枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

睦月・八せん終わり・三隣亡

2024年02月29日 | Weblog

 今朝は薄曇り、陽射しはなく気温も低い。すばるが寒いと訴え、暖房節約を思うが目が合い電気ストーブを点けた。あちこちで耳にすれば、政府の補助有り昨年よりは安いと言う。使用量に応じての支払いとは思うが、値上げを承認した覚えはなく請求書の金額増える也。

 世の中が便利で快適な生活になり、明るく住みよいと云うが不便さを更に感じるのは何故だろう。物事への考え方だと理解はするが、不必要さを禁じ得ない。政府のその場凌ぎの施策も、庶民には程遠く現状維持には至らぬ。居眠り・野次・裏金隠して、税金をばら撒く輩。

 ここ数日熟睡しているのに、気持ちはグレー。ブログ訪問時、数字が連番や弥勒続出を頻回に見る。運気上昇しているのは感じており、並ぶ数字も多い。ブログ名は記載しないが、必ずの方や更新内容に現れる。枇杷葉の繋がりにも影響があり、冷静に且つ心したいとも。

 庭の徘徊時に、梅は満開と香漂いクリスマスローズ彩どり様々に咲き競う。苗を買った時点は、咲くことに放置していたら種が零れて発芽し育つ。それが何時しか自然交配したものもあり、縁どりのあるのや色が変化して増えていった。地植えには無理があり、鉢仕立てに。

 枇杷葉茶・花芽・種も、症状への対応然して変わらず分量のみ異なる。煎じると煮出すの違いや、農薬の有無も大きく拘わる為注意されたし。旬の時期を採り、自然乾燥しているのは想いを届けたい。縁も異なもの、繋がり亘り往き心地よく伝わることを祈り感謝に換えたく有。

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五感を活かせば

2024年02月28日 | Weblog

 五体満足で誕生し、保護されの幼少時には至らぬも当たり前はない。禍は既に自らが記しており、如何なることも訂正はされないもの。命を省みず、他人を悪し様に言い自らが正しいとしていた。今に気づけたことは、何という有難さかと祈れるのは多くの自然からの訓え。

 自らを正せば赦されるとも覚え、失った物を取り返すことよりも感謝の気持ちでいたいもの。凡てのことには、必ず繋がりがあり時間の中を行き来する。速くには判り得なかった事象も、弥勒の数字頻回に視え導かれるもの為り。未知からの啓告を心して刻み、諫るなりとも。

 今朝は、風の穏やかに雲はゆったりと空をいく。気温は9℃と先ず暖かく、洗濯物を干す。知古の友に社長夫人・娘の同級生の母親が居て、育ちや境遇は隠せぬと認めてしまう。偉ぶらずなのと雰囲気が変わらぬ人柄、来月には食事を一緒することとなり楽しみと待ち。

 幼稚園に通う娘の送迎時代は、免許なく雨には歩き天気は自転車である。傘を差しての迎えは自転車に乗れず、早めに出て行く。誰もが見て通り過ぎるのを彼女は、停めて声掛け反対方向に送ってくれた。娘も歩きを楽しみ、その道中は話が増える時間と道草もして。

 田舎の噂は、小さなことも筒抜け免許を取らぬからだの子どもが可哀そうと言う。挙句に、免許修得は嫁入りの条件とも。小さな親切も、大きなお世話になると内心で思う。彼女と気が合い、何かと出歩いて来たもののコロナで隠居され連絡途絶えしが先日復活したもの。

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山ありて、谷も然る為り

2024年02月27日 | Weblog

 今朝は風が強く雲もあるが雨やらず、洗濯物が乾き有難い。趣味の範囲での時間を過ごし、すばると居ることに感謝の想いを強める。生きることに疲れ果て、投げやりでいた時もあり心を失い多忙さで紛らわせた。今にしてなら、その刻があったればこそとも鎮められる。

 ブログを始めたきっかけは、枇杷葉の写真とマクロビオティックに共感したもの。料理の素朴さを活かし、身体にやさしい作り方の講師をされていた。縁は異なことに繋がり往き、我が家に逗留されイタリア移住しワイン製造をご家族で経営。予感ありて、運気外国にて開花。

