枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

転寝

2009年03月31日 | Weblog
 麗らかで、穏やかなお天気です。布団も外で転寝してる。日中の気温も安定していて、珈琲を飲んでも瞼が下りてくるよ。いかん・・・!明日からは、時間が長くなるのに、どうするんだぁ。と自分を叱っております。

 息子夫婦の住まいの、ちょうど前が遊歩道になっていて、桜並木が続いている。午前中は、いちご狩りに皆で行き、出かける前に、寿司飯を作っていたので、帰って来て、直ちに巻きずしを巻く。具には、ほうれん草、シーチキン、デンブ、卵、竹輪を入れた。出来立てを切って、庭に持ち出した簡易テーブルでのお花見です。

 陽射しがあるので、背中が熱い。まるでカチカチ山のよう。眩しさも半端でないよ。こうなると日陰がいいなんて思う。人間とは勝手な生き物です。

 苺狩りも、今やハウス内でのことで、とても暖かでした。味はやっぱり路地物には劣りますね。水耕栽培も、いろんな方法があるのですが、塩を入れるのが甘さも良く、病気にもなりにくいようですね。

 ハウス内での食べれる数は知れたもの。できれば甘くて美味しいのが食べたい。大きく見た目のいいのは不味い。変形や粒の小さいのが却っていいのです。40分間食べ放題ですが、大きいのを食べると、幾らも口にはできません。孫に変形したのを採ってやったら、ご機嫌でした。真っ赤に熟れて美味しかったです。

 果物は、見た目の良さより、味が勝負です。路地物にはナメクジや、野鳥が狙ってきますが、太陽の光りをたっぷり浴びているのは、さすがに違いますね。帰りに苺の苗をもらったので、根がついたら塩を入れておくように言いました。

 枇杷の新芽も、少しづつ伸びていっています。淡路田中の苗も、かなり大きく育ち、木も太くなっています。長崎茂木は、実の付いている枝とは別に、下から新芽が出て育ってきているんです。

 鉈鎌で傷をつけたら、そこから芽が出ることもありますよ。そういう意味では、冬場の剪定はとても大切です。上に伸びていき、実が生っていても食べれない、では難儀を要します。

 枝は幾らかは誘引するのがいいです。バラも上に伸びていって咲くので、横に誘引してやること。とありました。木香バラだけではないようです。アブラ虫の対策もあり、手間隙かかるのが難です。

 まあ、フェンスに絡ませて、泥棒避けくらいにはなりますか?バラの棘は痛いですものね。作業を終えたら、棘にかかれて傷だらけ。枇杷酒の中に手を入れて消毒します。(飲用とは別に消毒用を作っておく)何にしても自分で作るということは、確かな手応えを感じます。初夏の頃には、実も大きくなり色づいているでしょう。

 1本の梅の木です。初めは、紅梅が咲いていました。いつの間にか、上が白梅になり、下が紅梅になった。珍しいことか、自然現象かはわかりませんが、きっと接木をしていたのではないのか?と思ったよ。
 1本で楽しみが増えるのもいいものです。これで梅ジュースを作った。200cc程できました。
 
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甘くみんなよな。

2009年03月30日 | Weblog
 テーマ。何処かで聴いた事がある、と思えば森素子のコミックでだ。一応ファンです。彼女の作品は、全部持っていて、繰り返して読んでます。車のナンバープレートに、八奈己と入れるほどの懲りようです。恋人の麻生伊織にはなれずで、それならばとつけてます。

 まあその、コミックだから、主人公はかっこよく、その恋人ともなれば、すこぶる美人なのね。しかも、頭脳明晰。私が、彼らを好きなのは、ジョークを言いながらも、絶えず相手のことを考えていて、絶対に助けに来る。ほんとにねぇ、カッコいいのである。

 タイトルの方は、ハンサム・金持ちの刑事さんが、モデルの子に惚れちゃって、障害を乗り越えるのに四苦八苦する。ここでは、モデルのお兄ちゃんに軍配をあげたい。『探偵は笑わない』『探偵は夢をみるか』『甘くみんなよ』最近のは本屋が無いせいで、知りませんです。

