枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

雨の香りがするよ

2010年01月31日 | Weblog
 勤務先に、いっしょに居れば落ち着く人がいる。台所も話をするのも傍に居たら安心するのか、ずっと独り言を言っている。私は、その話に相槌を打ったり、黙って聴いていたりしているだけ。今日も、非常ボタンを叩いていて、泡やスイッチが入りそうだった。冷や汗が出るようだった。可と思えば、静かに話しかけてあげれば、すんなり立ってくれて、厠まですたすた歩いて行かれ、気分よくなられたことに感動しました。

 どの人も、その生きてこられた年数分だけ、言うに云われぬご苦労があり、他人でなく自分にとっては、辛く哀しかった想いもあるに違いない。そのことを思うだに胸の中が一杯になる。そっと差し伸べられた手に触れれば、熱い思いのたけが迸る。涙が溢れて止まらないよ。かける言葉もないのだけれど、私は傍に寄り添っていた。ありがとう。そう言っていただけることが何よりもうれしかった。

 朝、必ず新聞を読む。詳しくは読めないのだが、大まかにざっと目を通す。勤務先で共通の話題になる記事を調べておく。そこから会話の糸口が見つかればいい。人は、長所ばかりではない。でも、一つでもいいところを見つけたい。例え相手がそういう風に思っていなくても、私の気持ちの上で想っていよう。

 私にとっては、日々学ぶことの多い仕事です。いろんな知識をしっかり知って、自分に得るものに変えていこう。時間もお金も無駄にしないよう、同時にいろんな角度から眺めれるよう、自分を高めていこう。そのためには、今日という日を精一杯生きよう。生かされていることを感謝して。残されている時間のためにも、そうしなければ。

 某新聞の小さなコラムに、地震が起きるのは、月と太陽の関係が大きい。とあったが、古の人は、そういう自然現象を熟知していた。月の満ち欠けと、満干潮の関係や、太陽のフレアの及ぼす影響を、かなりな確率で知っていた。ガリレオもレオナルド・ダビィンチも、ダーウィンでさえ知っていたのではないか?だが云わなかった。プラトンやソクラテスに至っては、その莫大なエネルギーに、恐れをなしたのではないのか?

 今日は、一日小雨模様。寒くはなかったが、何だか疲れてしまった。帰宅して、枇杷葉の匂いを全身に浴びた。ちょっと元気が出た。自分の身体の体調というか、リズムを整える。ああ、いいなぁ。自然の香りの心地好さ。人工的な香りには、何か毒があるようで閉口します。好き好きだから、するのは自由だと思いますが、仕事場では必要ないですよ。不快感を煽るだけです。

 お抹茶は、実にいい加減な点て方で、一服しました。生協で買ったのを持って行っているのですが、気が向いた時に飲めていいですね。抹茶茶碗も幾つか頂き物であるのですが、勤務先にも置いてあるので使わせてもらう。無論、お抹茶は自前。安物だと苦いだけなので、程々なのを持って行ってます。昆布茶も然り。お饅頭はなかったけれど、とても美味しかったです。

 今度の休みには、最終的にドクダミを掘りましょう。注文が殺到していますので・・・。枇杷葉はあるのですが、お茶にするには切っておかねばならず。足の痺れを我慢してしようかなぁ。淡路田中の枇杷葉は、葉の大きさが悠に50cmを越えるのもある。焼酎に漬けるには四つ切にした。今回は実家に植えていたもの。我が家のも殆どが30cmはあります。葉の大きさを比べているのが、以前の所にあるでしょう?

