枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

消臭効果は・・・

2016年09月30日 | Weblog

 枇杷葉茶の何が、体臭を消すのか知らない。ここ十数年、毎日枇杷葉茶を飲用するのも、血液がサラサラになり、くも膜下出血や、脳溢血等の脳の病気にならないように、或いは、癌の予防にとしてきた。症状のあらゆる面で効き目が現われ、驚くばかりだ。

 眼病の手当てにも良く、ガーゼに浸したので、眼を拭くと視界が広がる。枇杷葉茶に塩を加えてもよく、効果は覿面である。虫刺され、擦り傷に切り傷、打ち身、捻挫、吹き出物、痔にも効くので、手当ての方法を変えれば、医者要らずとなる。王薬大樹とも云。

 水虫に、タムシに悩んでいる方、枇杷葉のエキスに浸せば、三日で治る。安価で簡単な方法なので試してみては。枇杷湯に入っていれば、自然と治るのだが、湯舟が変色する嫌いがあるので、一概にお薦めできない。足湯でされるのもよいが、容器を決めて。

 枇杷葉の効力を知って、もっと速くから施行していればよかった。と思うこともあり、これほどの効き目を他人には教えない。とも想う。枇杷葉と、旧暦と、読書生活があれば、快適とも考える。便利で快適な生活ばかりがいいとは思わない。まあ不便とも想えずだ。

 旧暦での暮らしをしていると、身体が自然体に近づき、警告を発してくる。予知夢と言うのか、第六感とも云うが、判断に迷った時には、本能に従う。先日の台風での浸水も、ちょっとした気転が命を守った。若い者には、そういったことには疎いものかもと思う。

 異変を感じ取る能力は、皆持っているものだが、テレビ等の情報に振舞わされて、判断が狂うのだ。自然災害には、直感が必要だし、いざと言う時の迷いは厳禁。加えて、人間の棲家でない場所には、断りが大切だ。命を落とすのは、何処に居ても同じかも。

 生前、祖母は自然への祈りさえ、怠らなければ援けてもらえる。と感謝を忘れなかった。無闇やたらと殺生をせず、危害を加えられないように、充分な心構えを怠らなかった。宇宙と話し、風の声に耳を傾けて雲を眺め、星や月に祈り感謝していた。驕らない心。

 白枇杷の苞がたくさん見える頃、山茶花が咲き始める。本来は、夏椿であったのが、いつの間にか・・・

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葉月、大潮・三隣亡

2016年09月29日 | Weblog

 暑い夜間であった。流石に汗だくでは眠られず、何と言って、布団無しも出来ない。布団の上をごろごろしつつ朝を迎えた。台風の影響にしては、暑さが残るのに、身体がついていかない。こういった状態で、風邪を引くこともある。危険信号が出ている。

 野菜物をしっかり摂ることが大切になる。好きな物ばかりだと、抗体や免疫の少なくなっていく段階では、身体の変調へとつながる。季節の旬の物を、たっぷり戴く有難さに感謝。その他の物にはいくら並んでいて買わない。青空市を利用するのが得策。

 見栄えよりも、農薬の無いことと、食べれることが条件。加えて鮮度もあるが、可能な限り、求めてから洗いたい。自分で作るのが理想だ。要は、必要な分だけ買って、冷蔵庫は信用しないのがいい。後で、と思うからもったいないことになる。お裾分けよ。

 車に、土付きでプランターを乗せ、顧客の求めに応じて、その場で取る商売だ。一日の分量は決まっていれば、売れ残りも少ない。若しくは注文に応じて、その場で売る。鮮度も保て、少量でも買えれば消費者は助かる。高齢者になると、不便が生じるもの。

 発想の転換かも知れぬが、自分がそうであれば、という思いもある。ネットで注文できれば、簡単ではあるが、支払いの問題や、数字を一桁間違うと、大変なことになる。必要な時に、求められることが肝心なのだ。遠くからだと送料の発生、鮮度も落ちるよ。

 便利な世の中になったが、却って不便さを思う。つまりは、自分勝手なことを考えて、都合のいい横着を決め込むからだ。人間は、糧を得るのに安易過ぎるもの。金銭的なことで直ぐ、解決できるので、余り考えない。加えて、自分さえ良ければいいと目論む。

 都民ではないが、国民として、常々オリンピックには、莫迦らしい金をかけるのに反対だった。都知事を支持しますよ。前首相であろうが、踏ん反り返っているような者に、庶民の苦労は分からないだろう。そういうオリンピックなら賛成。使用できる施設は無論だ。

