枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

卯月二十日・中潮

2021年05月31日 | Weblog
 三日連続の晴れに気を好くして、すばるの毛布や座布団を干し自分のを広げる。夏蒲団への交換にも少し干したのが気分もいいので、片付けた後に持ち出す。雨蛙が鳴きだすと天気も崩れるが、草木には水遣りがついてくるので朝からてんやわんやだ。干した毛布を敷いてやると、不満顔のすばるである。ああ、暑いのねタオルが要る?

 庭の様子にもシモツケが咲きだし、ベゴニアとランタナの頃になってきた。スイトピーも茎が枯れ始めたのを外そうとしたら、桃色と赤が咲いている。こうなったら種を採るかと放置することに。枇杷葉の枝が持たないくらいになっているのを、紐で引っ張り少し上にした。今後は、幾ら生り年でも考えてしないと収穫時が怖ろしいな。

 通草も、3㎝から5㎝に実が成長している。先日酢を散布していたら、双子の片割れが捥げた!くっつける訳にもいかずで、小さな瓶に容れて置く。昨年と同じくらいの数だと思うが、連作を嫌うのか別の場所で育っている。花が咲いた時期に大風が吹いていたから、自然受粉になったかどうかは疑問だが。恩恵に文句は禁物であるのよ。

 外での作業をしていると暑いが、室内に入れば過ごし易いので有難い。朝、陽射しを浴びると免疫力も高まるようで、何もしていないもののやる気は出て来る。枇杷葉の下で袋の掛った状態を見上げ、光の中に佇んで居られるのも幸せなこと。昆虫や野鳥もやって来ての自然に感謝し、地球に棲む生き物としていられることが有難いね。
 
 夕方の宙には金星が輝き始めているが、未だ西の位置での低い状態なので少し高い山か開けた場所でないと観え難い。一番星や宵の明星とも呼ばれる金星である。同時に地球と同じ惑星であるが、酸素はなくとても人間は棲めない条件だ。物語は、手塚治虫氏の0マンであり、火星は萩尾望都さんのレッド・スターで知られているが…。

 木星は、小松左京氏のさよならジュピター。これは映画にもなった記憶がある、三浦友和さん主演だった?昔の映画の面白さもだが、少年ケニアのテレビ放送で張りぼての大蛇ダーナでも楽しめた。主役の山川ワタルに憧れて、夏休みを宿題そっちのけで観ていた。アフリカは此処から知った大陸、浩太郎さんバッタは倒せたのかしら?

 ズボンが60サイズで穿けるようになったのはうれしいが、これってパンツって言うのか?いや、その表現には違和感が強い。あれは下着じゃない。新しい言葉を創っての売り上げであろうが、カタカナの羅列や言い回しに馴染めない。トイレも昔はご不浄と言い、雪隠とも呼ばれていたのをトイレとなった。どっちでも用途は同じだ。

 働いていないので給料は受け取っていないが、仕事は何かとあるもので1日が暮れていく。ブログの年数も11年超過しているらしい。最初の方のを削除するか文面を直すかしているのも、三日は持続していたがその後は続かない。何か気が向くまで時間を要し、落ち込んで居たりすると全く手がつかない。如何なぁと反省だけはしている。

 

 
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外と内の気温差に・・・

2021年05月30日 | Weblog
 明日位までは天気が持つのかな?とのんびりと起きて朝食を済ませ、新聞を丹念に読みながら珈琲を淹れて飲む日曜日である。仕事を辞めてから1年で、身体は正常に動いているが無理はしないし頑張らない。この歳になって何が哀しくて手広くできる?コロナ禍のお籠りにだけは有難い。布団を干しておいて、せっせとドクダミを抜いている。

 庭の全面積を占めていたドクダミも、寒中に根魂をシャベルで掘り返すこと数年になる。この時期にも切らないで抜くようにしているが、何かね少なくなってなって来ている気配が見える。あれも根っこを引き抜かないと、茎の部分だけでは増えるのかな?ユキノシタも増殖しており、食べてのことでもしないと壁が出現してしまうと収穫する。

