枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

来る年に向けて

2018年12月31日 | Weblog

 一年があっという間に過ぎる。それが好いことなのか、どうかは兎も角、物事が有耶無耶に葬り去られ、何も無かったように取り繕われる。怖いことであるのに、何等気づかぬ内に、犯人にされている。実際には、もっと酷い扱いだが、記録に残らない方法なので、痛くも痒くもない。

 神経を麻痺させる遣り方には、薬でなくても、言葉や音波で巧みに誘導させる。詰りは、媒体となるテレビが例で、これこそ便利な刺激に変わる。スマホも同じ効果があるのかも。何よりも、手放せない状態が起き、四六時中管理できるからだ。観もしない映像を垂れ流しに介入する。

 光瀬龍のアンドロメダ物語に、抗えないようにしてしまう、機械の侵略があるが、気づいた時は、思い通りにされてしまった人類が残る。あらゆることの全てが、人間の試行を奪い、快楽で欲のない肉体だけを曝す。政治が間違っているとも、嗜好品や物欲もなく、生きる屍と化する。

 今の国会を見ていると、近い将来には来るであろうことが、安易に想像できる。新しい人類は誕生の段階で、選り分けられていく。次には、そこからカプセルでの選別に変わり、地球上には考えるこおの出来ない、身体だけが人間の姿という怪物が存在し、異常な分子は見当たらない。

 今朝は、気温も和らぎ、外の水には氷も張っていない。暖房の設定温度も、1℃下げて20℃に直す。すばるが寒いだろうとの思いで、日中のこと故これでいいとしている。昨年には毛布だけであったので、居心地は快適らしい。帰宅すれば丸くなって眠っている。その後、欠伸する。

 大つごもりの激務を終えて帰宅。年越し蕎麦を作る。既に午後の8時半過ぎであるが、洗濯物も仕舞わなければ、凍り付く。宙は満天の星が輝く。大熊座、小熊座、カシオペア、アンドロメダも光る。冬の星座も昇って来ており、眺めていたいが、寒いのと空腹に入った。蕎麦をたぐる。

 勤務先で、珈琲を淹れているのに、野菜をたくさんもらう。白菜も大根も、一人では食べきれない。有り難いことと感謝したら、お餅までくださった。何と搗きたてである。まるで笠地蔵みたいな展開に、びっくりとしてしまう。徳を積み、惜しまず、選ばずでいいことに感動している。

 さあ今晩も、ジュリーマニアを観よう。ジュリー祭りもいいなぁ。すばると一緒に愉しめるのが好い。シシリアンは、アランドロンが格好好いが、何とも、煙草を吸い過ぎる。いや、あの時代には、それが当たり前の俳優だった。太陽がいっぱい あの怖さは今も忘れられないでいるが。

 このブログを訪ねて来られる方は、奇特な人としか思えません。本当に有り難い読者さんです。個人的には、単なる日常のつぶやきだが、理不尽としか言いようのない政治に、一矢報いたい気持ちもある。人間が人であるための、基本的な想いは何だろう。再稼働を許せないのも同じだ。

 枇杷葉の花芽が咲き出すと、寒さを感じる季節になる。晩秋から初冬へと、冬の真っただ中に。

 

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季節の行事にも

2018年12月30日 | Weblog

 新暦になってから、眼が回る速さで月日が経つ。某新聞に以前連載されていた、旧暦の暮しに惹かれ、カレンダーも取り寄せ、暦の活用を始めた。何だか身体の調子が良くなったのか、季節の廻りに心が添えるようになった。新月は朔で、満月が望と言うことも知った。勤務も個人的な理由で。

 日捲りも活用して、自分都合だが遣っている。年末の大掃除も、遣り繰りをしつつ、新暦との兼ね合いを調整している。お飾りに関しては、一夜飾りはしたことがない。西洋のクリスマスが終われば、玄関と車に取り付ける。その際、車は必ず洗車しておく。29日を過ぎれば、一夜飾りと言う。

 地方に依っては、餅つきも験を担ぐ。29日とか30日を避けて搗く。煮しめは30日から31日にかけて作り、嫁の立場というか、長男の家に嫁いだが最後で、休憩もなく手を動かせていた。そこに平常での家事が加わるのだから、娘がやって来るのには、負担こそ増え、賃金も感謝の言葉も無。

