休校にするのは好いが、時期があるだろうし、対策を立ててからでないと、混乱を招くのは庶民でも分る。勤務先もてんやわんやの騒ぎで、学童には預けれないし、自宅待機でいろと言う。幼児や低学年の児は尚更で、家の中に閉じ込めておくのも限度がある。公共施設も使えないとすれば、子どもは何処に居ろと言うのか???
もう無茶苦茶である。泥棒が入ってから、縄を綯っているようなもので、遅きに失した対応でもあり、地方への丸投げは否めない。こうなったら、地球人全員が時間を忘れて、何もしない生活になるしかない。冬眠する方法が一番で、目覚めるのも希望者だけにしよう。地球が再生を望んでいるのなら、根本を覆して治すだろう。
以前、地球滅亡の日が決まっていると、書籍で読んだ記憶がある。眼に見えない物の侵略を、これまでに立てて来なかったのも拙い。原発の再稼働も、沖縄の基地問題にも蓋をして、これ以上の愚策を止めるどころか、強硬に推し進めていく。有得ないことであり、耳を疑うことばかりだ。人類は、選択を間違ったのだと覚悟を。
如何なることにも、どんな方法にも手立てはない。綺麗で明るく便利な生活には、こういう落とし穴があることを知ろう。少々の雑菌なら、人間の持っている機能で対処できたのを、医学も化学も不能に持って行き、完璧に菌を除けていった結果がこれだ。何も、江戸時代や太古の生活に戻れと言うのではない。多少は免疫も要。
人間は自分達で生活の基盤を創った、と思うかも知れぬが、神が人類を滅ぼすのは、気付かぬように行うのだ。或いは、神の存在を信じる唯一の者に、諭し告げていることだろう。他人の物を奪って生活し、自分でない者を攻撃し殺す。自分達が働いた金だと言うが、では身体を与えてくれたのは誰であろう。潔くするしかない。
賽銭を投げて祈るのは、自分のことだろう。ご利益に与ろうとするのも、身贔屓しかない。地球の事を考え、想う者がどれ程居ることだろうか。わたくしだっていざとなれば、どうするかが予測できない。死ぬのは厭だが、無に還ることになるので、神の基に往くだけである。時間や場所は違っても往きつくところは同じである。
月や星、惑星の輝きが、美しく観え始めるのは、大気が澄んでくる秋口からである。冬の到来が近いのだ。
もう無茶苦茶である。泥棒が入ってから、縄を綯っているようなもので、遅きに失した対応でもあり、地方への丸投げは否めない。こうなったら、地球人全員が時間を忘れて、何もしない生活になるしかない。冬眠する方法が一番で、目覚めるのも希望者だけにしよう。地球が再生を望んでいるのなら、根本を覆して治すだろう。
以前、地球滅亡の日が決まっていると、書籍で読んだ記憶がある。眼に見えない物の侵略を、これまでに立てて来なかったのも拙い。原発の再稼働も、沖縄の基地問題にも蓋をして、これ以上の愚策を止めるどころか、強硬に推し進めていく。有得ないことであり、耳を疑うことばかりだ。人類は、選択を間違ったのだと覚悟を。
如何なることにも、どんな方法にも手立てはない。綺麗で明るく便利な生活には、こういう落とし穴があることを知ろう。少々の雑菌なら、人間の持っている機能で対処できたのを、医学も化学も不能に持って行き、完璧に菌を除けていった結果がこれだ。何も、江戸時代や太古の生活に戻れと言うのではない。多少は免疫も要。
人間は自分達で生活の基盤を創った、と思うかも知れぬが、神が人類を滅ぼすのは、気付かぬように行うのだ。或いは、神の存在を信じる唯一の者に、諭し告げていることだろう。他人の物を奪って生活し、自分でない者を攻撃し殺す。自分達が働いた金だと言うが、では身体を与えてくれたのは誰であろう。潔くするしかない。
賽銭を投げて祈るのは、自分のことだろう。ご利益に与ろうとするのも、身贔屓しかない。地球の事を考え、想う者がどれ程居ることだろうか。わたくしだっていざとなれば、どうするかが予測できない。死ぬのは厭だが、無に還ることになるので、神の基に往くだけである。時間や場所は違っても往きつくところは同じである。
月や星、惑星の輝きが、美しく観え始めるのは、大気が澄んでくる秋口からである。冬の到来が近いのだ。