一年があっという間に過ぎる。それが好いことなのか、どうかは兎も角、物事が有耶無耶に葬り去られ、何も無かったように取り繕われる。怖いことであるのに、何等気づかぬ内に、犯人にされている。実際には、もっと酷い扱いだが、記録に残らない方法なので、痛くも痒くもない。
神経を麻痺させる遣り方には、薬でなくても、言葉や音波で巧みに誘導させる。詰りは、媒体となるテレビが例で、これこそ便利な刺激に変わる。スマホも同じ効果があるのかも。何よりも、手放せない状態が起き、四六時中管理できるからだ。観もしない映像を垂れ流しに介入する。
光瀬龍のアンドロメダ物語に、抗えないようにしてしまう、機械の侵略があるが、気づいた時は、思い通りにされてしまった人類が残る。あらゆることの全てが、人間の試行を奪い、快楽で欲のない肉体だけを曝す。政治が間違っているとも、嗜好品や物欲もなく、生きる屍と化する。
今の国会を見ていると、近い将来には来るであろうことが、安易に想像できる。新しい人類は誕生の段階で、選り分けられていく。次には、そこからカプセルでの選別に変わり、地球上には考えるこおの出来ない、身体だけが人間の姿という怪物が存在し、異常な分子は見当たらない。
今朝は、気温も和らぎ、外の水には氷も張っていない。暖房の設定温度も、1℃下げて20℃に直す。すばるが寒いだろうとの思いで、日中のこと故これでいいとしている。昨年には毛布だけであったので、居心地は快適らしい。帰宅すれば丸くなって眠っている。その後、欠伸する。
大つごもりの激務を終えて帰宅。年越し蕎麦を作る。既に午後の8時半過ぎであるが、洗濯物も仕舞わなければ、凍り付く。宙は満天の星が輝く。大熊座、小熊座、カシオペア、アンドロメダも光る。冬の星座も昇って来ており、眺めていたいが、寒いのと空腹に入った。蕎麦をたぐる。
勤務先で、珈琲を淹れているのに、野菜をたくさんもらう。白菜も大根も、一人では食べきれない。有り難いことと感謝したら、お餅までくださった。何と搗きたてである。まるで笠地蔵みたいな展開に、びっくりとしてしまう。徳を積み、惜しまず、選ばずでいいことに感動している。
さあ今晩も、ジュリーマニアを観よう。ジュリー祭りもいいなぁ。すばると一緒に愉しめるのが好い。シシリアンは、アランドロンが格好好いが、何とも、煙草を吸い過ぎる。いや、あの時代には、それが当たり前の俳優だった。太陽がいっぱい あの怖さは今も忘れられないでいるが。
このブログを訪ねて来られる方は、奇特な人としか思えません。本当に有り難い読者さんです。個人的には、単なる日常のつぶやきだが、理不尽としか言いようのない政治に、一矢報いたい気持ちもある。人間が人であるための、基本的な想いは何だろう。再稼働を許せないのも同じだ。
枇杷葉の花芽が咲き出すと、寒さを感じる季節になる。晩秋から初冬へと、冬の真っただ中に。