 時たまの帰郷で、気を使うだの、金が掛かるだのの問題でなく、面倒は見てもらいたいし、来たら最後で、縦の物を横にもしないで、テレビを観ながら、親子水入らずをやっている。腹の立つのを通り越して、呆れて言葉もなかった。今は、自分の思うようにできて気儘である。すばるが居るし。

 先日、施設の年賀用に撮った写真に、わたくしの頭上、大きな輪っかが写っていたようだ。上司がびっくりして教えてくれた。あらっ、写る場合にも依るが、撮った人や、一緒に居た者にも無関係ではない。そういうオーラがあるのは知っているが、視えないことが不思議でもある。第六感かな。

 昨夜の宙は、満天の星で埋め尽くされていて、丁度こぐま座流星群の流れ星も観えた。今朝も早出だったので、余り長くは観ていられなかったが、彗星もくっきりと眺められてラッキー。今朝は大霜が降りていた。正しく、霜月に相応しい。新月ではこうはいかなくて困ってしまう。旧暦の活用。

 ここに書いていることを信じてくれている人と、まさかと思う人の違いでしょう。何度も言うが、だからこそわたくしの手当ては効くのです。此処が結界を張って、宇宙とのコンタクトが取れるのも、強ち嘘ではありません。だから、わたくしに災いを及ぼそうとすれば、何等かのことが起きる。

 リエさんの身体の変調にも、暁子さんの異変も分かっていた。唯、それを知らせても、信じて行うこととが出来なければ、治らないのだ。わたくしの場合は、手術しないことが原則なので、そうなったら援けられない。信じることには、絶大の信頼しかなく、命に代えて行うからだ。理解不可能。

 暁子さんが亡くなってから、突然、苞が出来て、花芽が咲き出した。隣の枇杷葉が飛んで来た。

 

 

 

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下弦・小潮、霜月に。

2018年12月29日 | Weblog

 昨日、2時間程だが仕事に出たので、後で考えてみたら、6連勤になってしまった。自分から出ると言った限りは、勤務もしようとしているものの、矢張り歳には勝てないものだ。そこで枇杷葉のお世話になり、肩に生葉を乗せて業務を行う。生葉は、あっという間にカラカラになる。

 熱が籠っていたものらしい。肩が上がらないのもあって、生葉を貼ったが、実によく効いた。腰には、焼酎に漬けた葉を、曝しに包んで当てている。これは毎日の事で、この手当てをしていないと、勤務が疎かになる。嗽には、枇杷葉茶に塩を入れて、ガラガラとやる。健康には持続。

 昨日、降った僅かな雪が、今朝は辺りを真っ白にしていた。大雪にもならず、積雪も少なかったのは幸いであること。本日の予定は、年末・年始の買い出しで、職員二人で行くことになる。無論、荷物持ちだが、カートを押しての買い物は、通路を塞ぐから難儀をする。店内を疾走す。

 メモを見ながらの買い物だが、チェックを行いつつ、てきぱきと済ませる。何と往復も含めて1時間で言って帰ったよ。新記録でもある。買い物品を、元旦・二日・三日と仕分けして、冷蔵庫に入れていく。食材も所要品は栄養科に注文して、冷凍庫に仕舞ってある。さてどうなるか。

 正月くらい、自宅で過してほしいものだが、何処の家族も引き取らない。冷たいものだなぁ、と心で思う。かと言って、施設に会いにも来ない所もある。不人情としか思えない子ども等である。親がそういう風に育てた、と言えばそうだが、何かね違うように感じてしまうのは何故かな。

 井上靖全集を借りた。わが母の記が読みたいばかりに。正月に読もうとしたが、途中の勤務が止む無く入って、飛び石となる。これもまた仕方のないことだが、施設を三が日は閉鎖するのもいいかな。それとも家族に来てもらって、世話をしてもらうのも、介護の点数に加算すればいい。

