枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

神無月、望・大潮

2020年11月30日 | Weblog
 今夕には、天気次第ではあるが半影月食が各地で観られる。宙は、雲の動きにも星や月の満ち欠けにも見応えがあるが、興味を抱かないと素通りしてしまう。だがそれであるからと神罰が下る訳でもないし、日常生活に支障を来たすことでもない。心を豊かにしようとは言うが、援助の手立ては皆無であり、賑やかしての足払いばかりをしている。空振りの政権だな。

 自然を写す方法には、絵であったり写真であるのだが、見たままの像をそこに写し取ることは皆無だ。偶々であれ、誰しもの心を捉えるものでもなく、或いは虜にしてしまう魔法をかけてしまうことも。心の中は視えないうえに読めるものでもないが、聴こえることに遭遇は出来る。何という感覚であるのか、ペテロがイエスの声を聴いた想いにならざるのも納得。

 午前中は、小春日和の青空に気を好くして布団を干す。すばるが窓を早く開けろと煩いが、風もなく温かいのでうれしい。ほかほかになったところで終い、昼食を戴いてブログ更新である。食事も一人分なので手抜きもあるが、同じ物を三から四回で片付ける。それには工夫が必要で、同じ品目ではあるが、見た目を換えたりして食する。まあ、死なぬ程度の摂取を。

 冬場になって、野菜が豊富になってきたので使い勝手は好いのだが、鮮度を保つ工夫を考えていかねば。買って来たら茹でて冷凍庫に入れたり、味噌や出汁での味付けをしておく。素材を生かしたシンプルさが好みなので、お粥に添えたりする。梅干しは有難い。卵も使い勝手が良くて重宝しているし、蒟蒻は砂下ろしとも言うので度々使う。栄養度低いお腹一杯を。

 室内に入れた鉢も、温度や水の管理に気をつけてはいるが、うっかりとして見落とすこともある。狭い庭であれば致し方のないことだが、枯らすには忍びなく栄養剤を注した。囲いを低く剪定したので陽当たりは良くなったが、風を防ぐ手立てに思案中。明日はシクラメンとアリッサムの苗を買って来たいが、どう動こうかな?弁当の配達もあるから道順を決めねば。

 今朝の新聞広告に、沢田研二さんのDVDが新発売とある。価格は何処も同じらしいが、せめて2万円台ならと思う。自粛の引籠りであれば収入もないからだが、コンサートも無くなっている手前、悩むオフェリアでもある。川には落ちません。どうせなら宙に浮かぶのがいい。光源氏よりハムレットの方が似合う沢田研二さんであった。正月は旧暦で祝うのでのんびり。

 掃除が気になるところだが、窓拭きだけにしておこう。内側は毎朝、結露ができたのを拭いているので外回りだけである。狭い屋敷のことゆえ直ぐに終わるのだが、その気にならねばしない横着者で、明日にと持ち越す度合いが増えていく。コロナで訪問者は居ないと思えるので、読書三昧に浸る予定。然し何があるかは未定なので、宙の変化に注意を怠らずに。

 枇杷葉の花芽に無茶苦茶、蜜蜂や蜂が飛び交っている。刺されはしないがびっくりしてしまう。温暖化のこの温かさに異常な雰囲気も感じる。地震が起きても津波が押し寄せても、コロナで挫けずにオリンピックを遣るのだろうか?膨大な金額に驚くと共に、その無駄使いは誰が補うのだろうか。我々の納めた物を勝手に使う権利があるのか、疑惑は膨らむばかり。
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夜間の天気が・・・

2020年11月29日 | Weblog
 昨夜も、怪しい雲行きで月は煌々と輝くものの、星はまばらにしか観えない。人間の都合勝手ではいかない摂理に完膚でもある。そこには常なる感謝の気持ちと、畏怖への祈りが加わり賜るのだ。古来より人類が受けてきたであろう恩恵に、自然と頭を下げる。それらを意のままには出来ないと知ろう。沖縄の辺野古埋め立てに、戦災の人骨を甚振るな!