 千葉県知事に、森田健作さんが当選したというので、青春時代を思い出したまでです。それと。勤務先の前に、小学校の恩師がおいでなのですが、先程、思い出してもらい、名前で呼んでもらいました。かれこれ50年近い年月が経っています。

 私は恩師に気がついていましたが、あまり佳い思い出がなかったので、自然の成り行きに任せていました。小学校2年生の時の担任です。名前で呼んでもらえるのは、親か、幼馴染くらいです。記憶の断片に、残しておきたいと思うものでもないですが、どうあっても、担任でしたから恩師です。

 桜が、冷え込んだので、時間が止まったように、咲き始めから進みません。今日は比較的、暖かでした。風も穏やかでした。この分だとお花見には、満開でしょうか?勤務先のお花見ができますように・・・。個人的には、桜よりも梅が好きなので、わざわざには出かけません。

 自宅と勤務先まで往復する、川岸の桜並木が観れれば充分です。昨年は、息子夫婦の家の庭での花見。今年も同じです。違っているのは、私が出かけて巻きずしを作ること。まあ、孫のうれしそうな顔が見えるのでしてやります。

 枇杷茶を飲むのに、特別なことはいりません。格別、処方箋に拘るのでしたら、薬局に行きましょうね。自己判断では決してしない事です。個人により、用途や分量が違います。またそれらには、枇杷任せでなく、自分の持っている治癒能力を高め、信じて飲まなければ治りません。

 人間には誰しも、自然治癒力があり、それをうまく引き出して、治るよう手助けをするのです。枇杷に限らず漢方薬には、徐々に効果が現れるような働きもあります。即効力があるものと、無いものとありますし、場合によっては、逆効果のこともあります。

 このブログでも初めの方に書いたと思うのですが、決して独断ではしないようにしましょう。我が家の枇杷葉が実をつけ始めた。枇杷葉の葉が、下から枯れて落ちている。自然の雄大さには、太刀打ちできないことを、今更のように感じます。

 某新聞の記事に、粘土団子から芽が出て、木が育っていっていることが載っていた。福島正信さんの提唱されたことも、彼が故人となって、やっと実を結んでいるのです。私のしていることなど取るに足らない。けれども諦めないこと、自分を信じてやっていけば、未来が訪れてくることにも気づきました。枇杷葉のお陰です。

 昨年、12月の枇杷の花です。薄茶色の苞からのぞいた花弁の白さと、その可憐さに、時を忘れて佇みました。即座に携帯で写したのは、言うまでもありません。
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慣れると言うこと

2009年03月29日 | Weblog
 世の中、様々な職種がある。また、無ければ、自分で創れるのも、最近の傾向ですね。中には胡散臭いのもありますね。で、その殆どが、資格を必要とする。才能は努力によって、育っていきますが、資格は別物。講義を受けて、規定の金額を納めれば取れる。先ず、不合格はあり得ない。

 でもその先の、試験となると、お金だけでは取れません。勉強しなければ受かりませんが、これには運もあるような気がします。けれども諦めないことも大切です。(まあ人にも依りますが・・)それで資格が取れたとします。仕事も見つかり、勤務して○年経ちました。

 仕事の内容には、慣れなければなりませんが、慣れてしまい過ぎて、忙しいだけの勤務になり、手抜きをあちこちでやり始めます。特に上司の居ない処と、居る時との差が激しいのですが、仲間内ではわからないと思っています。まあ、上司と言うより、人間性の豊かさでしょうか?そういう人間(上司)にはわかるものです。

 知らぬが仏、とか言いますが、あれは己の事を言っているように思えてなりません。きれいな心と体で居れば、報われることに繋がります。反面、その時には得をしたように考えていても、結果では徳にはなっていませんから。言うは易く行いは難しです。

 無心の心が存在すれば、無情ではなくなります。神さまは決して、その人にしかできないこと以上を、させる訳ではないのです。今を生きる、っていうのは、とても大変なことなのですが、そこから前に進まなければ、その人の未来には続かない。

