枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

長月、望・大潮

2020年10月31日 | Weblog
 月の光が眩しく宙全体を覆っている。何だか気恥ずかしいような気がして来るのは何故だろう?その横でマーズが輝く。星も観えているのだが、余りにも神々しいのに気負わされる。月神とはこのことか、それとも美しさの極みを嫦娥姫とも例え。天帝の想い人と言われるが、何ともその光に惑わさせるばかり。世の中には、美人ばかりではないが心を磨こう。

 人間の身体の構造は同じなのに、ちょっとした配置で異なる顔でもあるが、美人ばかりだと諍いが絶えないだろうし、醜女ばかりでも或いは少なくても問題は起きるのか。かぐや姫が、満月の夜に月の世界に還る場面で、誰もが目を開けていられない眩さというのは、こんな展開であったのかとも。実際、このまま上昇してしまうのではないかとふらつく。

 旧暦での暮らしであると、どうしても月の満ち欠けや潮の満干潮に思考がいく。地元の図書館では古書市があって覗くと、こーひーの味わいの「こつ」、きものつれづれひと模様を見つけて貰う。買えば高い物であるのが、図書館も整理していかねば新刊が置けなくなってのこと。雑誌の猫大好きの付録も持ち帰る。これはすばるの餌であるのだから。

 昔では、家族と言えば大勢での同居で当たり前であったが、核家族になってからは空き家が目立つ。古民家を修理して住む者も居れば、新築する方もおいでであろう。でも、勿体ないなぁとも思えるのは、山を開いて切り崩すので、そこに棲む生き物の行き場がなくなって、餌を探すのに不自由するのを考えたことがあるのかしら?簡単に建てて出ていく。

 田舎は不便です。距離的なこともあるが、交通上の不便さは言うまでもない。町内を回る交通機関もあるにはあるが、時間的なことでの制約が付く。直ぐに行って帰れることはなく、回り道の公共乗り物になる。車は軽四でいいがメンテナンスが高く、あちこち乗らないまでも燃料費は要る。空中を飛ぶベルトがあればいいなぁ…発明しよう。便利になる。

 独り暮らしで困ることは然してないが、干渉されるのは好みではない。孤独死を懸念しての訪問にも迷惑である。友人は居るが多くはないので、適当な距離を保って付き合えばいい。予告もなく訪ねて来られたり、欲しくもない物を押し付けられるのは厭である。それって廃棄になってしまうから、要らないと断るのにまあまあと置いて帰るのに困惑する。

 ブログでの訪問は、時間を気にしないでいられることと、自分の好みで決められるからだが、それでも迷惑がかかることもある。宇宙・花・猫に異常な反応をし、書籍の類にコミックと範囲は広いが、苦手なのは趣味が全く違うこと。でも、訪問はさせて貰うしちゃんと読んでもいる。要は、気紛れなのであり、頑固で好みが激しいのだ。出不精でもある。

 本日は、弁当配達日で作って届ける。今朝の気温が低かったのでストーブを点火した。枇杷葉茶を沸かし味噌汁をかけて温めた。暖房は未だ点けていないので、夕方になったらコートを着込む。仕事をしていた時には着替えてスカートを穿いていたが、寄る年波には勝てずズボンにしている。それも内側が温かな生地のだ。腹巻もしての重装備ですばるを。

 桑の木を植えたのは、雷除けの為であるが、これが勢いよく育ってしまい、今年は秋に剪定した。赤が紫になったら熟す。
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月日の流れ・・・

2020年10月30日 | Weblog
 昨夜は十三夜で外に出るが雲が多い。目論見が外れてしまい時間稼ぎをしつつ待つこと数時間、午後の8時になるものの生憎の雲の広がり、こうなったら根競べかとデジカメ片手に…、やっと雲間が切れたところを数枚撮る。火星は輝いているが、秋風の勢いもやさしくて寒さは感じずで、未知との遭遇には及ばずであった。すばるが外に出たがるので家内に。

