さて、就寝しようと電源を落としていたら、雷と雨音が聴こえる。葉室麟・風渡るを手に蒲団で読書する。図書館で本を借りたり、DVDを購入する繋がりに不思議な想いが重なる。手塚治虫氏のコミックも三部作である。砂漠の女王は、ルツの半世紀であるが、映画にしたらこうなるのかと納得。それと連鎖しての知識。
庭で、桔梗と薔薇の白が咲いている。枇杷葉は緑を濃くして、清々しいコントラストだ。霜が降りる前に、鉢物を仕舞う段取りだが、折り鶴ランはランナーが伸びている。室内に取り込んだら、すばるの飛びつかない場所に移動して、落下しても好いようにしておこう。昨年は、狭い場所に置いたばかりに、難儀をした。
消費税が10%になれば、衣類は無論の事、旅客鉄道等の値上がりもするので、遠出には計画性が必要となる。近場にも用事をまとめて行かねば、無駄足になってしまう。政府の行き当たりばったりのやり方には、納得できないものの、強制的に決行されては、手立ても出来ない。これが民主主義国家なのかは知らずだが。
百舌鳥の声が高い。雀の囀りも姦しい。枇杷葉に止まっての歓談中だが、虫を餌にしてくれるので、これは相応に有難い。人間とのと言うよりも、自然との共存方法であろう。通草が、何故あの場所に生ったのか、疑問は尽きないが、今後に期待したいところだ。品種は早生になるようで、小振りの大きさであるようだ。
仕事に出ようか迷ったが、これは体調の知らせであるかと、行くのを止めた。リエさんのお友達には、著名な方が多く見受けられるが、係わっている関係上の、或いは培ってきたことへの結果なのだろう。考えてみれば、凄い人と知り合いということになる。それなのに、こんなに親しくしてもらっていいのだろうか?
沢田研二さんのDVDは、買っている物しか観えないが、何度観ても新鮮でもある。当時のコンサートを知らない者には、厭きることがない。歳を重ねれば、肥ってもくるし腹も出て来る。それが当たり前の姿なので、現在の格好にも何ということもない。だからこそ、歌が聴けるもので、ステージに立つ姿が好いのだ。
早春の庭では、梅と枇杷葉の花芽が競い咲いている。香りは甲乙つけ難く、心を満たしてくれる。