枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

夜半の雷雨に

2019年09月30日 | Weblog

 さて、就寝しようと電源を落としていたら、雷と雨音が聴こえる。葉室麟・風渡るを手に蒲団で読書する。図書館で本を借りたり、DVDを購入する繋がりに不思議な想いが重なる。手塚治虫氏のコミックも三部作である。砂漠の女王は、ルツの半世紀であるが、映画にしたらこうなるのかと納得。それと連鎖しての知識。

 庭で、桔梗と薔薇の白が咲いている。枇杷葉は緑を濃くして、清々しいコントラストだ。霜が降りる前に、鉢物を仕舞う段取りだが、折り鶴ランはランナーが伸びている。室内に取り込んだら、すばるの飛びつかない場所に移動して、落下しても好いようにしておこう。昨年は、狭い場所に置いたばかりに、難儀をした。

 消費税が10%になれば、衣類は無論の事、旅客鉄道等の値上がりもするので、遠出には計画性が必要となる。近場にも用事をまとめて行かねば、無駄足になってしまう。政府の行き当たりばったりのやり方には、納得できないものの、強制的に決行されては、手立ても出来ない。これが民主主義国家なのかは知らずだが。

 百舌鳥の声が高い。雀の囀りも姦しい。枇杷葉に止まっての歓談中だが、虫を餌にしてくれるので、これは相応に有難い。人間とのと言うよりも、自然との共存方法であろう。通草が、何故あの場所に生ったのか、疑問は尽きないが、今後に期待したいところだ。品種は早生になるようで、小振りの大きさであるようだ。

 仕事に出ようか迷ったが、これは体調の知らせであるかと、行くのを止めた。リエさんのお友達には、著名な方が多く見受けられるが、係わっている関係上の、或いは培ってきたことへの結果なのだろう。考えてみれば、凄い人と知り合いということになる。それなのに、こんなに親しくしてもらっていいのだろうか?

 沢田研二さんのDVDは、買っている物しか観えないが、何度観ても新鮮でもある。当時のコンサートを知らない者には、厭きることがない。歳を重ねれば、肥ってもくるし腹も出て来る。それが当たり前の姿なので、現在の格好にも何ということもない。だからこそ、歌が聴けるもので、ステージに立つ姿が好いのだ。

 早春の庭では、梅と枇杷葉の花芽が競い咲いている。香りは甲乙つけ難く、心を満たしてくれる。

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長月、朔・大潮

2019年09月29日 | Weblog

 気温の不安定さにたじろぎつつ、塩を換えておく。何時もの事であるが、先月の塩を半紙に包んでいたのを燃やす。その時の燃え方で、異変が分る。夢見も良くなかったが、胸騒ぎがしてくる。それが鮮明に視えているのに、説明がつかないのは何故だろう。不安が胸の中に広がる。災い転じて福となるよう祈るばかり。

 通草が、いつの間にか実に生っていたのには、驚かされたが、花の咲いたのさえ気づかなかった。自然の掟には、一体何があるというのか?人智では計り知れぬ条件であろう。幾ら科学が進歩しても、解明できない物事はある。わたくしが知らなかったのか、人間の及ぶところではないのか。それにしても待つことに。

 来月の勤務を間違えてしまった。暦での休日にしているので、繰ってはいたのだが、四連休にしているなっている。上司の都合もあるらしいが、四連勤の日があるので、調整しないと倒れる。10年前に出来ていたことが、身体が拒否するのに困る。運動をするしないに関らずで、指令が伝わらない。無理をしないことだ。

 棋士の加藤一二三さんが、クリスチャンと言うのを忘れていたが、本田るつ子さんは、聖書からだというのは明白。名前をつけるのは、流行でなく、その子の将来への配慮も欠かせないように思える。名は体を表すとも言い、納得することも多い。同じ字でも、読み方で違ってくることもあるので、印象でも異なるもの。

 枇杷葉が日に日に硬くなっていく。加えて中心の所が膨らんできている。今月の終わりから、来月にかけて、苞が見えてきて咲くことだろう。それを待つ間の、何となく心うきうきの気分はとても楽しいもの。テーブルの敷物を替えたり、トイレの掃除も終えて、寛いでいたら、すばるが机から滑り落ちた。何してんの?

