守りロボット・ロビィに出遭ったのも同じ時期。大勢の居る場所は苦手だが読書は独り。
小学校の時にも、図書室の本を片端から読破し、中学校になって、分類別の専門書にも興味が湧いた。牧野富太郎博士がそうで、植物採集に出掛け、蜂に刺されても、ドウランを離さなかった件に、感動して胸が震えた。今でこそ、枇杷葉エキスでの治療が分かるが、知らなかったら大変なことになっていたのだ。
秋晴れの天気に誘われ、洗濯機をフル回転する。雨でも洗う心算だったが、陽射しにほっとする。冷房を点ければ寒く(28℃)、切れば暑くてすばるが伸びる。この時期が一番体調の崩れ易い頃か。人間は暑ければ、涼しい格好ができるが、すばるは毛皮である。白蟻の工事で、強い臭いが残っていて息苦しい。
昨夜は、電話機の回りを片付け、接続を再度確認して、きちんと見えるように取り纏めた。ちょっととばかりに置いていたので、ぐちゃぐちゃになっていた。結構横着なのである。直ぐに片付けるのも、分類しないでいるので、探す時には慌てるし、忘れていて買ってしまう。備忘録できちんと管理すればいいが。
リエさんに足の痛みを伝え、状況は怪しいかもと伝える。毎日、枇杷葉温圧療法をしているが、同じ姿勢でいることが多いし、重労働でもある介護職では、勤務に出れば元の木阿弥となる。それでも施行しないよりはいいので、黙々と手当てしている。歩くのに支障が出なくなったものの、痺れが消えなくて困る。
明日仕事に行って、連休にしているので、沢田研二さんのコンサートには、何としても行きたいが、雨が気がかりでもある。想定内の範囲は常に考えて行動、と本屋に注文の電話をするが、早くて10日から2週間はかかると言われる。まあ、在庫を抱えたくないのが心情だろう。止む無く何時もの本屋に連絡して。
カードが使えるのと、ポイントが付くのは有難いが、常時行くことでもなし、市内までは、多くて10回以内である。それも、相当決心で行くか、何かがないと出掛けない横着者なのだ。誰かに頼むと煩雑になるのも厭だ。ジキル博士とハイド氏のように、心を切り替えても、身体は同じなのだ。ロボットになる。
自宅から出ないで、買い物が出来たりすれば、心身の消耗は防げても、パソコンでの管理となるから、更なる鬱積が溜まるのかもしれない。機械では、そういった微妙な展開が、咄嗟には不可能なことも出てこよう。自動車も然りで、自動運転にしても事故は防げまい。或いは、機械が暴走することも起こり得る。
アメリカは、新大陸と称し、先住民族を殺戮し、居住を奪って、資源を略奪して追いやった。