 菅よ、恥を知れ。幾ら便利で都合がいいのかは分からぬが、そこには本土の為に多くの犠牲となった魂が眠り土と化している。それを使っての埋め立てとは、流石に言葉を失くす。祖先の霊を敬わることをせずに、邪魔だから都合良いからと掘り返せるのか!なら、自分地を先ずはやろう。沖縄の人々を分断してまで決行することではない。如何様政権。

 安倍も酷かったが、無能丸出しのお坊ちゃんで済ませ、更なる汚名をやっていくとは。gotoも金があって時間もたっぷりある健康な人にしか使えない。然も、これで拡散させた責任も取らず、地方に押し付けての逃げの一手だ。病人や自粛して精一杯の生活をする者へは何もない。それを何が何でも生きろだの、協力をお願いするだの何言ってんだろ。

 アメリカに対する手立てにも、車の使用金額が膨大なもので、それって一体何処から出ているの?言わずもがな税金・私たちの血税ではないか。到底許されないことを、何故に粛々と秘密裏にしているのか。民主主義は腐った!!死ぬ前にどうにもならなくしたのは閣僚の全員でしょう。庶民の苦しみにも哀しみにも目を向けず、自力ばかりを強調する。

 菅政権即刻解散せよ。無理を通そうとするから道理は引っ込んでしまう。この世に生まれてきての最悪は、武器で殺されることではない。言葉であったり施策にも大いに原因があるのだ。決してコロナのせいにしてはならない。言えば口実に過ぎないのだ。自宅を開放したり、貯えを投げ出しての援けはしない。自分で選んだことではない。仕組まれた。

 枇杷葉での暮らしで、病院にも行くこともないし、病を発症しても罹らないと決めているが、それには年齢も加わっている。歳を重ねればどこかしらが壊れていくから、何れは命も終える覚悟も、幼い者や若い人等には酷であろう。医療現場の手厚い保護にも限度があるのは最もな事と思えるものの、近代化への路を進む意味が薄れていくのは何故だろう。

 山茶花満開。枇杷葉の花芽も物凄い勢いで咲き、蜜蜂が飛び交う有様だ。クリスマスローズの白が咲きだして、ポリゴナムは移植した場所で勢いが良いばかり。鉢や地植えにしているが、どんどん繁殖していくのもうれしい。アリッサムの白も百日紅の根元で開花だ。スイトピーも蔓をどんどん伸ばし巻き付く。春へと向かう準備に余念がないことだ。

 午前中は、庭の見回りと水遣りに、お酢を散布しての状態を調べていく。クリスマスローズも、蕾が沢山見えるし、零れて発芽の苗を移植しておく。土が乾いたらの水遣りだが、外も室内も見落としがないようにしている。すばるはそれが気に要らないので、飼い主を恨めし気に見ている。寒いのである。洗濯も済ませたので時計を見るPM1時半近いわね。
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天気の中を、三隣亡

2020年11月28日 | Weblog
 AM11時からの四十九日を、少し早いかと出かけたが到着したら頃あいだった。恩師には兄弟姉妹が多く居られて、近場なのも顔見知りであってほっとした。住職も存じており1時間内での法事であった。コロナの影響から暇を告げて帰宅する。Aさんちに寄って旧暦のカレンダーを渡し、図書館での返却と年末年始の予約を入れる。誰も来ないと踏んで。

 帰宅して、衣類の洗濯をしながら昼食を戴く。時短でのインスタントのカレーを温める。珈琲をゆっくりと飲みながら、訪問してくれたブログにお邪魔したり、コメント欄のチェックを見たりして過ごす。すばるの機嫌が悪い。餌はちゃんと遣っているのを遊んでくれと甘える。今、ブログの更新中なのをよく知っている。おまけの木の玩具を出してみる。

 気に入らないと机の上に上がり、庭を見ている。野良猫を呼んではなりません。彼奴、俺のこと誘うんだよ。何を言っているの?外に出るなら、この寒空に風呂に入れますからね。途端におとなしくなったようです。毛布もすばるしか使わないのだが、何日か経つと洗ってくれと言う。トイレは所定の場所でしかしないから、失敗はないのだが汚れるのかな。

