哲ノート

gentle heart!! ヤサシイココロ・オトナノココロ

またまたまた「マナー」考

2010-10-30 23:23:44 | ちょっと気になる
またまたまたマナーについて一考。

最近よく行く「スーパー銭湯」に行くとよく飛び交っているんですよ。

あれが・・・・・。あれですよ・・・・。

「シャワー」(しぶき)があっちこっちから「ピューピュー」っとね。

まあそれくらい「シャワー」がないとカラダが洗えない方が多いようで・・・・。

こっちとらは“純粋”な街の銭湯育ちです。

両親に連れられて近所の銭湯へ・・・。手ぬぐいを持ってトコトコ歩いて行くんですよね。

ウチ風呂はありましたが、この“銭湯”に行くのがなんといっても楽しみでした。

大きな湯船で首まで浸かって数を数えちゃったりね・・・・、帰りには(お決まりの)コーヒー牛乳を飲むことができるし。

近所のおじちゃんやおばちゃんにかわいがられたんじゃないかな・・・・・まあそこまでは記憶がありませんが。

さてさて、湯船に浸かるとともにカラダを洗いますけど・・・・・ここが今とちがうところ。

たいてい「木の桶」か、あのクスリ屋さんのマークがついた黄色い「プラスチックの桶」(なんていう名前でしたっけね・・・・)を使いまして、手ぬぐいと固形石鹸でごしごしごしごしと洗ったりして、桶にお湯をためて「ザブゥ~」とカラダにかぶるわけですよ。シャワーなんて便利なものありませんから、桶にお湯を張ってアタマからザブゥ~とするんですよ。

当然、周りの人にかからないよう、「迷惑」かけないようにザブゥ~とするんですよ。子供ですからってハメはずしちゃいけないんです。親か近所のおじちゃんがカラダをもって教えてくれるわけです。一種のコミュニケーションです。

このことはカラダに自然と「マナー」「たしなみ」「人とのつきあい」大きくは「社交性」「社会性」を体得することになるんですね。このことがあとで、つまり大人になって大きく響くんです。

いま思うと、銭湯という公衆の場が人間としての営みの基本を教えてくれていたわけです。

さあ現代です。
どうやらこのような銭湯にも「シャワー」というものがないと客の支持が得られないようで、どこもかしこもシャワーが設置されているようです。もちろんアパートマンション一戸建ての家にも当たり前のようにある時代です。

そこでは核家族化でひとりで風呂にはいるわけです。
ひとりで風呂に入っていた世代が親になる。
その親が子供にこのような公衆の場でのふるまい・マナーを教えることが・・・・・できますか?

生まれたときから「シャワー」があるのが当たり前の世代です。
ひとりで風呂に入り、シャワーをひとりで浴びますからシャワーをかけ放題、飛び散り放題、まわりに目もくれずやり放題。おまけに「せっけんのあわ」も飛び散り放題。(カラダのあわはもちろんですが、床のあわも流さないと・・・・当然です。マナー以前の話)

「ピューピュー」今日もシャワーが飛び交っています。
シャワーのしぶきをあびながら「明日はどうなる」となげく今日この頃です。
コメント
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