 花も買った覚えのないビロード草は増え、大事にしていた色芹と秋明菊等が行方不明である。田舎は風向きで色んな物が飛来するが、良くも悪くも自由である。今朝も、枇杷葉を見た近所の暇人等が賑やかに喋っているのが聞こえた。大きなお世話、誰も世話を頼んでもないわよと相手にしなかったが土地があるんだから植えればいいのにねぇ。

 枇杷葉の実を生らせるのが目的でなく、生葉を活用したくて植えたのが何時しか花が咲いて現在に至る。それも最初は気づかず状態であって、何とも得も言われぬ香りに驚いてしまった。金木星よりも銀木犀の香りを抑えた感じで、柊が咲いた頃に匂いだす。薄茶色の苞に包まれていて、白い花弁が現れるとは思えない可憐さであるのに感動。

 今朝、リエさんからの電話で1粒取って食べてみたのよと言う。酸味と甘さが美味しかったそうだ。我が家のは未だ青いし袋を見てもいないが、熟れ始めたら一気なので送るよと伝える。着払いで好いからね、と言ってくれたがどうするかな?会社にも送る心算でいるので、コロナ状況を聴いたら危険なことには近づかないとの返事に安堵。

 出窓は鉢類が外に出して広くなったが、人形を椅子に座らせて飾っていたら落下している。えっと、何が気にいらなかったのだ。PCの部屋を広げれば何処かに移住となるが、すばるにとっては気に障ったものか?近所の子どもの声には敏感で、直ぐに姿をくらませる。飼い主の呼びかけにも中々出て来ないで、夕方こっそりと出現する。

 気温も暑いと言う程でないので、毛布とハーフサイズの羽根布団に潜っている。飼い主が寒がりなので、膝に乗っては来るが直ぐに温かい場所に移動する。然も、マッサージチェアが自分の居場所との認識をしており、飼い主が行くと迷惑そうにして譲る。玩具も要らずだし、お八つはないのであるのが助かる都合の好い話相手でもあるな。

 ブログの開設から10年以上の経過だが、ここ最近のフォロー数にたじろぐばかりだ。加えて、枇杷葉の実の写真も皆さん載せておいでで、興味を持って下さるのもうれしい。活用や用途にも其々あると思うので決して無理強いはしていないが、如何せん拘りと愛するばかりに堆物々しく青空はるお・あきおさんではないが違うんだなぁ。

 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気温が上がって・・・

2021年05月29日 | Weblog
 弁当配達が3日続きだったので、それなりに起床して本日までを締めた。昨日は、天気ではあったがあやふやさが抜けず、今朝には青空が広がって布団を干した。まあ湿気が多いのは梅雨なので仕方がなく、洗濯物も乾けばよしである。昨夜は、PCの部屋を片付けて見た目に広く感じるように配置し直すが、物は減らなく気分だけ夏だな。

 コロナ禍での図書館臨時休館に閉口しつつ、借りた本なので今月一杯の読書としている。従って、弁当を配達すれば帰宅のパターンで、寄る処とてなく田舎は銀行も郵便局も午後からは閉まるので不便極まりない。田舎こそ、金銭の出し入れが必要なこともあるのにと思うが。年寄りの小銭を巧く騙し取れたのは終わり、出せないのも良。

 昼食を簡単に素麺で済ませ、布団を仕舞おうと外に出て序花木を見たのがいけなかった。薔薇の支えをしたり、移植した際に見つけたナメクジの駆除に唐辛子のエキスを。例年なら、刀豆を蒔いたり苗を買って来るのだが不要不急の折で止めた。今朝にはエキスたっぷりの瓶も見つけ、歯周病対策は怠らずである。歯磨き粉も刀豆と塩で磨く。

 ゆりかごの歌 ゆりかごの歌をカナリアがうたうよ・ねんねこねんねこねんねこよ。ゆりかごの上に枇杷の実がゆれるよ・ねんねこねんねこねんねこよ。3番は木ネズミで、4番には黄色い月が懸かる。歌の小母さんの声に懐かしさと古里への想いが過ぎる。花の町を知っているとしたら、幼児に係わっての方ぐらいだろうか?歌えますか。