 この方の奨めで拙ブログ開設し、当時は写真も付けて更新。年数が経てば膨大になり、添付掲載は止めた。主目的は枇杷葉であり、自らの悲喜こもごもを書ければ佳としている。枇杷葉茶もネットに載せないのは、本意ではないからと無農薬栽培を行いたい為でもあるのよ。

 無農薬を単純に考えていて、その年数の懸かることに気持ちは及ばなかった。最初は、葉を用いての自然療法であり手当てに没頭した。年月に心も様々に変化していきながら、苞が綻び花芽から実が生る。驚き少なからずあり、祖母のしていたことが脳裏に蘇る顛末とも。

 枇杷葉は、実に多用途の活用が出来重宝している。その一端をブログに記載しつつ、一人でも多くの方に知って貰えればこれ以上の歓びも無い。薬樹であるのも確かだと思え、処方を間違えば取り返しもつかない結果。命を大切にして、宇宙の声を聴ける至福の想いに。

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蒲生邸事件・宮部みゆき著

2024年02月26日 | Weblog

 宮部作品の数々は、本屋があった時に文庫で購入し全巻持っている。中でも、孤宿の人・ソロモンの偽証・蒲生邸事件。現代と過去との行き来、或いは時代を遡る物語に魅了される。奇しくも2.26、歴史を紐解ける醍醐味を読み進む。終章に、作者の意図と想い交差して。

 数字の羅列に、偶然なのか必然的かは断定できずだが出現の多さに息を呑む。最近は静かに瞳を閉じれば、視えてくるものがあり未来に起こるであろう事象へと繋がり往く。昨日、出かけるのに眼前に写り囁きを聴く。徒歩で行く予定に最小限の荷物、同級生に遭う也。

 以前に視た映像では、彼女のことが気がかりながら連絡方法取れずであった。ああそれでメモ用紙・ボールペンと出たのか、近場の方が下さり有難く。介護施設で働いての方にも会い、クラシックコンサートなのはあるものの、数人に遭遇と出ていたのも確信し内心に納得。

 枇杷葉の威力に援けられての暮らしも、祖母がしていたことではあるが所謂民間療法と呼ばれ誰にでも可能な施行。他人と異なるのは、白龍に出遭えその背に乗り漆黒の闇を翔けたこと。以後、天に赤龍・黒龍・青龍も認め浄化作用に至る。心身共に、清めて行い糺す。

 宇宙の惑星・恒星・数多の星の動きを観ていると、不可思議な現象遭遇する。そういう時には、必ず声がしてくるのだが証拠写真は撮れない。誰彼にではなく、気づけて判る者にしか訓えないと思えてしまう。こちらの誠意伝えても、鼻先で笑う他人には真逆のこと起きるとも。

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臥龍梅・大潮・睦月

2024年02月25日 | Weblog

 梅が満開になると、心が清く澄んでいき想いも強くなる。月ヶ瀬に観梅と出かけたのは、既に記憶遠ざかるものの鮮やかに甦る情景。この時期の早朝、始発電車に乗り心急きつつ訪れた。山・やまと連なる中を歩き香りを愉しみ、彩や種類の多さは圧巻な眺めである。

 折しも雪花が舞い、風向きにたちまちにして纏われ梅の精に出遭えた。帰路に着きながら、刻も忘れての観梅感無量。今も、当時の情景現われし想いは翔ける。菅原道真の詠む、東風吹かば…に気持ち陥り宙を漂う為り。鉢仕立てで庭に白梅を植えて、眺めるとも。

 臥龍梅は、未だ観ないものの枇杷葉の根元に蹲る白龍はいた。実在ではなく、架空の生き物と謂うが疑わず。自らを諫めて、自然へ瞳を向け声を聴けば佳として無心でありたい。生きていれば煩悩にて幾多の想いも生じるが、静かに想えば視えてくるものと訓え覚る。

 過去・前世を省み、今・現世に生かされ未来・来世に向かう備え怠らず。過ぎたことは元に戻らず、事象を検証して前に進みたいものだ。他人の業績妬まず責めず、行いは還ると心得て勤しむ為りとしている。枇杷葉のお陰であり、支えて貰える有難さと心機一転とも。

 昨年からの運気の上昇、意味も想いも深く拘われることに気づく。枇杷葉に縁り、繋がり亘る方が増えていくのも有難いこと。茶葉や花芽・種と用いての対処も、個人差はあるものの快方に向かい治っては悦ばしい。自然の恩恵に感謝し祈れる歓びと、至福為りゆく。