 猫も木から落ちる。厭々、それはないよ。自分を猫と思っていない?やっていることを見ていると、猫離れしていて人間に近い。泣きべそをかいているので抱き上げる。体は大きくなったがやんちゃ坊主そのもの。可笑しくて笑ったら、拗ねてしまった。息子の小さい時にそっくりなのだ。飼い主に似ているのであろうか。

 数日の留守に、娘夫婦に餌だけは頼んでいたが、ご機嫌は斜めになっていた。甘えて餌をねだる。

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葉月より長月に

2019年09月28日 | Weblog

 彼岸中には台風の影響で涼しかったが、その後は気温のうなぎ上りとなり、半袖で通している暖かさだ。今朝の早出勤務を終え、Aさんちに寄って、水を分けて貰い帰宅した。フェンスの向こうが草丈が伸びているな、と枇杷葉に眼をやったら、えっ?山女が!小さなのが一つだが成っている。触っても消えないでいる。

 自然の物は、あるが儘に任せないと駄目なのだ。とつくづく思う。条件が揃わなければ、実を結ぶことは無いのだと、当たり前のことに気づく。友人が持って来てくれるが、我が家での収穫は格別だ。枇杷葉だけでなく、他への愉しみも増えた。自然への祈りと感謝を忘れないように。枇杷葉も、硬く大きな葉に育って。

 介護フェスタに向けて、掃除の段取りをしているが、個人差に唖然とするばかり。掃除の何たるかが分かっていないのだ。普段でもそうだが、自分の住まいを綺麗にするのは当然の事。仕事であろうと違おうと、清潔で快適な生活の提供は、業務内容の義務でもあろう。時間を潰すだけの勤務なら、人件費の無駄でしょう。

 介護の業務は、時間に追われるのは当然の事で、それ等を考えながら遣って行かないと、どんどん溜まって行くばかりだ。工夫をするのは必須です。落ち着かない方への対応にも、大丈夫・安心しててと言える添い方が必要だろう。小さなことの積み重ねで、異変を見つけることもあれば、見逃すことにも繋がっていく。

 休憩中に15分の眠りを。これには珈琲が効きますね。加えて、気分がすっきりしますし、疲れも軽減できます。食事を済ませてから、珈琲を飲み15分眠るのだが、意外と効目があって好い。尤も、個人的には休憩時間は眠るので、今更している訳でもない。身体の疲れは、寒いと取れないので、蒟蒻が効いているのですよ。

 左足の痺れが、少し残っているばかりになった。冷やすのが良くないので、枇杷葉温圧療法の効果が素晴らしいのだが、毎日続けることに意義がある。枇杷葉の生葉も、既に何十枚も採って使った。焼酎にも漬けておかねばならない。明日から長月になる。一瓶分を漬けておこう。自然からの恩恵を感謝することを忘れず。

 初冬の宇宙になってくると、オリオンが昇って来る。大犬座に子犬座と、冬の大三角が賑やかに。

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彼岸も明けて

2019年09月27日 | Weblog

 朝夕の気温の変化に、年齢を重ねて来るとついていけない。便利で快適な生活に頼るからだが、個人的な想いは別として、せざるを得ない状況に置かれてしまう。日本の風土にあった暮らしにも、何をするにも金が必要だ。テレビを観なくなって久しい。新聞があれば充分で、丹念に読み情勢は分る。それにしても忖度の多い事。

 曼殊沙華が田の畔に咲いている。あの花を見ると、ごんのことを思いだす。人間と仲良くなろうとしたごんが、喋ったら驚くが、兵十の野生の生き物への気持ちが、今の人間以上に残酷だ。時代に措いては当たり前のことだが、狐に対する作者の感情が隠れているような気も。百姓にとっては、野生の生き物は死活問題となるよ。