 よゐこの住んでる良い町は、たのしいたのしい歌の町 花屋はチョキチョキちょっきんな・鍛冶屋はカチカチかっちんな。の出だしだったと思うが、松田としさんの歌に釘付けになっていた。キンダーブックに載っていて、兄が持ち帰るのを楽しみにしていた記憶がある。あの頃には、いわさきちひろさんの絵が溢れていたのも鮮明に。

 庭に出ると枇杷葉の枝を未だ真っ直ぐなのに、しな垂れたのを持ち上げて絡ませる。粒は摘果していないので小さいのだが、数が多い為に撓ってしまう。今年は、お茶にするべく短く伐ろう。脚立に上がろうにも袋を掛けるのも自分であるから、この先のことを考えればあらゆる場面の設定が必要となる。救急車が来ても困る場合がある。

 転ばぬ先の杖も、それが傷んでいたり腐っていては意味がない。石橋を叩いて渡るのも、何時何が起きるかも不明な時代を安穏とはしていられない。宙から飛行機の部品落下もあるし、地上ではコロナ変異株も蔓延中だ。宇宙戦争も、人類が火星到着するよりも或いは月の所有を争う前に細菌に征服される。近未来は想像を絶する形相。

 政府のコロナ対策支援金は巨額な予算を弾きだしていたが、あれはコケ脅しだったのかな?自民党の金庫は開け放しておいても、庶民に返す金銭はきっちり管理しているのか?でもそれって我々の納めた税金なのよ。何で出し惜しみをするんだろうか?明日の生活にも事欠く有様なのを放置して、仕事もしないで給料を受け取れるのね。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

枇杷葉の枝も撓り・・・

2021年05月28日 | Weblog
 今年は生り年となっているのに、初生りも加わって相当数がぶら下がっている枇杷葉。来週には捥いでも良くなるかもと、枝の撓り具合を見ている。1本の枝に何しろ鈴生り状態であるから、実が大きくなっての熟れ具合では重さも増して来ようというもの。有難い成り行きに感謝はあるものの内心では戦々恐々で、迷惑を返り見ずに送ろう。

 最近は枇杷の熟れた写真に惹かれての訪問が増えているが、東京の以外な穴場に多くあることに気づく。リエさんと散策していて神田川沿いにたわわに色付いていたし、古河庭園近くには匂いが漂ってきて存在を知ったもの。誰も、川淵に見えるのが枇杷葉とは気づかぬらしくて驚いていた。加えて薬効となると皆無に等しいものでがっかり。

 小石川植物園を知っていても、あそこに多彩な種類の薬草が植えてあるのまでには興味がないだろう。牧野富太郎博士の旧邸も関心がなければ、訪れることもない。ブログでの紹介に釘付けになるのは、自分の好みの記事であり写真なのは無論だが文章にも惹かれる。何もプロの作家が書いているのではないから、そこは引いて読んでいるが。

 わたくしの枇杷葉拘りの記載に、飽きもせず訪問下さってのことに感謝するばかり。書いている自分が詰らないかな?と思うのだから訪問して読まされる者には苦痛かも知れない。それなのにおいで下さってもお茶も出さず、愛想の一つも無いのだから難儀ではないのかな。でも個性豊かな方ばかりで、その内容に触れることで思考変換にも。

 今朝、吉藤オリイさんの記事があって、とても沢山の想いに触れさせてもらった。Facebookでも応援させてもらっているが、ここまでの過程が分って親しみが湧いた。諦めないこと・視点を換えてみること・前向きに捉えることへの心に動かされた。今からでもわたくしに可能なこともある、と老体に鞭打つが無理はしないでやりたいもの。

 誰かと同じでなくとも、違うことであってもいいんだ。最終的には地球への恩返しになれば、再生されて命を終えたい。偉大な作家であろうが、人間国宝の名誉があっても皆何等かのことで死んで逝くには違いない。今日であっても明日にしろ、何れはその時が訪れるのだから。死への恐怖がないとは言えずでも逃れられない生身の生き物。

 晴れればドクダミをせっせと抜いて切り、新聞紙の上に広げている。花の時期が良いのは知っているが、寒中の頃にも根魂を掘り起こしておくと好いもの。多少は薬効も異なるのであるので、調べてからの採取と飲用にして下さい。今の時期に白い花が咲いている山法師は、滋養強壮効果らしいが焼酎に漬けているだけで飲んではいなく不明。