 すばるの好物。ロールパン・マヨネーズ・ピザ(チーズの部分)・卵の黄身・飼い主の大事にしている観葉植物・アイスクリーム(白バラとハーゲンダッツ)・ケーキの生クリーム。ツナとマグロの缶詰も好き。従って、これ等を弁当に詰めている時には、細心の注意を要する。うっかりすると何処からか手が伸びて来る。他の物なら置いていても知らぬ顔だ。

 パソコンの机の下には湯たんぽが入れてある。就寝時には布団に潜りこんで来るが、起きた時点でこちらに引っ越す。ところがじっと居る訳ではなく、飼い主が暫くは動きそうにないだろうと判断して、入らせろとやって来る。然も、膝掛でなく毛布をしないと文句を言う。昼寝をするのに寒いそうだ。まあ、日向ではありませんですから。足を動かすと怒る。

 マスクも用途別に使い分けてとあるが、安倍のマスクは税金の無駄使いだったし、安くて使い捨てのはなくなっているので、自分で作って洗う。材質としては絹がいいなぁ、手洗いでの干しであるが必ずアイロンを掛けている。殺菌作用にもなるか?不敷布のは呼吸ができなくなってしまうので、緊急事態時での着用用にしている。で、捨てるのはどうするの。

 だって使用したマスクって菌が付いているのでしょう?塵に出すにしても、その保管状況は危険じゃない?絶対に無理だよな、これで感染を防げる筈もなく、況してや身を守ることって一体どうやってするのか。政府の言う儘にしていたら死ぬよ。働けない上に収入を失くして、不要不急の外出での孤立無援で、どうやって生活するのかな?皆仙人の修行するの。

 枇杷葉茶を沸かして飲み、体調の異変に気をつけて、食べる物も水分だけとなれば、これはもう生き仏の修行かもしれない。仏界への近道となるのであれば、心してせねばなりません。立ち修行・座り修行・千日行等の修行は、一般人には無理だそうだが、なるべくして遣っている気がしないでもない。枇杷葉で結界を張り今後は勤行の日々とするのも亦愉し。
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夕方には接続不能に

2020年11月27日 | Weblog
 何故?かは不明ですが、このところ夕方になったら切断状態になってしまう。ノートPCとは名ばかりで、モデムでのネット接続にしているためだろう。テレビは観なくて、DVDとCD専用にしておりアンテナは下ろした。NHKの勧誘にも腹立たしく、民放に至っては観る番組がない。漫才師や落語家は職業重視で遣ってほしい。この状態では無理なことだが。

 絵本の静かな売れ行きに拍手を贈っている。産まれて来て初めて出遭う物が、絵本であってほしいと願う。我が子にも買っていたし、差し上げるのは殆どが書籍なのだ。友達にもそういった関係の方が多い。書籍が電子化に疾走しないように祈るばかりだ。手で触れて、声に出して耳に伝える。それが誰であるにせよ、幼児は心の中に残していく気がするが。

 わたくしの想い出には、泣いた赤鬼や赤い蝋燭と人魚、ごんぎつねに花の木村の盗人たちやてぶくろを買いに。浜田広介・小川未明・宮沢賢治・新美南吉の童話が鮮明に残る。何れもそれぞれの良さがあり、何度読んでも年齢を重ねても心に沁みる。中学生からはSFの世界に突入した。子育てを終えてからは灰谷健次郎作品に惹き込まれ、太陽の子・兎の眼。

 太陽の子はNHKで、伊川比佐志さん中村玉緒さんが出演。兎の眼は、檀ふみさんの主演だったが映画自体は観ていない。内容は2冊とも強烈で、数日は物が咽喉を通らない状態。数年後に作者に遇えた時には、何も言えなくなって号泣していた。やさしくて温かな大きな手を忘れない。そこに居た大勢の人には、異様な光景だったろうと思うが。亡くなって久しい。

 わたくしの尊敬する、大好きな方々も次第に鬼籍に入ってしまう。光瀬龍氏も逝ってしまわれ、末吉暁子さんも佐藤さとるさんも既に亡い。夢に視ることもあるが、あちらに逝かぬ限りは遇えない。あの輝いていた大切な時間を、共有できていることだけが歓びになっている。人間は、一人で産まれ独りで死んでいくのだが、胸には切なさも溢れて堪らなくなる。

