岩崎京子さんの著作は、昔話が多くあり、紙芝居も含まれている。あまりにたくさんあり過ぎて、一体何を読んだものか記憶が曖昧であった。地元の図書館に、リクエストしていた、県立図書館の本が届いた。とのメールをもらって行く。
ふと悪戯心が沸き、職員に尋ねてみたら、陸上選手と間違えられた。図書館に居るからといって、あらゆる事を知っている訳ではない。という事に気づく。先日も、『花』が、滝廉太郎の作曲と話してみたが、誰ですか?と返事をされた。
遠藤周作と遠藤実の職種の違い。三浦綾子と曽野綾子の其々の作品は。作品と作者の関連など、知らぬ人が多いのも事実。だがそれらを知っていたからと言って、特に得にはならない。心が豊かにはなっても、お腹が満腹にはならないから。
そうかなぁ。神は、人類の全てに、考えるという事を授けてくれた。知恵があれば、勇気も湧くだろう。努力も我慢もできる。力で支配しようとするから、躓くのだ。自業自得だ。オリンピックも、国体も押並べて、勝つことに意義があるようにしか云わない。
子どもが小学校の頃、スポーツ少年団に入団させることが条件であった。入らない子は苛められる。だがそこでは、ユニホームを買う強制や、監督の暴力は日常茶飯事であった。事実関係をよく調べて投書しなかったので、激しい攻撃に曝された。
都会なら、転校もできるが、田舎ではそうもいかない。子供同士というよりも、親の見得の延長で、口は聞かない、睨みつける、自分達のやっていることの正当性を、大声で喚き立てる。人間が小さい。結局は選手にしないという脅かしがあった。
監督や、指導者のパワハラ・セクハラが、ここにきて一気に噴出したが、何処にもあり、常態化しているのも事実。金メダルを取ったから、偉くてコーチができる。違うなぁ・・・自分一人でメダルを手にしたのではない。そこのとこの勘違い平衡棒。
スポーツ嫌いの偏見で好い。何処の世界でも、苛めはあるし、やっかみもある。生きていくためには嘘も必要。だが違うのは神さまに許しが乞えるかどうかだ。人間の心に受けた傷は、どんなに深くても見えないからだ。それがわからなければ・・・。
梔子は、昨年虫に食べられ、花が咲きませんでした。南天は、赤い実をヒヨドリに食べられました。農薬がかかっていないから、美味しいのかぁ。