 薔薇の木を移植したり、挿し木で増やしているが上手くいくかは…。川原に行って砂を持ち帰って焼くのが良いが、足元に危険を感じるのため決行出来ない。長いものには巻かれろとの諺も、あればっかりは避けたい。無料には相当の覚悟が必要となるので、鹿沼土に挿して置こう。薔薇の苗木は挿し芽で増やして咲いており、親株は枯れた。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卯月、大潮・三隣亡

2021年05月27日 | Weblog
 昨夜の皆既月食は♪雨降りお月さん雲の影…という風情で、月食どころか雲が雨になっての天気だった。まあそういった時のも良いわな、と考えを変えて筒井康隆氏のハードカバーに没した。それにしても早そんな御歳になられているのか、感無量の想いである。NHKの少年ドラマシリーズでの、時をかける少女・七瀬ふたたびめちゃ惚れ。

 この頃からSFにのめり込んでいき、アシモフの子守りロボットでの描写に惹きつけられた。あの頃のNHKは良心的な番組を多く企画しており、次郎物語での池田秀一さんの演技もだがばあやさんの裏切らない心に打たれた。主題歌はペギー葉山さんで、ひとりぼっちの次郎は…今も耳に残っている。テレビでは上巻だけであって後は文庫で。

 テレビも白黒ではあったが、皇太子(前平成天皇陛下・上皇、皇后・上皇后)御結婚で各家庭に普及し始めた。当時は、子供向けにはチロリン村とくるみの木で、黒柳徹子さんが声の出演だったり、江戸屋猫八さんや一龍齋貞方さんが人形の動きに合わせ喋るのが楽しみだった。相撲も、大鵬関と柏戸関の対戦に座布団が宙を舞っていた。

 歌の小母さんが歌うゆりかごのうたに、枇杷の実を食べたいと祖母をせっついて口にしたが甘くもなく渋かった。藪に植えていたので陽が射さずで、木ばかりが上に伸びていた記憶がある。その木もすっかり忘れていたのを伐って花芽をお茶にしたが、今は放置状態になっている。田舎にも両親が居ない今となっては、足も遠のいている。

 テレビを観なくなって何年経過しているか?炬燵をしていた時には居間で編み物をしたり、読書もしていたのが掃除に辟易して止めたを幸いに上げてしまった。炬燵の残骸に本箱を置いて、何やかやと積み上げている。此処にゴキブリが棲み処とするので、結局掃除をしているが。PCを設置してからは、書き物やその他も殆ど遣っている。

 今朝、巻き寿しの具を用意していると疾走して来るすばる。分かるんだぁシーチキンの匂いが。でも、マヨネーズを混ぜたらそっぽを向く。胡瓜を入れようとの心算も青紫蘇が多かったので止め、色目が良いので紅蒲鉾にした。卵3つを割って厚焼きにして、海苔に酢飯を置いて具彩を巻いていった。他にはサラダ菜と大根の芽も乗せた。

 最近の海苔の枚数が、以前には10枚だったのが7枚になって価格はそのままに安くしたように見せかけている。消費税を10%にして、中味を気づかれないように減らしている。現実的には消費税は既に12%以上の算段だろう。政府の庶民泣かせはお手の物だが、遣り方が卑怯でせせこましい。これで内閣を支持するのは懐に入っての予定。

 オリンピック開催がいけないのではなく、コロナがはっきりしての判断となればやれば良い。何もかもが見切り発車であり、一度に在庫整理をしている感が否めないのはわたくしだけか?そこに持って来ての前人の再登用の目論見に厭きれる。赤木さんの潔白を証明さえしないでの雲隠れや、庶民の税金を湯水の如きに政権を任せるとは。

 昔を殊更に懐かしむ気持ちはないが、ある意味多少の不便さがあっても好いではないか。原発再稼働や無駄な税金投与には反対だ。戦闘機を何千億という破格の金を積んで買うの?防衛費を1%枠で決めていたのを何故に線を引く必要がないのだろう。この兄弟は、他人を殺すことには厭わないらしい。ジャックポットを読んでごらんよ。

