台風は去った。晴々とした夕空に、月が昇ってきた。雨で塵が払われ、素晴しく美しい月だ。まるで、梯子が伸びているようだ。あれを上がって行ったら、兎のダンスが見られるだろうか。それとも月世界から、地球の様子を伺っているのだろうか。
十五夜ではあるが、新月のこと。本来は、旧暦の10月30日が正しい。そうでないと、樋口一葉の『十三夜』の設定があわない。近年は温暖化ではあるが、それでも季節感が一致しない。薄も未だ咲いていない。尤も、沖縄と東北の方では、開花が違っている。
昔の、と言っても昭和のことであるが、暦の端に、食べ合わせのことが載ってあり、その季節の旬の物とも取り合わせは、美味しくてつい箸が出てしまう諌めであった。医学の専門的なことは知らない、庶民の生きた知恵に、ひどく感心した。
野菜を作るにも、何をするにも、手仕事だった。大幅な時間の延長上に、生活は営まれおり、手を抜くことをしなかった。他所より早く、という競争心を煽り、農薬を買わせ、汚染土壌を作ってきた。農薬を撒いた田畑には、外来種が蔓延っている。
小川にいた、田螺も、蜷も、鮠や四ツ目にメダカも消え、蜆など見かけない、コンクリートの小川になった。田から姿を潜らせた鰌も知らない。団栗の坊やが、お池に濱っても、もう鰌は現れてはくれない。お互いの足の引っ張り合いはしても援けない。
例年咲くシクラメン。今年も、水を遣っていると、芽を出した。咲くのは、来年のことだが。