 枇杷葉は、ほんとうにどんな症状にも効きます。但し、自分から行わないと、効果の程はどうでしょう。身体の中の細胞が、どのように変化するのか見てみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満月の夜なのに

2010年01月30日 | Weblog
 帰宅時、宇宙は曇っていました。暖かな春の夜半の温度です。やっぱり異常気象なんですね。なんと言いましょうか?緊迫感が薄れます。冬の特長は、あのキリッとした佇まいがいいのです。こんなに暖かいと、いつも休めの状態のようで落ち着きません。寒いのは苦手ですが、冬が嫌いではありません。

 日本の四季で、春夏秋冬であげるなら、やっぱり冬です。この季節の春を待っている期間がいい。私自身も、あらゆることに時間をかけて取り組んで、学ぶことをしていきたい。自然に任せた流れの中で、コツコツと積み上げていきたいものです。きっとそれは、お金にも成らず、誰かが気がついてくれるということでもない。自己満足でしかないのだけれど。

 でもよくよく考えてみますに、植物や動物が、そういった利潤を思いながらいるのだろうか?と言えば甚だ疑問です。人間のように誰かの役に立ちたい。とか、自分ではこうありたい等、一切ないのだ。人間だけが何だかんだとうるさいのだ。然も、本人の望まぬことを平気でやらかす。相手の立場になり、思考していく。ということは無視されている。

 私は常日頃、病気の告知はいらない。と想っている。それを知ってなんになる?しっかりと自分を見つめることのできる人は、何人おいでだろうか?死を宣告されて、心は千路に乱れ、平静さを保てるなど皆無に等しい。先日も書いたが、私には視える。だからこそ言えないし、言わないのだ。その命のある日まで、本人がどんな日々を送ったとしてもいいのだから。事実、知りながら言えないことの方が苦しく辛い。

 私自身には、覚悟はできているが、それでもその日までは大切にしよう。と想っている。ただ時折、私の命に代えても、助けてあげたい人もいる。そういった人には、さりげなく枇杷葉茶を薦める。でもこれが伝わらない。もどかしい。一日千秋の想いになる。それでもいつかは気がついてくれれば。と根気よく薦める。諦めることをしません。

 その気持ちが通じたときには、小波が起きたように心が騒ぐ。とてもうれしい。待った甲斐があった。というものです。私が幾ら枇杷葉パワーを贈ろうとしても、受け付けてくれない。全身全霊の祈りが通じることは、そうそうできることではないのですよ。滅多にしませんが、極珠に一心になってやってしまう。2~3日ひたすら眠りこみます。1週間は身体がぐったりとしています。

 最近は、その体験をしていませんから、そこまでする必要な方が居ないのかも。同時に金銭の授与はいたしておりません。自分の命と引き換えになるような危険さで、やってあげるほど性格はよくないです。自分の莫迦さ加減を知った。という方がいいかもしれません。貧乏暇なし。と言いますが然もありなん。大金を手にすると、性格変わってしまいそう。

 石灰を入れたら、例年の3~5倍花芽がつきました。枇杷葉の枝が撓って折れそうです。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然に恵まれることには

2010年01月29日 | Weblog
 自然=環境。だが、暮らし易いことが含まれるのではない。自然の環境に恵まれる。というのには、好むと好まざる因子が混入している。自然というのには、自給自足的な生活があるように思えます。お金では得られないことです。大根と魚の交換の成立もあるでしょう。こういった場合、金銭はあまり意味がない。

 祖母のしていたことを思い出してみよう。縄を綯い、草鞋を作り、機を織っていた。薬草を調べ上げ、乾燥させて保存していた。牛や鶏や山羊に、犬猫等家族のようにしていた。人間には残飯でも、それらにとっては大切な食べ物であった。土を耕し、最後には土に還していた。人間が三分の一、天にも同じに、最後はそのものに残す。

 祖母が言い、する事は違わなかった。人間が全てを取ってしまうのではなく、必要な時に要るだけを分けてもらう。自然の摂理だった。自然の掟を守らぬ者は、しっぺ返しを受けるのだ。気がついてはいまいが・・・。小説でも何でもないことで、未来は自分でしか進めない。エコというエゴでは未来はないのだ。地球をきれいにするには、文明は要らないのかもしれません。飽くまでも地球にとってのことです。

 人間には、快適な住処と贅沢な食生活が大切と言う認識ですが、その線は一体何処でされているのでしょうか?風邪に対する予防も、かかっていくのが当たり前です。ここでそういったウイルスを体内に入れて、抗体を作り免疫に代える。基本は、身体が丈夫でないとできません。その条件として、健康なことがありますが、最近は軟弱なことこの上ない。

