枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

躾の大切さ・・・

2017年09月30日 | Weblog

 猫の遣ることと、大目にみていたが、悪戯が眼に余る。我が家に来たばっかりの、体が小さい時には難なく通れた箇所が、テーブルに上がれなかったのが。そこを無理矢理通るわ、駆け上がるわで、そこら中の物が落下したり倒れる。

 銀河も、地震の予測はよく当てていたが、すばるはゴキブリを追い駆けて、花瓶を引き倒す。そこら中水浸しで見境無い。帰宅すれば、嵐が吹き荒れている。最初の頃から言えば、慣れてきた証拠だが、してはいけないことと叱りおいた。

 就寝時には、手枕で吸い付いてくるのは、相変わらずで甘えてくる。室内に閉じ込めるのが間違いで、自由に出入りできればいいが、そうもいかないので悩む。可哀相になるので、返すのがいいかな。と思案中である。同居するのは難。

 枇杷葉の苞が、今年もたくさん見える。金木犀の香りがし始めると、出番を待つように枝の中心が膨らむ。早ければ10月中旬には開花する。結実するのは、どういった取り決めか分らないが、花芽になったからといって、全部ではない。

 枇杷葉茶にしても、焼酎に漬けるにしても、硬くてごわごわのが良い。光合成をするので、ナイロンの袋に入れっぱなしだと、腐ってしまう。必要な分だけ採って、使い切るのがいい。花芽は、お茶パックに入れて、ナイロン袋にまとめ冷凍。

 消臭効果もあるので、毎年で使い切るのが好い。風味が落ちるし、呼吸するのでよろしくない。様々な効用があり、また症状での個人差も生じるので、誰にもいいとは思うが、時にはアレルギーも出る。身体の中の毒が、排出されていくよ。

 此のところ、野外コンサートが催され、ちょっと寝不足になる。夏日、日中の蝉の声も相当なものだが、夜半の庭も相当なスケールである。著名な作曲家のセレナーデ、時にはワルツも流れる。タイガースと競い合って賑やか。冷え込んで。

 1枝に鈴生りの花芽。すっかり咲き終ったのや、蕾があったりする。多くて10ばかりの実が生る。

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秋の交通安全・・・

2017年09月29日 | Weblog

 朝、何気なくだが、早く用意が出来てしまったり、何をしたのか遅れてしまったりする。通勤路を行っていると、必ず事故を見受ける。其処に遭遇しないように、何かの力が働いた、としか思えないことがある。自然と暮らしていると、難を逃れるのか。

 すばるのすばしこさに、こけそうになる。何しろ、行く先々に走って行くのと、Uターンするのとが同時くらいの速さで、足元を掬われるのに困る。よくもまあ、ちょろちょろと駆けること。高い所も好きで、どうやって上がったの?下りられないと固まって。

 ゴミ箱の長い物や、葉っぱに興味があり、ちょいと掻き出す。出来るだけ、分からないようにしているのを、ごそごそ遣って探す。糸は、特に危ない。呑み込むことはないだろうが、絡まると身動き出来なくなる。留守番中にはどうするんだ。と叱っておく。

 我が家に来て、7ケ月が経つので、言葉が多少は分るらしい。と言うか、しっかり聴いていて、こちらの顔色を見ながら遣る。してはいけない、と言うことは実に分っており、叱られる前に隠れる。寒いのが苦手のすばるだが、湯たんぽは未だ早いな。

 山女が熟れ始め届く。Aさんが分けて、と言われていたので持って行く。咳や痰の咽喉への絡みに好く、嗽や飲用に使う。分量は、ペットボトルのキャップ1杯を目安。身体に必要な物は残して、汚れた物だけを取り去る。咽喉の痛みを和らげていく。

 山女・通草、とも書く。昔は、家の周りにも生えており、子どものお八つでもあった。お腹が減れば捥ぎ、足らねば山に行けばたっぷりあった。今は、荒れているので、中々取れないが、行けば驚くほど生っている。然し、野のものらの餌で難しくなった。

 青空市に並ぶこともあるが、猿や猪の餌で、最近は鹿も口にする?里に下りて来るのは、餌が足らなかったり、十分な食べ物が、そこら中にあるからだ。袋毎食べて、消化されずに死んでいる。コンビニが出来過ぎたのも原因か。ゴミ箱が外に有。