 同時にどんなに年を重ねても、悩み、哀しみ、苦しみ、泣きたい思いの連続なんです。皆その時の想いが繋がっていくのです。死んだら何処に還るのだろう?あの無限大の宇宙の欠片に加わるのかしら?それとも塵にも残らないのか?まあその、死んだことがないから、漠然とですがね。

 私のしなければならない使命は、ちょっとした手助けで、その人が自分で歩けるようにしてあげること。その時に、いいことばかりは言えない。助けるのも、杖を支える程度にしておかなければ、本人の為にはよろしくない。ましてや全面的に支えることは、我が身と替えてしまうことだから、何度もはできない。

 時々、そいうことができる自分に嫌気が指すよ。しかも、自分のこととなると、ひどく時間がかかる。ガチョ~ン・・・。悩みの種を生み出しているようです。

 宇宙に、輝いて観える星の数々、その数と同じだけの生命の存在がある。人間だけではなく、あらゆる命です。時を経て生まれ、時を超えて去っていく。その摩訶不思議な摂理に、私も存在しているんだ。神の与えてくれているこの力を、むやみには使うまい。けれども助けなければならない命もあるのです。

 恥らうように咲く、クリスマス・ローズ。昨年とは、ちょっと色が変わった。
 生協で買った時には、小さな苗でしたが、糠と塩とで、株が殖えました。
 枇杷の根元がよかったのかな?蕾の多さにびっくりしました。
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花冷え

2009年03月28日 | Weblog
 桜が、3分咲きです。中には、慌てて咲いたのか、ほぼ満開の木もあります。この時期には、案外冷え込むものですね。暖かくなって来ているから、よけいに寒く感じられるね。

 薄着にもなっていて、くしゃみの連続になる。ぶぇくしょ・・!しかしここで倒れる訳にはいかぬ。精神統一をして、乗り切らなくてはなりません。まったく休めないのではないけど、自分の休み以外は、できる限りの体調管理がいります。

 今後は、落語を聴きに行くくらいで、外出は控えよう。夏は特に、クーラーがあちこちにあるので、体力ダウンに繋がる。家に居るのが一番ですわ。おいしい水で淹れた、無農薬珈琲と枇杷茶があれば、言うことはありません。ほんとうになんという贅沢でしょうか。

 千葉のRさんと、国分寺のサンタさんには、寒い時は温かな気持ちを、暑い時には、爽やかな思いを届けてもらっています。お二人とも私の好みを知っていてくださり、細心の注意を払って送ってくれるのです。ありがたいなぁ・・・。

 私からは、枇杷の花芽茶か、精々枇杷酒のお返しです。気が利かないことこの上もありません。今度、逢えるのは、3年後かな?その時には、Mさんや、サンタさんにもお会いしたいです。それまでには、我が家の枇杷の木が、大きくなって、たくさんの実を結んでくれるよう、心を込めて世話をしておきます。枇杷酒を持って行きます。ザ・宴会をやりましょう!

 早いもので、3月も終わりですね。お正月は、何時だったの?という感じがします。年度が新しくなれば、気持ちが変わるかというと、案外そうでもない。自分の目標に向かって、ひたすら進んでいるだけですね。喩え、遅咲きであろうと、遠回りになっても、決めたことはやり遂げたい。

 私にしかできない、そんな私でいい、という人間になれるよう、努力をしよう。必要とされる人になり、無理のない自然体を心がけよう。なんっちゃって、できるかなぁ?何ヶ月か経って、ここを読み返して、少しでも前に進んでいる私で居たい。

 毎日が出来ないことの連続なんだよ。もお後悔ばっかり!めげちゃいそうだわ。自分に腹を立て、自分に情けなく、それの塊になっちゃうよ。何がわからないのか、わからないから、していることを見てでないと、質問もできない。わかっているのは、基本と初心を忘れない事。

 白枇杷の新芽が、出てき始めた。下にある葉は、枯れてきて落ちた。変身、ライダー・・、違う!
 歌舞伎の衣装の早変わりのようです。冬場に移植しようと思いつつ、結局そのままでいます。
 ただ傍に、淡路田中の鉢を持ってきました。陽射しがきつくなったら、日傘を差してやるかな。
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自己満足なんだけど・・・