 枇杷葉の花芽が。この状態を、苞と呼んでいる。これだけでも、近づくと微かな芳香がする。薄茶色の苞が破れて・・・

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台風多発・・・

2016年09月28日 | Weblog

 日中、薄日が差してはいたが、朝も、夕方も雨である。夏と秋が引っくり返ったような蒸し暑さに、ヘロヘロになっている。冷たい物は控え、温かいお茶を出すが、身体のためなのに文句が多い。自分の身体ではないから、一向に構わないが気の毒。

 枇杷葉茶を飲んでいれば、消臭効果もあるので、汗の臭いもない。テレビで、肌年齢がどうとか遣っていたが、基本的なことをしていれば、あんな化粧品をつけなくても、歳より若くなる。美人は三日で厭きるが、ブスは三日で狎れるとも言うようだが。

 然し、ブスにも意地がある。顔の配置は変わらなくても、教養を高め、心を磨くことを怠らねば、自ずと美しさは保てる。そういった心掛けをしないで、整形するばかりでは、人間の持つ、本来の目的から外れ、心を蝕まれる。弛まぬ努力は、気づかせぬ。

 枇杷湯に浸かって、心身ともにリフレッシュできると、身体が軽くなる。勤務するのも、家での暮らしにも、きちんとけじめを措きたい。自由になる時間はたっぷりあるが、期限の迫る約束事には、待ったなしである。墓掃除、墓参り。家の片付けに終始だ。

 孫の修学旅行は、どうやら雨の道中らしい。清水寺も、奈良公園も、引率の先生が大変だろうな。と案じる。月の満ち欠けを考慮して、日程を組まないからのように思える。物事を、早く速くと急ぐ余り、季節の天気になどお構いなしとなる。文部省が原因。

 金木犀の匂いが立ち込めている。川原では、桜が開花して、雨に濡れている。ここ数年、ちらほらだったのが、今年はたくさん咲いていて、気温の似た状態なら、見事と眺める。ソメイヨシノの品種で、八重は見たことが無い。朝顔が何時までも咲いている。

 月の光に、花も草も、声を潜めている。雲の切れ間に観え隠れ、或いは煌々と輝く。月は、観る者によっても、その輝きが違う。

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葉月、八せん始め

2016年09月27日 | Weblog

 天気となるが、仕事に行かねばならず、洗濯物も布団も干せない。気温は高いようで、雨の肌寒さとは差が大きい。季節感の薄れる昨今で、衣類での調節しかできない。仕舞っていた夏物を引っ張り出す。箪笥の衣替えにも、迷うばかりである。

 月日の経つのは速い。既に来年の暦が出て、日捲りと新旧の記入があるカレンダーを買う。手帳は、ディズニーのがほしかったが、気に入ったのが無く、キキにする。今回の表紙は、銀河に似ている。然し、たかが手帳にしては高い。値上がりだ。

 手帳には、勤務時間と休日、研修や私的な用事を書くだけで、然したるイベントは無い。江戸手帳を検索したが、繋がらなかった。意外と便利で、価格も手頃なのだが。後は、本格的な旧暦の注文だけである。これは、毎年重宝する。有難い暦だ。

 今年の枇杷葉の様子を、雨のそぼる中見回ったら、リエさんの枇杷葉に、中心部分が何やら膨らんでいるようだ。かれこれ、10年が来るので、そろそろ花芽がつくかもと、少し期待する。このところ、急激に伸びたり、枝が広がってきたので愉しみよ。

 薩摩芋も、安納芋がどうだろう、とこれも期待するが、プランターなので入っているかな?手慰みでするには物足らず、本格的には土地がない。それでも、季節の歓びを知っていたいのは贅沢かな。林檎も袋をかけて、何時収穫しようか迷ようのだ。

 人間の寿命も、心の持ち方で長く感じたり、短く思えたりするもの。世間の雑踏はどうでもいいと遮断する。秋の夜長を読書に充てたい。つい、夜更かしになるのは避けねばならず、然し最後まで読みたい。最近の書籍より、古典が面白いことも多い。

 鉈豆の種。これは、赤鉈豆の方だが、ほんのりとした赤色が綺麗でしょう。まるで宝石の輝きです。

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洗濯物が・・・

2016年09月26日 | Weblog

 室内に干すにしても、外であっても、乾きは悪い。外で、更に水分を含むよりはいいか、と中に入れているが、気分的にもすっきりしない。もうかれこれ1週間である。どうにか仕分けして、新しい物と入れ替える。秋から冬に向っているので、何となくうっとうしい。