 立春の頃には、粗方結実が判明する。花芽もそのままだったり、小さな実に変わったりするのだ。小豆大にも見える。

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葉月、上弦・小潮

2017年09月28日 | Weblog

 曇り空ながらも、風があるので、洗濯物を干す。すばるのトイレを換え、芍薬と釣鐘草を植え、プランターの土を移す。庭中に、通草が勢い良く伸びる。枇杷葉に絡まって、下手をすると行き止まりになる。リエさんのにも、りささんのにも苞が見える。

 今年も、初花芽が期待できそうで、たくさん思い掛けない枝に出来ている。虫食いや変形を取っておいたが、雨のお蔭で発育が良い。フェンスの場所のも、枝を広げて繁っている。花芽茶専用にしておくのも必要で、西側のに決めているが良好。

 来月になったら、生葉を採って漬けよう。蟷螂が卵を産みつけていた。鹿の鳴き声もし始めた。秋たけなわになりつつあり、肌寒い日が多くなる。それでも日中は暑くて、半袖で過ごせる。すばるの寒がりは、午前中傍を離れず、その後出窓に移動。

 相変わらず、最初に置いた靴の空き箱で過ごすが、寒い時にはカーテンに包まっている。居ないので探すともそもそしている。悪戯は減る傾向にはないが、動きのある物に突進する。昨夜はごきぶり目掛けて飛びつき、逃げられ追い駆けていた。

 今朝は休みなので、珈琲を挽いて淹れ、新聞をじっくりと読んだが、国会議員の身勝手さに呆れてしまう。まあ、元は自民党でしょう?分離だの解体だの、国民を莫迦にしておる。自民党は支持しないが、茶番劇は終わりにして。大根役者の集。

 60代の者には、年金貧困が生じている。掛ける時には安定した生活が可能と、強制的に入らされ、止めるにも掛けるにも際どい年代。いざ、支給年齢になると、先延ばしにされ、金額は減らされてしまう。生活保護は受けられないとは、どういうの。

 仕事を辞められないが、身体が続かないのも現状で、年金だけでの生活は困窮する。手始めに年賀状を止めよう。これまではお元気であった方も、大勢みまかったし、出す大義名分もない。葉書の料金も上がるしで、インク代ももったいない心境。

 クリスマスローズも、立春を過ぎた頃から蕾が見え出す。少しづつ、膨らんでくる蕾に、心も踊る。

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一休み・・・

2017年09月27日 | Weblog

 雨になるとほっとする。外のことはしなくてもいいのと、本が読めるからだ。天気の日には、しておくことも多くあり、それで一日が潰れる。尤も、枇杷葉の発育状態を知っておくのと、虫の確認にもなるが、緑の力を与えてもらってもいる。

 介護で疲れ果て、物も言えないような状態でも、帰宅すれば枇杷葉が爽やかだ。急速な変化こそないが、其処に佇むだけでも、心が癒されるもの。キッチンで、お茶で飲めばふくよか。幾重にも心を解す手立てをして、ゆったりと過す。

 最近は、すばるの悪戯に、ギョッとすることが多いが、何にせよ、未だ赤ん坊のまま。半年ではやんちゃりかそのもので、留守にする方が悪い。来た時よりは慣れたこともあり、家中の探検に余念が無い。痩せこけていたのが丸々した。

 布団を敷くと、寒いのか潜り込む。未だに腕に吸い付き、これをやらないと眠らない。爪を当てて夢中で吸い付く。銀河とは面相が違う、と思えば雄。顔つきが全く異なるのに、びっくりした。銀河は美人だったが、すばるはハンサムとは。

 重さも、片手では持てないようになる。肩に乗せてもずっしりする。毛並みは艶やかで美しい。これは枇杷葉茶を飲むからだ。水も飲むが、枇杷葉茶は欠かさない。昼間の寝床は出窓で、最初に遊んだタオルを敷いた、靴の空き箱に。

 もっと寒くなったら、湯たんぽを入れてやろうと、大きな果物箱を用意している。炬燵をしてもいいが、留守の間の火事も心配で、決断できないのだ。加えて、遠出が出来なくなった。留守中が心配だし、何が起きるか不安に駆られるよ。

 子ども等が小さかった時には、遠くに出掛けられなかった時と一緒で、生き物を飼うということは、それなりの責任が伴う。かといって連れては行けない。服を着せて乳母車に入れて?何分にもおとなしくは出来ないと思うので却下ね。