 弁当配達に行き帰り道には枇杷の木があるが、少し色が付いてきたようである。ここのは袋を掛けていないので、一応収穫の目途にしている。矢張り、今年は早目の収穫になりそうで送る算段を考える。一番好いのが〒パックで安い。枇杷が潰れないように注意して梱包しよう。リエさんには箱で送るが、きっとあちこちに分けてだろう。

 
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皆既月食、望・大潮

2021年05月26日 | Weblog
 今夕の皆既月食は、位置する場所では既に始まったままの状態なこともある。星座方位は東南で、蠍座のアンタレスと並んで観える。部分食の開始は午後18時44分、食の終わり21時52.8分となっている。北海道では生憎食は観られない。地域に依っては、月出帯食と言って欠けたままの状態で昇る。双眼鏡があれば良く天気次第。

 庭のドクダミが咲けば採っては切り、新聞紙の上に広げて干している。丁度、駐車場の出入り口のためタイヤの跡は増えないが軒下には繁る。花木も沢山買ったり貰ったが、好みの条件が揃わないと育たないものだ。秋明菊・宿根サルビア・レースフラワー・千日紅・アスチルベ等、何処に消えたものか。デルフィニュームも失せた。

 露草やドクダミは、農薬を掛けないから環境的には棲み易いそうだ。其処に枇杷葉での堆肥作りであるから好都合なのか植物は育っていく。一時、木香バラが換気扇から室内に侵入したり家を覆い始めたのには慌てた。綺麗でいいという基準を越え、脚長バチが巣を掛けたのだ。それも可なりな大きさで駆除して貰う羽目に用心する。

 今朝、枇杷葉の袋が2つ程落ちていて、鳥にも辛抱の出来ないのがいると知る。そこで気づいたのが、我が家のは青くても旨さが匂うのか?という疑問的な想いだ。これは如何、実際に熟れて来始めたら収穫時はどうしよう。群がる鳥を相手に採れるだろうか?ここは助っ人を頼む必要がある、ぼるしちクン、ハナちゃん、SOS信号。

 今年の状態は生り年に加えて初生りも増え、物凄い数での収穫である。袋を掛けた時点でも軽く千は下らない、誰彼に送りたいものの住所も不明では。枇杷葉の花芽や生葉でも日数が怪しいのを、生物発送には悲惨な状況を想うばかり。然し未だ熟れるまでには日数もあるので、着払いを認めてくれる方を探してみるしかないかなぁ…。

 すばるは、この処肌寒いので抱っこを強請る。何処に移動するのも肩まで上がって来るが、うっかりそのまま外には出られない。野良猫が徘徊していたら襲われるので危険を伴う。飼い猫の種類や性格にも因るだろうが、怖いので逃げ場を失って飼い主にしがみつく。で・室内に入った途端、恐怖感からか暗闇に隠れて出て来なくなる。

 その後、外に居るのを見たら室内から威嚇している。どういうんだろうか?以前には、網戸での対応にしていたが、勢いに任せて飼い主の足にかぶりついて来たから止めた。傷跡が凄いことになっていたが、枇杷葉エキスで治した。今は、何処なの?というくらい分からない。藪蚊が出始めたので、首筋や手首にハッカ水を付けている。

 明日は、巻き寿しにするかな。胡瓜・サラダ菜・シーチキン・青紫蘇・卵の材料で巻くかな?茗荷は昨年のが少しあるので、それも使おうかと計画中。食欲減退となるのは季節が不安定であるためだが、素麺や怜麺ばかりでは寂しい気もするので。かと言って一度に沢山は頂けなくなって、歳のせいにはしているが動かないからかな?

 
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晴れたらそれなりの

2021年05月25日 | Weblog
朝午前7時台にはカーテンを透かしての天気模様に、どっこいしょと起き上がる。少し寒いがコートを羽織るのもとそのまま動くと、暫くしてクシャミの連続。すばるの抱っこに猫の体温を感じつつ移動していたら、彼の目当ては観葉植物で隙を見て齧ろうとする。駄目だよ、と向きを変えるが確認したらしく、じっと見上げているのに感心する。