2009年03月27日 | Weblog
 相変わらずの風の強い天気に、鉢物が乾いてしまっている。枇杷の木も、風に大揺れである。枇杷の花芽が、自然落下していき、ちょうどいい加減になるらしい。

 売り物ではないので、敢えてしないのだが、却っていいのかな?枇杷の実も、チャボの卵大の大きさになる。1枝に1個だったり、10個あったり、5個や3個と様々で、袋かけが楽しみです。

 その袋かけも、市販品を買うのも大袈裟かと、購読新聞を切って作る。孫と一緒に、糊付けをして乾かし、被せていく。大雑把な貼り方をするので、途中で剥がれてしまう。しょうがないから、糊をつけて貼り直す。

 この時に枇杷の色つきがわかって、収穫の予定が立てられる。路地物の熟れ時は6月中旬頃が旬ですが、気候の変化にも影響されます。暖かな処が早いのは、仕方のないことです。店頭には、既に並んでいることでしょう。ハウス物です。

 枇杷には、農薬をかけなくても枇杷葉自体が、殺菌作用があるのですが、消費者の見た目や生産者にもより、たっぷりと農薬がかかっています。枇杷茶の方も、怪しくなってきます。

 私は、見た目よりも、無農薬を優先し決して安全な物しか売りません。体にいいことをするのが、まったくの無意味になるような無駄はしたくない。

 同じようでも、決して同じでないことを、わかってくれる人には、幾らでもお分けします。何故か、私の手で触り、心を込めて詰めた枇杷茶は、飲む人に、微妙なれども、反応します。

 つまりは人格の変化をもたらすのです。露天を営んでいる知人が、気配の残留を関知できる!と驚きながら言う。然もあろう。私のパワーが放つ範囲内に居るのだもの。この知人のお母さんの命を、偶然助けられたのも、何かの縁です。

 私の作る枇杷茶を飲んで、体に変化が現れ始めた。ここでブレーキをかければよかったのに、傲慢になったのね。パワーのあることを、誰彼なしに見せて、ほくそ笑んでいたんだ。今、手痛いしっぺ返しに遭っているよ。

 私から伝えることはできても、私と同じ事はできないのです。況してや、心がわかったりすることを、相手が嬉しがったり、喜んだりするだろうか?己を控えめにして、謹んでいけてこそ、パワーが発揮できるというもの。生兵法は怪我の元・・・。知ったかぶりは、命取りになります。

 私の言おうとすることを聴かないで、何等できる筈がないのです。私と話すその人の態度から、言葉は発せられ、私に伝わり、次にはその人の元に還って往きます。で、佳い行いや言葉には、それなりの想いがいき、悪しきものには、それらが複雑に増えて還ります。

 神さまは、決して正しい者を見放しません。計算づくでするよりも、如何なることにも、真心を通わせる行いでしましょう。相手にはわからない?いいえ。そんなことはありません。

 つまりは自己満足になるのですが、「いつもありがとうな」と言われたり、「あんた、居ってくれるからええ」と呟かれたら、目の前が霞んでしまいます。自然な行為であり、当たり前のことでもあるのです。お礼を言われることではない。でも、心が優しくなれるよ。

 庭で遊び、泳ぐ金魚の群れ。赤、黄、白色と、まるで夢の国に居るようです。
 我が家では、鯛が靴を履かないので、1日中賑やかです。朝、昼、夜と様々な顔を見せてくれます。
 銀河も混ざって、がやがややっています。
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明日のあること

