SF界に於いて、時間旅行の物語は、光瀬龍氏の作品が面白い。『暁はただ銀色』 登場人物も、女性は美人で、聡明で、且つ勇気があり、出過ぎない。勝気な性格もいい。『百億の昼と千億の夜と』 阿修羅王は女性なのか男性なのか、はたまた中性なのか。
今年、宮部みゆき氏の『蒲生邸事件』を読んで、その切ない程に、時間旅行者の心情に触れて、胸が締め付けられた。歴史を変えてはならぬこと。実在する人物は、殺してはいけないこと。過去の人物も、未来の人物も、現在には存在してはならないことに哀しみがあった。
小説の中であるから、まやかしでもあるのだから、そこには事実はないのだから。と、言い聞かせてみたが、時間を翔ける。という孤独な仕事には、命と引き換えの真実もあった。これほどに重圧の任務があるのだろうか?涙が止まらなかった。
本屋に勤めていた頃は、新刊であれば店頭に出さないで買っていた。言わず長も、不埒な店員である。パート代は本代であった。モエ、ダンスマガジン、ニュートン、天文ガイド、芸術新潮、クロワッサン、今日の料理。雑誌類も興味のある記事に依っては買い込んでいた。
然し、増え続ける雑誌の類には、その保管場所がないことから止めた。書籍も、文庫本で我慢した。最近は、それでも置き場所がない。図書館に切り替えた。活字が読めればいいので、手垢に塗れているのは致し方ない。
唯一、平岩弓枝氏の『御宿かわせみ』は、ハードカバーと文庫で買う。持ち運びにも、何処でも読める利点から、殆どが文庫である。児童書は頂き物が多い。ありがたいことです。地震が起きようと、津波に押し寄せられようと、本と一体です。いや、本は分身です。
枇杷葉の緑の葉と、ちらっと覗く赤いセージ。微妙なコントラストです。