枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

口は禍の元・・・

2017年10月31日 | Weblog

 勤務者が少ないうえに、入浴はあるし、買い物にも行かねば。こういったことを見透かして、介護フェスタまでに済ませる段取りが、無理矢理な業務にしてしまう。早出で用事もあり、急いでいるのにのんびりと動く。残業手当もくれないのに。

 何事も、遣り方であろう。だらだらとするなら、誰でも出来ることだ。自分がするなら、これを用意してくれていたら、粗漏がないように整えておく。子どもの使いではない。一度で済むようにしたい。無駄口を叩かず、相手への温かさを持ち。

 当たり前のことを、自然にさりげなく行うことは、意外と難しいのか?業務の遣り方には、ノウハウは載ってなく、そこは年季とコツしかない。加えて、意思の疎通ができていないと、困難を極める。言葉で優しく言うのと、実際には易しくない。

 今朝は、寒くてついストーブを点けた。毛糸のセーターもきて出勤する。10時頃から暑くなり、暖房を止めて窓を開ける。それがいつの間にか、暑くて堪らないので、スイッチを見ると、半袖の職員が点けている。寒いって、自分都合だろ。

 職場の温度を適温にして、節約をしようと言うのに、23℃?今から、この気温では、真冬にはどうするの?自分の身体をもっと鍛えよ。これで風邪を引いて、迷惑を掛ける。冗談ではありません。自己管理ができなくて、仕事が可能かよ。

 嘘をついたり、他人を騙すと、普通には自分に還って来る。言葉には、命があり、それは生きてもいる。いい加減を言うばかりだと、実際しっぺ返しはきつい。善行を行わなくてもいいが、貶めたりすれば、その時はいいだろうが必ず自分に。

 枇杷葉茶を飲むようになって、特にそのことを感じる。災い転じて福となる。には、常日頃からの心掛けが大切だ。自分に厳しく、自然に添った生き方をして、神に感謝と祈りをしよう。神は自然であり、宇宙の森羅万象に繋がる。心して生きる。

 宵の明星。これは外合になって西の宇宙に輝く。金星は、地球にとって、未知の惑星。そうして大切な仲間。

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長月十一日

2017年10月30日 | Weblog

 ベルネとの連絡がついて、やれやれである。電話が混みあっていて、繋がらないのを待つこと5日。どうにか注文でき、上京には間に合いそうで、一安心する。天気を幸いに、風はあるものの布団を出す。洗濯物は直ぐに乾く。日向ぼっこに、すばるはうれしそうだ。

 掃除機を買うのに、価格が高いが、安物ばかりあっても役には立たない。ここで買っておいたら死ぬまで使える。清水の舞台から飛び降りた。年金暮らしになる前に、金を貯める騒ぎではないよ。風呂は、焚き物でしたいところだが、そこまでの材料と時間がないな。

 然し、倹約・節約を実行している。夏分には、朔日と満月で換えるが、冬場には朔日だけに立てかえる。1年を通じて枇杷湯であり、臭いは全くしない。塩で身体を擦り、湯舟には浸かるだけだ。そのお蔭で、肌は艶やかに、身体全体が温かくて冷えないので佳い。

 生姜も食べ物に入れたり、香辛料で使う。要は、旬の野菜を使えば、節約もできて、身体のためには好い。枇杷葉茶を欠かさず、時には千振も飲んで、手洗いや嗽を欠かさないことだ。年を重ねてくれば、あちこち故障する。上手く付き合って、逝きたいものである。

 若い時には、迷いや悩む度合いが多かったが、この歳になって来ると、纏っているのが煩わしい。悩んでいても明日は来る。日々、気持ちを切り換えていくことは、辛いことも、厭な日もあるが陽は昇る。時は止まらない。無駄なようで、大切な時間を大切にしたいよ。

 わたくしは、クリスチャンではないので、信仰の方は怠慢だが、マザーテレサの言葉や、それらを伝える方には尊敬の念がある。渡辺和子さんの著作には、実にたくさんの言葉が載っていいる。笑顔になるには、神さまへの契約・約束だという箇所にびっくりしました。