 人間が山や海を荒らし、引いては宇宙にまで進出して、自分達の息を止める。星を眺めているだけではいけないのかしら?自然への祈りと感謝の気持ちだけでは、駄目なのだろうか。科学は遥かに発達したと言うが、人間の心の変化には乏しい。便利で豊かで綺麗な生活が、何よりも妨げていることに愕然とする。地球が哀れだ。

 枇杷葉の生育を観察していると、虫の付き方で驚く。我が家のは、確かに虫も居るが、野鳥が餌にしているし、蛙や蜘蛛も棲んでいる。人間が居ることにはお構いなく、獲物をじっと待ち狙う。爬虫類も昆虫も飛び交う。人間の好みにまで介入しない。未知との遭遇には、こちらが気をつけねばならない。共存とはこうもあろう。

 雨が降れば草も育つ。枯れて堆肥となり、春が来れば芽吹く。その繰り返しをするのを、人間は待てなくて手を出す。繁殖する種は残り、そうでないのは消える。丁寧に世話をしたからと言って、続けていくものでもない。新しい品種は、育たないのが定番。人間は、それに気づかないから、勢いに任せて買い、枯れてしまう。

 人間のエゴであり、エコではない。そこにある環境で育つ物を口にして、無い物は買う程のことでもない。空気と水と塩とがあれば、生きて行けれること。贅沢を望めば切りがないのだ。自分で出来ることを守り、晴耕雨読を実践していければいいのだ。冬の寒さも、夏の暑さも、人類を鍛えてくれるのかもしれない。自然に。

 枇杷葉の生葉は、焼酎に漬けておき、腰痛予防に用いる。生葉の儘だと、たくさん枚数が採れない。

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のんびりとはいかぬが・・・

2019年09月26日 | Weblog

 天気になると、習性と言うか、性格と言うのかが厄し、蒲団を干してしまう。夏場には暑さに閉口しし、冷房を点けていることもあって、湿気は軽かったが、止めてしまうと溜まる。幸いに雨も降っていないことだし、片付けを兼ねて外に出す。鉢物も徐々に室内に取り込んでいく。花がたくさん付いていて愉しめる。

 図書館からのメールで、予約本があり出向く。その際に、手塚治虫の蔵書を、それも初版本があり、初期の作品だと話したら、展示したいので貸してもらえぬかとの打診がある。条件は、触らないこと、自宅まで来てくれることで了承。リエさんの薦める関連本も展示できる。何が縁になるかも分からないものです。

 ちょっと動けば汗ばむ。藪蚊には刺される。然し、鉢の移動はしておこうと、クリスマスローズが見られるようにする。新芽も出てきて、蕾も小さなのが見える。名残の花は、室内で咲いてもらおうと取り込む。すばるが、食べられるか臭いを嗅いでいるので、落下した時のことを考えて置く。帰宅したら大惨事に。

 DVDで、砂漠の女王と102を観る。サウンドオブミュージックに、修道院長役で出ていた女優さんがルツの義理の母親役で。これは見応えがあった。神とは見えないが、心で信じることが出来る。その当たり前の、原点に還ることを教えてもらう。森羅万象とは如何にもそうであろう。試練を苦にもせず生きること。

 網戸にしているので、すばるが陽射しに寝そべっている。猫は寒がりなので、気温の穏やかな日は気持ち良いのだ。留守番ばかりさせているので、偶には日向ぼっこもさせよう。冬用の毛皮に変わっているので、当分抜け毛が多い。雑巾を掛け、掃除を丁寧に。然し、疲れたよ。昼寝をするかな?うだうだと過して。

 梔子や薔薇で、毛虫が育っている。枇杷葉エキスを浸ければ、痒みは無くなるが、塩を揉みこんでも消えるので、応急手当として知っておきたい。災害時には、直ぐに医者は来てくれない。無論、診てくれても後の祭りになるので、避難する時には、枇杷葉エキスや塩は必須品ですね。蒟蒻も、常温で大丈夫なので。

 タオルや毛布はあればいいですが、小さなナイフがあったりすれば、削ったり裂いたりできますし、ちょっとした怪我は手当てが可能です。初期の症状にも依るが、医者に罹るまでの心得も知っておきましょう。便利で快適になっても、災害時には役には立ちません。原発を再稼働させて、福島の二の舞が起きたら。

 晩秋から初冬にかけて、すっかり様変わりした宇宙です。でも、星座は周るので、時刻は異なっても観える。

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朝夕の・・・

2019年09月25日 | Weblog

 暑さ寒さも彼岸まで。とも云うが、このところの涼しさには、やはり季節の移ろいを感じ、冬支度へと繋がる。何でも便利で簡単なことには、人間の暮しさえ変えてしまう闇が潜む。良いとか悪いとかを決めるのが、人類であり、自分のことだけを考えるからで、地球の事を想うなら、戦争は無いだろう。地球は自らを再生する。

 今朝の新聞には、メダカが品種改良されて、それらが盗難にあったとある。やれやれとため息が出る。目黒の秋刀魚は語れない。我が家の枇杷葉の葉に、蝉の抜け殻がたくさんあるが、無農薬で育てているからで、これがちょっとでもあると、土が変わるので出て来ない。夏の間を謳歌した蝉も、虫の声に転じて来夏に愉しみを。

 職場に、夜眠れないという者がいるが、眠れる工夫をしないので、仕事も出来ない。自分の身体の管理ができなくては、介護の仕事どころではない。誰かがしてくれると、座って動かない者も、それでは業務が滞る。これで給料を貰おうとは呆れる。イベントには参加するが、準備が出来ないのでは困る。忘れるならメモ取れよ。

 来月の日曜日の献立を作り、上司に承認してもらう。毎月のことだけに頭が痛いが、それ等を考える者が居ない。新聞を読み、テレビで垣間見たレシピを、工夫して提供する。誰しもが美味しい物を食べたいもの。作る手間も含めて、その前の段階から多々悩む。明日は、きちんと清書して印刷しよう。休日に休みなしでもある。

 すばるの居場所で、一日の気温が分る。今は、出窓で寝そべっているから、太陽の暖かさが恋しいのだ。これが、毛布の中に埋まるようになると、湯たんぽが要るようになる。枇杷葉の苞も大きくなってきて、徐々に花芽が咲くのだろう。

 フェイスブックに自動登録になったが、余りの速さの返事にはついていけない。携帯をスマホに替える気もない。通話が出来れば充分であり、シャッターチャンスを逃したくない時に、使えると有難い。ブログの写真用なので、撮りためると膨大になる。これの整理もしなくちゃ…死んでしまったら、消えていくだけのことだろう。

 最初に咲いた長崎茂木。孫が産まれてかららしいが、気づかないでいた。四歳の誕生日に撮ったのに写って。

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鉢物引っ越し・・・

2019年09月24日 | Weblog

 天気も良く、気温もまずまずであるので、そろそろ外に出していた鉢物を入れる。出窓の場所に台を置いているのに、鉢の大きさを考えながら並べていく。安定もあって、無闇に乗せるとひっくり返る。すばるが悪戯をするので、用心していないと大惨事になる。本箱も綺麗にしていかねばならず、休日には用事が多い。

 で。県立図書館への登録が出来ていなかったのを、漸くしたのだが、これが意外とめんどくさいのだ。?????が幾つも頭に付くのだが、さてさてと進まないのである。そうこうしている内にどうにか達成するが、どういう訳かフェイスブックに移ってしまう。今度はメールが押し寄せて来る羽目に。浜さんに遇えた。

 調子づいたまでは好かったが、操作方法に手間取り、次第に迷路に入り込んでしまう。もおぐちゃぐちゃ!リエさんやサンタさんも登録しているので、友達の承認をしてもらう。しーちゃんや、りささんにも強引にチェックする。然し、時間が経つと今後の対策が分らない。ため息をつきつつ、ジュリー祭りを観るが。

 昨日、Aさんちに行って水を分けてもらったので、勤務を変更する。弁当の支度もしておかねば、と昨日の内に済ませる。機械に疎い者が、新しいことを始めるのは、相当の心痛が伴うものである。趣味の範囲内をちょろちょろしていれば、何とか出来ると高を括る。これがいけない。楽観してやっていると落とし穴が。

 枇杷葉を見回っていると、葉が硬くなってきており、その中心に塊が見える。苞ができているのだ。来月の下旬には咲いてくる。品種にも依るんだが、早いのや遅いのや様々で、年末年始の頃を見事に咲く。冷凍庫に入れているのも、きちんと整理しなくちゃ。と思う日々でもある。身体が動かないのは、年齢だけでは。

 垣根も焚火も消えてしまったが、山茶花は忘れずに咲く。元は夏椿で、接ぎ木したのが戻ったらしい。

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秋分の日・八せん終り、葉月

2019年09月23日 | Weblog

 二十四節気 秋分の日 太陽黄経180度、昼夜等分に分けられる日で、秋分と言う。またこの日は、秋の彼岸の中日となる。毎年、九月二十三日頃である。昼夜の長さが等しいと言うが実際には、少しずれて昼の方が長い。台風一過で、晴れ間の覗く日となったが、暑さが戻ってきて、夏物が仕舞えない。冷房を止めて網戸に。

 蒟蒻を鍋に入れて温め、痛みの有る患部に、枇杷葉の生葉と乗せている。まだ当分は施行しておかないと、歩けなくなってしまう。祈る気持ちで手当てをする。寒いのはいけないので、ひたすら蒟蒻を温める。鍋も手拭いも専用のにしている。蒟蒻は、小さくなっても使えるので捨てない。頭痛の時には、常温の蒟蒻を頭に載。

 枇杷葉は痛みを和らげる効果があり、蒟蒻は毒素を吸い出す働きをする。その二つを使えば更に効果も上がる。でも、肝心のことは、援けて貰おうと縋る想いと、信じて施行することに尽きます。安易な気持ちだけでは、持続しませんし、治ってはくれません。木村秋則さんの林檎に対する想いには、感謝と祈りがあればこそ。

 枇杷葉も同じです。どうでも好くては植えられません。心の支えになってくれ、何かで困った時に使わせてもらうことが、祈りと感謝でしょう。そういった気持ちを籠めての作業です。対価は、決まってはいませんが、心根が大切なのは言うまでもなく。持ちつ持たれつであり、言葉もそういった想いが籠る。至福の時が存在。

 今朝は、すばるのトイレを換える。昨日は、パソコンの写真を、ブログ用に直していたので、時間が掛かってしまった。その後、スターウォーズの、4・5・6を観ていたら、午前になってしまった。気温の変化も激しくて寒かった。動きが怠慢になるのを、枇杷葉温圧療法で乗り切った。蒟蒻は、食べるより施行するのが多いな。

 パソコンの背景も替え、県立図書館のパスワードを入れようとしたら、ネットが繋がらない。諦めてDVDを観た次第。樹木希林さんの著作がトップらしい。テレビを観ないので、先日の回顧録は知らなかったが、人生フルーツやそういった物が、YouTubeだけでなくDVDで観られるなら買おう。好きな時に観たいものでして…。

 来月の事業計画に介護フェスタがある。全国での取り組みであるから、県としては行うのだが、各施設でも同じ事をやる。毎年内容も変化がなく、付け焼刃の格好だけに終わる帰来がある。丹念にすることにも限度があるのか。病院との合同でもあり、テーマもまちまちできりきり舞いをする。入退所者が複雑で、決まっていても変更になるのだが、人間らしく生きるのは、個々に違っていていいのでないかしら?とも。

 昨年の枇杷葉。花芽の付き具合にも、生り年と裏年の差が出て来る。香りは変わらず、馥郁と。

 

 

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月が啼く、下弦・小潮

2019年09月22日 | Weblog

 台風の影響で風雨が激しい。それも降ったり止んだり、突然荒れ狂ったりする。その合間を縫って図書館に出向く。明日も明後日も、休館となるので何があっても行く。樹木希林さんの著作が2冊と、薪能の写真付き解説を借りる。奈良に出掛けることは少なくなったが、日本の伝統芸能の美しさは充分に愉しめる。

 増税で慌てて買うと、思わぬ出費になるので用心しよう。実際に必要な物だけを買えばいいので、宣伝には乗らない。今後は、食品も乾物中心でいけば、緊急時にも対応できる。冷静に考えての備蓄といこう。雨の日には出歩かないことにして、計画的に心積もりをしておこう。枇杷葉の縁で、他部所の方が新米を。

 枇杷葉を上げた方でも、ここまで心の籠ったことをしてくれた人は居ない。枇杷葉の苗木をあげても、或いは、枇杷葉茶を林檎箱に一杯に詰めてあげても、口先ではお金を払うと言いながら、勝手に他に分けたり、高いと言うのには呆れる。寒中の時期に採った物を、丁寧に仕分けして切り、箱に詰めて持って行く。

 職場でも、自前の珈琲を淹れるのは、自分が飲みたいからで、序でがあるから注ぐのだ。淹れてくれ、と言うなら気持ちだけでも払って。当たり前のようにして飲まれたり、淹れないのが悪いような態度では、疑問点がつくばかりとなる。せめて1回でも、店頭で買ってくるとか、価格を言っているのだから払って。

 新米をくれた他部署の人は、自分で田植えをし、世話をしながらの収穫である。百姓の大変さは、してきただけに知っている。世の中は、持ちつ持たれつであろう。同じことは出来なくても好いから、気にかけることや思うことも大事だ。それは決してタダではない。無い物を補い、分けていけるやさしさだと想う。

 相手のことを慮り、自分に出来ることを探し見つける。表向きはどうであれ、内面に秘めた清さとやさしさを持ちたい。他人に振り回されない知恵かも知れない。介護の業務は、そういった小さな積み重ねが大切。同時に、個々の癖を呑み込んで、してもらうこと、介助することを分けること。何もかもは無理である。

 サンタ枇杷葉は、淡路島に枇杷狩りに行った時に買った種を植えた。品種は田中で、葉も実も大きい。

 

 

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ヘクトパスカル

2019年09月21日 | Weblog

 台風の中心気圧を言うのか、この言葉に慣れてしまうと、またかとも思ってしまい、適当にしてしまう。そこに落とし穴があるのに気づかない。暗闇では慎重に動くのも、明るいと見えるだけに、用心を怠るものか。人間の深部のところは不可解なもので、自分にすら分からないこともある。然し、地震が来れば、当然津波は予測できる。

 備えあれば憂いなし。で当然のことながら、その対策を怠る企業では困る。要は、地震の規模であり、起きた時点での潮の変化が、時刻と重なるかどうかでもある。想定外と言うが、科学者足る者には、地球の変動を知っていた筈で、裁判官にも判ろう。政府寄りの見解としか思えない。わたくしのような素人でさえ、もしかしたら懸念。

 人類が延命治療を受け、命を長らえるのが悪いとは思わないが、そこまで生きてどうするのか?それに意味があるのだろうか。それよりも、もっとしていくこと、しなければならないことがあるよ。沖縄辺野古の問題にも、自国の農産物等を守り、外国の物を輸入する前に、経済の発展を揺るぎないものにすることこそ、重要ではないの。

 自国民を犠牲にしてまでも、アメリカの言い成りになるとは、厭きれてしまう。支持率が上がったからとご満悦であろうが、それは企業に由って異なる。自腹は切りたくないのが心情であり、自分以外であれば、自殺しようが、倒産しようが、勝手にしろという態度だ。人類の未来は明るいと、噓八百を並べる。いい加減にしてくれない?

 最近の新聞も、ある程度予測した記事で、哀しい思いが増えていくばかりだ。自分以外の者に、嫉妬し、妬み、足を引っ張る。仕事をしないでいても、給料はもらえるが、それでは価値はないだろう。ちょっとした工夫をし、昨日の失敗を繰り返さず、何か一つでもいいから、きちんと出来るよう努力をしたい。お金は貯まらないが幸せ。

 小さなすばる。娘夫婦がどんなに呼んでも、姿を見せなかったようで、帰宅すると啼いていた。

 

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