 銀河の好物は、ほうれん草、大根葉に夕張メロンです。数日前からそれに、ロイズのチョコポテトチップスが加わりました。職場でもちょっとした人気です。高いようですが、毎日食べる訳ではありません。安物をたくさん食べて虫歯になるより、1年に数回です。歯磨きをちゃんとしておきましょう。幸せな気分になれるのはいいことです。

 昨日は、風邪気味のスタッフからの感染と、新型インフルエンザの接種で、体調がダウンしていたのに加えて、休みという緩みが幸いして、のんびりできました。お天気もよく、布団も干せて、枇杷葉茶も作れ、2回目の寒肥とぼかしも遣れて、ほっとしました。明日が満月なので間に合いました。

 サンタさんから珈琲が届きました。サンタさんがブレンドしてくれている美味しいのが、サンタブレンド珈琲です。味が円やかです。同時にこの季節には、胃にやさしいのが飲みたいもの。これがうれしいのね。職場には、インスタントを持参してます。市販品は馴染めないのです。困ったよ。以前はそうでもなかったのに、井戸水を分けてもらい、枇杷葉茶を飲みだして変化が起きた。

 枇杷葉茶、花芽茶、種茶には頭を佳くする作用があるらしい。結論を言えば、血液の浄化です。川だって、綺麗な水の流れでは、生き物がたくさん住んでいるでしょう?人間も自然も同じです。

 枇杷苗、1年ものです。昨年、フリージアの球根も一緒に植えました。昨年の状態です。今は霜にやられて、ぐったりしています。枇杷苗は元気です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

災い転じて・・・

2010年01月28日 | Weblog
 人生を長く生きていると、何が幸いするか、災いになるかはわからない。その人なりの価値観も左右して、大きく違ってくる。日本人とか外国人とかでなく、人間性の問題でしょうか。加えて、お国柄もあったり、宗教の違いもあって、様々な展開になっていく。でも、相手の立場になって考えて、必要な時に必要なだけ援けられる人が、一体何人居るのでしょうか?甚だ疑問です。

 小さな親切、大きなお世話。と言いますが、自己愛で満足して、自分は何という佳いことをしたのだろう。と、思っていても、相手にとっては、大変な迷惑でしかない場合もある。心に寄り添うことの難しさですね。またこういった行為には、資金の豊富さがあるかもしれないが、唯単に、恵みさえすればいいのではない。生きるというエネルギーに、繋がっていかせなければ何等意味がないだろう。

 同時に、人間性で欠かせないのが、感謝する行為でしょう。私は、そういった人との繋がりが、たくさんではないけれど、居てくれることの有難さを痛切しました。ありがとうと言う言葉を、百万回言ってもらうより、1回でいいから、心のこもった方がいい。何度も繰り返して言わなくても、そういった想いは、自然と伝わってくるのです。

 不思議でもなんでもなく、至極当たり前のことが、素直に伝えられることは、凄くうれしいものですね。枇杷葉も、我が家でなくっても、云わば何処にでもあります。自然の資源を利用してのやり方も、私でなくってもされている。というものです。できることなんです。もしかしたらば、我が家の枇杷葉よりも、素晴らしい物があるかもしれない。

 信じてもらえる。って、すごくうれしいよね。その誠意に応えていけるように、精神を高める努力をしていきませんか?門前の小僧、習わぬ経をよむ。の例えではないけれど、或る日急に、悟れることだってあるかもしれない。ほんとうに様々な角度から、枇杷葉を観察していけば、必ずやその極意がわかるかも。何年かかるかは不明ですが・・・

 人生が80年とすれば、悠に研究できる。然し、地球がそこまで持つかどうかは不明。地球滅亡のその日まで、枇杷葉への想いで満たしていきたい。自然に任せることができればいいなぁ。明日は、もう一度、糠と塩を入れておこう。枇杷葉エキスもかけておこう。1月も過ぎて早2月の訪れです。大宰府の梅がそろそろでしょうか。

