梅雨が明けるのは、この雨が上がってだろう。しとしとしとしと、朝から雨は降る。濡れそぼるのも外に出てみないとわからないほどの霧雨。♪雨が降ります、雨が降る・・・紅緒のかっこも緒が切れた。ケンケン小雉も冷たかろ・・・。千代紙折りましょ、たたみましょ。
祖母は、雨の日には家に居た。縄を綯ったり、筵を織ったり、機を動かせていたりした。そんな中でも、千代紙での姉様人形を作ってくれた記憶は、今も鮮明に思い出せる。秋祭りの屋台で、裸人形を買っていたのに、着物を縫ってくれた。
端切れを鋏で裁ち、針を動かせて、あっという間に縫い上げた。安房直子さんの童話に、金の針を持つねずみが出てくるが、祖母の指は、まるで魔法がかかったように動いた。その晩はうれしくて、枕元に並べて眠った。障子紙の切れ端をクレヨンで塗り、布団にした。
祖母は、どんな時も、何かをしていた。竹を割り、削って籤をつくり、虫篭を作ったり、籠を編んだりした。竹槍は蝮退治にと、田の畦に差していた。その材料の竹は、寒中に伐り、軒下で乾かせて使っていた。祖母の手にかかると、どんな物にも命が宿った。
祖母は寡黙な人であった。祖父の顔は知らないから、早くに亡くしていた。写真が1枚きりの祖父よりも、祖母の傍に居れば楽しく、不思議な光景に出遭えた。雲の様に天気を話してくれたり、土を掘り起こしながら、微生物のことを語った。
自然から学んだという祖母は、知らないことは無く、何かわからないと言っては聴かれていた。祖母の話していたことが、今やっとわかるが、実証することもできない。唯一、記録に留めておくくらいだ。母にも聴いておきたいことがあった。そのことが悔やまれる。
我が家の桑の実。赤い実では食べられません。これが紫になれば熟れる。毎日新聞に載っていた。果実も桑は店頭には出ない。孫が口を染めて食べた。氷砂糖と焼酎で、ジュースにした。