 住宅の飼い猫ではない(規則で飼えない)が、近所の住民の怠慢で、ふらついている猫が成長して、態度も大きくなっているのが、ゴミ袋を玄関に出したまま、放置しているのに漁って、そこら中生ゴミが広がっている。猫が悪いのではなく、置いた非常識に唖然。

 注意方々訪ねるが、中学生と小学生の姉弟しかいない。ゴミは、玄関に置かないように云うが、夜半過ぎまで騒ぐのも、他人の未成年を泊めるのもお構いなしでは、糠に釘かと思える。それでも、集団生活を営むには、それなりの心構えもあるのではないのか。

 古里の墓参りで、びっくりしたのは赤蜻蛉の群れ。子どもの頃には、至極当たり前の風景に思っていたが、稲の農薬散布で、見かけなくなっていた。やごが棲む環境に戻ったものらしい。自然の中で生きることには、生死をかける野生の生き物だが厳しい条件。

 枇杷葉茶を飲用して、一番の効果があったのは、尿漏れがなくなり、頻尿が止まったこと。加えて、枇杷湯での影響も大きい。夜中に何度も起きるのと、更に足が冷たくて眠れない。その結果は、寝不足になり、食欲減退と疲労困憊。ここ十年間一切起きていず。

 これに、鉈豆や通草、イタドリを症状に合せて摂っている。薬漬けになるのは厭だし、病院で待つのも否だ。他人の咳で、思わぬ風邪を移されるのも困る。病院自体が、幾ら清潔にしていると言っても、患者が持ち込むのは防げない。行かなければもらうことも無。

 次に、枇杷葉茶での嗽である。ペットボトルに入れたお茶に、塩を一掴み入れて、勤務先に持って行く。勤務時には必ず遂行している。マスクは止む無き場合、咳が止まらない時だけで、これは通草酒を飲用して治す。胃腸の爛れは鉈豆で行う。医者要らずだ。

 健康食品も買ったことがない。自分で納得できない商品には、無駄金を使うことはない。陸地には山の幸が、海辺には海の幸が豊富だ。其処に棲んでいればこそ、安価で役立つ品物がある。ちょっとした工夫と思いつきで、自分の健康を守れることに気づきたい。

 りささん枇杷葉。この時点で、花芽が1つ咲いていたが、結実には至らなかった。予知夢が正夢になるのは辛い。

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万珠沙華鮮やかに・・・

2016年09月25日 | Weblog

 ごんぎつね、だなぁ・・・と畦を見遣る。今年の万珠沙華は、鮮やかな色である。花の色は、毎年同じように思っていたが、雨の量や湿度等、気象条件が折り重なって、その年の色になるようだ。栴檀も、うっかりすると気づかないこともある。

 百日紅がそろそろ終わりかな。胡瓜も秋取りのでないと、枯れてしまう。今年のように、雨量が豊富だと、発育のいいのや、反対に腐ってしまうのもある。花苗店にすれば、毎年買ってくれるほど有難い。発芽させたり何年も咲かせるとね。

 花もだが、毎日見ていると、その微妙な変化に気づくが、慣れてしまうのが分からない。一日足りて同じ日はなく、日々変化が起きている。人間にも多いにあり、機械に頼り過ぎるのは好くない。記録することは大切だが、それに終始すると。

 きめ細やかな配慮を行おうとしても、一人で見れる限度がある。其々に症状や程度の差があって、注意を促す方や、目が離せない方もいる。優先順位があるとはいえ、日常では不可能なことも多い。どんなに大勢いても、協力無しでは不可。

 介護の仕事には、ゆとりも必要だが、流れもみなければ出来ない。相手が何をどうしてほしいかを、きちんと感じて動きたい。簡単なようで難しく、心のアンテナを張っていないと、見逃してしまうのだ。拘る方法にも、接する態度にも様々かな。

 墓参りに、息子と行って来た。古里の家は傾き、庭は草茫々である。墓への路を上るが、雨でぬかるんで滑る。猪も驚く変わりように言葉もない。水を代え、曄を供えて手を合わす。饅頭と菓子を乗せて墓を後にする。先日の台風で古木が斃。

 洗濯物が乾かない。汗ばむ湿気に、着替えねばならず、勤務では特に清潔でいたい。従って毎日の洗濯は欠かせない。いよいよとなったら、除湿機をかけるが、電気代の節約に辛抱している。衣類は充分なのだが、干す場所に思案ばかり。

