大洗濯と、暫く振りの布団干し。何だか、生き返ったような気分だ。冬物が気になっていたが、天気が回復せずであった。勤務の日が天気であったりした。久々である。セーターを洗い、風を通しておく。快晴とは言えなくもないが、陽射しがありがたいものだ。
朝夕の冷え込みに、意を決して鉢物を取り込む。ランタナは咲いているが、霜にやられるので、室内に入れる。あちこちに鉢を置いて、掃除機もかける。風呂場の蛇口も直り、支払いも済ませて安堵する。昨日と、一昨日の新聞を再度読み返し、思考する。
介護には、公だという定義が無い。それはそうだろう、自分の親である。子等の義務とは言え、看なくてもいいし、他人に任せるのも咎められない。方法はあると言えばあり、無きも同じだ。人間であるが故に後悔もし、迷いもある。色んな形があっていい。
其処には、親であると同時に、人生の先輩としての尊敬や、思いやりのある寄り添いがあればいい。然しながら、ないからといって責めることもできない。皆生きることに精一杯で、親といえどもゆとりの無い生き方もある。金があっても心のないこともある。
だが避けられない老いと死は、等しく誰にも訪れる。そうなった時に、自分で何かができればいいが、人の援けを借りなければならなくもある。それを受け入れられるか否かで、その後の生き方の差が生じてくる。お金もなくてはならない。政治のあり方に疑問。
トルコに原発を輸出する?何を血迷っているのか。福島第一原発の汚染も、住民の帰還も間々ならず、これ以上に放射線をばらまくのか。地球を守らなければならない、国民を助けなければ生らない立場で、このような非情なことがぬけぬけとできるか?
歴史は繰り返す、というが本当だ。戦争の事実を、真実知ろうともしないで、この暴挙は何事であろうか。然も、国会中と言うではないか。国民を愚弄しているとしか思えない。自民党の驕りである。消費税を上げ、福祉に全額使うなど、片腹痛い。嘘ばっかり。
枇杷葉の苞のばらつきが目立つ。あまりに暑さが長引いたし、長雨に祟られたし、秋の気配は僅かであったし。来年の気運は乱れるばかりだ。災害も多いだろう。犯罪は元よりだ。人間がこれまでにしてきたことの付けが、何倍返しで還ってくるのか・・・。
デルフィニュームが球根とは知らなかった。球根は、ナメクジが好む。唐辛子を入れているがさて?夏の花です。