 枇杷茶を作っておかなくては。乾燥してからでは葉が切り難いのです。これがなかなか進みません。AIちゃんのお祖母ちゃん。いっその事、枇杷湯に使われてはいかがでしょう?お茶にされるのなら、今年の生葉をお送りしましょうか?こういう時の不便さを思うと、近くがいいです。採ってきて直ぐに渡せるからね。

 今日、一日を無事に終えられる幸せを感謝して。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご縁の繋がり

2010年01月27日 | Weblog
 今朝の地元の新聞の訃報欄に、とある方の名前を見つけた。ある予感はしていたが、まさかこれほどに速くとは。遡ること、3年前のことだった。何処も悪くはない、元気そのものの方なのに、存在感がなくて、影がとても薄いのです。私は、その方の連れ添いさんに触って、それとなく枇杷葉のことを教えてあげた。でも突然、枇杷茶を飲まれませんか?と言われて、信じられなかったようですね。無理もない話でした。

 枇杷葉の力を信じてくれなかったことが、今となっては残念です。何度も枇杷葉の力を試してください。と言うのも憚られ、終いには口を噤んでしまいました。私の言葉の持つ魔力も、枇杷葉を信じてくれなければ意味がない。医者に見離された方も枇杷葉でなら助かる。というよりも、枇杷葉には、再生という生命力の強い力があって、それを私は両手で送り込めるのです。電気が流れるような反応があります。

 リンパを刺激していくのですが、体内の血流を促し、清める働きもします。但し、枇杷葉茶、花芽茶、枇杷種茶等を飲んでいませんと、効果の程はないようです。これには枇杷葉のエキスが関係しているのですが、これが媒体となって体内に電気を送るようですね。また、体内の毒素を放出する働きもするようです。何故できるのかは、未だにわかりません。

 命の尽きようとしている方を、見ているのは忍びないものです。けれども言えない。言ってはならないのです。それがわかるだけに、枇杷葉茶を飲んでもらいたかった。私が薦めるには、ちゃんとした理由があります。それを疑うことは、自分の命を縮めることです。信じてもらえなかったり、悪しざまに言われることも、私には何等ありません。それらを言った人に必ず返ります。どんな形で返るのかは、言った内容にもよりますが・・・

 私が、望むと望まないに関わらず、なってしまうのです。ここをずっと見てくださっている方の中には、そういった記述を何度も目にしているでしょう。キャリーほどの力は、私にはありませんが、何かが起きてしまうのは確かです。また何時それが出てくるのかはわかりません。それ故に、自分の気持ちを素直にするよう努めています。我慢したり、耐えているとその反動が怖くなることがあります。

 私自身も、充分に気をつけなければならないことです。妬み、嫉み、疑心暗鬼。素直になることのなんと難しいことか。いくら綺麗な言葉を言っていても、態度や言葉に含まれる感情が左右されれば、相手の心や身体を覆い尽くして、殺す事だってできるのです。完全犯罪の成立です。人を殺すには、凶器などなくてもいいのです。生きていることが、殺せることでもあるようですね。

 枇杷葉には、邪心や悪心から守ってくれる力もあるようです。疑わない真心(真実)が、相通じていくのでしょうね。そんな気がします。私は、そういった心も一緒に添えて、送るように心がけています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒梅の頃に・・・

2010年01月26日 | Weblog
 北の天満宮の梅が、咲き始めているらしい。我が家のは未だ、硬い蕾です。玄関の左右に1本づつ、鉢に植えています。白梅と紅梅ですが、どういったことでそうなったのか、紅梅の方に、何故か白梅が咲くのです。まあ、それなりに眺めています。梅の実も生るので、梅ジュースにします。たくさんではないけれど、塩漬けにもしています。

 井原西鶴ではないけれど、実が生ったり、それらを活用できたりすると、1年中健康に配慮できるようになります。梅ジュースは、焼酎と氷砂糖でしますが、お酢を入れる方もいます。好みの問題ですが、どちらにも殺菌作用があって、夏バテにはいいですよ。私は、青空市で10Kgくらいを買って、息子の家族や娘夫婦は無論のこと、宅配の小父さんや、お客さまにもお出しします。