 幾ら専門職であろうと、どんなに心を尽くそうとも、家族への反応には、親子という血縁も含まれる。わたくしたちは、排泄や食事や、日常での見守りは可能だが、愛情の掛け方には完敗なのだ。口にこそ出さなくても想いは深い。自分も歳を重ねれば老いる。寂しいし、悲しい感情だ。

 我が家に植えてある、リエ枇杷葉。駐車場の南に、陽射しを浴びて育って、たくさんの結実も。

 

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年の瀬に・・・

2018年12月28日 | Weblog

 年末には寒波が押し寄せる、と姦しいが、何を言っているんだ。これが普通の季節じゃないの。冬休みに入る頃から、雪はちらつき始め、豆腐作りや餅つきに精出す。お飾りも、そういう時期のこと。寒いからと、暖房を点けて、半袖でいるなんて、全く気が知れない。設定温度は20℃から。

 日本の四季を冒涜している。まあ、政治がそうなのだから、当然ではあるが、沖縄の辺野古埋め立てで、海が啼いているのに気付こう。地震が起きないのに、津波が来たとあったが、地球という青い星です。無論の事、海も地底も繋がっているのだ。哀しみは人間の心だけではないことを知ろう。

 同僚が、足の中に敷くのに、枇杷葉が必要と言うので採る。先と軸を切って袋に入れた。本日は、休みであるが、夕方の数時間だけを出勤する。カーテンも繕わねばならずであり、ボランテェア精神で行こう。働く以上は、生活を犠牲にしてまでは困るが、勤務のやりくりは考えに入れてくれ。

 他人から物を貰うのには、決して無料ではないことを思う。常日頃から顔を合わせる者であれば、改まった贈り物は必要ないが、心での態度は大切に想える。まあ、それが分からない連中とは覚悟もしているが、付き合うのに疲れ果てる。でも、そういう人って多いのよね。注意するしかない。

 旧型のパソコンが、不具合を生じ始めて、凍ってしまう。何が原因かは不明だが、ハードデスクの型が古くなったせいか?新しいのを買うにも、ノートを購入したばかりだし、どの型にするかも悩みだ。当分は、画面は小さいが観れるので、これで我慢をするしかない。贅沢はいけませんから。

 本日の予定は、そこそこ片付いているので、のんびりできる。図書館で借りた本を読むのも、返却期間が先になっているので、ゆっくりでいい。年賀状も、遠方にはしたためたが、出すかどうかを迷う方も。体調管理に重点を置くように、枇杷葉茶をせっせと飲む。殺菌作用が多く効果大だ。

 通草も、毎日飲用しているので、何とか維持できているが、自然からの賜物と感謝する。何よりも、花芽の香りの佳さがうれしい。命の繋ぐ役割に驚くばかりだ。風邪は万病の元とも言うが、肺炎にもインフルエンザにも、充分な注意を怠らずでいたいもの。然し、身体の衰えには逆らえない。

 今年は、生り年なのか、初生りの木が多い。それも鈴生りの状態で、花芽を付けているのもうれしい。リエさんのが少ないが、昨年にたくさんだったので、今年は仕方がない。3年目に枯れてしまって、その後復活した枇杷葉は、何とも豪華に咲いている。既に咲き終えたのは、蜜蜂が飛んで。

 長崎茂木も、品種改良で白茂木があるようだ。珍しかったり、品種改良されたのは発芽しても育たない。

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ゆく年に・・・

2018年12月27日 | Weblog

 酷い年であった。散々な忖度や、真摯が横行して、真実は隠され、事実は究明されずのままだ。自然を盾にして、言い逃れを繰り返し、自分達には無関係とそっぽを向く。よくまあ最低の国会議員である。これで給料だけは、破格の扱いとは、理不尽にも過ぎる。きっと空想の世界であるのだ。

 明日は、職員の出勤が3人であり、子どもさんの体調やら、職員の事情で厳しい業務となる。こういう時の給料は、加算されてもいいと思うが。自分の体調管理が出来ていても、家族となると別だ。特に子どもは、一秒を争う事態があるので、親は油断ができないもの。それにしても明日は?