 デジカメを持ち出して枇杷葉の花を撮影する。ブログ用に撮っているのだが、掲載はちょっと後になるだろう。匂いも閉じ込めておければいいのだが、そういった機種も今後は発売になるかもしれないと期待して。ブログもスマホでの共有であれば、多少は会話も可能になるかもしれない。然し、契約内容にも因るので注意が必要だ。コメントも入れたいが迷う。

 すばるは安眠中です。午前中は日向ぼっこをしていたが、傍に行くと遊んでくれるとじゃれる。本気では咬まないのだが、面白がっているのも楽しい。明日は、恩師の四十九日なので、午前中出かける予定だ。コロナ対策をしてのことになるが、見えない事での感染は、既にしているとは思うものの、陰性か陽性かで分かれるのだろう。枇杷葉エキスを持参する。
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神無月、三の酉・中潮

2020年11月26日 | Weblog
 画像が増え過ぎたので消しておきたく思うのだが、さて困った。コピーをしてUSBに保存したいのだが、作動してくれなくて沈黙。で、当分は画像のない状態での更新となる。今朝も霧が深いと言うのか、どんよりとした空模様だが弁当を作って届ける。帰り、図書館に寄って返却と貸し出しを。年末の長期閉館を前にして、予約するべくリスト作成をしなくちゃ。

 すばるの毛布を洗ったり座布団だけは干そうと縁に並べる。洗濯物も独りだと少量なのだが、下水料金は馬鹿にならない。濯ぎなので未だ使えるとバケツで汲んで庭に撒く。ペットボトルに容れていたり、バケツでの汲み置きをしてからの水遣りである。急に寒くなって枇杷葉の葉がやられた。数年分の枇杷湯の乾燥させたのを、昨日どうにかし終えて安堵した。

 お茶パックに分けて入れているので、中味を出して大型の塵入れに纏める。この後に、塩と糠を良く掻き混ぜて暫く寝かし、寒中に施肥として入れる。珈琲の淹れた後のも同じようにするが、自然乾燥での腐葉土作りでは年数も意外と係るものだ。カブトムシの幼虫がわんさかで、ミミズの媒体にも感謝が大きい。山になっているのが崩れて一丁上がりとなるのよ。

 昨日、寒かったのでストーブも点けていたのだが、すばるは甘えて抱っこをせがむ。右手で胸をちょいちょいとするのだが、重くなっているのを抱くのも数分だけ。背中におわねば何もできないが、小さい時からしていないので無理かな。DVDを観始めると膝に飛んできて動かないのも、ずり落ちるのもはばからないでいる。話せば分かるので、トイレと断り立つ。

 昨夜には曇っていてさっぱりであったが、今晩は晴れるようなので愉しみも増える。木星と土星と月が並ぶ。夕方には月だけだが、PM7時台から8時台にかけては、辺りの闇との関係で観られるだろう。今月の30日には、半影月食も天気さえ良ければ可能だ。来月には双子座と小熊座流星群が、待っているのも愉しみだ。プレアデス・ヒアデス星団は牡牛座に。

 オリオンの持つ盾と刀の先に、牡牛座のアルデバランが確認出来たら、右にゆっくりと移動していけば、プレアデス・ヒアデス星団が分かる。オリオン座のベルトに充三つ星も相当な輝きを放っているので、双眼鏡があれば眩しく留ることは間違いない。おおいぬ座のシリウスも、こいぬ座のプロキオンも人目を惹くのがうれしい。夜間観望には短時間でも防備を。

 介護の仕事をしている時には、相当な気力も体力も必要で消耗していたが、家族での看取りとなれば心労が重なっていくは否めない。どこかで自分の思いを吐露していかないと壊れる。仕事と割り切ってすればいいものだが、そこは人間の道理でもあり、性格や様々な事情にも突き当たる。介護の本を読んでも、現実には程遠いことも出て来て対処の方法にも因る。
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曇晴れ・・・

