枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

赤とんぼ飛ぶ・・・

2018年08月31日 | Weblog

 自宅から、主幹道路に出るまでは田圃で、稲穂の出始めた上を、すいすいと赤とんぼが飛んでいる。毎年のことだが、次第に数が減ってきている。農薬の影響は大きい。今朝は、玄関を開けた途端に、カラス蛇がいた。最近は滅多に見かけないので、ちょっとびっくりした。我が家には絶滅危惧種が集まるの?

 日中は不安定な天気で、時雨があったり、夕立に見舞われた。雷も遠くで鳴り、空には稲光がさく裂していたようで、帰宅が危ぶまれたが、勤務を終える頃には止んで、曇り空には、夕焼けが広がっていた。ここ数日は、雨雲の多い天気のようだが、台風到来の時期でもあり、用心に越したことはないだろう。

 枇杷葉の木が、天を向いて育っているので、高くて手が届かない。白枇杷が特にそうで、脚立にしても危ない。ちょっとは伐っているのだが、今年は全体に刈り込もう。新しいのにも、花が咲いて結実しているので、然したる問題はないと思う。送ってあげる方も、少なくなった。あちらまで贈れるといいのに。

 ザ・タイガースの、田園コロシアムでの野外コンサートを観ていて、沢田研二さんの出演している、寅さんの映画を思い出した。動物園と遊園地、今は影も形も無くなったけど、ここじゃなかった?まあ、柴又でもあるし、都内には違いないんだが。田中裕子さんは、まあねえちゃんでの、長谷川町子役が好演。

 最近は、受信料の問題があって、NHKはというより、テレビは観ない。朝の連続ドラマも詰まらなくなった。言わせてもらえば、水野英子さんや、上田としこさんなら、謎が多い部分惹かれる物も多いのだが、うわっ滑りな調子良さしかない。さくらももこさんの急死で、今度はここ辺りかなぁ。視聴率ばっか。

 冷房を点けたままでの方が、電気代は少ない、と言うが。昨夜は、余りの寒さに切ってしまった。設定温度は30℃です。で、今朝は羽の向きを、一番上にしておいた。留守中、夕立もあったせいか、少し暑さが感じられたが、然程の寒さもない。すばるなど、寝息を立ててぐっすりである。贅沢なことである。

 野良猫が来るので、止む無く設置したが、窓を開けなくてもいいようになれば、点ける必要もない。僅かの間ではあるが、名誉の負傷には手こずった。塩は、止血をしてくれ、枇杷葉のエキスは、感染症を防ぎ、痛みを和らげ、蒟蒻は熱を下げてくれたのもあり難い。尤も、用途を知っての上での、施行をされたい。

 昨年の、長崎茂木枇杷葉。たくさんの実がどの枝にも、鈴生り状態で、枝が折れそうだった。

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茗荷も終わりに・・・

2018年08月30日 | Weblog

 青空市にあったのを、甘酢で漬けておいた。電気屋さんが来ての冷房設置に、丁度お昼時間となって、茗荷寿しを作って出す。刀豆も塩茹でにして使う。蒲鉾と竹輪、青紫蘇を入れると、見た目が豪華になる。5合が丁度よく、勤務先の知人に連絡し、持って行くことにした。今年は、これが最後かな。

 冷房設置をし終えて、スイッチを入れる。ドライ運転にするが、可なりの寒さだ。かと言って、開け放したのでは意味もなかろう、と考えてしまう。野良猫さえ来なかったら、網戸で充分なのだが、闘争本能がある以上は避けられないので、風邪を引かぬよう注意しよう。すばるは寒いのか潜り込んだ。

 東側には、台所と居間があるが、換気扇が回っているし、テレビは置いているだけであり、コンセントは抜いて、普段には使わない。炬燵を出していた頃には、何かと居たが、数年は壊れて使っていない。パソコンの場所が、使用度が高く、DVDも観るので設置した。薄着では寒いと感じるので用心。