 節分が近くなると、宇宙の様子も次第に春の星座に変わっていく。それでも、金星や、目立つ星座は・・・。

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葉月、彼岸明け

2017年09月26日 | Weblog

 天気の変わり目で、気温の差が激しい。就寝時の布団を増やす。すばるを見ていれば、真によく分る。中に潜ってきて、朝までぐっすりである。序でに、チュウチュウは止められないようで、パジャマの袖口を押し上げて吸う。くすぐったいが我慢。

 秋たけなわの日であるが、運動会は10月が好い。子どもの体調もながら、二学期が始まって直ぐの練習も、低学年の子どもにはきつい。それならいっそ、親睦会を兼ねて、新学期になっての方が、お互いの先入感がない分、やり易いようにも。

 まあ、そこは学校や保護者の考えに尽きるが、昔人間には、秋の取り入れの前に、豊作を祈って地域全体が盛り上がる、あの霍乱が好ましいのだ。百舌鳥が鳴き、柿も色付き、山の気配も深くなる、あの静かな佇まいが一転する、興奮こそ楽。

 子どもの数は激減し、年寄りさえも居なくなった古里には、獣の跡が目立つばかり。田圃には猪が駆けたのか、稲がへたっていた。稲刈りも、早く速くとせっつく。機械で、あっと言う間に処理できるのは、簡単でいいことだが、米の味は落ちるよ。

 手干しは、手間だし、人手も要るが、其々の役割があって、誰が欠けても出来なかった。子どもも、年寄りもまた、必要とされていたから、気を張って生きていた。文句も言ったし、横着もしたが後を必ず、大人が直してくれた。それを見て育ったが。

 便利で快適な生活に、慣れてしまうと、自分で考えて行動する、意欲の欠片も無くなる。掃除一つにも、上から下にがなく、目の前の自分のことしかしない。隣が汚れようが、居場所が綺麗であればいいのだ。掃除をしないよりはいいのかな?

 室内も大事だが、外の方こそ綺麗にしたい。玄関は特に整えておきたい。そういったことは、祖母や母から教わり、屋敷を守るには当然のこと。住まう者の務めだろう。箒と雑巾で丁寧にしていった。畳の縁には、割箸で掻き出していたなぁ。

 花芽が満開になり、その後は結実して、小さなマッチ棒の先のような青い実が見える。それが大きくなる。

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自然の齎すもの

2017年09月25日 | Weblog

 今年の枇杷葉の成長が著しい。たくさんあるので、生葉を採っても残っており、脇芽や新芽が次々に覗く。硬くてごわごわしたのを採るが、直ぐに軟らかいのが育って、好い葉になる。先日も足を引きずる方に上げたら、調子がいいと喜んでいた。

 枇杷葉の木を植えて、自然に感謝しているのも好いようだ。心の中では、一喜一憂するし、折角大きくなっても、枯れてしまうこともあり、嘆いてしまうことも多い。これまでにも他所に上げたのが、上手く育っていないのは、淋しい限りであるもの。

 屋敷の周りには、小さな苗木も含めて、30本は残っている。その中の5本ほどが、苞になって花を咲かせる。リエさんのは昨年初めて結実し、サンタさんのは4年目になる。長崎茂木が一般的だが、田中や土肥の白枇杷も発芽し、育っているよ。

 神さまが偶然のように来させてくれた。と思っている。然し、10年は何等音沙汰無く、花芽が見えた時には、思わず小躍りした。農薬は一切使わずで、糠と塩で育っている。甘くて美味しいと人気が好い。太陽に、月に、星に祈り、感謝を捧げる。

 雨に、風に恩恵を受け、自然の不思議さに驚くばかり。毎朝、庭に立ち、その成長に眼を細める。有難いことである。枇杷をお好きだった佐藤さとるさんに、我が家の採れたのを贈れたのも誇らしい。何が縁であるかも計り知れない。ありがたい。

 朝夕には気温が下がるが、日中の暑さにびっくりする。冷房とまではいかぬが、衣類の調整をしないと、風邪を引き易い。手洗いも嗽もしておこう。個人的には、枇杷葉茶に塩を入れて持参し、欠かさず遣っている。山女酒も咽喉には効果が大。

 立春を過ぎると、少しづつ日中の時間が増えてくる。梅の香りがやさしい。鶯は、未だ鳴かずである。

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墓参りに・・・

2017年09月24日 | Weblog

 息子と里の墓参りに行く。三隣亡なので、山の木は切らないため、しきびも換えられない。嫁が花を預けてくれていたので取り換えた。水は、仏様には欠かせないので、墓に着くと直ぐに綺麗にした。笹も草も生い茂っているが、寒くなるまでは。