2020年11月25日 | Weblog
 歌劇のトリスタンとイゾルデは観たことがない。ストーリーに惹かれて買ったDVDは、今流行りの役者の起用で見せ場も充分だが、何となく違和感も感じるのは、台詞の言い回しというか無駄な意図が見え隠れて、全体の雰囲気が先に走り過ぎる帰来が視えてしまう。持って回った言い方というのか、小出しにしての臨場感が薄い。配役は好いのだけれど。

 サムソンとデリラ。坂田靖子さんのコミックが痛快で、こっちの方が正しいのかとも思わせる。彼女の作品もそのほとんどを持ち置いているが、何時読み返しても心が温かくなる。抱腹絶倒の話の底辺にも、物悲しいというか哀愁も漂い、考えさせてしまう技に脱帽する。伊平次とわらわ。途中から、涙が溢れ止まらなくて茫然自失。秋深し、天花粉最高。

 今朝は、弁当作りがないので寝坊し、曇っているのでだらだらしていたら天気なった。座布団だけ干して庭の見回りをするが、そこら中花芽の香りが放ちており、匂うがごとくの有様でもある。暖かさに蜜蜂が飛び、虫も冬眠には入っていないのか、生葉が黄色くなっているのも多い。山茶花が満開となり、ここにも羽音がしきりにしているのを認めるが。

 すばるは、賢いと言えば聞こえはいいが、ストーブを点けたままで絞っていなかったのを、煩く纏わりついてきて教えた。異様な行動をとるには何等かの理由があるものだが、飼い主の危険や忘れていることを知らせるとは。今は、パソコンをしている後ろで、箱に入って眠っている。網戸にしてやっているので、日向ぼっこ中でもある。すばるに感謝を。

 平岩弓枝作・橋の上の霜。これは配役が違うなぁとがっかりした。太田直次郎役の武田鉄矢が拙い。他の配役には異論はなく、演技も巧い役者揃いなのを、何であれぶち壊している感が否めない。原作とは異なるのは内容だけで良いもの、一人浮いての演技なのだ。個人の偏見にも因るのであるが、太田直次郎・四方のあからという人物と一致しないのだ。

 リエさんの訳本・赤鼻のトナカイを、足湯に来た娘さんにクリスマスプレゼントで渡す。そう言えば保育所に通う姪御さんがいることを思い出したからで、子どもらしい素直さもある。価格を見てびっくりしていたが、貰い物であることも伝える。それにこの絵本はとっても好い。本屋に注文して、図書館にも入れて貰おうと決めた。素敵な絵本です。

 疲れが溜まっていたのか、熱の花が出てしまう。刀豆茶を飲んだら引いたが、何となく本調子にならない。手当も意外に気力を使うので、少しばかり体力消耗かしら。ブログの訪問も増えて来ていて、何方だったのかが分からなくなっている。10人ほどに絞ってにしようと思いつつ、猫と花に心が惑う。翡翠も撮影すればいいのだがと悩むこの頃であるよ。

 新幹線の指定席は、2列の進行方向を取る。富士山が見たいためと、撮影できればとの思いからだ。窓が開かないから。
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不安定な雲の動きに

2020年11月24日 | Weblog
 すばるが止まらない。そこら中を駆け回るので、可笑しい・変だなと思っていたら、やはり地震があった。地域限定の鮮明さではなく、何処かで発生するのが分かるだけなのだが良く当たる。これで原発を再稼働させてであれば、被害は甚大になるのは明らかで、津波が押し寄せれば悪夢が甦る。誰が決めても何をしても良いのではなく、地球の為に考えて。

 一昨日からの予定で、本日は足湯に来ることになっているので、弁当を作り届け、Aさんちに寄ってお水を分けて貰い、コンビニに電話代を支払いに行って、青空市での野菜を仕入れて帰宅する。図書館は連休で閉っている。昼食も未だという娘に、珈琲を淹れていたのを注ぎ、弁当の残りも含めて一緒に頂き足湯に。夜勤明けの為か、途中から寝息がする。