2009年03月26日 | Weblog
 テレビの連続物の主題歌に、♪朝の来ない夜はない・・・。と言う歌詞があったが、なんという平和な時代なんだろう。昨今の殺伐とした世の中に比較すれば、とても恵まれたものでした。人殺そうとする時に、殺意がない?というのは不自然です。どういう精神鑑定をすれば、心身喪失になるのだろう。何であれ、相手の命が奪われている事実は変えられない。私も、自分の愛する者が、命を理不尽に奪われたら、殺してやりたいのは、当然至極最もな心理だと思う。何故、殺されなければならなかったのか、その理由が知りたいのも、当たり前ではないか。世の中に殺してほしい人間が居るのか?近年、介護に対する取り組みが、いろいろ取り沙汰されてはいるが、介護する側より、される側の人間の方が、辛く苦しい。皆に迷惑がかからず、ひっそりと死にたいの。と呟かれた高齢者の姿が焼きついている。日本てところは、当たり前のことができていない。マスコミに出るのは、一部でしょう。仮にわかったからといって、一体誰がどんなふうにお世話をするの?其処には必ず金銭的なことが絡んでくるし、してあげようとしても、させてもらえないこともあるでしょう?人間が相手で、人間がするからこそ、心の通った方法があるのにね。なんだかとっても虚しい。どんな人間の命も、要らない命は一つもないよ。私はあの時に、その言葉を言ってあげられなかったよ。哀しみで心が翔けていきそうだった。小さければ泣けることも、今の年齢では、泣くことが叶わないのです。神さまは生きる勇気も、死にたい心も、じっと視てお出でです。きっとその人成りの、明日のあることを、諭していらっしゃるのでしょうか。
 休みが、ばらつきであるので、遠出は出来ませんし、することも限られてくる。今日は、終業式でした。学校まで孫を迎えに行き、昼食を一緒に食べて、夕方送って行きました。天気だったので、布団を干したまではいいが、風が強かった。午後1時過ぎには取り込みました。桜は2分咲きでしょうか?近日中に、地震でも来そうな雲行きです。千葉のRさんが、研修の終了証書を習得したお祝いに、珈琲を贈ってくれたよ。ありがとうです。私は、Rさんに波動を送ることくらいなのに、いつも心にかけてくれる。とても感謝です。実際、目に視えないことは、信じられないのが普通です。また本心から信じてくれることの難しさは、こちらにはわかっていても、相手に通じなくて、じれったいことにもなります。厚意がわからないというか、勘違いされたり、誤解されたり、邪推されることになったり、情けない想いの連続です。枇杷葉の効果は、してもらえることが当然なのではなく、してもらえたことを感謝することから始まります。それが持続できないと、それまでのものは、他の処に往ってしまうの。いつも水を分けてくださるAさんが、私の手で触れないと、効果が違うように言ってくれたが、正にそうなのです。感謝する気持ちは、自然と生じてくるものではないかしら?枇杷葉のお陰、生かされていることへの感謝ではないのでしょうか?それ即ち、神に感謝するに値しませんか。
 小春日和の陽射しを浴びる、枇杷葉の花芽。12月の開花には、とても佳い匂いをさせます。剪定は1月の寒中に行い、枇杷茶や枇杷酒を造っておきましょう。健康を守るのも、創るのも自分自身ですよ。
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自分ですることの意味

2009年03月25日 | Weblog
 生まれたての赤ん坊には、母乳を飲むことと、排泄しかできない。視覚もまだはっきりとは見えない。言葉はむろん話せない。けれども聴覚は、驚くほど聴こえている。また、気配に敏感である。母親がゆったり構えている時と、何か心に考えている時とでは、明らかに赤ん坊の動きが違う。

 娘は、私が寝ている間に、用事をしようと段取りをしていると、つぶらな瞳をぱっちり開けて、一向に眠らない。声をあげて泣き叫びはしなかったが、じっと見つめられると困惑してしまう。

 当時、機械編みで、多々な物を仕上げていた。一部屋しかない狭さを、有効に使うのにはどうあっても、娘が寝てくれないと、編み機が出せなかった。根競べ、知恵比べである。とうとう娘をおんぶして、編み機を動かし、ゴム編みまでをしておいて、膝の間に入れて閉じていった。

 小さな娘のセーター、レギンス、帽子等を何とか仕上げたものだ。セーターにはフランス刺繍をし、レース編みのワンピースを作って着せた。冬場には、毛糸のパンツが重宝したよ。マフラーも編みこみでした。

 今、手元には、息子の小さい時のが、数枚しか残っていない。娘が着たのを、きれいに洗って知人にあげてしまった。ウール100%なので、めんどくさがりさんには、洗濯機で洗われたであろう。

 何回か、クリーニングの出しても、洗濯機の手洗い設定でも、やっぱり縮む。編み機も使わないので、針が錆ついてしまっている。修理したいが新品を買う方が、安くつくかしら?

 お彼岸が過ぎた、というのに風が冷たい。桜の花も咲き始めているが、冷え込んで風邪を引かねばいいのだが・・・。勤務先では、花見があります。飲めや歌えやの宴会?はできませんが、お天気になってくれますように。皆、久しぶりの外出になるので、とても楽しみにされています。準備がちょっと要りますが、皆の喜んでくれる笑顔に、疲れも吹っ飛ぶ。

 快適な暮らしをしてもらいたくて、できることをしていけることは、自分にとっても悦びですね。特に、排泄を利用される時、不快な思いをされないよう、いつも掃除をしておきます。さぼったり、おしゃべりしたりする時間の、ほんの数分あればできることです。床も、しゃがんで雑巾がけをします。

 ほんとうの汚れは、手を使ってしないと、きれいにはなりません。労を惜しんでいると、後ですることが増えてしまう。結果、よけいにしんどい思いをする羽目になる。乾燥機のフィルターも、今回は掃除機をかけて取りました。機械を長持ちさせようとするなら、小まめな手入れをすることではないのでしょうか?

 方向オンチは出不精です。という記事を読んで納得。私が出かけるには、必ず目的がある。例えば、阿修羅像を見に行く。そんでもって其処しか行かない。何時間でも厭きずに眺めUターンする。

 北海道の富良野に行った時は、直行がなかったので、途中に寄り道したが、現地では、丸一日、どっぷり滞在して、全身がラベンダー色に染まった件があるよ。友人と一緒だったが、多分飽き飽きしたに違いない。何故なら二度と乗って来ない。

 枇杷狩りにも行ったが、これには友人が行きたくて、致し方なく誘ってくれた。人数合せの一人です。この友人とは、前の勤務先の腐れ縁で、付き合っている。まあその、枇杷茶のことやら、漢方のことで、持ちつもたれつの、干渉し合わないほどほどの仲です。で、彼女に、ハワイに行こう。と持ちかけたら、即拒否されたよ。

 え?何しにって、マウナケア山にある、『望遠鏡の昴』を観たい。もお一つは、南十字星が一度でいいから観たい。それだけですが、友人には、怒るかと思ったらば、絶句された。やれやれ・・・。前途多難な雲行きです。先は長いようで短いんだけどなぁ。

 孫と一緒に、夏に種を蒔き、苗を育てて、移植したパンジーです。蒔いた種が全部出ることもあれば、さっぱりの年もあるね。そういうのも楽しみではある。
 苗によっては、高い割には、だめになるのもあるもの。
 案外、この時期の、売れ残りがお買い得かもね。♥
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芽吹く頃

2009年03月24日 | Weblog
 庭の乙女椿、薄桃色が愛らしい。昨年は、5つ程でしたが、なんと30ばかりの花つきです。木丈は、1mにも満たないのに、枝が撓るくらいです。糠と塩が効いたねぇ!すんごくうれしい。でも、花がつき過ぎて、木には迷惑かもしれない。土はゆるゆるで軟らかいよ。鉢をちょっと動かそうとしたが、根がずんと下まで伸びているのだろう。びくともしない。あまりの頑丈さにびっくりしたよ。

 毎月の月参りに、今月も行けました。決まりきった事のようですが、時間的にはなんとか都合をつけて参る。我が家の庭に咲く花を持って1ヶ月の報告をした。取り留めのないことだけども、独り言です。近況をぶつぶつ言いながら、草抜きをしお墓の周りをきれいにする。

 その後、露店をしている知人の所に寄る。鯛焼きと珈琲でお八つ。彼女の波動が思った通り、とても小さくなってしまっていた。原因も、予測したのと一致する。帰る間際にどうにか少し、掴める感じにはなったけど、依然として危なっかしいものがある。

 枇杷茶を飲むと、本人の真実が暴かれてしまうんだ。しかも、私の前では、本来の姿に映るのです。どんなに隠そうとしても無駄な訳です。彼女にそのことを話すと黙って頷いていた。枇杷を侮ってはいけないの。必ず自分で努力をしないと・・・。

 天才も99%の努力で創られています。普通の人間なら、それ以上に努力をする、惜しまないことですね。先日、腰痛に困っていた、宅配の小父さん。枇杷葉の焼酎漬けをあげた。夕方、配達がてら訪問されて、苺をくださった。腰の痛みが無くなった、と嬉しそうに話す。全身に感謝の気持ちが溢れていて、却って恐縮しました。

 新種の苺で美味しいですよ。とおっしゃる顔には、ほんとうに喜ぶ心が視えて有難く押し頂いた。よかった!初めは半信半疑で居たであろう、小父さんも、私の強引な態度に、困惑するところがあったように思う。それでも私の言葉に、嘘の欠片もないことが通じたようです。

 誰に対しても同じ心で居ることは、決して変わりません。変化があるとすれば、受け取り方でしょうね。真実を伝えて、受け取ってもらうには、いつも調子の佳いことばかりではないのよ。同時に、現時点よりも、更に険しかったり、困難な方向に行きます。

 そうしないと、その人の可能性が惹き出せないのです。何故なら、未知の部分になるからです。自分はおろか、他人でさえ、知らない部分です。其処への到達には、三蔵法師が天竺に往こう、と決心する心境かもしれません。それくらいの覚悟がなくては、到底心など、わかる筈はないのです。

 何時如何なる時も、己を奢らず、弛まぬ努力を惜しまない。なまじっかできるとは思えませんよ。各云う私も、日々精進する心構えでおります。

 長崎茂木枇杷。東川側の花芽。昨年12月に、1枝かな?と見てみると、5枝も花芽がついていました。
 先日、お彼岸に見てみると、子どもの小指くらいの実が、幾つかついてた。
 うれしくてにんまりしました。
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新年度に向けて

2009年03月23日 | Weblog
 お正月の年頭に、1年の目標を決めてはいるが、何となく4月が、新年度になってきて、またぞろ計画の練り直し。まあ、たいした違いがある訳でもない。

 勤務時間が延びて、責任も重くのしかかってきた。自分の使える力を、最大限に生かす工夫が必要になってきたよ。一人ひとりの変化に、いち早く気づいて、対処できるようにしたい。

 例えていえば、いつもと違う様子には、おやっ?あれれ?という感じがするよ。でも、伝えた相手によっては、本気で聴いていないことが、間々あるのだから困る。

 先日も孫が、体調を崩した時、何日か前の様子がおかしかった。普段の様子を見ていれば、わかることである。子どもも高齢者も、あっという間に急変するのだ。用心に越したことはない。

 薬漬けにしていると、そういう微妙な変化を見落とすことがある。機械的に動いていると、余分なことになるのかな?快適な生活をしてもらう条件としては、何に重点をおけば、個人の納得に至るのか。

 私は、部屋のインテリアと、ゴミ一つ落ちていない部屋を望む。集団で幼稚園の真似をするのは、真っ平ご免です。食事は、毎日野菜があればいい。肉や魚は、1年に数回で結構です。栄養が行き届かなくても、健康で居れるのが一番です。

 研修中に知り合った佐藤さん。もらった珈琲を勤務先で飲んだよ。美味しい!と皆、うれしそうです。そりゃそうよ♪苦くなくてね、甘いのよ。砂糖はいらない。美味しい。皆ご機嫌で飲んでくれた。

 千葉のRさんが送ってくれている、無農薬の珈琲と同じです。体に悪いものばかり、飲んだり食べさせたりして、薬を飲ませる。これって悪循環の繰り返しだね。今からでも遅くないよ。しっかり枇杷茶を飲みましょう。

 でもって、いいかげんな飲み方はしないでね。自分勝手な判断でしていると、取り返しがつかないこともあるよ。Yさん。ファイルはきちんと、しっかり読みましょうね。何のためにしなければならないか。もう一度考えてみてね。

 勤務先から帰宅したら、隣近所が、シロアリの修理をしていた。我が家は、枇杷葉を植えているので、安全です。庭に植えてある、枇杷葉の葉先が、いつしか伸びて膨らんできているよ。

 新芽が出てきている。枇杷の実も、小指の先くらいのが、ちらほらと見える。楽しみです。枇杷狩りができますように。昨日の休みは、久しぶりの掃除機での掃除。春の装いにチェンジしました。

 車も洗車とワックスかけがしたい。さて、いつにしよう。屋内から屋外に、鉢の移動もしたよ。
 2月中旬頃の、クリスマスローズ。まだ咲いてはいなくて、蕾がぎっしりとついていました。
 今は次々に咲いています。1本切って、挿しました。
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故郷は近くても

2009年03月22日 | Weblog
 お彼岸です。今日は休みにて、墓参りをする。昨夜の雨が、どうにか止んでいるので、ぬかるむ路を上がる。あちこち至る処に怪しい痕跡。猪でしょうね。筍を狙って出没しておる。

 今後の道路工事の受注は、彼らに委託すれば、誤魔化さないで仕事をしてくれそう。献金も何もなく、安全且つ安心ですよ。祖母や祖父、祖先が眠る墓前にぬかずき花を供える。枇杷茶を淹れてあげた。

 千の風になっていても、お参りした時には、ちゃんと還ってきてるよ。というか・・・昔は、移動自体が大変な時代だったから、祖母などは殊更、出かけることもないように思う。村役場に行くのでさえ、往復に1時間はかかるのだ。

 子どものように駈けることもしないし、誰かに会えば更に長くなる。祖母が出かけるのは、孫の運動会くらい。年が往って敬老会に行くのでさえ、億劫がった。座布団持ちで、送って行ったが、たいして面白い訳でもなかったようだ。

 祖母の頭の中には、それらは遊びであったから、田畑や山のことしかなかった。楽しもうとか、楽をしようとかは存外である。他所のお祖母さんが、歩き回るのにも、黙々と仕事をしていた。家族にとっては、少しの息抜きも儘ならず、両親は肩身の狭い思いであった。

 祖母の対する想いもまた、同じ孫でも、兄と妹と、私とでは随分と違っている。けれども自然に接することで、僅かだが祖母の想いが汲めていけるようにも思える。故郷には、車で行けば、片道20分程の距離だが、なんだか遠くに感じられてしまう。父や母の安否が気になるばかりだ。

 庭の花々が、咲き誇っている。李は数え切れない花である。乙女椿は、枝が重いほど、蕾がついて、花が咲いている。ユキノシタも、たくさん葉が茂っている。天麩羅にしよう。

 フェンスの外の斜面を、今度の天気にきれいにしようっと。枇杷葉も、新芽が出てきているよ。実が生って、手が届かなくなるから、今年は剪定をしておくかな?淡路田中も、ぐんと大きくなったから、葉だけは確保できるな。

 前の会社の友人が、今年も枇杷の実をくれるといいな。千葉のRさんに、枇杷酒を作ってあげたいのね。小さな実だから、手間と言えばそうなんだけど、おいしい珈琲をいつも贈ってくれているもの。

 任せておいてね!研修で一緒だった、ブラジルからきている方は、化粧水を作って使っています。と教えてくれた。枇杷酒も作りますね。と話してくれた。

 こちらが教えてあげていても、さっぱり活用していない人も居る。物珍しさだけでは、枇杷葉は効きません。Eさんは、お祖母ちゃんがおいでだから、続けられているのかな?彼女の表情に変化が出てきています。

 枇杷葉は、侮っていると、手痛いしっぺ返しをされますよ。自分を変えようと試みてくださいね。神さまは決して、できないことをさせはしません。可能性に気づかせてくれるのです。

 感謝して実行することをお薦めします。功を焦らず、地道に行くことですよ。基本や基礎ができないでは、揺れたらたちまちぺしゃんこでしょう。
 長崎茂木。真ん中、中央付近の枇杷葉の様子です。糠と塩で、微生物が活発に蠢き、土は意外と軟らかい。ほんとにいろんな虫が居ます。雨だと、葉の裏にじっと隠れています。
 天気予報より的確に当たります。
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