 牛乳パックの飲んだ後を洗い乾燥させて、鋏で切り開いて幅が1cmで長さが25cmの物を作り、ボンドをつけて型に合うように千代紙を貼っていく。一日乾燥させたのに両側から丸く折り仕上げる。このままでも好いがニスをかけると艶が出るし水分を弾く。わたくしはそのままで使っている。千代紙の柄にも因るが高々箸置きという品物にしては上出来です。

 介護施設に居た時にバザー作りにしたのですが、千代紙の模様が綺麗で作り方も簡単なので手持無沙汰になると遣っている。この他にもごみ箱入れだとか、スポンジ作りもあり見様見真似で出来るのも楽しい。ネットでの検索をすれば作り方は出ているらしい。昔には、藁すべや麦での作業であったのが、廃物利用で牛乳パックとは発案者に拍手。他にも多々。

 天気が続いており枇杷葉の苞の状態も先ず先ずでうれしい。金木星や銀木犀に柊も咲き終わると、どこからともなくやさしい香りが漂ってき始めるが、それが枇杷葉の匂いなのであり、薄茶色の苞に包まれた蕾から白い花弁が現れる。最初は、一体何処から?何の匂いなのかが分からずで、我が家で咲いていることにさえ気づかなかった。そろそろだねぇ語り。

 屋敷中を枇杷葉で埋め尽くしているのと、百日紅等の彩づいた葉が風に舞うので、落ち葉掃きは欠かせない。昨日も、掃いて終わったと振り向きざま、風で枯れ葉が舞っている。厭、自然現象であり横着をするなとの戒めだと再度箒を持つ。昨今はその場で焼けないので、腐葉土にするべく纏めておく。数年経てば自然と嵩が減りボロボロになっているのよ。

 コロナでの死者が増えているのか、他での疾病なのかは不明だが、やはり人が密集すれば危険を伴うのは明らかで、田舎であろうと都会でも条件は変わるまい。マスクも作っておこう。先日には、スカーフを切って縫ったが、これがツルツルと滑るので厄介なのだ。蝋燭を縫い目に付ければ好いようで、まあ手縫いであるからと口実をつけて渡す横着者だが。

 百舌の鳴き声にチイチイとの声も混じる。古米の忘れていたのがあって庭に撒いてやったら、利口なんだね鳴き声で呼び交わしている。ここには餌が沢山あるよとでも言っているのか。幸田姉妹を読み終えて、出版日付に2003年とあるのに驚いた。幸田文・おとうとは読んだことがあるが、この姉妹のことには気づかなかった。廉太郎ノオトも胸が震えた。

 還暦を越えれば怖いものなしでもあるが、多くの書籍に親しむことも大切だと痛感した。今までにも読んできているが児童書が大半を占める。好きな作家にも填まると他が見えなくなる性格で、佐藤さとる・末吉暁子・灰谷健次郎等、買いまくっている。最近はヨシタケシンスケで、言葉で表現できない子どもの気持ちは、大人にも共通なことだとも思える。

 新聞に眼を通しながら県内版に安堵する人が居る。俳句や短歌の投稿だが、久しく名前が載らなかったのでもしやと案じてもいた。生涯を独身で亡くなった恩師にも、偶さかのことしかできなかったのを、弟さんが慰めてくれた。本人は医者嫌いであるから、手術はしないと延命を断ったそうだ。安否の確認には新聞でしか分からないがそれも亦然りか。

 淡い色の薔薇を見ると、ケーキの上に飾り付けた薔薇のデコレーションを思いだしてしまう。食いしん坊でもあるのよ。

 
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長月、十三夜・中潮

2020年10月29日 | Weblog
 作物の出来不出来にも植え付けの段階での不手際や、その時の気温も大きく関わるのではないか?と思える。加えて、個人的には暦を参照して行うので、例えば春には何処に金神様がおいでで、その場所は決して触ってはいけない約束を守る。お不動さまに願掛けをするのも、邪なことは頼まないことでもあろう。手塚治虫氏のどろろにも描かれている。