 起こすのも可哀想で足裏をマッサージしながら寝かしておく。3時過ぎにやっと目が覚めて、良く寝たと起きてきた。我が家を厭いもせず遣って来るが、手ぶらではなく何がしかを持ってくる。こちらもお八つの用意もしているし、珈琲もお代りでさせている。とてもよく気の付く娘で、わたくしが年上であるのも忘れる労わりを、さりげなくするのも佳い。

 先日の獅子座流星群は、運良く可なりな大きさの流れ星が観えたと話してくれた。それも3つよ!とうれしそうに教えてくれる。そりゃ、仕事を頑張っているご褒美じゃない。答えたらウフフと笑う。本日は、足湯と両手のマッサージで満足して帰って行った。ブログの更新も予定優先で今している。気温も低くなってきているし、天気も夜間に雨が降ってしまう。

 先日の肋骨に罅が入ったようだったのが、痛みが3日間程で遠のき息をするのが楽になった。枇杷葉の生葉をひたすら貼り付けていたのが効いたようだ。尤も、この状態では病院に行っても手立てはないらしい。自宅での養生で充分なのを、枇杷葉で和らげたのも好かったようだ。寝返りが打てないのに困ったし、首も寝違えたようになってしんどかったが。

 枇杷葉の花と山茶花が咲きだして、辺り一面の香りで満ちている。自然の匂いのやさしさに癒されることは、至福の歓びでもあると感謝を。沿道にも枇杷葉は植えられているのが見える。河岸には薄が揺れて山は彩つき、川面にはカイツブリの獲物を狙う姿もあり、野鳥のけたたましい囀りもする。長閑で豊かな自然も、四季の移ろいを委ねて往くばかりだ。

 宮部みゆきさんの、ソロモンの偽証の意味がやっと解る。DVDを何度観たことか、ソロモン王は存在していた人物でも、行いの数々や、キング・ソロモンと言われる由縁が理解できなかった。今度は、文庫の読み直しをしよう。物語も自分での納得がないと詰まらない。小説の中味を覚える位に読むが、歳と共に忘れていくものだ。愉しくもあり哀しくも有。

 東側からの撮影。随分と育ってきて、傍の海棠を押し気味になっている。隔年の生りようだが、比較的沢山の結実が。
 

 
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勤労を、どうやって確かめるの?

2020年11月23日 | Weblog
 コロナでは働けませんし、パソコンでの操作にも手間取る。勤労は生きていることの証になりつつで、年齢にも依りますが生死の問題へと繋がってしまう。沖縄の辺野古移設を止めてくれないか。珊瑚が次々と死んでいるのを知っていますか?無理矢理に人の手で強制的に移されて、そこが環境としては良いかは珊瑚にしか分からないのを、勝手に判断して殺す。

 人間でないからいいのですか?助けてやってるんだから、何処に移そうともそこで生きろ!とは酷い。人工的な設備が幾ら整っていても、自分達が暮らしてきた環境とは程遠い場所で、健やかに育っているとは誰が決めたの?珊瑚は言葉こそ発しないから、人間の所見で勝手なことが行えるの?とてもじゃないが自然への裏切りであり、人類の傲慢さ厭きれる。

 これが人類であれば殺人です。幽閉・隔離して、食べ物も与えず放置していれば、どう考えったって殺しとなろう。じゃあ、珊瑚になら何をしても良いのだろうか。人間の役に立たねば捨ておくのか!理不尽だなぁ。わたくしには資金もないから、高価な装飾品として買うことはないが珊瑚は生きているんです。人間だけの為になら、子ども使ってダイア堀も。

 コロナでなくても、出不精ですから近場の食べ物屋にも行かず、食事の支度は独りなので食卓には少量ではあるが、三度の賄を苦にしても始まらないと作っている。無論、インスタントも使うようになったし、簡単な物で済ませることも増えたが、自分に合っていればいいのだ。それにしても働こうにも厳しい条件での採用にはびっくりして、やる気も消滅する。

 ブログでのやり取りも愉しくなってきて、まるでどこでもドアーのように各地に行ける。これだとトラブルがなくていい。おまけや見返りを期待するから怪しくなる。ポイントも貯まらないが、生死に係わることにはならぬか?図書館で借りたのに、健康体であっても症状も出ずで、体内に持っていることもあるとあった。これはコロナでなく腸チフスの話だ。