 我が家の庭は、猫の額ほどであるが、あちこち所狭しと植え込んでいる。四季折々の風情を愉しむ。

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秋の交通安全週間

2016年09月24日 | Weblog

 以前は、パトカーを見れば、緊張したのが、取締りには白バイがやってくる。仮面ライダーもびっくりの速度で、前方を塞ぎ摑まる。燃料費の問題に加えて、腕に自信がなくなって、安全運転を心がけている。優良運転手になると、保険料が安くなるんだよ。

 午後になって、ようやく雨が止む。夕方には、晴れ間が見えてきた。然し、雲が垂れ込んで宇宙は星の瞬きを遮る。一日でも、星の輝きを観ないと、情勢が分らないことが増える。彼岸浄土に至るには、天気がいいのに限る。もんじゅが廃炉と聴き、複雑。

 仏さまのおなを、機械につけるとは。然も、先行きも遣っていることも不純な行いだ。知恵を貸してくれるどころか、よくもまあ罰が当たらぬことと思っていたが、無駄金ばかり予算に組み、廃炉にしても、ただでは済まない。だれがどういった計画でしたのか。

 田舎の夜は早い。午後の9時も過ぎれば、深閑としてしまう。子どもが居れば、学校もある。ところが、10時を過ぎる頃から、次第に賑やかになり、深夜に至る丑三つ時、騒然となるのには閉口する。非常識以外のものではないが、他人への配慮は先ず無。

 狭い団地の住まいでは、隣が何をしているかまで、はっきりと知れる。目障りでもあり、迷惑でもあるのは、言うまでもない。常識の基準を遥かに超えて、居住権の問題、が生じる。夜半の時点では、注意しようにも、わざわざ起きて行く気力も乏しいものだ。

 子どもの虐待にも、眼に余るものがある。何度注意しても、一向に改めない。最近は、泣けばどうにかなる、と悪知恵がついた。大声で泣き喚き、相手の出方を待っている節がある。子どもの躾は、遣り方を間違うと最悪となる。親は、子どもに試されているよ。

 明日は、午前中には墓参りがあり、人数が不足しているため、午後からの出勤にする。先日、扁桃腺炎で休んでいるので、断れない。枇杷葉のお蔭で、治ったことも有難い。身体の衰えは否めないが、現状維持が肝要。病院に行くのは、極力避け、薬も厭だ。

 蕎麦の種。この程度では蕎麦は打てない。まあ、植えてみたかったので、分けてもらったのだが、素朴な花がいい。

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秋の演奏会・・・

2016年09月23日 | Weblog

 夕食を食べに来た友人、家の周りで集く虫を、鈴虫と言う。えっ!こおろぎでしょう?教えた親か、勘違いできたものか不明だが、鈴虫は、羽を擦るように鳴くのよ。こおろぎは尻を立てて奏でる。秋の夜長、虫の鳴き方にも特徴のあることを知ろう。

 夕方、梔子の葉が、無残に筋となっているのを発見す。葉裏を見ていると、大きな緑の幼虫が、数匹いた。撤去の件となる。葉をかじっている音が聴こえるので、じっと眼を凝らす。いましたね、細いけども長さは8cmはある。雨で繁殖していたか。

 寒い一日だった。風邪を引いてはならないが、たくさんは着れず、セーターは暑い。季節の変わり目には、体調が崩れるので、油断はできない。前向きに努めているが、業務の無理が年齢と共に出てくる。肉体的なこともだが、精神的な疾患に塞ぐ。

 仕事に行きたくない。朝、起きれない。こうしてみると、勤務上の悩みを、あまり話せないことに気づく。銀河が居た頃には、それなりの杞憂はあったが、お帰りとで迎えてくれるのが、何だかほっとしていた。一緒に暮らしていると、猫ではなくなるの。

 そう言えば、銀河は息を引き取るまで、粗相をしなかった。最後の一日だけ、おしめをしたが、どうあってもトイレに行こうと起きる。よたよたとし、這ってでも行く。怒らないから、ここですればいいよ。じっと見上げていたのを、今も鮮明に想う。庭に眠る。

 居なくなって、もっとたくさんの銀河を、写しておけばよかった。と思う。毎朝、お茶湯を供えているが、何処にも行かないよ。銀河の思い出と一緒に、枇杷葉も増えていくのがうれしい。一日過ぎることが、朝を迎えることに淋しさも感じる。お休みなさい。

 中心が膨らんできた、長崎茂木の枇杷葉。苞の状態から、薄茶色の丸いのがたくさん見えると、白い花が咲く。

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葉月、秋分の日・中潮

2016年09月22日 | Weblog

 二十四節気 秋分 太陽黄経180度、昼夜等分に分けられる日で、秋分と言う。実際には、昼が少し長い。暑さが遠のいて来る頃でもある。またこの日は、秋の彼岸の中日となる。毎年、九月二十三日頃である。天気になるかと多少の期待が、雨となった。

 扁桃腺も、どうにか落ち着き、温かくしていれば、熱も出ない。枇杷葉の生葉を当て、あけび酒を含みながら、現状を保つことに撤する。余分な外出は避けることと、大勢の人が出入りする場所には近づかない。コンビニ等以ての外です。洗濯物が乾かない。

 先週からだから、これは秋雨前線だろう。秋の空の特徴だから、時期が過ぎれば、快晴が戻る。台風の生まれる回数も、葉月が多い。中秋の名月とは、長月の頃を指し、芋名月とも、栗名月とも云われる。新暦での呼び方には、こじ付けと無理が生じるもの。

 枇杷葉の中心が、膨らんできている。今年もたくさん付くようだが、結実しない木もあるので、花芽茶に採ろう。それにしても、白枇杷の鈴生りには、びっくりするばかり。樹も、随分と育っており、屋根の高さに達する。脚立に上るには、骨が折れるので剪定だ。

 今年は、雨の多い日が続いて、鉈豆や唐辛子が腐ってしまった。昨年は、こうはならなくて、油断をしていた。かといって、冷蔵庫に入れるのも駄目で、こちらは凍ってしまう。雨も無くては困るが、溜める容器も場所もない。自然は待ってくれないことに気づく。

 知人が、握り鮨を食べたい、と言う。回転寿司に行ったが、美味しくなかったそうだ。そりゃ、自分の好きなネタばかり口には出来ないでしょ。懐と相談して食べるのと、気儘に握ってもらっては、大きな違いだ。無論、料金の請求も無いよ。贅沢な悩みでしょうが。

 江戸前鮨を、誰に気兼ねもせず戴いてみたいもの。然し、移転先の豊洲があれでは、ネタが怖くて。石原慎太郎の逃げが、臭い演技に笑止。その状況が来ることを想定して、知事を投げ出したんだろう。明らかな税金の無駄遣い。年金で返却してはどうかな?

 毎年、晩秋に咲いていたのが、次第に早まって、彼岸前後に見え出した。当たり前のこととなると誰も止まらない。

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あけび(通草)の効能

2016年09月21日 | Weblog

 咽喉の腫れが引き、熱も治まって、呼吸も楽になった。右肩の凝りに、イタドリを貼り付ける。生ではないが、緊急時の解熱作用にはなったらしい。これで治らなければ、医者も仕方ないかと腹を括っていた。未だ、完璧ではないが、やれやれという安堵。

 自然への感謝の気持ちを忘れずに、援けてもらえることはありがたい。油断は大敵だが、じわじわと効果のあることに、今更ながら祈る。祖母が、扁桃腺炎には、イタドリの根を掘って、摩り下ろしていたのを思い出し、熱のある身体で雨の中、焼酎を思う。

 イタドリを漬けていたエキスは、飲んでいて空に近い。その浸かっているイタドリを取り出し、痛みの酷い箇所に当てると、嘘のように熱が引く。霊験鮮か、とも言うが、自然の力の偉大さに感服するばかり。これに加えて、枇杷葉の生葉も肩に貼っている。

 枇杷葉の生葉も、熱があるので、少々のことでは落ちない。カラカラになれば、何処へかいってしまう。数日、入浴は控えていたが、足が冷たくて眠れないので、昨夜は、温かくして布団に潜り込む。自分の持っている力以上のものが、促されていっている。

 出来合いの物は、便利であり簡単でいいのは分るが、そこには何が含まれているのか、調べようが無い。人体には危険はないと言うが、信じられないもの。無論、米にも安心の度合いがある。自分では作らないのだから、これは農家を信用するしかないが。

 自給自足とまではいかなくても、可能な限りは、余分な毒素は避けたい。食べて癌になるよりは、食べなくても死にはせん。身体は、年齢と共に衰えて、あらゆる面での喪失感に苛まれる。然し、これも生きていれば当然、避けては通れない。相当の覚悟。

 命を終えて終えば、そういった一切合財はないだろう。然し、生きていこうと決めた時点で、ある程度のことを考えておくことだ。まあ、実際にはなってみないと、決心は鈍るが。朝になって目覚めることに、一日を無事に終えることを、感謝して祈っていこう。

 そろそろ、早生のあけびが色づく頃か?効力も素晴しいが、初夏に咲く薄紫の花を知っています?

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