 息子がくれたのは、音も煩く、電気代も嵩むので点けないでいるが、省エネの新しいタイプは、音も小さい。窓を閉めていれば、結構全体が涼しいので、ドライにした。湿気が身体にべとつくのが厭で、暑いのは平気なんだが、北海道を除き、本州は高温多湿が特徴。日本の四季には、当たり前のこと。

 パソコンを使用すると、次第に熱を帯びて来るが、冷房設置で冷ややかだ。身体は冷やさないように、対策を講じなければ、あちこちが悪化してくる。膝が痛いのも、神経が圧迫されるのも、冷房が原因であれば、蒟蒻での温めも怠れまい。便利な機械に頼らないで、自覚症状を忘れないことも大切です。

 冷房設置に伴い、ガラクタを片付けていたら、何と、如雨露の中に蜂の巣が。駐車場のを撤去して、一安心してはいたが、外壁の所にあった巣を、2度程落とした後、ここに潜り込んでいたらしい。直径10cmあった。足長蜂で、キンチョールで退治出来たが、台風が未だ来るようだ。蜂の本能に感心。

 観葉植物に栄養剤を遣り、すばるのトイレを換え、牛乳パックを開いた。夕方、研修に参加し、明日から3連勤だ。鬱陶しい天気に雨を期待しているが、水遣りをしておこう。休日も、一日だけでは用事が多く、暑いとだらける。快適な暮らしをするのも、偶にはいいが身体も鈍る。感覚を研ぎ澄まそう。

 昨年の木星。今年も夕方から夜半にかけて、じっくりと眺められる。人はなぜ、宇宙を観上げるか。

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冷房設置に・・・

2018年08月29日 | Weblog

 本音は、どうあっても冷房は厭で、これまで夏は暑いと覚悟をして来た。然し、すばるの本能には抗えない。狭い屋敷の何処かで、飼い主が帰宅するまで待っているのが、余りにも可哀相で、決断して買うことに。冷房の点け過ぎは、坐骨神経痛や、膝の痛みに繋がる。枇杷葉の手当てを忘れず。

 普段からの、自然への適応力範囲で、暮らして居れば、身体の異変には素早く気づくが、機械ばかりに頼っていると、反応するのも鈍くなるので、心しておきたい。便利で簡単な方法ばかりだと、電気も水道も通じずであれば、生きていくのが困難に陥る。自然は、生かす術を教えてくれている。

 誰かが遣ってくれるだろう、何かがあるから、と皆が思えば、今日日の世情では、あっという間に殺到して消える。知識を蓄えておくと、いざと言う時に役立つ。加えて工夫を考え付く。出来上がった物ではなく、形のないのを作り上げる。スマホ依存では到底思考出来まい。失敗こそ天才に。

 読書の歓びには、自分だけの世界に往ける特権がある。但し、様々な実物を見聴きしての、見聞を広めることや、経験や体験の重要性も加わる。危険なことをせよと、奨めるのではない。良識の範囲内での学習には、学ぶ者の心構えの加わる。書くと言う行為には、字が綺麗な事や解り易い内容。

 聡明さは、持って生まれたのではなく、自分を磨くことにもあろう。美人の条件には、豊かな教養が備わり、謙虚さと素直さがあった。昨今には、整形という手段があり感心しない。例え顔が変わっても、全てが変化するのではない。コノハナサクヤコになれたらいいなぁ。美人は男の都合勝手。

 アラン・ドロン、カイル・マクラクカンは俳優だが、東八郎は、サイボーグだ。ハンサムは永遠なのが好い。熊川哲也さんに瞳みのるさんは、実在のダンサーであり、ドラム演奏者。自分の限度に挑戦する姿の格好良さ。浩太郎さんの一途な研究。ハンサムだけでは生きられない。男は女の目標。