 昔の風習に強い拘りを持たなくてもいいが、骨身に沁みた件もあって疎かにできない現象もある。但し、他人への強制をしようとは思わない。其々に考え方も生活も環境も異なり、自分なりの信念もあろうと感じるので、聞かれれば答えるが敢えては告げないでいる。そういう力があることにも自分自身の負担も少なくない。旧暦での暮らしにしてから。

 昨日網戸を張り換えてもらったら、何と部屋が明るくなり景観も良くなった。掃除もしているものの、汚れが拭き取れていないことに気づく。然し、年末の大掃除もこれで多少は横着が出来るとあって、体力にエネルギー消耗の危機感を薄れさした。年金暮らしでは、何もかも自分でしないと舞いません。安くて栄養的なことや、分量も考えないとね。

 プランター栽培も一時期はしていたが、野鳥と夜盗虫との戦いに敗れた。土がないのを買わねばならず、菜園も猫の額程を作るのも、管理は無理だと青空市にしている。お百姓さんを侮ってはいけません。百姓というのは自然界の100の事例を極めることだそう。そりゃ並大抵では出来ませんし、土の色や香りや、果ては資質に無頓着では不可能だ。

 やはり専門の方にと諦めて、今は枇杷葉だけにしています。これが自分に向いている自然との語らいだと想ってのことで、本日も鉢の移動をしながら話もして遣っていた。布団を干してのことでは、仕舞わなければならずなので、気づけばPM1時を過ぎてしまった。腹が鳴るので昼食を口にしていないことに慌て、ご飯を仕掛けて更新をしている粗忽者。

 フェイスブックの背景も工事中だし、個人での記事の載せ方にも分からないことだらけで、リエさんが送ってくれる記事やら、はり灸さんの書いていることへの反応だけだ。そこが機械オンチな処なので無理をして、消去してしまったり、初めから作成するとなると混乱を極めるので、現状維持での操作に始終している。取説があっても分からないのよ。

 それにしてもこの暖かさはどうだろう?暖房を点ける気分ではない。車は自動切り替えであるが、25℃設定だと暑すぎたりして困る。異常気象に不信感が強くあり、地震が起きねばいいがなとも思え、心配事の種が疼く。リエさんの所はしょっちゅう揺れているとかで、こちらのようには気楽でもなさそうだが、壊滅状態になればどうすんだろうかなぁ。

 小さな卵が孵化し、1mm位から蜜柑の葉をひたすら口にし、やっとこの大きさになった。親指大位になれば蛹に変わる。
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読書週間

2020年10月28日 | Weblog
 特別なことでもないように思えるが、本嫌いであったりすれば、仕方なく読んでみようかとなるのかしらん。テレビが嫌いなのは、最近はやらせが多いこともどぎつ過ぎて、余りにも馬鹿々々しい内容に視聴率ばかりを計算してと思える。往年のスターが引っ張り出されると、若かった時や売れていた時のことばかりに集中する。何よ!皆歳をとるんだわよ。

 書籍には今も昔も読者を選ばず、其々の心に語り掛け或いは寄り添って、情況への対応をゆっくりと整えてくれるもの。時を遡り大好きだった人にも逢える。恋して止まない方に遇わせてくれ、切ないほどに感情の起伏があっても、黙って抱きしめてくれる。傍に居てくれるだけでいい。DVD・ある日どこかでのように、今に迎えに来てくれると信じて。

 幸田延と幸を読みながら、その頃の時代を先駆けていった女性が居たことに感銘する。才能にも因ろうが、天才も弛まぬ努力の賜物に気づく。でも、運気も必要だろうとは思うし、何が幸いするのかも生き方に影響するのかもしれない。糸も24時間中堪えず張りつめていれば、やがては切れてしまう。心身共に緩めたり張ったりが巧く噛み合わないと壊れる。

 明日は、既に本日にはなっているが、網戸を張り換えてもらうので落ち着かないため、先に更新の予定だけしている。星を眺めて就寝するが、湯たんぽのお陰て安眠できる。すばるは寒くないと潜ってこないので、炬燵代わりには無理なのだ。今も、パソコンを始めたら機嫌が悪くなった。抱っこを所望している。猫の3年って人間の何歳かな?甘えん坊だ。

