三隣亡である。山に入らないのがよく、況してや、木を伐ったり、接ぎ木や移植も慎みたい。山の神さまは、穢れを嫌い、女人禁制の場所は多い。然しながら、これは職業差別であり、男女の違いも甚だしいもの。国会で、採決された働き方にも疑問が、多く残る。そこんとこ違うでしょう。
すばる。帰宅したら抱っこである。留守中に、何か怖いことでもあったのか?胸にしがみ付いて離れない。監視カメラがないので、想像するしかないが・・・あらら、何処に潜ろうとしているんだ。服が伸びるではないか。姿は、すっかり大人の大きさなのに甘えは、前よりも激しいすばる。
一日、不穏な天気で、しんどさが強まった。協力しての業務なのに、自分勝手ばかりをしている。こちらは見守りで精一杯だが、トイレ誘導もするし、記録を書いている。若さで言うなら、横着なことだ。身体が動くこと、様々なことが出来ることは、感謝に堪えないことであり、しあわせよ。
あれがない。これもない。自分にはもらえない。つまりは、どれもこれもが、自分のものでなくては適わず、人の物なのが気にいらない。文句が多く、不平ばかりを言い、努力しようとせず、学ぶことも疎かにする。皆、自分の想い通りにはならずが、当たり前でしょう。日々の糧に感謝です。
介護の業務は、当日の勤務者と協力しないと出来ない。自分の感情的なことは持ち込まないで、迅速な対応をすることだろう。自分に厳しく、人にやさしいのも、人間性で求められる。笑顔を絶やさずは難しいが、認知症状に寄り添う心根がなければ、どんなに言葉が丁寧でも、見破られます。
以前、仲睦まじいご夫婦がおいでだった。奥さまの体調が思わしくなく、ご主人は毎日通って来られていた。他に移られてしまったが、偶然にも遇うと、元気かと声を掛けてくれた。そのご主人が、孤独に行動が怪しくなって入り、顔を会わせる度に、名前は分からんが、顔は覚えていたもの。
裏も表もなく、相手に接することには、人間の真実が欠如していたら、相手に判ってしまう。やさしい言葉も、丁寧な言い方にも、そこに真心が籠っていないければ、滑ってしまうのだ。してはならないことは、頑として譲らない。そこには危険が伴うからで、命に係わってくる。でも難しい。
明日は、天気になるかしらん?例年より何十日も早く、梅雨入りしたようだが、ドクダミの花を摘まねばならない。新聞紙の上に広げて、乾燥あせているが、今年は天気の関係で、旨く乾かない。然し、諦めず挫けず、ひたすらしておく。誰かが必要になるかも、と感謝と祈りを捧げて摘むよ。
端切れを買ってあったのを繋いで、携帯入れを作った。手縫いなので、見た目は悪いが・・・