 寒中のこの時期の井戸水を、冷蔵庫に入れて保管しておき、注いで出してあげるのです。喉越しの爽やかさは格別らしく、暑さも何処かにいってしまうようですね。私は、汲んで帰った井戸水で割ります。どちらも捨て難く、冷たくて美味しいです。冬の井戸水は温かく、手がすべすべします。夏には冷たく、火照った手を落ち着かせてくれます。自然の水は湧き水ですから、とても不思議な気がします。

 寒中の時期に、山の湧き水が田の畦を越えて落ちているのは、氷柱になってぶら下がっていました。風邪を引いたりすると、祖母は氷柱のある場所まで出かけ、藁で編んだ籠に入れて持ち帰り、氷嚢に砕いて詰め、兄の頭にのせていた。私は、氷柱をかじって腹が痛くなった。冷え過ぎて震いこんだ。氷柱はかじらずに甞めるに限るのだった。

 山のあちこちに、紙の元になる木があり、それを集めて採って売っていた。祖母は、太くて大きな木を知っていて、どの位のところで切ればいいかを心得ていた。またその場で皮だけ剥いてしまう。この方が手っ取り早い。寒中には、お箸も作ってくれた。子どもの手に合った軽くて使いよい箸だった。何の木からしていたかは知らない。つつじだったかな?

 山の日当たりの佳い所では、春蘭が頭を擡げていたし、日溜りになっている場所には、梅が綻んできていた。梅1輪の暖かさ。と言うが、心の中にポッと灯った雪洞のようだった。祖母は暫し佇んで梅の香りを嗅いで行く。決して手折らなかった。野の花は、其処に咲いているから綺麗なんだ。と言う持論を、祖母は変えなかった。

 この世は、いろいろな生き物で保たれているのだから、無闇に採り尽くしてはならない。幾らかは自然に還すことをしなければ、来年には何も与えてもらえない。そんなことを言うのだった。明治生まれの祖母は、学校も満足には行かせてもらえずだったらしい。自然に学んで知り得た知識だったが、とてもたくさんのことを知っていた。

 このところ、玄関を開けた途端に、枇杷葉の花芽の匂いが漂う。枇杷葉茶にできないで、玄関に置いたままなのです。花瓶にも活けています。我が家のは昨日、冷凍庫に保存しました。リエさんに送ってあげようかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

枇杷種茶を頂く

2010年01月25日 | Weblog
 昨年は、これまでに少ない、枇杷の実の収穫量だった。100粒程だったが、それでも笊に一杯になる。何しろ枇杷の実は、食べるところよりも種が多い。一粒に3つはあるのです。皮を剥きながら、ため息が出るくらいです。100粒あれば、250種は下りません。その種は笊に入れられ、外で乾かします。夏の陽射しの中ではあっという間です。

 私は、枇杷の実に焼酎をかけて洗い、それから天日干しをします。こうすると虫がかじらないようですが、全く来ないというのではなく、入り難いというくらいです。無農薬ですから、終い忘れていたら悲惨な状況になります。3日もあれば充分でしょう。それを市販のお茶パックに入れ、風通しのよい場所に吊り下げておきます。

 お茶で飲まれるには、何時からでも構いません。燃料は、ガスでも電気でもよいですが、弱火でじっくりと煎じます。決して煮出さないようにしましょう。私は、1パックに3~5粒の枇杷種を入れています。生成り色が出たら、火を止めます。枇杷葉全般は、熱処理に弱いことですから、お茶では心配ありません。温かいのを1日に3杯の目安で飲みます。

 枇杷種茶パックは、同じ物を繰り返し使えます。私は、1ヶ月近く用います。但し、1週間煎じておいて取り替え、これを天日干しにして、また使います。最後になったら種をパックから取り出して、粉に擂って食べるか、飲みます。決して捨ててはいけません。枇杷葉を1とすると、枇杷種はその30倍以上もの効力がありますから。