 網戸の張替えが無事に済み、珈琲を挽いて淹れ暫し談笑する。前の職場の娘が親切に頼み込んで、連れて来てくれての対応なので安心もできた。こういう時に、身近に居ないのも淋しいかなとも思うが、気疲れするので何年も放置しており、藪蚊の侵入に貴重な血液を吸われていた。誰も、手弁当では遣ってくれませんし、自分でできないときている横着。

 すばるは、何時ものように箪笥の上に駆け上がっていた。絶対に姿を見せないのもお利口さんで、飼い主の心境をよく弁えている。娘は、足湯に訪れて来るので、そこにはちょっとだけ挨拶していたが、一体何処に行ったのかと思うくらい隠れてしまい、気配が消えるまで出てこない。餌はむろんのことで、トイレも絶対使用しないから、用心深さは忍者。

 昨日、ブログを書いての中断後、外に出てみたが雲が多く火星しか観えなかった。今晩から雲行きも下り坂らしいから諦めて眠った。今朝は早朝から眼が冴えていたが、段取りを考えてAM7時過ぎに起きた。新聞を読み、珈琲を淹れて飲み、支度を整えていたら約束の10時になったので、待ち合わせ場所へと向かい昼食の弁当を買いにドライブした次第。

 新車で買って、早2年だが走行距離は15000Kmである。燃料はきちんと容れているし、洗車もしているが何分近場ばかりをうろつくので、本日は少し距離が延びたかな?田舎は、車がないと不便だが乗らない日が多いと、余計な出費が増えるばかり。1台の車を予約して時間で使用できるシステムには程遠い。古希になったら免許も返上しようか悩む昨今。

 気にいって買い植えるが、暫くすると名前が出てこない。増えていく種類や消えてしまうのもあり、放置状態で有難い。
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毎夜の観望

2020年10月27日 | Weblog
 明日の午前中までは天気も持つらしいが、雨にも降ってもらわねばで本日も布団干しに精出す。午前中は弁当を作り配達し、Aさんちで水を分けて貰いそのまま燃料補給に北に向かう。スタンドのオーナーに猫のことを話そうとしたが、後が閊えていて直ぐに出た。沿道には紅葉の模様が続き、途中桜が咲いているのも確認して、図書館にやすらぎ刻2巻を返却する。

 それにしても温かいなぁ、と帰宅して落ち葉を掃いていたら汗が出た。布団を仕舞い昼食を頂きながら、明日の用意をしなければと思うが、先にブログの更新をしている。先日には、台所の窓下に沢山置いてある瓶を纏め片付けた。枇杷葉の種が大量に出てくるわ、イタドリが腐っていて廃棄するわでてんやわんや。雑巾で蜘蛛の巣を払い拭いて並べ替えて疲れた。

 昨日は、友達が先日の火傷の手当のお礼だと、ケーキを焼いて持って来てくれたので、新しい珈琲の袋を開けて挽いて淹れた。Aさんちの水なのと銀座パウリスタの豆で、隔月に届けてくれるため重宝している。でも、定番は直ぐに飲んでしまうので、追加をかけたりしている。水道水のカルキ臭さがないので、風味もとてもよく美味しい。彼女は違いが判るのだ。

 珈琲を飲む割には品名が覚えられないし、買いに行かなくても届けてくれるからだが、これが出かけてとなると枇杷葉茶だけになろう。対人関係と言うか、人混みと言うのかが苦手であるので、極力避けて過ごしている。相手にジロジロ見られたりの値踏みも厭で、ああいった空間には行きたくもない。行動は可能な限り独りでして、やむを得ない場合のみ同伴。

 猫もだが、花木を相手にしていると、言葉こそ喋らないが通じるものは大きい。木村秋則さんが提唱される声掛けには、凡てが当て嵌まる。枇杷葉と会話をしていると怪訝な顔をされることもあり、奇怪な目で見られる。そんなに変かな?おかしいのだろうか?自然との対話をしていると、異変を察知できるし教えても貰える。人間こそ何も持たず知らされずだよ。

 だから何歳になっていたとしても、そういうことへの関心がなかったり少ないと、逃げ遅れてしまったりすることや、危険回避が不可能になる。わたくしは状況がどうであろうとも避難しようとは思わない。死んだらそれまでだし事後処理も他人がしてくれるから。子ども等は何かと煩く言うが、遺産は太田胃散さえないのだから、却って安心だろうとも思うが。

 芍薬は根元が薬草であるので買った。白と薄桃と濃い桃とがあったが、枯れたり咲かなくなってしまう。肥沃でもある。
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夜半の出来事に

2020年10月26日 | Weblog
 今朝、銀河のお茶湯を換えるのに庭に降りようとしたら、履物がない!物忘れの兆しかな?と思ったが、何やら右手の1m先と左側に見えているのを確認すれば、無残に喰いちぎられた履物がある。えっ?何が来たの?何が起きたのと首を傾げるが、すばるは呻ってもいなかったし、野生の生き物がきたのにも納得できない。犬なのであろうかしら。謎である。

 その後、布団を干して朝食を頂き新聞を読み、玄関から外に出て紫陽花の枯れたのを切って短くしたり、フェンスに木香バラを絡ませたりしながら、リエさん枇杷葉を見ながらふと足元に転がる鉢を見つけた。あらっ?なんでこれだけが…と不信に思いながら梅の木の剪定もしておく。今までに犬が来たことはなく、野良猫がしょっちゅうだったが何物なのかな。

 スイトピーが蔓を伸ばせているのに、1本齧られているのを発見する。これは夜盗虫か?バッタの類かな。農薬を掛けないでおけば、生き物の餌になるのは仕方がないのだが、がっかりも同時に味わう。すばるは、家内で飼っており猫でもあるので威嚇は同類にだけだ。夜半の宙に観入っていたので、気づかないこちらに落ち度があるのが何とも情けないなあ。

 一昨日も見事な宙であった。昨夜から夜半真夜中にかけても、多少の雲はかかっていたがオリオンは東南の位置で、シリウスも上がってきていた。火星は西に傾いており、アンドロメダも天頂に近く観える。運よく、オリオンのベルト付近を通過したのを確認。一昨日(真夜中で日付は変わっている)に引き続き数個観えたのでにんまりとする。宇宙の醍醐味。

 故首相の葬儀を国葬で行うのは甚だ疑問の塊だし、核廃絶に向けた意識にも、諸外国でなく国内の賛否という実情に言葉もない。沢田研二さんが山本太郎さんの選挙応援している映像を偶然見て、俄かファンになったのもこの時からだったと思う。脱原発にも触れて地震が起きたらでは遅いと言葉を尽くしていた。再稼働にも大きな危険が伴うのに何故隠すの?

 老若男女問わずで、文章が読み易い書き方をする方には、一定の基本があることに気づいた。毎日新聞の日曜版を楽しみにしているのだが、ぐうたらママが終わってしまい、紙面が空いた所に埋められた記事が何んともそぐわないのだ。内容ではなく流れの調子と言うか感覚的なさが微妙に異なるため、書かれていることが素直に読めないのはどうしてと思うばかり。

 その疑問は、書かれているご本人が一番よくご存じで、先日のコラムを読んで納得した。文章の内容は多々であり個人の想いであるブログも、難解な感じを受け取るのは行数であったり、字の並べ方であることに思わず頷く。例えば、何字を何行に書いてまとめるというやり方は、書籍を多く読み、加えて文章を何度も校正しなければならなく面倒でもある。

 高校在学中には新聞部で先輩のやり方を学び、書籍が好きなことも幸いして1年間に読破する数は200冊を下らない。テレビは下らないうえに自分の観たい番組も粗筋で分かるから詰まらない。友達も、書き手や編集者が多く、刺激を受けることも少なくない。出版物も図書館で選べるし、面白い内容には填まってしまう。また作家への拘りも強くあるのだが。

 学業を終えているからと書けるものでもなく、字の持つ意味や言い回しにも依るが、基本は誰でもが読める文章であることを心がけたく思う。やさしいことを書けば、相手もやさしくなるのではなく、言葉の並べ方かなとも思える。従って他人のことでなく己の修行にもなるかと、ブログの更新をし続けている。老後という環境での悟りかもしれないけれども。

 黒揚羽の幼虫は、柑橘系に卵を産み付ける。蝶道も決まっていて、時間の定刻さにも驚くばかり。庭の異星人でもある。

 
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一抹の淋しさに・・・

2020年10月25日 | Weblog
 田舎に暮らしているのは、都会の喧騒と空気に馴染めないからでもあるし、金銭的な余裕もないから引っ越しも無理なのだ。以前には児童書の書き手が集まる同人誌を購読していて、こちらから参加していたり、季節の果物を送ったりの親交を深めていた矢先、還らぬ人となって数年が経った。殊の外、我が家の枇杷の実を悦んでくれていた佐藤さとるさんも。

 あの頃には毎年のように上京していたから、友達も知人もあちらの方が多いくらいだ。リエさんは、その中でも珍しく気が合ったというか、合わせてくれたのかは疑問だが、今も付き合ってくれているし、はり灸さんは、ご家族での親交を続けてくれる。当時、小さかったお嬢さまも既に小学校の中学年となり、利かぬ気の愛らしい笑顔が素敵でやさしい子ね。

 東京にも一歩中に入れば、静寂な家並みが続いているし、宮沢賢治や石川啄木の住んでいた所や、樋口一葉の質屋通いをした場所もある。大江戸博物館の左には国技館が、東京ドームの周りを歩き、蒟蒻閻魔さまにもお参りをした。極めつけは昨年の吉良邸から泉岳寺までの歩きで、誰が言い出したんだ!という距離を付き合ってくれたリエさんの友達・上司。

 わたくしの我儘が、これ程とは厭きれながらも文句も言わずで完歩できた。田舎ではお礼と言っても山菜くらいが関の山で、タラの芽や独活等を青空市で見つけて送るだけだったのを、物凄く歓んでくれて感謝されてしまった。自宅での栽培に励む傍らですが、何分土地がないので試行錯誤です。通草は目途がついたので安堵していますが、まあぼちぼちです。

 昨年までは送れていた果物も、仕事を辞めた関係で枇杷だけになっているが、それも今年は裏年であったのでできなかった。枇杷葉の枝という枝に、苞がぎっしりと見えるから、このままであれば結実しそうだ。然し、枇杷葉は寒さに弱くて関東の千葉県以北では育たない。山陰地方でも枇杷葉の樹はあるものの、実が生らないそうで寒さは苦手なのであるよ。

 他所さまのブログも、時間がゆっくりとなってきたことから、訪問できるようにはなった。皆さん、様々な想いを多様な捉え方で書かれていて感心する。但し、星や花への興味と猫関係が強く、他の記事には感想を言うまでもなく分からないことで、読んではいるのだが困ってしまう。そこは個々の性格を持ち合わせる生き物だと思ってもらうしかないのです。

 つわ蕗が咲き始めた。ブルーベリーの葉が紅葉しており、水仙やフリージアの球根が発芽してきた。昨日、ちょっと植え替えをしたのだが、何もないとスコップを差し込んだら、水仙の球根が真っ二つで泣けた。ごめんねと謝ったものの花は無理かな?農薬を掛けないので、酢を薄めて散布しているが、枇杷葉に巨大な緑の虫を発見して捕獲。先日の片割れ。

 自然にある物には、咲いている場所が適しているので、決して伐っては持ち帰らない。それでも1枝貰う時には根本に大豆を。

 
 
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そろそろ湯たんぽを

2020年10月24日 | Weblog
 霜降を過ぎたこともあるが、先日の雨には足元が冷え込んで寝つきが悪かった。湯たんぽを出す手配はしているので、湯を容れればいいのだ。昨夜は、夕方には上弦の月と木星・土星を東南の宙に、火星は山の頂を僅かに上っているのを撮影し、仮眠をとって真夜中のオリオン座を注目する。PM8時台にも5つ程を確認したが、30分間に10ばかりを観られた。

 コートを着ての観望だが、そこまでの寒さは感じなかった。すばるの行動で気温が分かるのも有難いことで、布団に潜って来るには理由もある。カシオペア座は、夜半には3の字であるが、真夜中に近くなるとMに変わる。火星も午後6時では低かった位置から天頂付近に移動しており、宙を眺めていられる幸せを感謝する。オリオン座流星群の親はハレー彗星。

 天体ショーも、時間と辛抱にもチャンスが訪れるので、宙を観上げる余裕がなければ、巷を賑わす時だけになるので、可能であれば人混みを避けての観望の方が確実かもしれない。それと、興味がなければへえぇそうなの、となってしまうし観えないことを残念がる。未知との遭遇には運もあるが、じっと宙を観ることへの歓びにも繋がる気も少なくない。

 ブログを一旦於いて布団を仕舞う。少しの時間でも干したい性格で、自分でも厭きれるのだが…、季節柄風の出てくる午後からや、これからは時雨も来るので油断できない。その時間には、庭の見守りやすばるの日向ぼっこに付き合っているが、寒いと早く温かくしてと煩い。以前はね、さささっとできてたんですよ、最近は何していたのかが不明になる。

 家に自粛で籠って居るのは特別に苦にはならないが、張りというのか生きがいが薄れてきているのだろうか。子ども等が小さかった時には、賑やかで騒がしい一日だったし、自分の時間等無いに等しい年月で、孫ができれば可愛いだけであったが、育って行けば空白ばかりになる。自分の目的も少なくなってきて、何をすればいいのかも不安を掻き立てるばかり。

 ブログでの繋がりやフェイスブックがあるから、頭のいかれようには歯止めが利いているものの、何だか隔離された雰囲気に息が詰まる。そのまま逝けるのが一番好いが、そこが浮世のしがらみなのかなとため息も出る。枇杷葉に癒されつつ、極当たり前の暮らしを送れることは感謝以外の何物でもない。時々訪ねて来てくれる友達にも有難いものですな。

 少し濃い桃色ですが、棘が刺さると抜け難いのと、スプレー状に咲き匂いも強い。何度も衣類を引っ掛け泣く羽目に。
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長月、上弦・小潮、霜降

2020年10月23日 | Weblog
 二十四節気 霜降 陰気深くなり、露は霜と化して、草木の葉は黄変するの意味で霜降と云う。毎年、十月二十三日頃である。一昼夜降り頻った雨が止み、天気の回復を待っていたが埒が明かず、洗濯物を室内に干して弁当を作る。配達の用意ができた頃から陽射しが現れ、外に出すことにする。すばるは寒いと機嫌が悪く、抱っこをせがむものの出かけた。

 車の中は暑いくらいで、上着を持っては来たが必要ない。それにしても不安定さは拭えずで、昨日の寒さとの寒暖差が激しく身体がついていかない。暖房を点けていない分風邪を引きたくもなく、セーターを出しコートも被って過ごした昨日、本日は凌ぎ易くなっている。帰宅して、落ち葉を掃き枇杷葉の枯れた葉を除き昼食を頂く。苗に酢を散布しておく。

 梔子に大きな緑の毛虫発見捕獲。葉が齧られていたのは既に数ケ月前からだが、これが葉と同じ色なので見つけ難い。葉の裏側もひっくり返して見るが、上手く隠れていたのだ。雨で腹が空き出てきていたらしい。スイトピーの苗が蔓を伸ばしているのに、手を立てて巻き付くようにしておいた。フリージアも鉢の中から芽を出しており、春が待ち遠しい。

 はり灸さんに治療に行きたいのだが、コロナでの安全と移動への不安があり、加えて仕事を辞めたので年金だけではと見送っている。国の遣ることは、金を配れば消費せよと言い、年金を増やすことよりも減らし、政府が管理し易いようへと誘っていく。今までもその日暮らしであったのをこれ以上どうする?銀行強盗遣るの、横領着服するかなとも思う。