 釣鐘草の濃い紫が咲いたのは、ロイヤルパープルとも言い鮮やかな立ち姿である。ミニバラも蕾を膨らませて開花しグリーンアイスにも花を認める。露草の苗を纏めて鉢やフェンスの側に持って行き、オリズルランの新芽が伸びているのに水遣りする。ドクダミの花の咲いているのだけを抜いて、土を払って室内に入れる。切って干さなくちゃ。

 通草が、可なりの大きさになっており愉しみでもある。昨年に沢山生った場所のは、今年余り見かけないのは連作を嫌うのか?商売での育成ではないで、自然に任せた状態で蝶も毛虫も飛び這っている。今年は、蔓を葉に巻き付けてしまったので密集してる。来年には、新芽の蔓を茹でて浸しにしてみよう。上に上がる習性なので手が届かない。

 ドクダミの化粧水を作るのには、お茶で煎じた物にグリセリンを混ぜたりだが個人的には焼酎に漬ける。痒みにも効くので、顔につけての肌荒れ予防にもなる。内蔵への働きが大きいので、煎じてお茶で飲用されるのが好い。但しこれにも一気に飲めば良いと言うのでもなく、持続しての根気となるから。薬草には漢方での効果がじんわりと現る。

 蓬も、乾燥させて洗濯ネットに詰め込んで座布団代わりにするのも、腰痛予防になるらしい。この時期での集めに採っては如何?飲むのも良いが、腐ることを頭に作らないと勿体ない。現代農業での知識なので、ネットで再確認されたり、購読をお薦めする。図書館で借りられればいいが、保持・保存となるとスマホの機能になるのかなと思う。

 わたくしのしていることには、絶対と言うものはなく予防であったり予備での知識に過ぎない。薬草も使い間違えば命の危険に陥るので、決して鵜呑みにしないことと少しで試してからが好い。既に20年来続けて居る者と、昨日・今日の取り組みは同じではない。或いは、遣ってみても効果の程が異なるので自分に合った方法でされてください。

 洗濯物を軒に下げて干しているが、雨蛙の合唱に耳を傍立てる。明日の皆既月食を楽しみにしているが、どうにもこればかりは天気次第。金星も西の宇宙に観え始め、水星と並んでの好条件だが如何せん梅雨時が期待を薄める。天体ファンには雨は悔しいが農家の方々には、恵みの現象となる。そうそう、植えた後の苗を斜めにしたら発育良好。

 手間暇がかかるので今では殆どがしなくなったが、手で植えた場合には大雨にも苗が抜けない。機械では浅植であったり、代掻きが上手くできていなければ雨に流れる。便利さと不便での工夫次第。九州地方では枇杷が熟れて来ているのか?我が家のも枝が撓ってきてのことだが、色付きもまだ先のこと。甘くて果汁がたっぷりなので美味しい。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

基準の違い・・・

2021年05月24日 | Weblog
 雨になりました。人間が物事をどう捉えるかには、個人の様々な考え方があるので一概には決められない。然し、身体の部位があちこちと支障を来たし始めると途端に慌てるのに違和感を持つ。赤ん坊への期待に 這えば立て・立てば歩めの親心、とあるが歳を重ねていくとその反対の現象が起きるのは否めない。予防的な対処はあるのか?

 身体は生身なので取り換えが利かないばかりか、体内に部品を入れたり或いは手術を行うと違和感が拭えなくなる。だがこれにも賛否両論で、納得しないまでも諦めと仕方なくでする場合もある。医者から長くは生きられないとの宣告をされたら、どんなに想いをすればいいのだろう?明日に命を終えるなら、好き勝手を遣れば悔いはないか。

 生まれた以上は死への路を往くのであって、結果では元に・自然に還ることでもあるか?何もしないで泣いていても、自分なりの工夫と知恵を働かすのも同じ命だ。では、わたくしには何が出来るのだろう。表立っての行いよりも、気づかれることなく罪を赦してもらうには徳を積むしかない。だが、今日に至っても徳は増えることもないな。

 枇杷葉に援けられての日々には、嘲笑いや陰口の方が多かったと思えるのは徳がないからだ。悪者扱いをされることや理不尽さに哀しかったのも事実。枇杷葉の良さを一人でも多くの方に知って貰えれば感謝し、病の元が分れば伝えて治せる方向へと誘う。これが意外と困難で、わたくしの心中までは知らぬからするのが当然とにべもない。

