夕立があったというに、蒸せ返る。なんだか梅雨時を思わす不快感だ。夕食の時間だが、お腹が空かない。食べなきゃな・・・とは思う。明日から文月で、秋にさしかかる。旧暦の七夕さまもある。願い事は、原発の廃止。夜中、赤々と電気をつけなくても、コンビニがなくても、テレビが夜中観えなくても。核廃棄物の処理に、10万年かかるという。
アメリカは卑怯だ。自国で反対されるから、モンゴルに捨てるのだそう。例え、何処に捨てたって、地球という星に代わりはない。我々の子々孫々、到底見ることのできない時間を、一体誰が安全だと保証できるのか。プルサーマル、プルトニューム。何れもギリシャ神話の『地獄の王・プルート』からきているのだ。
先日亡くなった小松左京にしろ、星新一、光瀬龍に於いても、未来の地球を予告している。来るべき世界は、ロボットしか生存しないとも。だが、福島の原発事故で、制御不能になった時には、そのロボットさえも作動しない。生身の人間が、まさに命を張って作業を続けている。この世の地獄ではないか。
電波は澱みなく行き渡り、テレビはいつの間にか莫迦騒ぎをやっている。やらせに気づかない人間が居るのか?ああいった莫迦騒ぎを、面白がって見るから放送するのだ。地デジがなんだ。書籍があればいい。活字は、自分の時間を自由に使える。読みたい時に読める。テレビは見てやらなくてはならない。
誰でも、何処でも、何でも手に入る。平等ではあるのだろうが、不便を強いられても、世界で一つしかない物を持っている方がいい。お金の価値はなくてもいい。何時も、肌身離さず持っていられたらいい。大切な物って、他人が見たら、なんでもないのです。それでも、自分にとっては、かけがえがないのです。
今年の薔薇は見事でした。初夏の空に、咲き誇っていました。