夕方、携帯が鳴るので、リエさんかな?と着信を見るが、勤務先の同僚である。自主研修とも言うべき、地域連携のものだが、参加するまで時間がある、と我が家に来る。その後、行かなくてもいいようになり、ため息をつく傍で、足湯の準備にかかる。塩で揉んでいたら、すっきりしたかな。
人間のない綿は、誰にでも視れるものではないが、相当に疲れているのが分る。勤務態度が真面目であればあるだけ、その負担も多くなるだろうし、耐えることも限度があるのだ。独りで抱えるよりはいいので、わたくしの出来る範囲を施行する。話は聴くが応えることには、難しく解答も否。
どんなことにも言えるが、自分での判断や往く道を探して行かねば、他人に任せでも困る。経験も、年齢も多いが、本人ではないのである。また、他人に解決してもらうことでもない。人としてこの世に生をうけた以上は、時間は掛かっても進みたい。そうはならぬ生き方もあり、答えはない。
テレビ等での簡単な解決方法や、安易な考えにも、そこまでの経緯は見せないが、裏で走り回る者が居る。所謂、やらせはどの場面でもあり、日常茶飯事のことでもある。面白可笑しくでさえあればいいようだが、何事にも発端があろう。活字を追っていくと分かることが多い。書籍は大切だ。
辺野古の基地移設には、沖縄の方々だけはなく、庶民の考えも必要だろう。そのことがきっちり話し合え、納得してからであればいいのだが、何故、強硬に推し進めるのかが理解できない。国の押し付けを、どうして聞かねばならぬのか、疑問と不信感は増えるばかりだ。政府の遣り方は違う。
腰の痛みも多少は改善され、何とか動ける算段である。荷物が重いが仕方がない。これからは度々行けぬので、今回が最後かな。花のお江戸の賑わいを、ちょっと見てこようと。天気が怪しい気配だが、留守番をすばるにいいつける。外に野良猫が居るようで心配は尽きぬが、時間は迫ってくる。
庭から眺められる環境に感謝。宇宙を観られることには、感謝以外のなにものでもない。