 どうぞ神さま、召される魂を御手に抱き取ってください。マザーの所に来るのは、生まれを、生きていることを、拒まれた者ばかり。その人等のために身を挺して行う。どんな時にも笑顔になれる。その根本をわたくしは間違えていたのだと恥ずかしい。自然を敬=神。

 暖かさが少し感じられると、いち早く蕾が綻ぶ。春やはる、梅一輪のあたたかさ。東風吹かば匂いおこせよ・・・

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淋しい雨・・・

2017年10月29日 | Weblog

 秋の雨はさみしい。縦縞模様の透き通った布が、音もなく降りてくる。今朝は、寝床でゆっくり過ごし、10時を回って起きる。湖底の城に、限をつけて掛け声で。その間、すばるはカメムシが気になるわ、ごきぶりと格闘するわで、賑やかである。

 だから、カーテンに登るなっつう!すばるにとって、小さな生き物は、初見えの物が多く、自分の体の大きさと比較できないためか、バウンドして飛び退る。右手で何回も叩く。ぺしっという音がする。恐怖からか、カーテンに逃げてよじ登るの。

 いい加減じゃれて、動き疲れたのか毛布で包まって寝ている。我が家に来た時を思えば、3倍以上になっている。重い上に大きい。猫の習性を研究しようか?と思わず考える。厭々、これは学術的な根拠で、あらゆる方面から発表が多くある。

 今更、猫や犬の特集を組んで、可愛いを連呼させなくても、原始時代から存在していた。子孫の繁栄を続けていたからこそだが、その実態は謎だ。人間だけが、愚かになり、退化していることに気づかない。物の視点を変える時期なのかも。

 雨の中をデジカメを片手に、傘を差して出る。枇杷葉の花芽を撮影するが、白けてしまう。携帯での撮影の方が綺麗だ。フェンスの傍には、北東に長崎茂木が、並んで品種も、年数もはっきりしないが、初生りの花芽だ。枇杷は9年と聴いたが。

 リエさんのとサンタさんのは例年の生りで、一番驚いたのが、暁子さんのにした木で、これは数本がまとまっているのに、苞が鈴生りとついている。暁子さんの生前、お隣の枇杷葉を伐ったら、我が家に翔けて来てと、願っていたのが適ったか?

 昨年の付き方も多くてびっくりしたが、今年もたくさん見える。不思議なことがあるものだ、と眺めているが、事情を知らなければ理解出来まい。麦や蕎麦を植えたのが良かったのかも。自然からの声を聴くことも大切で、その恩恵に援けられるよ。

 春も中旬を過ぎてくると、到る株から花が姿を現す。そのままにしておくと、種が零れて発芽する。

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長月、上弦・小潮

2017年10月28日 | Weblog

 疲れ易いのは、年齢のせいなのか、横着なのかは判断に苦しむ。介護の仕事内容は、これと決められるものでもなく、余りにも多い。だが基本は、人間対人間の付き合いで、はっきりとした答えがないのも現状。言葉では如何にも簡単明瞭でも。

 認知症と言う症状にも、環境や個々の人間性で、大きく違ってくる。穏やかな方も居れば、感情の起伏の激しい方もおいでだし、不安な要因を抱えての方も、自宅とは違うことから落ち着かない方もで、その行動は察知できないことも大いに起きる。

 花や野菜を、プランターで栽培していると、普段には心が慰められるものだが、症状に因っては、これが食べ物に見える。土も同じ。便利なのと、使い捨てできれいと言う手拭の紙も、美味しそうに見える。或いは、紙幣に勘違いするのか溜め込む。

 衣類には必ず、氏名を明記してもらうが、自分のと思うと見境つかない。事を荒立てず、時間をおいて、気づかぬように直す。汚染物を隠す行為は、認知症の初期症状だが、ちょっとした行動から判断して片付ける。このタイミングがとても難しい。

 一日の労働を、気の抜けない時間で過ごすと、自宅に帰りついたらぐったりする。口を利くのもうっとうしい。尤も、すばるは行動で来るが、自分のことは後回しで、餌と枇杷葉茶を遣る。留守の間の出来事に唖然とし、片付をする。高い所から落下物。