 テレビは観ないとアンテナを外し、年金暮らしをこっそりとと思うのに、介護保険はごっそり持っていかれ、貯えも切り崩しての節約・倹約でやっているが、何だかなぁ疲れちゃったのよ。世間との隔離状態で、全く行き来がないとなれば精神的にも可笑しくなる。パソコンがあったり、時々友達がやって来るが、それさえもなければ。皆さん感謝します。

 介護の業務内容も激務であり、体力も気力も並大抵ではないから、動けなくなるまえに引退したが、下界との煩わしさは多少の我慢が必要か。真面目に一生懸命にすることにも疲れたし、一日を過ごす意義もないので、生きていることに罪悪感さえ持つ。他所さまのブログを訪問して得ることや、元気や勇気をもらうことが増えたのは、諦めの境地かな。

 淡い色の薔薇には、儚さも伴っている。上は枇杷葉に覆われ、下ではドクダミが繁殖し続けるので、何時も気づくのが遅い。
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オリオンも雲隠れ

2020年10月22日 | Weblog
 今回の流星群であるオリオンはPM3時がピークとなっていて、ハイテクの機器を使ってでないと確認できないという現状だった。曇でも日中の時間帯では無理なことは承知で、夜間に期待をかけようと目論むのも雨に祟られる始末。夜半からの雨は止まず降り頻っている。散らし寿しを作って配達し、大根菜と饅頭を土産に、Aさんちで水を分けて貰い帰宅する。

 途中、恩師への供養に散らし寿しを身内に渡し、銀行に携帯料金を振り込んでおく。固定電話も必要がないような気もするが、パソコンを繋いでいるのでそのままにしている。図書館に寄って予約本を受け取る。幸田姉妹がやっと読めるのもうれしい。滝廉太郎の廉太郎ノオトを読まなかったら知らずにいた。日本にこれほど優れた技術を持つ音楽家が居たのも。

 和波孝禧さんは、全盲であるがその音感は素晴らしく、聴いている者の心を和ませ穏やかにしてくれる。渡辺茂夫さんの心を開けはした演奏にも魂が揺さぶられる。天才も神童にも苦難があり、挫折も励みも並大抵の努力ではないだろう。五嶋みどりさんや龍さんにも、一夜にして弾けたことではない。絶対音感は備わっているに越したことはないが努力の賜物。

 それで思い出したのが、千代の富士・横綱。連勝の陰にも、優勝に際しても稽古を怠らず、それが務めであるからと取り組んだ。享年61とは残酷だなと思えたもの。先に末子を亡くされての挑戦にも根性に勇気をもらった。昭和から平成での最後の大横綱である。昨今の角界の不甲斐なさには唖然とするし、稽古をして努力の上に綱を張ろうという意気込みが薄。

 世の中が不穏になってくると、少しの辛抱にも耐えられなくなってしまうし、努力等何故するのかと言われる始末で、年齢を重ねての物言いには耳も貸さない。交通事故も、真夜中や深夜での運転や外出にも、潮の満干潮の影響と大潮は無関係ではない。警察が出した統計でもあり事故の最多は、大潮の干潮からが多く死亡事故に至る。月の資源を採ってはいけない。

 汚染水を海に流せば、日本だけではなく地球全体への影響が大きい。或いは放射能汚染も広がって行き、止める手立てはなくなってしまう。だからこそ再稼働にもエネルギーの活用にも同意できない。人間の優先順位ばかりを遣っていると、取り返しがつかないのよ。熊が人間を襲うにも理由がある。野生の領域に入る人間の方が間違っている。地球の生き物なのに。

 朝顔に隠れて生っていた通草にはびっくりしたが、昨年も台所の窓下のを気づかずにいたので、今年は丁寧に見ていたのだが…3個大きなのがありました。充分に熟れていたので味は甘くて美味しかった。中心が割れて直ぐに採るのが、1週間はそのままだったように思える。最終的には15個を収穫したことになり、初年度としては上々である。祈りと感謝を捧げ。

 ユキノシタも薬になる。もっぱら天麩羅にして食すが、初夏には青じそやピーマン、椎茸も一緒にすればボリュームが。
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