 墓石の苔や、枯れた笹は取り除く。箒と手袋とで掻き出す。最後に両親と祖母に話をする。戦死した叔父、病気で亡くなった伯母に、祖父は写真でしか見ていない。祖母は働き者で、母が家のことを、ぐずぐずするのを嫌っていた。田圃に山に。

 暦で暮らしていたので、三隣亡には余程のことがない限り、山には入らなかった。そういう日を骨休めにしていた。藁で縄綯いをし、籠を編み、草履を作っていた。竹は寒中に伐り、細工にしていた。どんな物も祖母の手に掛かると見事だった。

 蔓があちこちの猪避けに、這い上がっていた。祖母が見たら、野菜入れや、果物籠に仕立てたものだ。焚き物を括るのにも手早くて、縄が無くても鎌でちょいと切って、器用に括る。里の家も荒れ果て、野の物が歩いている。枯れ枝も落ちてた。

 家の小路に、ほととぎすが咲いていた。昔は、たくさんあったのが、今は見かけなくなって、小さな丈のに気づく。土の崩れた跡に、可憐な姿を咲かせている。野にあってこそ美しい。墓参りも、孫は学校に行っているとかで、文化祭の練習らしい。

 小学校では運動会が開催で、孫等は参加(卒業生で)しているのか?墓参りには来なかった。高校生のは、部活で日曜日もないそうだ。体力の限界にも思うが、若さで乗り切っているのか、さっぱり音沙汰がない。図書館も、館内整理で休み。

 布団を干していたのを仕舞う。秋日和にふくっらして気持ちがいい。すばるは雄であった。元気が余っているので、女の仔にしては可笑しい、とよく見てみた。然し、判明したからと言う手今更捨てられない。困ったもんだなあぁ・・・昼寝をしとるが。

 寒中の時期には、殊更に宇宙がきれいだ。外気温は低いが、子どもの頃よりは暖かい。星は美しい。

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秋分の日

2017年09月23日 | Weblog

 二十四節気 秋分 太陽黄経180度、昼夜等分に分けられる日で、秋分と言う。また、この日は、秋の彼岸の中日となる。毎年、九月二十三日頃である。とは言え、旧暦では葉月であり、四日となる。おはぎ・牡丹餅を作って供える。

 頓智の小僧と、ケチな和尚との笑い話。和尚さんが、檀家へ出かけた留守に、小僧は隠した牡丹餅を探し当て、日頃のケチな和尚に腹を立てているので、全部食べてしまう。然し、自分がやったとなると、和尚さんにきつく叱られる。

 そこで、本堂の仏様の口に、皿に残っていた餡を擦り付ける。案の定、寺に帰った和尚。小僧が見つけて食べたことを知った。問い詰めた和尚に、小僧は何食わぬ顔で、仏様が食った。といいつける。杓子で叩けば、くわ~ん、食わん。

 小僧は、和尚さんの遣り方が拙い、と言い放ち、今度は煮え湯に仏を入れる。すると、くった、くった。食ったと白状した。これには和尚さん呆れてしまうが、なるほど大人気ないと気づく。仏様を基の位置に返し、以後は小僧にも分けた。

 最近の国政を思うに、子供騙しの手で、世間を騒がせている気がしてくる。問題が発覚もなにも、既にばれているんだから、潔く関与を認め、辞めるのが正気の沙汰。田中角栄でも、身を引いたというに、往生際が悪いなぁ。呆れるね。

 解散して、選挙で勝ったとしたら、余程根回しが行き届いているんだ。庶民には死ぬほど働かせ、その税金を搾り取って、自分達の給料に当てているんだ。然も、半端な金額じゃない。1ヶ月の金額は、百万単位らしいが、遊んでいる。

 不祥事を起しておいて、頭を下げれば許してもらえる根性に呆れる。政治家は嘘吐きだとは、正直に思う。恥じるという嗜みは全くない。男性でもあったのが、最近には男女平等とかで消えた。何か著しい思い違いをしているようだ。

 立春を過ぎた頃から、徐々に花芽は結実していく。匂いは微かにしているが、花弁は落ちてしまった。

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虫の声にも・・・

2017年09月22日 | Weblog

 庭に出なくとも、其処彼処から聴こえる、涼やかな声である。晩夏には、心地好かった虫の声も秋ともなればもの寂しい。いや侘びしいもの。旧暦での暮らしをしていると、時間が止まったように感じれ、季節を愉しめる。そろそろ薄の綻ぶ頃だ。