 枇杷葉の歴史は中国からでは三千年の、日本では約千年の歴史が刻まれている。医療は最先端を行っているらしいが、直に患者と向き合い寄り添ってはくれない。人間でありながらも機械化されたシステムに流れ巻き込まれていくが、それが厭さに離れてしまった。枇杷葉には、何もしないであるが儘で居られるのも好いので感謝に堪えない。

 あらっ、本格的に降って来た。洗濯物は乾かないな…鉢物を濡れる場所に出して置いたので水遣りは助かるが、咲き残っている薔薇と芍薬が雨に打たれて。チェリーセージを刈り込んだので、枝からの新芽が沢山の花で埋まっている。ドクダミの白い花と対照的で眼を惹く。山桜桃梅は青い実だが、野鳥の餌になるのでジャムも果実酒無理だ。

 午前中、Aさんちまで水を分けて貰いに行き銀行に入金して帰宅した。この時には本降りでなくからかうような気まぐれであったのに、きっと誰かが水汲み中に桶をひっくり返したのだろう。その勢いには天の川へと落ちて、天が裂けたのかもしれないな。天女の羽衣も御薪能で舞っているのは観たが、本物には未だお遭いせずであるのよ。

 今年の奈良の御薪能は、コロナの影響で二派だけの舞だったそうだ。わたくしが観に行った時には四座混合で狂言も加わっての見事さだった。観世・金春・宝生・金剛流派の素晴らしさに、能面に誘われ幽艶な衣装にも圧倒された。内田康夫作品での天河殺人事件からだったが、日本の古典芸能の世界は奥が深く情緒豊かで歴史は愉しいもの。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨時の晴れ間に

2021年05月23日 | Weblog
 旧暦では卯月なのである。道端には卯の花が咲き乱れ、崖や家の塀には定家葛が這い上がっている。山際には樗の大木がその名の通り木に雲を乗せている。新月では5月なのだが、今年の異常気象から梅雨入りが早まってのことで、雨や曇りの日々だったのが晴れた。地面が怪しいものの久々に布団を干し、洗濯物も出しておくが庭は薔薇終わり。

 ミニバラは蕾があるのも、芍薬の淡い色は1本健在である。スイトピーも種を下げたり、未だこれからのも見えているが、勢い好いのはベゴニアとランタナだ。挿し芽でどんどん増えるのもうれしくて伸びたのを土に。雨のお陰もあって付いており、木香バラも新芽が見える。以前に買っていた大きな鉢には、小手毬を植えていたが地に下ろした。

 其処へ薔薇の挿し木で育っているのを移したい。枇杷葉の葉陰になってしまって蕾が出ない上に、適当に挿したのであちこちに散らばる。最初に買ったので名前も忘れたが、白と桃色であったのが残ったのは白。北側にも植えているので、枇杷葉の苗を地に下ろして鉢を開け移植中。枇杷苗は11月頃の移植になるので、根を傷めないように注意。

 昨年、ポリゴナムを地面と鉢に置いたら今年は小さな苗が密集している。フェンスの場所に2鉢移動したが、蔓延るので鉢から出そうかな?露草の苗も増殖中で、これもフェンスの所に植えこんでおく。朝顔が発芽しているのを、何処に植えるかと思案中。要は、プランターも空けて新しくしたいのだ。狭い猫の額をどうすると自問しながらで。

 コロナの影響で、この処訪問者が居ないのも有難い。少ない人口の小さな町ではあるが、発生率とすれば多い人数であるわ。市内にも出かけないで居るが、非常事態前に土を買ってきていたのは正解だった。食品等は生協での配達を頼んでいるので、便利で有難いことだ。独り暮らしであれば、基本水と塩があれば生きては逝けるし清貧を守る。

 それにしても、枇杷葉茶のお陰は大いにあって免疫も抗体にも不便はない。下手にアルコール消毒ばかりでは手は荒れて心も荒む仕組み、エキスは香りが好いしたっぷりと用意してのことで重宝している。薔薇の花弁のも以前のがあるので、玄関先に置いていて一噴きする。人口の臭いには閉口するので、自然の齎す匂いの佳さに心身共に悦ぶよ。