 然しながら、コロナにしても同様のことが謂えるのかもしれない。終息はないと思える状況では、広げて大きくしてしまうよりも小さくするしかないだろう。映画も無料での配信を希望する。これは笊勘定で国費を膨大に膨らませた国の責任。家内から出ないで過ごせというなら、個々の興味の違いを認識させた対応が必要だろう。テレビは詰まらんですなぁ。

 図書館での書籍の貸し出しにも、或いは食卓への配慮も然りで、国は泥棒が入ってから縄を綯っている感が否めない。それも役立たずの泥縄じゃないか。自力とは我が身に降りかからねばいいのであって、庶民の苦しみには無関心というところ。神武天皇が家に煙が見えないと心配し、手厚く差し伸べた時代は還って来ない。ゼイゼイという喘ぎしか聞こえん。

 菅内閣に総辞職を求める。傍に付いている者もいい加減な馬鹿ばかりだ。本当に国会議員の誇りがあるなら、例え1ケ月でも無給で働いてくれないか。己の財産を増やすことだけしか考えないでいる。小泉等も役立たず。超能力者がその力を存分に使えば、地球は吹っ飛ぶかも。明日の太陽の昇るのさえ不明な現世を、生きていくことは至難の路でもあるんだ。

 神は何処におわしますのか?森羅万象としての存在を疑っていたら、突然目の前に現れた瑞光。一瞬、光に包まれた。
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神無月、小雪・上弦・小潮

2020年11月22日 | Weblog
 二十四節気 小雪 寒気つのり、雨凍って雪となる。の意味で、小雪と言う。この頃より風も、寒冷の気を運んでくる。毎年、十一月二十二日頃である。昨日とは気温も低くなって窓に結露が出来ているのを、雑巾で拭き取りながら天気を頼みに座布団を干す。次第に曇って来て怪しくなる前を仕舞う。青空は何処へか消えて雲の広がる模様に移る。

 洗車を昨日しておいてよかったと安堵し、落ち葉を掃きながら枇杷葉の枯れ葉を落とし纏める。堆肥になるって使えるのは先の事だが、準備しておかないと散らかし放題になる。本音では焼いて始末したいところだが、近隣の事情もあり難しい。男性がやれば何も文句が出ないのを、女性がすると煩くご注進だ。男女差別も激しい田舎に厭きれる。

 枇杷葉の根元に積んだりして、自然に腐っていくのを待つには年月も掛かるが、自分ちの中であれば言えまい。それに自主的に綺麗に始末しての事を、他人からとやかく謂われたくもない。箒を使っているのも見た試しがないし、草も抜いている格好さえ定かだわ。最近の若い者は、直ぐに除草剤を撒いてしまう。人体に影響が少ないのだと言うが。

 洗濯物が陽射しもだが風もなく乾きが悪い。これでは室内に入れた方がいいかな?4時になったら仕舞うか。わたくしの洗剤はボディソープなので、臭いも全くしないのが有難い。部屋干し用の洗剤など高いばかりだ。コープの桃のが優しくていい。身体にはパックスナチュロン社のを使うのは、枇杷葉エキスが入っているからだ。最近は値上げに。

 昨夜・AM2時過ぎの宙。満天の星の瞬きに佇んでいた。夕方には火星も、木星と土星に月を確認して撮影しておき、仮眠を取って外に出た。オリオン座は南の方角で、大熊座が北東に悠然と浮かぶ。小熊座は動じずカシオペア座はΣに観える。そこから天頂近くに眼をやれば、プレアデス・ヒアデス星団を認め厭きず眺める。何という美しさだろう。

 彗星は肉眼では難しく分からなく、あの辺りかな?とも思えるが観つけられなかった。写真を撮るのもブログだけであり、専門的な腕も趣味も持ち合わせない。自分の眼で見られることと、そういった幸せを満喫できることに感謝。これ以上の望みをもつのは贅沢なことかもしれない。清貧の暮らしには、何処かに行くことも気分だけで好いのだ。