 以前にも書きましたが、鮫皮の下ろしがあれば、難なく擂れるでしょう。また、焼酎に漬けている枇杷種は、熱処理をしていませんから、エキスを少量飲むか、1日に2粒までにします。症状と体質にもよるでしょうが、鵜呑みの判断だけでは危険ですから止めましょう。毒は薬に、薬は毒になるのです。注意してくださいね。できれば最初から多くを頂かず、除々に増やすという方法もあります。

 枇杷種茶の特徴は、風味が佳いことです。緩やかな春風のような香りです。いやいや、爽やかな初夏の匂いでしょうか?杏仁の香りがやさしく漂います。これで化粧水も作れます。自分の肌の状態を知った上で、グリセリンを混ぜてみます。寒中は水質がいいのですが、春先からは水が濁りますので腐ります。必要に応じて適量をしましょう。

 病気にならない予防や、健康を維持していくことには、手間隙を惜しまない努力が大切です。他人が代わってしてくれるのでなく、自らがしていかなければ、なってから慌てて、よからぬ結果を生んでしまうのです。自己管理が大事なことは言うまでもありません。そういうことをされていないで、短期間で治そうとして悪化させてしまい、枇杷葉のせいにしての鬱憤晴らしをされることも少なくありません。

 自分で管理できる、生活の基本を守ることです。誰の人生でもない、己の往く路です。明日に希望をかけるより、今日を生きることの方が大切なことです。1日、1日を疎かにしなことから始めましょう。過去を振還らないことも大事です。元には決して戻りません。この先高齢者の多い社会になっていくのです。自分をきちんと見つめることもいいのではないかしら?人間として、弱いからこそ。のように思えます。

 枇杷葉は癌に効果があると言いますが、生命力の強さがあるからでしょう。スギナにも同じような効果があるようです。ドクダミには、身体の10の臓器の毒を出す。と言う例えから名前がつけられているようです。スギナもドクダミも、道端やそこ彼処にたくさんありますね。除草剤をかけることはあっても、生かすことを考えることは皆無でしょう。

 人間の身体も、調子がいい時にはどうというこがない。そういった健康管理ができていないから、病気になる。なって慌てふためくのです。同時に、癌細胞は、体内にあり、誰でもが持っているのだと思います。衝撃をうけるのでなく、共有するのが妥協点だと思えます。

 昨年の枇杷種。リエさんやりささん。秋田の○さんや、サンタさんに送ってあげました。皆さん、今年の夏には、店頭で買われるでしょうか?無農薬のは、祝島のですが、届いたら直ぐに食べましょう。とても痛み易いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

墓掃除にて・・・

2010年01月24日 | Weblog
 快晴で、小春日和です。布団を干して、洗濯も済ませて、息子と実家へ墓掃除に行きました。路が猪にほじくられている。石がごろごろ出ているのを鍬で均す。鎌で笹を刈り取っていった。茨が軍手に刺さる。息子は墓石を磨きたてている。笹を刈った後に、万年青や千両の苗が見えてきた。祖母が大事にしていたのを思い出す。シキミも小さな苗がたくさん見える。昔は、仏様にお供えをするのに、買ったり、遠くまで採りに行っていた。

 祖母は、シキミの在るところを心得ていた。然も、いい木を知ってもいた。祖母にくっついていると退屈しなかったし、思わぬご馳走にもありつけた。冬の山には蜂蜜があるのだ。あの蕩けるような旨さは、市販品にはない。蜂には災難であるが、この時期、じっとして動けない。祖母も蜂に刺されるのはごめんらしかった。

 枯野に見える所にも、確実に春を待つ木々の声がしていた。炭焼きをしている小父さんも居て、消し炭でない上等の炭を分けてくれた。祖母は、籠を編んであげたり、俵を作ってあげていた。祖母の編んだ俵は、炭の粉さえ零れなかった。しゃっきっと立っていて、へなちょこに倒れることがなかったのだ。また、炭焼きのしなくなった窯跡には、蕨が手品のように生えていた。親指くらいの太さの柔かく美味しい蕨だった。