 明日は、冷房を付けに電気屋さんが来る。いざ付けるとなったら、涼しくなった。水遣りもしているが、夜間・早朝の雄叫びに閉口してだ。忌々しい野良猫に、これ以上怪我が増えるのは御免だ。やっと1週間経過で、痛みも傷口も癒えているが心が。身体を壊しては何もならないので用心しよう。

 我が家の枇杷葉の実は、小さくとも甘さは抜群である。果汁は滴り、美味しさも飛び切り。 

 

 

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盂蘭盆会になると・・・

2018年08月28日 | Weblog

 今年の盂蘭盆会は、先週であったが、とても不思議な体験をした。そういう話をすると怖いと言うが、死んだ者が悪さをするとは思えず、況してや自分のご先祖である。懐かしさと思い出とが交差して、別れが辛かった。祖母の教えてくれたことには、学歴を超えた知識があって、これ程役に立っている。

 沢田研二さんと、田中裕子さんが出ているので、シリーズのそれだけを買う。然し、鬼籍に入られた方の姿に出遭うと、観ているはずなのに、意外と見落としていることに気づく。渥美清さん自身が亡くなられて久しい。DVDで何時でも観れるのも、場合に依っては寂しい思いにもなる。今は昔の感覚。

 網戸にしていれば、風が入ってきて涼しいこともあり、身体を極端に冷やすこともないので、有り難いことと思っていた。然し、野良猫には頭が痛く、近所周りへの迷惑となる。以前からも遣ってきて、蒲団に寝ていたりであった。猫の臭いというより、雄なので闘争本能が芽生えた。縄張りの関係にも。

 天気不穏につき、各地で大荒れの様子だ。都心では雹が降るなどしたらしく、床下浸水や道路の冠水等に大騒ぎしていた。地下水を止め、道路を覆い、雨が降っても逃げ場がない造りに、当然低い方へと流れたのだ。現代人には、知恵も工夫もなく、慌てることだらけ。事柄を応用する頭にも至らずなの。

 激務を終えて、足の痛みに気づく。既に1週間が来るのだが、業務も滞りなく出来たのにほっとする。辛抱にも限度があるかもしれないが、枇杷葉の効力に感謝するばかりで、遣っている自分が、一番驚いてしまう。これは第六感と言う外なく、テレビやスマホでは知り得ない。旧暦での暮らしが役立つ。

 処暑を過ぎたら、日の入りが早くなりだした。勤務を終えて帰宅してら、水遣りが薄暗いので、余り遅いのもと止めた。一雨がほしいところで、夜間中に降ってくれればと、勝手なことを願う。行水を使い汗を流した。洗濯機を回す。眠たいなぁ・・・ジュリー祭りを観るかなあ、貫禄が出てきて素敵だ。

 今年も介護フェスタがある。参加はするが、人混みには遠慮したい。準備に参加しておいて、当日は動かないのがいいな。と独り言ちているが、上司が認めてくれるかだ。何時もは静かな環境が、ひっくり返るのだから、平常心でいるのは負担だ。老体に鞭打ってはきつい。8時間労働も莫迦に出来ないのだ。

 夕方から、少し時間が過ぎた頃、星が瞬き始める。薄闇を透かし観て、宇宙を眺められる幸せを想う。

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野良猫対策・・・

2018年08月27日 | Weblog

 明け方、またしても野良猫の雄叫びである。止せばいいのに、応戦しようと試みるすばる。業を煮やし、電気屋に電話する。冷風除湿機があるようで、カタログを持って行くとの事。夕方になるそうだが、冷房よりは価格が安い。キャスター付きにして、動かせば、留守番中と帰宅用と一緒で済む。

 冷房を付けるのは不本意だが、すばるが喧嘩をして網戸を破くのも、留守番中の対応にも困る。帰宅したら、家中が散乱して、すばるは行方不明となるのも。閉め切っておけば、すばるは暑さで参るだろうし、窓が開けられないのは、非常に困難でもある。独りなら我慢するし、野良猫も参上しない。

 銀河が居た時には、逃走というか、散歩に出かけて帰れなくなり、娘の呼び声で帰宅と言う有り様だったが、すばるは雄なので、本能が残っているようだ。枇杷葉茶を飲ませて、臭いを消してはいるが、そこは動物の感での探り合いか。こうなったら、夏分にも窓は開けれない。息が詰まるようだが。

 それにしても。枇杷葉の薬効には驚かされる。足の浮腫みも激減し、熱も下がっているしで、何とか仕事も可能になる。当分は、手当てを続けておこう。痛みも引いてきたのがうれしい。焼酎に漬けたのを患部に当てて、解熱させたり、浮腫みを取ったりしている。歩行出来出したのも一安堵である。

 若草物語のDVDは、主演女優の素晴らしさに圧倒される。原作と違うのは、ベスとエイミーが入れ替わっているし、ローリーは、ジョーと友情を保つし、エイミーと結婚などしていない。加えて、ベスは猩紅熱に罹るが死なない。でも、ベアー教授という人物は何処にも登場しない。これには落胆。

 まあ、どんな作品でもそうだが、原作とは可なりな違いがあり、主役の抜擢にも依るだろうから、大幅に筋が食い違わねばいいのだろう。そうなってくると、原作は無いのが却って良かれかもしれない。思い込みにも無関係ではなく、個人的な見解にも問題があるようで、殊細やかに言うのがいけない。

 満月の夜は、早くから金星が輝き、木星も土星も火星も懸かっている天に、月が昇って来る。雄祐と堂々とした姿を現し、南の宙へと翔ける。自然が醸す素晴らしい天体ショーに、独り悦に入って眺める。これ程の幸せを授けて貰えることに、心から感謝する。お金が無くても、宇宙を観上げる自由。

 清少納言の枕の草紙には、平安時代だけでなく、今の世にも通じることが多く、読んでいて深く心に沈む。白楽天に傾斜していたらしく、タイトルの枕の草紙も、そこから付けたらしい。有名なのに、香炉峰の雪は、と問われて、簾を掲げて見せたとあります。現代人のわたくしたちも、風流を解したい。

 我が家に来て、1ヶ月程度ですが、人見知りが激しく、隠れてばかりでした。悪戯坊主です。

 

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回復に向かう・・・望・大潮

2018年08月26日 | Weblog

 治療したい者の想いと、薬効と、自然からの援けが繋がって、どうにか回復に向かっている。浮腫んでいる患部に、ひたすら枇杷葉の焼酎漬けを貼って、痛みが消えていくのを感じていた。昨日には、歩く時に引きずっていた足も、今朝には持ち上がる。そうなると不思議なもので、動きも楽に。

 天気を幸いに、洗濯物を何杯もし、蒲団も干した。気力が戻ってきたのもうれしい。年齢にも依るのだろうが、相当な怪我であったのは確かだ。破傷風にもならずで、治っているのに驚く。医者に行こうにも痛みで動けない。枇杷葉のお陰に感謝。生葉は、外に出れば採れるというのも有り難い。

 休みを幸いに治療に専念している。人間の持つ、自然治癒能力の素晴らしさにも、驚嘆するばかり。先日、迷子になった幼児を救出された男性は、贅沢をせず、自分でできることのボランテェアだと記事にあった。直感力に優れておいでなのだ。それが使命のように、当たり前と言う姿勢に頷き感銘。

 自分が何かをしたから、表彰してもらったり、ご馳走をされることでも無い。と言う謙虚さにも感服した。何かと言うと、そういったことが、目当てのように報道されるが、邪念があると、そうはいかないのだよ。命の貴さを想い、一途な気持ちにも由るものが強い。余り賑やかに言わぬが好いのに。

 台風の影響かは定かでないが、ウンカが大、、発生している。尤も、農薬をかけるからで、行き場の無くなったのが、我が家に集まるのだろう。枇杷葉の生葉が黄色くなって落下する。或いは、齧ったり巣をかけるのもいる。自然界の掟に逆らうことのない姿でもあるのだ。風はあるが、東南方向。

 室内に居るよりも、外に出た方が涼しい。家の向きと、窓の配置で風向きが違う。扇風機は点けているのだが、一向に風が通らない。人間は辛抱もするが、野良猫の訪問には困る。すばるの留守中のことと、網戸対応では、色々と弊害が出るのだ。野良猫が近づかない工夫を、考えるのが先である。

 図書館に頼んでおいた書籍を、受け取りに出向く。序でに、ヘンリー8世と6人の妃を探してもらい、若草物語を借りた。原作の役者は、矢川澄子とあり頼もしい。翻訳本は、訳者の解釈にもより、意味を取り違えたり、今時の訳にしていることもあって怪しいのだ。どっちでもいいようだが拘りが。

 枇杷葉も、隔年の生り年で、1年毎に変化がある。昨年は鈴生りで、1枝に10粒以上が生る。

 

 

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蒟蒻畏るべし

2018年08月25日 | Weblog

 冷たい蒟蒻を患部に当てようと、冷蔵庫から取り出す。布に包んでだが、枇杷葉を敷いて乗せる。足なので、落ちないように、レッグ・ウォーマーを使う。昨日は、一日繰り返して遣っていた。今朝、何と足が動くのに仰天する。未だ引きつった感はあるし、痛みも残るが、一安心である。

 蒟蒻は、熱感を持っている場合には、冷やして使い、温めるのは、熱が引いた状態で行うのがいい。同時に、心臓と虫垂には絶対に温めないこと。江戸時代の民間療法が、ここまでの威力を発揮するとは。然し、医者にも行かず、治そうとするのだから、時間は掛かっても方法がある筈だ。

 基本は枇杷葉の手当てで、エキスを貼って感染を防ぎ、生葉や焼酎漬けの枇杷葉を使う。今回は、熱が出たために蒟蒻を想いついた。然しながら、誰でもが可能な訳ではないので、安易にはしないこと。普段から、自然への共有をしてこそ、いざという時に助かる。災害時や緊急事態発生時。

 普段から医者にも行かず、自然治癒能力に依る方法を行っているからで、身体の基本免疫がないと、重症に陥るし、更に事態は悪化する懸念もある。晴耕雨読の暮らしであるから、援けてもらえたのだろう。これだけの怪我であれば、腐ってしまう。下手をすると膝下片足切断になったかも。

 序でに言えば、我慢強い精神を持ち合わせ、根気と努力もないと出来ない。手っ取り早く医者に行けば、薬も出してくれ、簡単ではあろうが、免疫が落ちる。貧乏なのもいいかも、と思いつつ、枇杷葉と蒟蒻の薬効には、驚きと感謝以外の何ものでもない。小石川療養所では施行していたの?

 台風が去った後には、爽やかさが残り、秋の気配を深めるのが通例だが、何と湿気の多いことか。野良猫が横行するので、来年は更に恐怖の夜だ。パソコンの部屋だけに設置しておけば、すばるも網戸を気にすまい。一人なら我慢できることも、すばるが居ればそうもいかずだ。仕方ないなぁ。

 天気がいいのだけが恵みで、風向きが悪く通らない。午前中の勤務だけで終わり、足の治療をしている。然し、歩けることの有難さを感謝し、痛みの引くことを願って早退した。22日の夜半からだから、既に4日経つ。偶々、治療に関した物があり、自分にするので抵抗は少ないが、他人は無理。

 栴檀・樗・獄門の樹、と言う。花が咲くと強い芳香がする。農薬代わりに使われおり、曝し首をかけた。

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文月の宙に

2018年08月24日 | Weblog

 旧暦では、文月は既に秋になる。その宇宙にから、今年は眼が離せないのは、金星や木星、土星と、火星の大接近にあろう。見かけの大きさは24'.3視直径で、光度は-2.8である。大都会の明るさの中でも人目を惹く。二つのフォボスとデイモスも確認できよう。次回は2020年で、光度も下がる。