 宇宙を見上げて、月の美しさを眺め、枇杷葉の花芽の匂いを嗅ぐ。フェンスの傍のだが、はて何年になるのだろう?花芽が付くのは昨年からだが、結実にはならなかった。今年は、大人の手の半分くらいが、群がって咲いている。枝を引き寄せて。

 寒さは微妙な処だが、台風接近に困惑する。然し、自然の掟で発生するとなると、これは止められない。干支の関係も多少はあるのか、不穏な落ち着かない年であった。残す処、2ケ月ばかり、大騒動になりそうだ。手抜きがあちこちで発覚する。

 ベルネでの買い物が出来なくなる。ポイント分だけは使っておこうと、接続を試みるが繋がらない。つい数日前までは上手くいっていたのが、画面表示が変更になって、手順が狂ったらしい。注文不能で電話も通じない。箪笥の肥やしを止める時か。

 新暦の1月・睦月とは違う。睦月とは、旧暦でのことで、一ヶ月の日数も31日はない。暦は大切な教えだ。

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本を読むことに・・・

2017年10月27日 | Weblog

 読書週間は、本を読むということよりも、書籍を知ること、触れることにも繋がる。自家製本というと、本人の満足感だけであり、もらった方は当惑することもままある。最終的には、廃品回収に出される。古本でも要らない。面白さの要因にも様々だ。

 図書館で借りるのは、ハードカバーでだが、自分持ちは文庫が多い。児童書は文庫がないから、それはそれで場所を取る。然し、容易には捨てられない。著者のサイン本などは特に、古本屋では何等価値はないそうだが、手放すことは不可能だ。

 本人が自慢するくらいで、他人には全く意味も無い。文豪の悪戯書きの方が、高価に売れる。夏目漱石の生誕150年とかで、当時の本であればどうかな。仮名遣いが少々難だが、読んでみる価値はある。普通の人間のは、迷惑千万となるようだ。

 本を読んで、何が愉しいかは、個人差が大きく、一概に矯めになることではない。教養が深まるようだが、そうとも言えない。これは愉しみ方の方法次第で、その世界を堪能できるか否かだろう。空想であって、現実でもあり、摩訶不思議な世界だ。

 現実逃避だと云われれば、そうかも知れぬし、教訓であるかと言えば、その通りかもしれない。面白い本の根本は、その世界に、自由に行き来でき、終りのないことかも知れず。決して断定的には決められないものだ。あいうえおを並べ替える愉しさ。

 挿絵がないと、読む気のしなかった頃には、本来の醍醐味が分らなかった。時を経てみれば、どんな小さな行にも、作者の意図があり、巧みな描写に心が踊る。映像がなくても、自分で想像できる楽しみも加わり、自由自在に場面は広がっていくよ。

 歴史を紐解くのは、自分らの祖先へと繋がる。命は、過去から現在に、未来へと進む。立ち止まることは無理だが、自分を見つめ直すことはできる。時間を遡っても、その時の自分には遇えないからだ。不可能を可能に出来るのは、一瞬の迷いかも。

 クリスマスローズが綻びだすと、心なしか庭が華やぐ。小さな花にも、春を感じて目覚める季節が・・・

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読書週間に

2017年10月26日 | Weblog

 灯火親しむ、という処からこの時期に、読書を堪能しようとの試みだが、季節を問わずの本好きには、言い訳がましい。それでも、タイトルに違和感を覚えたり、賞獲得のは手が出ない。そこは好きな作家に偏るが内容にも不足なく読める。

 書くのも読むのも、中篇や長編が好い。短編集というのもあるが、物足りない読後感である。本の紹介の欄に、以前から気になっていたのを見つける。クラバートであるが、一種の不気味さにたじろんでもいた。表紙絵にも恐怖感が付き纏う。

 図書館で借りているのを読み終わったら、とやっと踏ん切りがついた。最近、余り眠れなくて、昼寝をする始末。暗いと眠れないのに、何所かに明かりが点いていないと、眼が冴える。かといって真っ暗だと、却って恐ろしい。魑魅魍魎が視。