 下水道の配管口に、枇杷葉茶を飲んだ後のを入れているのが下から臭いが上がって来なくなった。加えて配管を掃除しているらしく、ぬめりが直ぐに取れる。人間の血管もこういう風に綺麗にしているとの確信を強くして、1ヶ月に1回だが新月での交換とする。自然からの恩恵も金銭の請求はないが、青い星に棲む以上は心したい想いでもある。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

捨てる前の一工夫

2021年05月22日 | Weblog
 衣類の素材にも因るが、そのままを塵に出してしまうのは惜しい。個人的には汚れたら、ボディソープを垂らしてその上に酵素漂白剤(粉)乗せて一晩漬け置く。汚れは何処に?という位綺麗になるので、つい勿体なくて再利用となる。タオルも他の物も雑巾で使い切ってから棄てる。枇杷湯での洗濯をするためか臭いはなく繰り返し使用。

 酢の使い方も多々あって、山菜の保存にも役立つので愉しい。現代農業の5月号には特集で載っていたのに、諸手えを上げ賛成。此処ではラッキョウ酢を活用してだったが、実にお得な気分に浸れる。農薬には苦手な思いがあって、臭いの酷さに吐き気がしたり呼吸困難に陥る。薔薇園での香害には、花の香りは吹っ飛ぶし見学処じゃないの。

 我が家では無農薬だけが生き残っていくので、綺麗な色合いには手を出さない。弁当配達時に卯木の撮影をしながら、毎年の眺めだが花の滝に見惚れてしまう。あちこちに満開で、車を停めて少し歩きながら定家葛や野茨の清々しさを風と一緒に感じる。帰路、すばるのトイレ砂を買ってJCBの金券で支払う。釣りが出ないのは承知なこと。

 ドクダミが密やかに咲きだしたのを、お茶にするべく根付きで抜く。水道水で洗うと腐るので、適当に切って乾かせておいて飲む時に笊で洗うが。干すのも新聞紙に広げているが外には出さない、この時期に風や雨にやられたら手間の甲斐なく捨てる羽目になる。農薬も掛けていないので安心して採れる。釣鐘草の白が、咲きだしている。

 通草が、随分と大きくなっており愉しみでもあるが蛾の幼虫には餌らしく消える。とても上手に隠れているので蔓を翳して確認が要る。まあ、幾つかは見えているので自然との共有も然り。ベゴニアも茎を伸ばして繁っているのを、途中から手折って挿すのが付くのでうれしい。梅雨時には水遣りの手間はないが、根腐れに注意もしなくちゃ。

 クリスマスローズの苗がびっしりと見え移植した。先日大きな鉢に纏めたのは、あろうことか花を咲かせているのにびっくり。異常気象なので花も適応性に馴染めぬのか?人間にも多様性の向きが合って、それらに不向きな者には居心地も悪い。我慢していると思わないで、自分なりの工夫と知恵でやり過ごすしかないものとあの手この手で。

 肌が敏感なのは顔剃りで負ける。然も、理髪店でしかやって貰えないし料金は上がるで止めた。安くて簡単な方法を探す内に、ムダ毛クリームを思いついて実行した。最初は、肌が赤くなったりで軽い火傷症状だったのを枇杷葉エキスと塩で改善した。洗顔前に薄く延ばしておいて、水か微温湯で洗い流すのだが、この後枇杷葉ローション。

 枇杷葉茶のお陰もあって、簡単で便利この上ない有難さである。剃刀で遣っていると時々切れるし、ヒリヒリするのも解消されたわ。年間の化粧品代は1万円も要らずであるし、例えノエビアを使っていても長持ちする肌艶を保てる。美白・美肌に紙魚も雀斑も何処へやら、枇杷葉オンリーはお得な方法としているが誰にでもは無理がある。

 昨日で一応片付けは終了させた。書籍の持ち出しには曜日指定があるので、廃品回収とどっちが早い?図書館への寄付も迷惑かも知れない。庭を見廻っていたら、青い大きな枇杷の実を見つけた。あららっ、こんなところにあったのかと袋を被せた。薔薇の花弁は化粧水にするのを、深紅と薄桃色に分けて漬けた。何と香りの好いことだろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする