子どもの頃、テレビで鬼の面を被ったこの行事を観て、びびりまくった。生禿げ、とはどういうものかとの期待と不安だ。東北の、春を待つ人々にとって、寒い時期だからこその催しだ。これもきっと、雪に閉じ込められているからこそ、楽しみでもあるのだ。
自民党の政策は、やはり富裕者だけに都合が好い。福島の人等はもちろんのこと、庶民への配慮はない。年明け早々、値上がりが続く。嘘つき自民党に、誰が入れたんだ。中小企業や弱者には、一時金さえも凌げない。自分たちさえよければの考えだ。
切詰めて、節約し倹約する。唯一の楽しみもない。息をするのでさえ、税金を取られそう。悲惨な状況が増え続き、自殺者も多く、殺人も容赦ないだろう。戦争へと駆り立て、命の代償にしようとするが、そこには保障は無い。死に損なだけの仕組みだ。
原発の再稼動や、秘密保護法の施行にも、自民党や大手の企業には、実に都合の良い条件が揃う。新規の原発の建屋建設や、外国に輸出の目論見。プルトニュームを使って、爆弾の製造をし、殺戮し尽くす。裏工作は着々で、それに気づくことさえない。
福島の悲惨さは、広島や長崎の、物言えず殺された人等を踏み躙る行為。更なる暴挙を繰り返すのは、一体何を手に入れたい?人間としての心は、何処にも見えず、愚かなる仮面だけが歩いている。死体を踏んでいくのだろう。怖ろしさに言葉もない。
イタリアに永住している友人(こちらが勝手に思っている)、秋の葡萄の収穫と、ワイン造りは軌道に乗っているらしい。お子さまもまだ小さいので、手がかかることだろう。年に数回は、日本に来られるらしいが、お元気でいてくれることを、願って止まない。
孫が、小学一年生の夏に泊まってくれたが、行き届かないことが多かった。何が幸いするのかわからない、人生の選択だ。幾つになってもあらゆる可能性に、チャレンジしていく想いには脱帽。このブログも友人が奨めてくれた。枇杷葉のお蔭でもある。
行く年が過ぎれば、諦めてしまう。前を見つめて、生きることにも疲れる。それでも、来る年に立ち向かわねばならない。期待もなければ、淡々とした生活であるのだろうが、それでも行かなければならない。僅かでも希望や望みがあることを祈りつつ。
サントリーの苗を買い、プランターに植えた。小さいが3つほど生り、食べることができた。枇杷葉に登らせた。