 足の痛みが引かず、腫れあがってしまったので、勤務を休む。昨夜には、蒟蒻を当てて可なり腫れは引いて来たが、立ち仕事であり歩行が困難となれば、業務が出来ない。すばるを外に出さないでいるが、野良猫に目を付けられたのに困惑する。それでも雄であれば闘争本能は隠せまい、と反省す。

 熱のせいか食事も欲しくなく、ぐったりであるが、蒟蒻と枇杷葉の生葉での手当てである。本来なら、肉が裂けて骨が見える状態だろうと判断し、精神的なことも然ることながら、痛みが引かないのに迷う。蒟蒻は、冷やしたのを当てての治療だ。ひんやりして気持ちが好く、うとうとするばかり。

 若草物語。子ども向けでは、ロウレンス家との付き合いで、父親の帰宅を待つ所までだった、と記憶しているが、本作では、ジョーがべスに死を受け入れることを告げられ、哀しみを超えて作品を仕上げる。人生を生きていく上で、親としての愛情に溢れたオルコット作品に、原作を読み直そうと。

 小公女・小公子・秘密の花園にも、ハイジにも、表面だけのきれいごとではなく、人生の指針を含めた、作者の想いは時代を超えるもの。今時の薄っぺらの物にはない素晴らしさも。そういった内容が書ける作家が、亡くなられていくのに、一抹の淋しさを覚える。綺麗ごとばかりでは面白くない。

 石田衣良さんの新聞連載 炎の中へ は、読みながら涙が止まらない。東京大空襲の話は、とある作家さんからお聴きしてはいたが、これ程の悲惨さであったのかと戦慄するばかりだ。死体の上を踏んで逃げた、と言われた。そうしなければ自分が死んだのだ。よく命があったものだと話をされた。

 想像で映像を仕立てるのと、実際に現実で遭遇するのとでは、明らかに感情も違ってくる。沖縄の方の土地を勝手に騙して取り上げ、土地を返すこともなく、新たな難儀を吹っかける政府の遣り方には我慢できない。初めの状態に戻して、土地を基地に渡し、埋め立てを承認するのでなければ否だ。

 星を観上げ、宇宙の謎をかじってみれば、地球と言う青い星に棲む有難さが分ろうというもの。

 

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文月、処暑・中潮

2018年08月23日 | Weblog

 二十四節気 処暑 旺盛な太陽も、次第に衰え、暑熱も退くと言う意で、処暑と言い天地清く、爽やかとなる。毎年、八月二十三日頃である。三隣亡も重なるが、台風の進路が気になる処だ。朝から時雨が度々あり、にわか雨もある。まるでバケツの底を抜いたような案配で、帰宅をするのに怯む。

 先日、知人の子どもさんが、写メで母親のスマホに送られて来た。はっきりとは分からないが、何かを手に持って得意顔だったそう。何と、ばあばと一緒に、電車に乗って行ったらしい。兄貴の方は、お母さんが駄目だって言うよ。と半分尻込みするのを、ばあばが好いと言うのだからと出かけた。

 小学校入学前なので、電車賃は要らず、身内の然も、ばあばが一緒なのだから、大丈夫と譲らなかったそうだ。母親は唖然とするばかりで、相当なショックを受けていた。兄貴にももっと冒険させてやればいいのを、子離れできないのだ。まあ、女の児の方がしっかりもしているし、決断力も素早。

 大人の汚さには呆れてしまうが、人間関係の複雑さも然ることながら、自分がその立場に置かれたら、どんな気持ちになるかを考えよう。介護の業務は、一人では不可能であり、仲良しこよしですることでもない。皆、様々な遣り方があるのを認め、先輩としての可能な行動をすればいいのにと思。

 昨夜、タイガースを観ながらうとうとしていたら、野良猫が忍び寄って来て、網戸を挟んで雄叫びを上げる。暑いので、開けていたのだが、可なりしつこい。サッシを閉めた迄はよかったが、すばるが何を思ったのか、いきなり足にかぶりついて来た。枇杷葉の焼酎で血は止まったが、痛みにうめく。

 枇杷湯では、塩を傷口に摺りこみ、何とか出血と腐りを止めたが、痛みは激しい。眠るのも、歩くのも上手く出来ず、引きつってしまう。勤務には行ったが、動けなくて不便な想いをした。然し、枇杷葉のエキスの威力は凄い。化膿することもなく、汁も出ないのに驚くばかり。痛みは日にちが薬か。

 明日は、休んだのがいいかも知れない。と思いつつ、燃料を補給に行き、支払いを済ます。コンビニが少しばかり遠くなって難儀だ。気温や湿気の多さに辟易して、ちょっとげんなりしそう。台風が通過したら、多少は凌ぎ易くなるかな。夏バテではないが、気分的に落ち込んでいると、復活無理。

 庭の片隅に咲いている、スプレーバラだが、半分以上は虫に齧られる。無農薬なので美味しい。

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阿修羅・・・

2018年08月22日 | Weblog

 光瀬龍作の、百億の昼と千億の夜とを、勤めていた本屋で見つけ買った。哲学的な要素が多大にあり、難解な箇所も多い。そこに出て来る阿修羅に、強く惹かれたのは、仏界に帰依したとあるからで、疑問が膨れ上がった。奈良に通うこと夥しく、魅了されてしまった。三面六臂の顔の複雑さ。

 興福寺は、橘の三千代の健立とあり、藤原不比等の愛人でもある。絶大な権力を持ち、君臨した者に庇護されるのではなく、地位と権利を主張し、太っ腹な人物でもあったようだ。奈良時代には、正式な妻の外に、大勢の愛人が居ても、却って位が上がった向きがある。長岡良子のコミック必読。

 阿修羅像は、国宝館にある。橘三千代の娘は、聖武天皇の后で、光明皇后である。枇杷葉との拘わりは、大勢の皮膚病患者を施薬堂に容れて、様々な薬草を敷き、その上に身体を横たえた者に、下から蒸したように治療をしたことで知られる。民間から初めて皇后となった。藤原不比等の、絶大権力。

 阿修羅も、鬼子母神にも、そこに至るまでの心情が複雑で、言葉を超えた生きざまに惹かれる。時空を翔け、帝釈天との戦いに明け暮れる。お釈迦さまが悟りを啓き、ユダが裏切りながら、キリストの復活を促す。萩尾望都著のコミックも、壮大なスケールで描かれており一考あり。歴史は愉しい。

 イギリスの前は、イングランドと呼ばれていた時代。ヘンリー8世の世では、世継ぎが産まれないばかりに、陰謀が渦巻く。アン・ブーリンは、1000日のアンのタイトルだったり、ブーリン家の姉妹として記録が残っている。何れにしても、長期に亘って統治した、エリザベスは1世は二人の娘だ。

 世界史も日本史も、関心があれば楽しくなる。歴史の授業は、教える側が熟知していることにも由ろうが、自分がここに居る理由でもある。命は繰り返され、繋がっていくのだ。考え方に依っては、不思議でならない史実でもある。そうしてみれば、この時代を生きていること自体が凄い。素晴らしい。

 今日から4連勤である。暑さが和らいできたと喜んでいたら、湿気の多い不安定な天気である。台風が19号、20号と続いて暴れこんで来た。このシーズンの特徴でもあるが、大きな被害にならないことを祈るばかり。原発炉が壊れませんように。放射線の流出がありませんように。安心も安全も野放し。

 昨年の長崎茂木。生り年だったので、枝が萎れないかと思うくらい下がった。たわわに熟れた。

 

 

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