 月の美しさも更に増してくる。真冬の煌々とした輝きではないが、ゆるやかで尚たおやかさがある。月に魅了される心には神秘さが宿る。夜毎に変る姿に、胸がときめく。藤原不比等と、五百重との恋にも、時が癒し、待つことの報いが還る。

 葵によし匂うが如く咲く華の・・・と言われるまでの頂点まで翔け上がり、政権をほしいままにした藤原不比等にも、思う通りにはならなかった事もある。実権を握ってからは、史実を書き換えてしまう巧妙さもある。阿修羅像に遭いに往きたい。

 心が、身体を離れて翔ける。仏師の精魂籠めた姿に、まるで生きているように見えもする。口元がほころんで、語ろうとするようだ。天界を自由に、悠然と翔け、帝釈天を悩ます。其処には、何処に繋がるのか。未来永劫への途は、遙か彼方。

 夕方の5時を過ぎた辺りから、急に寒さが漂う。彼岸には、暑さ・寒さもと言われる所以だ。実に頃合いを言い当てるタイミングである。桔梗も朝顔も、秋の花であるから、旧暦ではこの頃からが本命。然し、萩は初夏に咲く。季節にもずれが。

 百日紅も終わりだ。先日の台風で、枝が折れるやら、咲いた花も無残に散った。夏の間中、花の少ない季節に彩りを添えた。自然の営みは、人智の及び足りない世界だが、その恩恵をもらえるのはうれしいものだ。ありがたいこと、感謝する。

 今朝は、曇り空になる。業務のことを考えると、憂鬱になるのは何故だろう。口先だけの、資格だけの介護にはしたくないが、単に話し相手をすればいいのでもない。体力もだが、精神的な負担が多い。忙しいばかりを連発の上司にうんざり。

 月は、朔日から満月に向かい、その後は少しづつ欠けていくが、時間もずれてくる。金星はそのまま。

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天気戻る・・・

2017年09月21日 | Weblog

 曇り空にしょげていたのが、嘘のような秋晴れに、布団を干す。洗濯物は、少ないのであるが、夏布団を洗っているので、物干し竿がふさがっている。これからは、ふっくらとした温もりが恋しくなる季節だ。すばるも、毛布の上に寝そべる。

 今朝は、何処にも出かけない、真の休日でのんびりと起き過ごす。美味しい珈琲を淹れ、新聞をゆっくり読む。国会解散?ふざけちゃいけない。核心への説明さえもしていないのに、庶民を嘗め切っているな。誰が自民党など投票する。

 民進党の体たらくは、党首が変ったからといって、通常になる訳でもない。離党して無所属で出て、自民党へ寝返るのか?そこいくと、安室奈美恵さんは潔い。自分をよく知っているから、引き際を決めたのだろう。人其々に決断は大切。

 この世の春を読み終える。何とも奇妙な内容だが、この時代であれば、然も有りなん。全文を通して感嘆したのは、愛情の差はあれども、拘りを持つ者総てが、決して見棄てないことだ。独りでは困難なことも三人寄れば、という知恵も。

 然しまた、現代でも通るような内容だった。神隠しが起り得ることは、或いはないかもしれないが、人間が忽然と消えるのは、拉致されたことにもなる。何故、連れて行かねばならない?何のために連れ去る。親や兄弟から勝手に離して。

 枇杷葉の生葉を見て廻る。一旦枯れ、再度芽吹いたのが、勢い好く繁っている。これは既に、13年が経っており、そろそろ花芽がついてもいい。リエさんのやサンタさんのに、りささんのも見えるが、さて、結実となると怪しい。枇杷葉茶。

 お彼岸が終わったら、収穫して漬けよう。お茶には寒中がいいので、年を越さねば採れない。腰痛予防に、焼酎に漬けておく。生葉は、夏の間は採らないようにしておく。これは、新しい葉が繁ってくるのを待つためだ。硬くて大きな葉を。

 そろそろ球根類の注文を。プランターにあるのが、咲くかどうかは怪しい。毎年、買うように処理してあるようで、春の愉しみにしたい。ナメクジが球根を好むので、唐辛子を撒こう。友人には、糠を頼む。安請け合いは困るので早くから話す。

 月と金星の位置が変ってきた。朔から満月と、月が欠けていくのとでは、位置が逆転するのだ。それにしてもきれいだ。

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