 布団の中は快適で、すばるも炬燵代わりになる。足元も、枇杷湯で温かい。湯たんぽをそろそろ用意するが、冷える按配はない。眼に視えない物には悪戯心もなく、生きている者の方が怖いので、きっと職場の人間関係だろうと思っている。

 加えて、ネットへの接続が調子悪い。ベルメゾンでの買い物にしているのが、巧くいかない。品物を直に見れはしないが、人混みが苦手なので、ここに決めているのに、どうしたものだろうか。まあ、金を使わないでも済むので、いいかも知れず。

 以前には、身体が冷えてきて、調子は悪いわ、着る物がないわで往生したが、この頃は枇杷葉のお蔭で凌ぎ易い。食べ物にも身体を温める献立や、方法を用いている。どんな名医にも、他人の身体の内部は分り難い。医は仁術が懐かしい。

 況してや、パソコンの画面を見、患者を直には当たらないので、大雑把にもなろう。加えて薬にも、個人差があるから、絶対的な効き目は不確か。全国的な話の中にも、そういった名医は皆無に等しい。藪や筍ならまだしも、迷医となろうが。

 自然えお相手だと、裏切らないし、応えてくれるが、これは自分の生き様にも通じる。人を羨まず、自分に謙虚になり、お蔭さまの気持ちを持つこと。然しながら、事の違和感にははっきり意思表示ができるのが望ましい。戦争にも再稼動反対。

 春浅き夕暮れとき。暮れてゆく宇宙に懸かる惑星や恒星の瞬きに、暫し佇む。自然への祈りを・・・

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春を思わす気温に・・・

2017年10月25日 | Weblog

 秋であるが、温かな気温に、春を思わす。布団は勿論のこと、洗濯物も気持ち好い乾きで、半乾きのも外に広げる。すばるが好奇心のまま、縁側に出て、匂いを嗅ぎ回っている。枇杷葉の花芽も咲き始め、青空の素晴しい日である。

 隅っこの塵ゴミが気になって、掃除機を掛けていたが、これからという場所に来て、エンストをやらかす。何やらきな臭い。火事になっても困るので、新しいのを買うことに。何しろ年代物である。寿命とも言える、働き振りに感謝する。

 午後も随分と過ぎたが、郵便局に出掛け、年賀状の注文をしておく。仕事を辞めたら、書くことも無いのだが、勤務先にだけ出そう。で、今年から印刷を止め、手書きにした。インクも莫迦にならない。セーターを着ているが暖かいね。

 先日の台風で、サンタ枇杷葉が斜めになっている。どっこいしょと元に戻し、庭の枇杷葉を見回る。風はあるものの、寒いと言うのでもなく、生葉を採っておく。それにしても暁子さんのに、大きな苞の塊がたくさんあって、びっくりだ。

 リエさんに逢う時に、花芽が咲いていれば持って行こう。昨年の生り具合からして、少ないとは言うものの、それでもちゃんと花芽は付いている。ありがたいことである。暮らしの中に取り入れていなければ、どうという事にもならない。

 枇杷葉茶、枇杷酒共々、万能薬はあり難い。水虫・癬に虫刺され、擦り傷・切り傷と温湿布にもなる。血液サラサラとなるし、角質も驚くほど剥がれる。内臓の働きにも影響があり、即効性には疎いものの、持続すれば心丈夫にもなる。

 Aさんのご主人に感心されるが、こつこつと根気良く継続することが治りを速くする。尤も、自分にあった治療法でないと、効き目は薄いようにも。以前にも書いたが、毒にも薬にもなるので、言葉や心の思いを謙虚にしたい。還るのよ。

 言霊、と言うが。口から出した言葉は、決して元に還らないし、どう言い換えても取り消しは利かない。子どもなら兎も角も、学歴もあり、いい歳になって、言動に責任が持てないとは、あるまじき行為だ。そういう輩が政治を牛耳るのだ。

 クリスマスローズの花も、適温の適した場所のが、一番早く咲く。水は必要だが、遣り過ぎると腐るので注意。

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掃除の手抜き・・・

2017年10月24日 | Weblog

 来月には、介護の日と言うのがある。全国的なもので、介護の実態を知ってもらい、介護職のあり方や、取り組み、日々の苦労や精進を発表する。資格の云々よりも、家族の涙と笑いには、悲喜こもごもの想いが籠もっている。看取り・送る心構え。