 蕗の薹が、根雪の残った所から、頭を擡げてくると、祖母は鎌でチョチョッと堀り、鍋に井戸水を汲んで七輪にかけ、塩で湯がいて味噌をつけて食べていた。好奇心でかじってみたが、苦いばかりで辟易したが、体にとっては薬だと言っていた。なるほどと、今なら理解できるが、小学校の1年生では、食べる気力は失せていた。

 小一時間もしたら、見違えるほどきれいになり、視界も開けて見晴らしがいい。菊を供え枇杷茶をあげて手を合わせた。お彼岸までは大丈夫かな?坂を下りながら、黄はだがあったのを思い出して、鎌で幹を削ってみた。黄色の皮が剥けた。少しばかりもらって帰る。腹痛に効きます。獣医さんがいなかった時代、これを煎じて丑に飲ませていた。苦い!!

 実家の前の家のお兄さん。枇杷葉を採っていてくれた。お兄さんには枇杷苗も育ててもらっているので、糠と塩の混ぜたのを渡す。樹医さんの資格があると言う、偏屈者のお兄さんです。昨年は12月に採ってもらっていたのですが、実家のは寒中でないと花芽が咲いていない。今年は、そこを見計らって、採ってもらいました。無農薬なので安心して飲めます。

 花芽だけをもらう訳にもいかず、かと言って全部は車に乗らない。天気はいいし、時間も早いので、せっせと仕分けをして車に積みました。45ℓのゴミ袋に2杯はありましたよ。花芽は帰宅してしているところです。(今、休憩中)桃の箱に一杯はあるでしょう。お茶にするのに節分までに間に合うかな?自分でしてみよう。という奇特な方は居られませんか?

 明日は雨らしいです。クリスマス・ローズの蕾が膨らんできていた。この時期、日中でないと水遣りができないので、明日の雨は有難いです。月末にもう一度枇杷葉エキスをしておこう。これをかけたら、艶が全然違ってきた。バラには特に効いたようです。天道虫も増えるかな?何だかわくわくしちゃうね。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心の在り方

2010年01月23日 | Weblog
 勤務を終えて帰ろうとしたら、知人に遇った。立ち話をする。思うに、親への有難さは、得てして亡くなってから殊更に思い出す。と話されて、心が立ち騒ぎ、家庭の様々なあり方があっても、親を思う気持ちには変わりはない。と目頭が篤くなった。帰宅してポストに手紙を見つける。寒中お見舞いを出させてもらっていたのに、ご丁寧に返事をくださった。

 鋏で封を切り、読んでいく内にやさしい想いに包まれた。亡き人を偲ぶ想いがひしひしと伝わって、哀しみで心が満ちていきました。温かで日溜りのような気持ちになれる、というのには、きっと今日までの生き様が、多大に影響していることかと、深い感銘に打たれました。何時如何なる時にも、感謝できるということは凄いことだといえましょう。

 Yさんは、決して平坦な人生を歩まれた訳ではない。けれどもそう言ったことは臆面にも出されず、困っている人には手を差し伸べられ、涙脆く芯のしっかりされた方です。生かされていることを感謝する。という行為は、なかなかできることではありません。口で言うほどには容易くないと思えます。不言実行とありますが、その通りでしょう。

 今年の花粉症の予報ですが、早や、出始めているようですね。秋田の○さん。枇杷茶、飲まれていますか?そろそろ効果が出てきませんか?りささん宛で、ご一報ください。ドクダミ茶もよろしいかと思います。昨年採ったのもありますので、直ぐお送りできますよ。今年のは未だ乾燥していませんので、出来次第お送り致します。

 桃の生産農家の方に、枇杷茶の収穫時期を教えて。と言われていたような気がするので、電話をしてみました。ちょっと勘違いされておられました。麦茶のように冷やして飲む。と言われ、冬場には飲みません。の返事だった。う~ん!まあそれもいいのですが、身体の中に冷たい物ばかり入れていると、消化するのに時間もかかるし、負担が増えて病気になるのね。

 つまりは、血液も錆びつくし、流れにくくなってしまう。こうなると、夜半に何回もトイレに起き、睡眠のサイクルが狂って、体調不良になる。覚醒できないので、食事が美味しくなく、ほしくない。また反対に、食べても食べても、食後感がなくなってくる。情緒不安定になり、病気を誘発することになる。胃腸不良がいけなくなるのです。

 枇杷葉茶は、そういった体質改善をし、正常な働きを促してくれます。体力減退をしていても、根気よく続けていくことで、除々にでも元に還ろうとします。最初の内こそ、何等効果が現れず、諦めそうになりますが、ここが我慢の為所。枇杷葉の力を信じましょう。薄紙を剥すように治っていきます。

 枇杷葉の葉の大きさ比べです。左端のが淡路田中、右が長崎茂木です。真ん中のは、雑種です。枇杷の実を食べた後、植えたものです。肥料の与え方や、石灰の分量にもよります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒水仙咲く頃

2010年01月22日 | Weblog
 大きな鉢に植えていたのを忘れて、百日紅を植え込んだ。初めは、百日紅ばかり咲いていたのが、ここ数年は、寒水仙が見事になった。緑の茎にすっくと立つ姿には、清々しい潔癖さがありますね。一輪を玄関に挿してみる。はっとする美しさがあります。花様々で、どれが美しいとは言えません。厳冬の季節に咲くからこそ、見る者の心を打つのでしょうね。

 先日、枇杷葉のエキスを、バラを始めとする花木にかけました。今日見ると、葉が綺麗になり、活き々となっていました。凄いです。枇杷葉エキスは、作れば幾らでもできるので、とてもうれしくなります。寒中にするためには、夏場の生葉がいいです。色が濃く、効き目も凄いのかな?農薬でアレルギー反応が出る方には、いいのではないでしょうか。

 大寒の辺りは、寒さも半端ではないのだけれど、ここ数日は暖かくていい。ドクダミ茶が足らないようなので、庭の隅を掘り返す。桃の箱に2箱採りました。友人の分と、リエさんのと、りささんのです。サンタさんにも送ってあげようかな?美味しい珈琲をいつも送ってくださるから。そうそう、サンタさんには、枇杷種茶も飲ませてあげたいんだ。今度の休みに送ってあげよう。

 たくさんの贅沢はできないけれど、珈琲だけは続けています。リエさんが注文して、サンタさんが送ってくれるの。お中元やお歳暮にもいいですね。同じ贈るのなら、こういった珠の贅沢がいい。シンプルなのがほんとうにうれしくなります。リエさん、いつもありがとうです。サンタさん、お手間を取らせますが宜しくね。

 宇宙を見上げて想うのは、数多の星の群れにも、誕生と死があるということ。冬空に観えているかに座(かに星雲M1)も、超新星が爆発した残骸です。おうし座の南側の角の辺りに観えます。天文台に出かけることがあったら、是非観ておいてください。宇宙の謎が解けるかもしれないですよ。

 宇宙も、花と同じで、四季折々の星座が楽しめます。また、時間によっては、夏の星座が観えることもありますよ。北半球の星座の位置と、南半球の星座の位置は、ちょっと違うようですが、私は未だ観たことがありません。惑星の観え方も違うようですし、同じ地球の上なのに、木星と金星の観え方が逆らしいのです。

 金星は外合になって、2月にならないと観えません。今度は宵の明星です。南の空からかなり移動しましたが、光っているのは木星です。月が半月で綺麗ですね。冴え々とした輝きです。それでいて、月の色の美しさはどうでしょうか。心の中を蕩かせるようですね。セレネ(嫦娥姫)の美貌が魂を虜にする筈です。なんという輝きなのでしょうかねぇ。

 この休みには、実家へ墓掃除に行くのですが、隣のお兄さんが、枇杷葉を分けてくれるというので、もらって来ます。花芽があるといいのですが、贅沢は言えません。ありがたいことです。昨年、淡路田中を伐って帰りましたが、綺麗にして杖にしよう。と思っています。丁度太さもよく、歩き易そうです。

 一昨年の枇杷苗です。1年経てば木丈が20cm、枇杷葉は5~6枚つきます。葉の大きさは種類によりますが、幅7cm長さ20cm位にはなります。肥料は遣らないで育てます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする