枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

これが政権なの?

2020年02月29日 | Weblog
 休校にするのは好いが、時期があるだろうし、対策を立ててからでないと、混乱を招くのは庶民でも分る。勤務先もてんやわんやの騒ぎで、学童には預けれないし、自宅待機でいろと言う。幼児や低学年の児は尚更で、家の中に閉じ込めておくのも限度がある。公共施設も使えないとすれば、子どもは何処に居ろと言うのか???

 もう無茶苦茶である。泥棒が入ってから、縄を綯っているようなもので、遅きに失した対応でもあり、地方への丸投げは否めない。こうなったら、地球人全員が時間を忘れて、何もしない生活になるしかない。冬眠する方法が一番で、目覚めるのも希望者だけにしよう。地球が再生を望んでいるのなら、根本を覆して治すだろう。

 以前、地球滅亡の日が決まっていると、書籍で読んだ記憶がある。眼に見えない物の侵略を、これまでに立てて来なかったのも拙い。原発の再稼働も、沖縄の基地問題にも蓋をして、これ以上の愚策を止めるどころか、強硬に推し進めていく。有得ないことであり、耳を疑うことばかりだ。人類は、選択を間違ったのだと覚悟を。

 如何なることにも、どんな方法にも手立てはない。綺麗で明るく便利な生活には、こういう落とし穴があることを知ろう。少々の雑菌なら、人間の持っている機能で対処できたのを、医学も化学も不能に持って行き、完璧に菌を除けていった結果がこれだ。何も、江戸時代や太古の生活に戻れと言うのではない。多少は免疫も要。

 人間は自分達で生活の基盤を創った、と思うかも知れぬが、神が人類を滅ぼすのは、気付かぬように行うのだ。或いは、神の存在を信じる唯一の者に、諭し告げていることだろう。他人の物を奪って生活し、自分でない者を攻撃し殺す。自分達が働いた金だと言うが、では身体を与えてくれたのは誰であろう。潔くするしかない。

 賽銭を投げて祈るのは、自分のことだろう。ご利益に与ろうとするのも、身贔屓しかない。地球の事を考え、想う者がどれ程居ることだろうか。わたくしだっていざとなれば、どうするかが予測できない。死ぬのは厭だが、無に還ることになるので、神の基に往くだけである。時間や場所は違っても往きつくところは同じである。

 月や星、惑星の輝きが、美しく観え始めるのは、大気が澄んでくる秋口からである。冬の到来が近いのだ。
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曇り空にも・・・

2020年02月28日 | Weblog
 春の訪れを心待ちにするのが、暗雲たる情勢である。状況判断を狂わせては、末代まで祟るとあっては、慎重にことを運びたいものだが、空気感染にしろ、接触感染でも、これだけ広がっていけば、止める手立ては無いだろう。景気の回復どころか、学校が休校になれば、子どもの面倒を誰が見るのか?集団での保護は出来ない。

 自宅待機にしても、大人の眼をかいくぐってしまう。いっそのこと、国会に居てもらってはどうか?ここなら最先端の設備はあるし、物資の不足には陥らない。子ども達の学ぶ場にも、保護する場所としては最適ではないか。決めた当事者が、責任を持って見てくれるだろう。少ない収入での生活の保障もなく、理解できません。

 朝の内は天気も良かったが、次第に下り坂になったので、干していた蒲団を仕舞う。予定が久々にない休日で、図書館への返却だけだ。来月になれば、勤務先の友達と約束がある。車での移動になるので不安にはならぬが、何処に行くとしても、覚悟は必要になるだろう。嗽と手洗いの施行に限り、習慣にしていれば問題もなく。

 体温計の安いのを買うかな。職場に持って行くにしても、自宅のと一緒には厭だし、不注意で落とした時には泣けない。めんどくさいと言えばそれまでだが、時間の手間も相当なものである。何しろ、入室前に検温しなければ無効である。加えて、自宅での検温は必須で、これは誰も見てはいないので、嘘にはどう対処するのか。

 検温にしろ、体調不良にしても、自己申請となっているので、これで感染が拡大していけば取り返しもつかない。どうすんですかねぇ…。この際、お祓いをして息を潜めているのがいいかも。人類が滅亡するのも近くなって、遣りたい放題の輩が増えるだろう。自暴自棄にもなるに違いない。何処にも非難する場所はありません。

 庭のクリスマスが、日に日に開いていく。こんなに沢山の花が咲いていたのか?と驚きもしうれしくなる。自然の恩恵にも、心での感応となれば、これ程に有難いこともない。色々な種類があり、小さいのや大輪のもあって、感謝するばかりだ。花瓶挿せばいいようなものだが、このままの綺麗さも貴重で、日々の愉しみでも有。

 これは白だったかな。とても小さな蕾で、可憐さも一入です。花は、どんな物も心を和ませる。

 
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魔法の国に翔ける

2020年02月27日 | Weblog
 魔法のランプも絨毯も、アリババも呪文も盗賊も、アラビアンナイトの面白さは語り切れない。人間が魚に変えられするのも、魔術と言おうか呪文で、呪いが解けたら元に戻る不思議さ。魔法の絨毯で天を翔け、金銀財宝を手に入れる痛快さ。こんな素晴らしい話を、千夜一夜で語られたら、とても眠るどころではない。アラビアは遠く夢の国。

 映像で観ていて楽しいのも、演じる俳優・女優の素晴らしさも否めない。ハリウッドの大作にも値する面白さである。それらを集め吟味して出来たアラジンには、現代に抱える問題を実に上手く表現している。アラビアの国では、長きに渡って女性は身体は元より、顔も一目には曝せなかったもの。差別の激しい国での主張には困難が横たわる。

 リエさんから、素敵なスカーフが贈られてきた。印度旅行から帰ってきたようで安心する。印度は、非暴力のガンジーが、英吉利からの独立や、ネールと国が栄えて行けるように、加えて生産をして行けるように国民に語り掛けた。他国の物を買わないで、自分達で生産していくには、相当の苦労があった。映画を観ながら行為に胸を打たれる。

 首都圏も近隣の県にも、新型コロナは拡がる一方である。豪華客船という密室にいた方々には申し訳ないが、油断であり用心の薄さであろう。或いは、空気感染もあり得るので、外出が好きな方には我慢できない事態だろう。出不精には丁度都合の良いことで、諦めるも何も期待していない。勤務先でも、検温・手洗い等の所作が厳しくなった。

 業務時間よりも10分は早く行かねばならない。勤務先の玄関まで行き、ここで検温して、合格なら中に入れるが、そうでなかったらそこから帰宅となる。家で検温を忘れたら、という問題ではない。そこから手洗い・嗽となって、準備を終えての業務である。時間ギリギリにきていては、これ等のことができない。出来ないと業務には入れない。

 感染対策が終わった途端に、掃除もいい加減になってきた。手抜きどころか、もう少しちゃんとしよう。という大雑把さである。真面目にしている方が莫迦みたいで、何のために感染対策をして来たのかが、脆くも崩れている。否、こういう基本を、何時も守ってしていないと、いざという時に、発生の度合いに差が出るのだ。わたくしは沈黙。

 玄関を入りかけて、ふと枇杷葉を見れば、最近咲いたであろう枇杷葉が、眼に止まった。とてもいい香りもしてくる。洗濯物を仕舞っていても見つけた。長崎茂木は剪定しても勢いが良く、沢山の花芽をつけている。淡路田中も、年数が経って花芽を付けたのもあり、それなりの愉しみに感謝している。枇杷葉に援けられるうれしさは胸一杯に。

 金星や木星に棲めるのか。火星にも探査機が飛んでいるが、空気が無ければ、人類は生きてはいけない。

 
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頻尿の・・・

2020年02月26日 | Weblog
 枇杷葉茶を飲用するようになって、変化が際立ったのが、ちょっとした弾みや、笑っても漏れていた尿が、徐々に消えていったことである。実際、不思議な事で、何故だろうとは思うものの、パットを当てなくて良くなって、ほっとした気持ちが強かった。敏感肌で、パットに難儀してきた。然し、勤務中では、その都度に下着の交換は無理。

 高齢者へのおしめも、その頃から大量に作られて来て、あれを当てるのは更に厭だと感じてもいた。個人さもあるかも知れぬが、ドクダミ茶や刀豆の影響もあるかも。結果として、自分の持っている治癒能力に働きかけ、上手く作用してのことだ。珈琲を飲み過ぎると、夜半に起きてしまうので、注意が必要だが、枇杷葉茶の効果は大きいの。

 資金が乏しいことには、創意工夫をしていかないと、暮らしていけないので、始終どうすればいいかを考える。失敗もあるが、そこで思考をして改善する。蒟蒻にも塩にも援けてもらえる。自然からの恩恵には、間違いはないものの、合わないことも起こり得る。個人差と言うのもそういったことで、誰にでも同じ条件ではない。先ずは施行。

 人間だから間違いは起きるが、気付けば正せばいい。幾ら正しいと言い張っても、自然の掟には抗えない。枇杷葉の効力にも、異なった反応が出るもので、そこには何かしらの原因が隠れているもの。例え医者に行っても治らない。というか見つからないもので、自分の身体の異変は、己で気づきたい。治そうというのが無理なことであろう。

 投薬での治療には、抑えている分の効果は出るが、それが膨張してしまうと手がつけられない。漢方でも、自然の力を借り、祈りと感謝での暮らしになれば、身体が順応してくるのかも知れません。何事にも諍いはいけません。自分の身体です。切ってしまっては、気力・体力共に落ちて、再生できなくなる気が止みません。命は一つ限です。

 枇杷葉は、大薬王樹とも云われることから、あらゆる病を治したり、それ以上の肥大を止めたりする。然し、疑いを持っていたり、切ってしまえば空気の侵入で早まってしまう。何事にも諦めず素直になるのが好いのか?否心の趣くままに、身体を労わることかもしれない。自分を大切に好きでなければ、病に転じていくのかもしれません。

 枇杷葉の10月頃の状態。この頃から咲き始めたり、じっと苞のまま、陽射しを浴びていることも。

 
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気の迷い・・・

2020年02月25日 | Weblog
 2.26事件を思い出すと、宮部みゆきさんの蒲生邸事件が浮かぶ。主人公が寄せる恋心には、時代が異なることで成就できない。不可思議であり、その心情に惹かれる小説だ。今は、失われてしまった感情がそこにあって初々しい。今朝は曇りで雨になっている。昨日、余りにも気温も天気も好過ぎていたので、本日は骨休めとする。

 暦の見方で、そこからの知識の差が出るのは、普段から馴染んでいないと不明なことが起きる。特に建築に関しては、昨今の事情では、あっという間に建つので、季節を問わない。昔なら思いもしなかったことを、若い世代は知らないことで鵜呑みにしてしまう。地面を動かすことには、相当の注意が祓われるのに、無頓着なこと。

 日本には四季があるのを上手く利用したい。自分達が其処に住むのも、大地の守りがあってこそで、祈って禍々しいものを祓い、感謝の念で棲むことが大切だ。それをしてこないから、災害に遭遇する。山の地形や地の理を知っていれば、災いは避けてくれる。或いは、何かで教えてくれるものだ。人間ばかりが地球生命体では否。

 沿道の梅が殆ど散りかけていて、その下は雪が積もっているようだったり、紅の絨毯を敷き詰めたようだ。それが風に舞う様も美しく、つい車から見てしまう。梅の香は清々しく、心を満たしてもくれ、自然の贈り物に感謝するばかりだ。この世にある風景が、あちらにもあるのだろうか?加えて匂いもしているのかしら?疑問突出。

 シクラメンも長い間を咲いて、終わろうとしている。我が家のは年末に咲き出したので、未だ萎れもしない。白いのは、やっと咲き始めた。これは陽当たりの差であり、出窓と言えど温度が低い。台所のはすこぶる陽当たりがよく、毎年其処から動かさない。必ず、小さな蕾をつけて咲くのがうれしい。既に10年以上咲いています。

 夏場には、水遣りはしません。球根が土から覗くように植え替えていて、冬場も花の状態を見ながら水を遣る。根腐れしないように細心の注意で。然し、球根の状態が悪いと、年を越しません。今までにも新種で失敗した。シンプルなのが一番である。この状態でいくと、必ず種を落とすので、それを育ててもいるのですが年数が。

 枇杷葉も、剪定の枝と時期で、生らなくなってくることもあり、そこは裏年の時に行う。初生りは結実させないのが好いらしい。無論、寒さに弱いので、囲いが必要だが、寒冷紗が高くなって止めた。売り物で無し、自然からの恩恵に感謝すれば好い。その年の生りようで、口にいれば有難いもの。贈るのも限られて来たことでも。

 佐藤さとるさんも、末吉暁子さんも既に亡く、贈ろうにも相手に嫌がられるので、出来次第で済ます。わたくしに取っては、かけがえのない方であったので、その感謝の意も含めてのことだ。然し、相手の負担を思えば止めるしかない。宅配料も上がったことだし、限が好いのかも知れないが、我が家の枇杷の実は、甘くて旨いよ。

 リエさん枇杷葉の場所にある南天。赤い色が鮮やかに夏を彩る。ツワブキは、里から貰って来た。
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如月、朔・大潮

2020年02月24日 | Weblog
 疲労困憊か?身体が重く感じられる。気合を入れて起き、朔日の行事をする。洗濯も5杯しながら、シクラメンの鉢植えを出し、水遣りをしておく。暖房を点けていると乾燥するのが速い。人間も水分を吸われているような気になる。庭と室内への水遣りもする。今年は、サンタ枇杷葉の花芽が多い。以前、珈琲を頼んでいた方のにしている。

 書籍は、感想文を書くために読むのではない。知識を広げたり深め、或いは疑問の数々を解き明かすことにも繋がる。個人的には、本を創ることには携われないが、地味で目立たない物にも、実に面白い記述があることを発見する。また、時を隔てて読み返してみると、新たなる異なった想いになる。思い込みでなく、驚くことも多々増える。

 学歴をひけらかすことよりも、何故なのか、どうしてなのかと疑問を持ったり、不思議な気持ちに捉われることもある。自身のブログが日々更新出来るのも、気持ちの変化があるからで、そうでないと毎日は書けないもの。また正直な想いを綴ることも、続けられることかもしれないと感じている。何よりも格好をつけても始まらないものだ。

 パスカルの、人間は考える葦である。という諺にも、そうしなければ人間でないか?という疑問も過るが、自分都合でなく、誰かのためになればいいのかも知れない。その誰かも、相手に依りけりだろうが、姿形がはっきり見えていればいいが、屈折したり、誤解のままであれば、この結果の痛手は大きいもの。騙される者にも原因はあるのか。

 何処かで春が芽吹いている。山の梅は満開だが、谷の鶯には気の早いことだろう。気温の異常で物事が狂っており、桜も冬真っ盛りで問題が生じたままだ。事件を有耶無耶にしてはならない。籠池さんだけが問題であったの?加計問題は何処に消えたの。誰も出来る人材が居ないからと居続ける態度が分からない。思慮分別の欠片もなくヤジ飛ばし。

 蒲団も干したし、朔日の行事もつつがなく終えた。すばるのトイレが気になるが、明日に持ち越そう。衣類の整理もしながら、寒さが和らいで来たことを実感する。来月になったら、苺狩りに行く予定だが、価格の割には食べられない。1箱を買った方が安いのだ。空腹にして行っても、苺ばかりは腹が空くので。子どもが雰囲気を歓ぶだけかな?

 図書館に行く時刻が、丁度黄昏る時間になることもあって、シャッターチャンスを逃さないように。
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天皇誕生日にて

2020年02月23日 | Weblog
 仕事に行ってきます。早出勤務の日であり、明日が朔日なので、Aさんちに寄らねばならない。卵も頼んいるのだ。加えて図書館に予約本をしていて、受け取りに行かねば、明日明後日は休館日となっている。速攻で帰り、ギリギリセーフで間に合ったが、事故はしたくないので、速度を守っての運転である。気分的には宜しくない。

 ヨシタケシンスケさんの新刊が出ていて、除けておいてくれた。もしもの世界。へぇ…、もしもって言うよりか、わたくし等何時もそういう設定でいるから、日常時が分からない。常に考えていることで、世界はそれで成り立っているものと信じている。どうするんだろう。変人と言われても動ぜず、にたにたと含み笑いでいるのね。

 でも。相手にしてみれば、非常に遣り難い、扱い難いこと夥しい。うんざりしたり、腹が立ったりすることだろう。波長が合わない、馬が合わない、悪く言えば面倒くさく、憑かれる相手に違いない。然し、こちらは何がどうあろうとも、自分の信念を曲げないし、飄々としているかと思えば外れたことにも、気づかないでいるのだ。

 わたくし自身、頑固者であり、間違ったことはとことん追求し、有耶無耶な理由では納得しないので、嘘をついていたり、騙したり、誤魔化そうとすることに怒りを覚える。赦すという言葉の持つ意味が如何に深いか、心の中では妥協はなく、そういう輩とは決別してしまう。でも、そういう者は、何故か必ず報復されてしまうのだ。

 最近は、自分のことであれば、黙殺することにした。相手になっても仕方がない。というよりも疲労困憊になって、心が消えてしまうので、余りの莫迦々しさに止めた。もう勝手にしてくれ、何をやらかしてもいいが、5m以上は近づかないでくれ。と静観している。人間も歳を重ねれば妥協するのではなく、阿保らしさにこけてしまう。

 細菌に乗っ取られた地球になり、地球外生命の繁殖力に怯える生活に一変する。眼に見えないという恐怖は、何時何処で感染するかが不明なのだ。これで人類が少なくなれば、戦争も無くなるのではないか。自分の棲んでいる場所を動かずに生活し、遠くに移動しなければいい。交通機関が途絶え、情報も限られて来ると、どうなるのか。

 すばるのドアップ。今も、服の間に潜り込んで、屁をかましてくれた。甘えん坊の陰猫でもある。

 
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普通の生活

2020年02月22日 | Weblog
 何でもない事だが、普通という意味には、これ以上も以下もないということだろう。だが、その基準がはっきりしないもので、最低の生活であれば望みは高くなり、反対であれば然程に思わないのではないか。年間所得に無関係ではない。貯めるどころか払うことも出来ない。働きたくともすることが出来ない。詰りは、雇ってくれないのもある。

 貧乏は厭だと思わないが、必要最低限の生活とは、一体何を基準にするのか?個人的には、テレビは観なくてもいいが、パソコンはしたいので、諸費用が異なって来る。電気も、全く使わないとなると、暗くなれば眠り、明るくなれば起きればいい。然し、ご飯が炊けないし、風呂にも入れない。薪が無ければどうすることも出来ない。燃料不足。

 山に行って伐って来ていいなら、材料はあるだろうが、果たして可能か。木を伐る鋸も鉈鎌も元手が必要だ。自然環境の立場であれば、山にはある程度の整備が無くてはならない。子ども頃に、祖母や母に付いて行き、風呂焚きの備えをしていた。その手間も日々のことで、しないでおくと風呂は休みだ。無論、水も汲まねばならない。人手不足。

 根本的には、近代化してきた現代では、到底無理な作業であろう。然し、そうなってきて原発の恐怖に晒されている。綺麗で明るく、安心・安全といった世の中の変わりように唖然とする。今時の現状で、こういったことを行うと逮捕される。自分ちで煮炊きをするのさえ、憚らねばならないのも可笑しいが、近辺からの苦情も殺到するだろうな。

 電気会社の社長ではないので、自分の勝手には出来ないし、金を払わねば停められる。生活が苦しいのでと、理由を述べても無駄である。そうなると無宿人となる。路上生活になってしまえばいい。皆他人の痛みには無関心。何処に棲んで居ようがお構いなしだが、何かの時に追い出してしまう。人間が人を差別している。役に立たないからと殺す。

 まあそれも、与えられた物での辛抱であれば、我慢しなければならないのだ。後は、仙人の暮しか、魔女の修業かに転じれば好い。何事にも諦めと辛抱とがセットの世界であるので、これもまた貴重な体験と思って遣ればいい。何時如何なる場合でも、自分を見失わずに生きていける方法を考え、神さまの恩恵に祈りと感謝の日々を送ることだろう。

 旧暦では、一月は殆どが30日である。中には閏月が入ることもあるが、閏年ではない。昔の人が考えたことの意義には、天文の移り変わりと、農耕への維持があったからで、それを参考にして、月日が経っていたものだ。あらまほしい暮らしでもあった。今の生活が追い立てられ息苦しいのも、きっと気持ちへのゆとりが欠けているせいかもなぁ…。

 宇宙を観たり、夜毎の有様を眺めたりすることに、古来は大きな意味があった。昨今は、感能力が衰えた。
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春の星空

2020年02月21日 | Weblog
 金星が燦然と西の宙に輝き、数多の星を隠すばかりだ。カシオペア・アンドロメダ座のエチオピア王家の星座は、北東の位置に観える。無窮の星座の北斗七星は、この位置から決して動かない。晴れた夜半の天には、時刻と共に星座の位置が移り変わる。寒いので、長時間はきついが、それでも眺めていると時間を忘れてしまう。防寒対策です。

 景気が回復して上昇しているなら、暮らし向きは良くなる筈だが、お偉いさんの懐具合だけで、庶民の生活には無関係だ。国の予算は増え続け、然も防衛費は鰻登りである。戦に負けているのに何故、反省もしていないのは不思議でならないが。アメリカ寄りの譲歩で、国民の生活を圧迫しているのに、考えることさえしない。国会審議も無駄。

 コロナウイルスでの、国内死者が3人と言う。各地でのイベントは次々と中止となっている。感染の疑いを持たれぬように、外出を控えるのが主体だろうが、自由を束縛する手立てもない気がする。発生していない所に出れば、感染経路を問われるが、体力や気力の衰えもあろうし、偶さかの場合も起きる。それよりも汚染水を海に流さないで。

 肝心のことや、してはならないことを隠すが、これこそ皆で考えていかねばならないこと。有耶無耶にしていては、未来への希望も途絶える。汚染していることは分っているとぢても、救助は何よりも大切な事だった筈。それを見てみぬ振りをしてのことは、何も思わないのか?肉親を知人を奪われた者には、無念の想いが深くなるばかりだ。

 況してや、地震と津波に因る被害にも、安心安全という建前での建設をして、政権が民主党であったというだけで、自民党には責任の微塵もないのか?他党の上げ足ばかりを取って、然もトップのヤジとは情けなく呆れるばかり。罪の意識の欠片もない。自分を守ろうとするばかりで、更なる墓穴を掘っている。これ以上の任期は有り得ないよ。

 今朝も冷たい。弁当を作っていても、指先がかじかんでくる。洗濯物を干すのも、顔を洗うのも厭だが、こればっかりは手抜きが出来ない。でも、塩で擦っているので、つるつるの保湿肌。化粧も簡単に済ませられる。髪は、きっちり纏めて、職場では触らないようにしている。髪を括ったり解いたりは、自宅でしましょう。抜け毛が見えてる。

 かまってほしいのだが、相手にしないと拗ねる。未だに、手首にちゅうちゅうと吸い付く。手で交互に押して。
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三寒四温のこの頃

2020年02月20日 | Weblog
 何時も通りに眼が覚めたが、蒲団の中でうだうだしていて、10時を過ぎて起きた。どうも最近は、何かをしようという意欲もなく、身体に疲労が溜まっていくばかりだ。感染対策の解除がありほっとする。継続していかねばならないことも残るが、取敢えずは気持ちが緩む。ハイターでの掃除も回数が減って、平常に戻ったのがうれしい。

 新聞には、実に様々な記事が載っているが、偏った答弁を続ける者も居て、混乱が更に深まる。それなのにまだ居座り続けるのは、どうしてなのだろうか?賛成とか反対と言うのでもなく、肩が凝る程に疑問が益す。そうまでして胡坐をかきたいのか。まあ、ここまで来たら、今更頭を下げる姿勢は取れないだろうし、辞められるもので無し。

 庭の白梅が満開に近い。何とも言えぬ匂いをさせている。鉢に植えているクリスマスローズも、蕾が開花して華やいでいる。株が小さくなって芽が出ていないのもあるが、健気にも咲いている様には、神々しさも含まれている。大きさには、ふくよかなのや小振りなのもあり、その姿の可憐さに見惚れる。花は、どんな種類にも自然そのもの。

 枇杷葉の花芽にも、陽射しが当たって綻んで来たのや、既に終わっているのもある。小さな粒が見えているのは、実になる前であろう。今年は、裏年に当たるのか、余り付いていない木もある。庭で姦しい囀りがしていた処では、花芽を啄んだ野鳥もいて、自然のサイクルを思う。鳥も体調不良になるのか?自然からの恩恵には感謝に堪えない。

 大金を手にする方法には、宝くじを買って当てるしかないが、確率は可なり低い。誰も郵便ポストに入れてはくれないものだ。然し、そういった類の物が入っていたとして、気分的には使えるのか?疑惑の眼差しに晒されるのは必須で、却って危険が伴うだろう。そうすると、貧乏でも自分の金で、暮らしていくしかない。でも矛盾しているなぁ。

 籠池さんが、何だか可哀相になってきた。巧い話には裏があって、必ず落とし穴があることに気づかなかった。誰しも、騙されて初めて分かることだ。お気の毒としか言いようがない。人間が馬鹿正直では、儲けは出来ないし、才覚がないと腹の中で思われるのが落。実際に落語のような展開だ。裁判所も、いい加減だなぁ、と実に呆れる判定だ。

 だが、自粛しなけらばならない。人のことを笑うべからずで、何時自分に災いが降りかかるのか判らないからだ。老後の暮しを潤すべく貯めていたのを、騙し取られてしまうのも、素直過ぎるからだ。騙した方はそうは思っていない。したり顔でほくほくしている。ばれるまで逃げればいいしそれまでに使ってしまえばいい。他人の金であるのだ。

 日本がこれ程に豊かに成長し、ここに来て貧困の差が出るとは思っていなかった?否、経済効果にはさっぱりだが、その筋の者には予測できたことだろう。余りにも庶民泣かせ、使い捨ての結果である。中小企業は潰され、科学の先端を行くことばかりして、本質がお座成りになっている。良い物をこつこつと作り技を磨いて、伝統を継ぐのは難。

 宇宙の不可思議さには、森羅万象が存在している。神は宇宙そのものであり、命の誕生と消滅を司る。
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