 で。全国の取り組みを各施設で、小さいながらも遣っている。我勤務先もご他聞に漏れず、行っている。今年は、今月末の日程になっている。それに先駆けて、用意にてんやわんや。殊に掃除が行き届かないのが、悩みの種で、日々奮闘している。

 横着をして、労力の無駄を省き、同じ時間を使うなら、綺麗にできる方法を伝授する。窓拭きに活用すると効果覿面。床掃除、台所のレンジ回りも、ピカピカになっていく。安上がりの液体は、ボディソープで、これを適宜薄めたり、原液を浸したりする。

 化学洗剤は高い上に、気分が悪くなる。綺麗になったように見えて、拭けば噴くほどぎらつく。経費の無駄もいいところで、力を入れれば体力消耗となる。粉石けんも、水か湯で溶き、汚れに乗せて1晩置居て洗い流す。めんどくさいようで簡単便利。

 施設は、浸け置きや1晩放置する方法が出来ないので、多少のコツは必要だが、そこは長年の主婦の感で遣って退ける。皆、一様に驚く。我が家の風呂場は、最初こそカビキラーを使ったが、枇杷湯で黴は出ない。その他は、枇杷葉茶で拭いて。

 自然にやさしく、人間にも適用できるのが、身体のために好い。癌の発生も防げる。豊かで快適な生活には、油断する落とし穴が待ち受ける。温活の暮らしだと、不便さが生じるが、生きていく基本には困らない。無駄を省くのは、快適な暮らしに。

 タイガースのCDを買えるのも、そういった倹約・節約がなければ、お金が幾らあっても足りないもの。枇杷葉生活には、そういった健康の利点と、自然への恩恵へと繋がる特権が多分にある。尤も、資金の乏しさからの、苦肉の策かも知れないが。

 現代農業の(何時のか忘れた)記事で見つけて、実行したか、琵琶湖の水問題で、テレビで観てかだったと記憶する。ネット上で検索すれば更に、詳しく分るでしょう。人間は、自然からの恩恵も、警告も同時に教えてもらっているが気づかないもの。

 旧暦ののんびりとした暮らしの中には、とても大切な自然が息つく。地球上には、無駄は一つも無く、どんな小さな生き物にも、命が宿る。そういった多くの命に援けてもらっての、人間の生活だということを、忘れないように心がけたい。感謝しよう。

 帰路、図書館に寄って、宮城谷昌光さんの湖底の城八を借りる。図書館からの夕陽の眺めが美しい。運の付いた一日だった。体力の消耗にげっそり。安倍政権の継続に、がっかりもしているからだ。消費増税と、戦争への飛躍と、原発再稼動となる。

 新暦の2月中旬。宇宙に懸かる金星にうっとり・・・。自然がもたしてくれる美しさに、感謝と祈りを・・・

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枇杷葉茶を続けて

2017年10月23日 | Weblog

 二十四節気 霜降 陰気深くなり、露は霜と化して、草木の葉は、黄変する意味で、霜降と言う。毎年、十月二十三日頃である。台風接近で、雨の連続であったのが、やっと陽射しに恵まれる。雨も大事だが、降り過ぎると様々に、悪化してしまう。

 飲み始めた時には、そこまでは思わなかった効果も、継続して行く毎に、様々に変化が現われる。勤務先の50代の方に、ドクダミと合わせて飲用してもらっている。糖尿があり、肥満も含まれており、足も悪い。2年目になるだろうか、痩せてきた。

 罹りつけのDrにも、顔の顎の辺りが、引き締まってきた。と言われたそうだ。枇杷葉茶には血行を良くする働きがあるので、どす黒かった肌の色も、綺麗になってきて、足の運びも軽い。これには、生葉を足の裏に当てて眠るそうで、効果が大。

 然し、何をどうと言え、実行する意思の固さと、諦めずに続けることに尽きる。Aさんのように、誰かがしてくれるからと言う、甘い考えでは、一向に改善されない。痛くなったり、動けなくなって遣るから、効き目は薄い。病院に行けば薬がもらえる。

 枇杷葉茶が効果を現すのは、一縷の望み、必至の思いがなくては適わない。そこそこの気持ちには、それだけしか還らないもの。自然への感謝・祈りと、信じて疑わないこと。揺るぎない想いだろう。尤も、わたくしには天からの恩恵があり難い。

 テレビで宣伝する、サプリメントには、それなりの効果があるのは否めないだろう。然し、続けるとなると金がかかるではないか。然も莫迦にできない。況して、それを延々と続けて飲む気持ちも薄い。つまりは効き目もない。自分で栽培したいから。

 日本に古来からある薬草で、簡単に手に入る物ですれば、元手が掛からない。丹精籠めてやれば、必ず堪えてくれる物が望ましい。祖母のしていたことには、自然からの恩恵を、分けてもらう感謝の心が、いつもあった。子ども心に忘れられない。

 但し、枇杷葉茶にも、飲むタイミングがある。これは暦を用いたい。また、飲用する葉は、寒中に採って乾燥させるのが良い。ドクダミもこの時期の、根槐を掘るのが好い。最初をきちんとしておけば、身体が順応してくるから、次からは季節を問。

 そうは言っても、春の彼岸過ぎから秋の彼岸までは、お茶にする場合は、採らないのがいいだろう。この時期には、新しい葉が育って硬くなる。毎年、剪定する枝を決めてするのも方法。人間の都合勝手では行わず、自然からの贈り物として用。

 春の宇宙には、西に大曲線が観える。北のカシオペア座を目印に、身体をぐるっと左に回してみよう。月と金星。

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タイガースへの邂逅

2017年10月22日 | Weblog

 先日買ったCDは、40thMEMORIALBESUT+CHARITY SHOW LIVE。これまでの田園コロシアムも、その他のも其々に素敵なんだが、個人的なことで言えば、選曲がいいのかも。とても聴き易い曲ばかりだ。きっと何枚も聴いたからこそかも。

 タイガースの生演奏は、残念ながら聴いたことがない。当時、高校生であり、私立の然も女子高だったので、校則が厳しくて即、停学やら、退学の対象になる。親は直ぐに呼ばれるわ、謹慎させられるわであった。まあ、そこまで厳しいとは思わず。

 朝、登校する校門には、規律委員が教師と共に、巻尺や物指しを持って立っており、スカート丈を計る。一ミリたりとも違わない丈でなければ、校門を通過できない。他校の男子とは、口を利くことは愚か、眼も合わせてはならず、男女交際禁止で。

 盲腸になった時が傑作で、親には言えず、気分は悪いし、死ぬかと言う思いで、冷や汗を流しながら呻っていた。てっきり眼を合わせたので、子どもが出来たと信じて疑わずだった。今、思えば医学的判断で分るが、当時は何等知識はなかった。

 然し、単なる手術でも、死への恐怖は増すばかり。麻酔にしろ、初体験のことである。花岡青洲の妻を読んでいたにせよ、こればっかりは。執刀のDrは、外科手術が初めてと話す。最悪の状態で、よく生還できたものだ。無知なるが故の無防備よ。

 還暦も過ぎて、したい放態、遣りたい放態が出来るのも、当時には絶対出来なかったからだ。親の金では自由も利かないし、我儘も言えない。自分の働いた給料で、遣り繰りをして買うには文句を言われはしない。従って、今が青春そのものなの。

 沢田研二さんのステージを観に行って、当時のタイガースが目の前に甦る。あそこに瞳みのるさんが居て、ドラムを叩く。今年は特に、50周年とかで、タイガース時代のを歌ってくれたので、すんごくうれしかった。DVDも買ってあるので愉しめるよ。

 雨の一日だったが、タイガースを堪能できた日でもあった。自分だけのステージで、タイガースが聴けることは最上の歓び。時代をスリップして遇える特技に感謝する。明日の散らし寿しの準備も出来たし、エネルギーも充電できた。枇杷葉茶も飲。

 冬の月は、冴え冴えとして冷やかに観えるが、春の月にはやさしさが宿っているようで、光も淡い。

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