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睦月・望・大潮

2024年02月24日 | Weblog

 今朝方の薄曇りに、春霞を思えば天気回復し陽射しとなる。急遽洗濯物を増やし、竿に干す。布団は地面が水分を吸いこんでなのを、流石に出せない。春に三日の晴れ間なしとも云うが、朝の気温は6℃と低くストーブを点けた。今冬の寒さ対策、小豆懐炉は有難く。

 旧暦の暮らしの基本は、月の満ち欠けであり朔日から始める算段は恒例。望の日までには作付けを終え、欠けていく時期には収穫段取りとしている。実に分かり易く、自然からの訓えに学ぶこと多しと覚る。神社仏閣への参拝も、月参りと称すなら知識として持ち心得る。

 葉室麟・不疑、短編集だが今までにない新鮮さ。歴史への捉え方には多々あり、読者の如何で変化もあるは承知。然し乍らも納得させられ、とあるブロ友さんに書き込みをした。田舎の図書館故、好みに応じて新刊を手早く知らせてくれる有難さ。今回は、読書帳作成。

 仕事を辞めたことと、近辺から本屋が消えてしまったこともある。不便極まりなく、市内に行く用事があれば丸善書店利用。藤井旭さん監修の、天文年鑑は外せないとして意を決して行く。出不精には、雑踏が苦手だし懐具合も生じるので年間計画は必須と予定の行動に。

 雨神の来訪に、クリスマスローズが片端から咲いて来た。最初に買った物は、白と桃色なのだが何時しか交配して絶妙な彩となる。品種も銘柄も風雨に挿した札確認できずも、愉しむばかり。ネモフィラは種を撒いたら発芽、勢いプランターからはみ出し咲くを待つ心とも。

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温暖化・悲喜こもごも

2024年02月23日 | Weblog

 暖かい気温に、庭の花が一斉に綻び咲くさまに気持ちは高なる。昨年には、一輪づつの梅も雨神来訪に満開状態。枇杷葉の花芽は、晴れていれば蜜蜂集まり羽音小刻みに音もさせる。数日の不安定な天気だが、早春の雰囲気漂うは今後の急激な変化を憂う為り。

 枇杷葉には寒肥を与え、自然堆肥は草や野菜屑としているのも無農薬栽培。化学肥料だと、粒は大きくなるが味は薄いし実が堅い。昨年のは、店頭物よりも旨く見劣りしない出来だった。白枇杷は、剪定をしないでいたら収穫時も小さいまま。陽当り良くは自然の掟と。

 枇杷葉以外の果物は定かではないが、生る年は隔年であったりする。我が家のは然程の開きはないものの、昆虫や微生物の働きも大きく堆肥に拘り無農薬と心がけている。況してや他人さまへお分けするに、農薬のかかった物は贈れず気持ち失せるのが素直な処。

 自然からの恩恵には、こちらからの願いではなく与えて貰えることへの祈りと感謝。我が家の枇杷葉も、此処に至るまで十数年要してきた。試行錯誤の状態で判り訓えられしは、あるが侭を受入れること。話しかけ声を聴かなければ、亘りあえずなのだと漸くに覚り気づく。

 フェンスに絡ませたり支柱を立てての木通、新芽が見える。木通の蔓は勢いが半端ないのもあり、天婦羅に摘む。耳鼻咽頭への効果も有、焼酎にも漬ける。医者に罹る前への対処もあり、重宝する薬樹で枇杷葉とともに有難い。花粉症・認知症状へ用い鬱なくとも。

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古典落語の醍醐味

2024年02月22日 | Weblog

 古典落語に興味を持ったのは、Aさんのお声かけから桂文我師匠の噺であった。当時は介護施設の激務に心身共に疲労困憊し、特に心は折れ砕ける寸前。噺の語りにも寄るが、自愛に満ちた顔もあり毎回通っていた。気運を削いだのはコロナで、巡業途絶えてしまう。

 万年カレンダーは捲りなので、毎月繰り返す。その都度、内容を確認したり文庫で手持ちのを読んでいた。然し動作や語りの様が分からずなのに、古今亭志ん朝に大当たり。これが気持ちを晴らす効果に覿面で、以後時間があれば画面と噺を愉しむこの頃でもあるのよ。

 昨日は、そこからの検索でもしやと文字を入れたら出た。長年・悠に10年は経過してのことだが、兎の眼。小谷先生役の檀ふみさんを一途に思い、原作は何度も読んでいるし作者にもお目にかかりサインと握手も。生活の改善を殊更に話すが、それらを担う人がいるのだ。

 混乱・惑乱!言葉にならない衝撃に、泪が溢れてしまう。差別でも有、そこで働く他人への配慮を斯く見下した己を知ったのもある。言葉や口では簡単に差別はしていないと言うが、心の中は変えられない。美しくあれば?綺麗や可愛いとの対象ならいいのかと懸念も湧く。

 人間は皆平等であり、自愛に満ちた神の行いと云うものの決してないとも。人間は自分勝手・強欲な生き物に過ぎないのを、言葉で美化する。そういう文章しか書こうとせず、得意・自惚れし驕りの態と成りてに気づく。お遭いし大きく温かな握手されるも、享年72歳没す。

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弥勒菩薩いざないに

2024年02月21日 | Weblog

 今朝もだが、昨夜にはふと見遣る度に369の数字が瞳に写る。この処頻回に現れており、その都度不可思議な現象に遭遇して予感も的中。信心には程遠く有り乍らも、邪心を抱いた信仰は否とも自らを省み想いを深む。太陽と月を、両手に乗せた時には動きは静止。

 この状態を観たのは娘と居合わせた他人だが、新興宗教の勧誘時。その状況・状態に至れる者は数少ないと言われ、何回か参加したが献金に嫌気が指して止めた。その後にも度々、不可思議な現象に遭遇し気づくこと多く有りつつ覚え使命と律し行動に務める為り。

 枇杷葉の効能には、身体中の血液浄化作用と体内の汚れを排出する働きがあるのは確か。我が家の枇杷葉だけではなく、それらを携わり心の有様で変化を魅せて来る。気持ちを分ける真意、疚しさや妬み・嫉み等なく清らかでないと通じ亘らなく真逆の事象へ転化。

 自然を侮れば、疑うことも自らに還るものと覚える。ネットでの検索をしないのも、媒体が著しく異なる故で穢れを取り込んでしまう。そういう事象が微妙に判れば、運気も上昇する。言葉で云うのも文字を並べて書く行為も同じ、言うは易く行うは難しと心得彼岸浄土向う。

 庭の梅が暖かさに満開となり、静かな香りを一面に漂わせ至福の心地となる。枇杷葉には蜜蜂が群がり、花芽の受粉を行う。剪定を大幅にしたので、今夏の実成りは少ないであろう。雨神や風神の働き、白龍の守りありてを祈り・感謝の日々は歓びに深く広く亘り往くわ。

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春はなのみ・早春の時期

2024年02月20日 | Weblog

 今朝、雨は上がっているが不安定な雲ゆき。気温は15℃とあり、庭のクリスマスローズは次々と蕾を膨らませ茎を擡げる。肥料は自家製堆肥だけであるが、勢いは物凄い。地植えのは、我が家には合わずで掘り上げ鉢に移している。株分けしたのは、花が見えないわ。

 梅がちらほらと蕾を膨らませ、椿も小指大の成り行きに季節の移ろいは愉しい。今あることに、一日を感謝でありたいと祈る。原発の再稼働は、戦争を助長されるばかり武器商人を増やす。安全ではなく安心も無いが、危険を取り払う文字にすり替えているに過ぎない。

 ここ最近、訪問の度に現れる数字に驚愕する。画像を貼り付て立証すればだろうが他人ではなく、自らへの啓告。予感も的中しており、視えることへのあらまほしき現象とも。自然からの訓えに耳を清ませば判ること多くありて、些かも疑わず。更なる修行なのも確実。

 今年の日捲り、2月11日記載が異常な顛末・生協からの問い合わせ来る。間違いは初回印刷時だけで取り換えはできぬものの、代金は支払うとのこと。朔日の翌日が上弦になる筈はなく、気づけたのに感謝。願わず・望まず、感謝と祈りを欠かさずを今後も継続とも。

 運気の上昇止まらず、自然からの恩恵に援けられることの多さでもあろうか。自らの不手際を罵り妬め中傷するなら、凡てが還る。腹水盆に不帰は、太公望の出世に目が眩み元の鞘に収まろうとした妻の噺。釣り人を例えるが、国をつるには意味も深く多くありて為る。

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