 上司が出勤してくれるので、心強くはあるが、わたくしも生身の人間。倒れないようにはしたいが、完全な保証もない。介護の仕事には定年はないものの、やはり70歳は妥協だ。身体の機能は次第に衰えるから、動けなくなる。そういった状態での介護は難しいものである。無理は駄目ね。

 先日、ワインを買っていたのを開ける。赤も白もフランス産である。これは甘口なので口当たりが好い。容量は少ないが、酔いは早い。明日、早出なのに大丈夫かな?思考的には問題ないが怪しい。尤も、車に乗らないので心配もないが、飲酒運転の怖いところは、油断から来ることも知った。

 図書館に寄るので、一旦は帰宅して、再度の出勤となる。遅出をする者が居ないのだ。実際、皆自分都合で勝手である。困っている時には、お互いさまではないか。人情の欠片もない。勤務が優先でもの休みでしょう。でもそうは言っても、休暇は決まっている。特別手当てを支給してくれ。

 駐車場までの道を歩いていたら、枇杷葉の匂いがして来た。消臭効果もあるので、臭いを吸収もするのだが、ここら辺の枇杷葉は、馥郁とした香りが溢れる。贅沢なことで、幸せな環境であるなぁ。感謝の心を持たなければ、罰が当たりそうである。人間の欲にも、程々が似合うように思えて。

 枇杷葉茶のお陰としか思えない、様々な自然からの恩恵を、気づけば受け取れることに、祈り感謝の暮しを送れる。当たり前のようでもあるが、援けてもらっていることが分る。何気ないことにも、今以上に想いをかけよう。旅立ちの時期にも慌てないように、捨てて逝けるようにしておこう。

 枇杷葉が、我が家の庭で育ってくれることも有り難い。ちょっとした想いから、植えたのが付いてくれ、育ってくれることもうれしい。何が縁かは解らないが、ここに来てくれたことも、単なる偶然とは思えない。自然界の不可思議さには、元より不明なことが多い。言霊は自分に還ってくる。

 百日紅が、晩夏の季節を咲いている。夏の間、花を咲かせ続けて、冬の間際まで色どる。

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パソコン凍る

2018年12月26日 | Weblog

 厭な予感である。古い方のパソコンで、DVDを観たり、ゲームをしたりするのが、突然動かなくなってしまった。こういう時の対策が、とんと分かんない。然も、午前零時に近いのでは、緊急出動をお願いできない。沢田研二さんを観ていたのに。と憤慨しても、どうにもならない。

 考えても埒が開かないので、そのままにしておこう。何かしら、宇宙からの侵入かもしれない。宇宙人の種類にも多々あって、細菌のような小さなものもあり、然も、形がそういったのでも、高度な思考能力を持ち合わせる。人間は、実に愚かなので、病気になったとしか思えないの。

 おおっ!突然、電源が切れた。何だったんだ?不具合が起きたのか。機械オンチにはサッパリ不可解なことだ。未知との遭遇には、単なる宇宙人と分る時と、そうでない時とがある。人間自体、地震がなくても、津波の来ることを予想だにしなかった。これ等は、自然への驕りである。

 沖縄の辺野古埋め立てを、強硬に遣れば、必ず自然が黙ってはいないと、感じていたのが現実になった。地球にとって、人間等部分的な物でしかない。それを自分達こそ偉いと、好き勝手を行うので、その懲らしめに起こして、知らせているのを分らない。ノアの箱舟も、何等役には。

 寒い朝になり、すばるが蒲団に潜り込む。いや、起きなければ仕事なのよ。と蒲団をめくる。台所に移動して、ストーブを点ける。餌をねだり、腹一杯になって、ストーブの前から動かない。指先が殊更に冷たいが、洗濯物を干し、洗い物を片付け、新聞の連載小説を読む。愉しみ。

 年末になってきて、新聞の厚みがないのが残念だが、記事は中立を守っているようで安心する。だが、世の不正は後を絶たない。それも相当に手の混んだ遣り方で、庶民の暮しには程遠い。楽をして、頭脳での儲けを企み、捕まったとしても、切り札を用意しているので保釈されるが。

 大体からして、日本の企業は甘い。それには、政府が一枚絡んでいるからで、幾ら正当性を訴えたところで、諸外国には通じないよ。沖縄が悪い例でしょう。嘘ばっかりで、戦いと犠牲を忘れて、厭なことは全部押し付けている。自分の手も汚さずに、煙に巻いて知らぬ顔で居られる。

 神さまも、仏さまも存在しない。これであれば、沖縄は、単県での祭りごとをしていた頃の方が、どんなにかよかったことか。弱い物を平気で傷つけ、虐めて笑っていられる輩は、政府のご機嫌伺いばかり。民主主義は何処に消えたのか?憲法に改憲など有ってはならないことも忘れ。

 来年度の予算は、云々兆円だそうだが、一体何処から出て来るのか?消費増税も、高収入の者に対する忖度ばかり。一般の庶民には到底理解できいない内容。これで世の中が無事で、暴動も何も起こらない、日本国民である。税金を払わねば差し押さえを遣らかす。放浪生活の始まり。

 昨年の枇杷葉の様子。9月下旬から、葉の中心に苞が見えだし、10月頃には薄茶色の苞を破り、白い花が咲く。

 

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カレンダーを入れ替えて

2018年12月25日 | Weblog

 明日明後日は仕事なので、しめ飾りや洗車、クリーニングを取りに行く。朝、寒かった割には、日中の天気が暖かい。シクラメンの白を見つけて買う。鉢に植え替えて、パソコンの部屋に置く。洗車を頼んだのは良いが、機械が年数を過ぎているのか、ブラシの抜けが車にくっ付いている。

 その場で雑巾を出し取る。スタンドの小父さん、脚立を出して拭いてよ。ドアを開けて靴で上がって、屋根を拭かないでくれよ。きっちり靴跡が残っていた。帰宅して、未だ水が垂れているので拭き取る。これで料金を取るなんざ、違うじゃないの。店員もいないので、言わないでおくが。

 図書館が休みなので、ひたすら読書に勤しむ。外出には用事を抱えて出るので、結構時間も掛かる。本屋にも寄り、天文ガイドと自然栽培を持ち帰る。これで、粗方の要件は済む。室内の掃除も特にはないが、すばるのトイレ後を、片付けるのは毎回だ。掃除機とコロコロで片付ける日々。

 花芽を採ろうとしたが、冷凍庫が一杯で仕舞えないので止める。小寒の頃からに変更する。どのみち、剪定ももう一度しておくし、咲いていないのもあるからと延ばす。昨日、リエさんから連絡があって、剪定をしていたら、花芽が見つかったよ。と報告されたが、9年は過ぎているのでね。

 ところがである。ちっとも匂いがしない、と話す。こちらから送ったのは、馥郁とした香りなのに、全然匂わないのよ。さてどうしたことだろう?それでも、野鳥が狙っており、花芽も啄んでいるし、巣をかけているそうだ。安全な場所を知っているのにもびっくりだ。自然からの教えかな。

 枇杷葉は、何処のもどんなのも同じだと思えるが、我が家のは何かしら異なっているように感じる。違っているんだよね。此処だけが結界を保っている、宇宙の中心かもしれない。とても不思議なことばかり起きる。何故かは解らないが空気がね、何となく清々しい。枇杷葉も効果が違うのよ。

 蜜蜂を飼ってみれば、それもよく分かることだろう。柑橘類や果実の蜜は多いが、枇杷蜜は甘さが違う。色んな健康食品を買わなくても済み、膝に水が溜まることもなく、肌が乾燥することも、皹で困ることも、頻尿で夜中に起きることも消えた。無痛扇とも、医者要らずとも言われる所以だ。

 それにきっと、ここの結界にはパワーが満ちているんだろう。わたくし自身にも理解不能の事が起きるのも、そういったことが含まれている。第六感が人より多くあるせいかもしれないが、自然への畏怖には、祈りと感謝がある。その恩恵に与れる幸運に、感謝するばかりである。信じる力も。

 お腹が一杯になったのか、傍のチェアーで丸くなっている。夏の間には暑かったせいで、禿げていた箇所も消え、ぬくぬくとしている。小さい時にきちんと躾てなかった足拭きを、今更教えても知らん顔だ。でも、叱られることは分るようで、いけなかったの、と片付けをじっと見ています。

 隠れているのか、遊んでいるのか、少しもじっとしていないすばる。半年が来ようとしている。

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クリスマス・キャロル

2018年12月24日 | Weblog

 ディケンズの児童書を、読んではいるが、読み直そうと思い立つ。図書館に行けばあるので、借りて来た。子どもの頃に詠んだ記憶はあるものの、捉え方がかなり違う。無論オムロンで、尺度も異なる訳だから、当然のことでもあるが。然し、クリスチャンではないので、分かり辛い箇所も。

 宮部みゆきさんの新刊。昨日がなければ明日もない、最初の項を読む。こちらはありきたりの事件のようで、昨今のスポーツ界を浮き彫りにしていて、納得できる。そんな綺麗事での、運動なんて有得ない。スポーツ精神に則り、正々堂々と等、絶体無い事だと常々思っていたから頷けるよ。

 強ければ、勝てればいいのであって、反則すれすれでも、勝ちゃいいのよ。ああいった物に、騒ぎ立てる事が理解できないのだ。自分らしさもなく、演技することにも異論があるのだ。記録だけのことでなら、人間ではない。点数に拘らず、伸び伸びとしてこそ、評価されていい筈なんだが。

 運動オンチの故かも知れないが、プロではないのだから、とも思っている。真剣勝負には違いないが、全霊を籠めてやればいいのでは?と老婆心で考える。どんな職種に於いても、認めてもらわねば意味がないのだろうか。生きていることの価値には、まやかしは通じないようにも想えるのだ。

 わたくしは、自然からの教えを糧に、日々の暮らしが送れれば、それでいいと思えるが、除者か邪魔者扱いをされる。枇杷葉での手当てにも、自然のからのエネルギーを借りてこそ、可能になることも行える。特殊能力でも、何でもないことで、神さまが与えてくれた使命だと、心して施行。

 今年は、枇杷葉の出来がいいようで、花芽がどの枝にも付いていて、咲き匂う。何だかもったない気分である。白枇杷も咲き始めて、満開になっているのがうれしい。佐藤さとるさんが、殊の外我が家の枇杷を、美味しいと口にしてくれた。有り難いことである。祈りと感謝の気持ちを大切に。

 林檎農家さんも、荷物が着いたと喜んでくれた。何でも、奥さまと娘さんが、花芽を好まれているそうだ。香りがいいのは無論、身体にも好いので、ぽかぽかしてくるそうだ。血管がスムーズになるので、血の巡りが好くなるからだが、寒い地方と、外での作業には、枇杷葉茶が効果がある。

 品種ははっきりしないが、地植えにして3年は育っていた。何でか枯れてしまい、諦めていたら復活した。

 

 

 

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天皇誕生日、望・大潮

2018年12月23日 | Weblog

 今朝は、早くから目覚めていたが、休日なので蒲団に潜っていた。すばるが、迷い込んだ蜜蜂を追っている。仕方なく起きて、天気がいいので蒲団を出す。1時間はもったたが、その後は曇り空に変わる。洗濯も回しつつ、すばるのトイレを換え、掃除を済ませておく。午後から図書館に行こう。

 朝刊を丁寧に読んでいく。天皇陛下の御言葉に心を揺さぶられる。天皇陛下には、政治の権限はないが、この方なら、さぞや戦の無い、穏やかなる暮らしができたろうと、感慨深い。国民の暮しを案じ、安らかなる気持ちで居られることを、先ず第一に願ってくれる。感謝の祈りも自然に出来る。

 沖縄に格別の想いを抱き、戦争が厄したことへの気持ちが溢れる。辺野古移設のことにも、終戦の発端となった殺戮にも、心を痛めておられる。わたくしたちが思うよりも深き愛に、心が穏やかになる。然し現実のまやかしには、絶句するばかり。政府の馬鹿さ加減に辟易してしまう。言葉も無。

 今年も1週間足らずで、新しい年に替わる。旧暦では先になるが、世間一般の生活では、暮れであることは間違いない。こちらはゆったりと、旧暦での暮らしを送り、枇杷葉の剪定や、お茶葉作り、花芽の収穫とローションにと、予定は目白押し。塵の片付けも遣っておこうと、袋に詰めて出す。

 粗方、片付けも済み、ブログの更新にかかる。すばるは、陽射しが陰ったので、毛布の上で丸くなっている。随分と慣れてきたせいか、無防備に腹だしの格好であるのも可笑しい。すばるが居てくれるお陰で、自分があるのもうれしい。外に出してやれないのに心が痛むが、交通事故も怖いのよ。

 枇杷葉の花芽を採ろうとしたら、時雨れて来たので止める。我が家用のを少々採りたいのだが、寒中に持ち越そうかしらん。丁度この時期は、音もなく雨になることが多い。蒲団干しは断念するしかない。精々1週間分の埃を掃き出しておく。知人の子どもにプレゼントを買うが、さて渡せるか。

 マリア・カラスの映画がかけられているようだ。この時期には、風邪引きが多いので、後日DVDの購入にしよう。本物には遭ったこともなく、オペラもテレビのみ。トスカ自体を知らなかった。あれは、動物のお医者さんからの知識。歌に生き、恋に生き、心を引き裂かれながらも歌い上げる。

 昔のNHKは、古典の時間があって、カレーラス、ババロッティ、ドミンゴの三大テノールも観ていたが、余り好く解らなかったもの。この歳になって漸く聴けるのが愉しみでもある。これからの未来は、不確かなものだが、自分を失わないで、日々を過ごせることに感謝しよう。自然に祈りを。

 宇宙を眺めていられる、そういった小さな幸せを感謝していると、積り積もって歓びが増す。

 

 

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霜月、冬至・大潮

2018年12月22日 | Weblog

 二十四節気 冬至 この日は、太陽が黄道の南端を通るので、北半球では、一年中で最も昼の短い日となり、寒気も厳しさを増す。毎年、十二月二十二日頃である。一日、気温の安定した、穏やかな日であった。出勤者も先ず揃っての勤務に、一息入れるがしんどい。老体に鞭打っての勤務。

 このところ、交通事故のむち打ちを耳にしてしまう。幸いな事に、大事には至らないようだが、侮ってはならないし、揉むのは控えたい。そこから痛みが生じてきて、神経を圧迫するので、注意が必要でもある。痛みのある時には、蒟蒻で冷やし、これに枇杷葉の生葉を当てる。枇杷種も好。

 娘が遣った時には、枇杷種の生を摺って食べさせた。自律神経を和らげて、精神的な憂いを祓う。身体の中は見えないので、レントゲンには写らないので、これは感でしか言えない。同時に触ると分かることもあり、特異体質なのかもしれない。でも、何よりも治そうとする意志がないとね。

 剪定した枇杷葉を、花瓶に活けているのが、何とも佳い匂いをさせる。家の外は無論だが、家内でも数枝で香る。リエさんにもたくさん贈れたので、西側の花芽専用のは、我が家のに出来る。こういった行いにも、自然からの力が働きかけて、何かあった時には守ってくれる。感謝の気持ち。

 このところ、曇りと雨で天が観えない。彗星も観測できるし、流星群も観えるのだが、こればっかりは天気次第である。明日は、図書館に出向いたり、Aさんちに水を分けて貰いに行く。塵も最終になってきたので、持って行ってこよう。北極星の輝きも、一段と冴える冬の宇宙だ。煌々と。

 夏の星祭りは、旧暦の七夕だが、冬の星祭りは、本日である。残念ながら、満月に懸かっていて、星の光にも影響するが、晴れていれば観上げてほしい。大熊座・小熊座の北を射して動かない、柄杓の話を思い出して。世界各地に伝わる星座の話は、とても面白いものです。観望は無料です。

 天文台や、プラネタリウムに行けば、それなりに料金は払いますが、自分で勝手に眺めるにはお金はかかりません。最初は、星を眺めることからで、次に星座の位置と名前を。それから四季の星座の移り変わりに。藤井旭さんの、天文年鑑がお薦め。ポケットタイプもあって、とても便利です。

 リエさんのだんなさまが、丁度停車していたのを撮ったらしい。最近、テレビに出なくなったね。

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