 レ・ミゼラブルと汚れなき悪戯を観る。文庫では読んでいて、その内容とは同じではないが、ラッセル・クロウも出て来るので何度観ても飽きないの。書籍も図書館で借りているのを読まねばならず、家事も溜めれば動きが取れない。自分でも一体何をやっているのかが不明になる。認知症の予備軍かな?それならそうでブログも止めねばならぬ。

 月の美しさに惑うのは、やさしくしっとりと降りそそぐ光だからか?月神とも云うその姿に、魅了されて宙に浮く。
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無理はしない。

2020年11月21日 | Weblog
 昨日予定を立てていたので、用意万端での洗車に掛かる。外での作業であり風も強いので、それなりの格好で取り掛かっていく。水道代も莫迦にならないので、上手くやらねばと脚立も出しての奮闘。その後、洗剤をつけて丁寧に洗い、風のお陰で乾くのを幸い拭き取ってワックスを。最後にドアを開けての掃除・拭き取りを済ませ、窓ガラスを磨き終える。

 外の作業も暖かさに順調に終えたが、枇杷葉の枯れ葉が気になって取っていく。内に入ってみれば早PM2時が近いではないか。約2時間少々の洗車に安堵しつつ、この歳では無理が効かないことを実感する。気温も25℃となっているので無事に済ませたが、身体の冷えには注意が必要なのだ。無茶は無論の事で、自分で可能な範囲をやっていこうと思ってる。

 すばるは、日向でおとなしくしていたので捗ったが、恃む訳にもいかずです。こういう時に外で遊ばせてやりたいとも考えるが、うれしさに何処までも行きそうで眼が離せない。車がビュンビュン通行しているのも危ない。陰猫なのを歓ぶべきかな?狭い家の中を走り回るから、外にも出してやりたい気持ちはあるものの、帰り道が分からないのも困るのだ。

 網戸にしていても(換気中)風向きでもあるが寒さは感じない。つい眠気が襲ってくるのが偶に傷で、満腹になったら如何せん瞼がくっつく。数日曇やら雨と宙が観えていないのだが、今晩辺りはどうだろう。三連休は無関係であるものの、子どもの泣き声に閉口する。だからっ、泣いているのをご機嫌取ると、泣けばいいと思うんだってば。知能犯になる。

 枇杷葉の花が無数に咲いてきているので、外に居るとむせ返るようだ。薄茶色の苞を破って出てきた白い花弁が、そこら中に香りをまき散らす。自然からの匂いにはやさしく清らかな趣がある。個人的には、人工的な臭いは苦手で、それを公害・香害とも言うらしい。特に洗剤の強烈な臭いに気分が悪くなるし、湿疹が出てしまう。柊も銀木犀も素敵ですね。

 枇杷葉を寒中に採って切れば、自然乾燥しますので手が掛かりません。生葉は何時でも採取可能ですが、夏の間には新芽を出すので、できれば控えた方が好いのです。また、焼酎に漬けるのも寒中にするが、無くなって足らなければ、硬くてごわごわしたしたのを採ります。要は小寒から大寒にかけて、1年分を作っておくのが得策です。3ケ月で使用可能。

 これまでにも効能を記していますが、実に多用途に応用できますし、市販品を買いに行くくらいなら、時間も金も惜しいので作っておきます。焼酎自体が殺菌作用もあり、自然治癒力を援けてくれるのです。切り傷・擦り傷始め、骨折は無理でも打撲には湿布より効きます。熱がある場合には生葉を当て、落ち着いてきたら蒟蒻を温めての音圧療法もお奨め。
 
 お腹が冷えて来たり、体内の排泄物を促す働きにも良く、お茶で洗浄して枇杷湯で身体を温めるのも一考。足は第二の心臓とも云われるので、塩でしっかり擦り温まる。冬になると皮膚が粉を噴くのも、辛抱強く続けていれば自然に完治します。赤ひげではないけれど、古来からの民間療法には無理もなければ、無茶苦茶もありません。身体の要求に応えて。

 家の周りにある枇杷葉も、年々増やしてきたが、そろそろ考えてやらないと、死んでしまった時が心配。息子は絶対に伐る。
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