下行大動脈瘤、胸腹部大動脈瘤手術において、下半身の部分体外循環で下半身の循環を維持しながら、上半身は自己の心臓・肺による通常の循環下で実施されることが多いと思います。この場合は常温で行われるため、上半身への循環補助ルートを特に用意しないで行うことが多いのですが、確実に中枢側の遮断、吻合が出来ることが条件です。
この左開胸で実施する手術する際に、上半身への送血ルートは、右腋窩動脈への人工血管の縫着かカニュレーションによって行われることが多いのですが、出血や呼吸トラブルなどで急に必要になった場合はどうするのか?急いで右腋窩動脈を露出して、そこからカニュレーションするのに、何分かかるでしょうか?10分以上かかってしまい、緊急時には間に合いません。また弓部大動脈や上行大動脈へのアクセスは通常は視野が胸骨の裏に入っていて困難です。もしALPSアプローチで行っていたのなら可能ですが、下行、胸腹部大動脈手術の場合は、下行大動脈以下の処置の為、行いません。
ここで一番確実なのは、やはり心尖部送血です。同一視野から簡単な手技で送血管を留置可能です。下行大動脈置換術の時に中枢側の遮断部位が裂けて出血した、大動脈解離を発生した、などで循環停止で中枢側吻合を行ったり、上行~弓部置換術へ突然のConversionを行う際に、急に上半身への送血ルートを確保し、冷却して循環停止下に処置をする必要が出てきます。こうした場合に、短時間で確実な送血ルートの確保は生命の維持に必須となります。
しかし、心尖部送血を行うにも注意すべき点がいくつかあります。確実に先端を上行大動脈に留置するために、経食道エコーで先端位置を確認する。カニューレをガイドワイヤーを使用したタイプで確実に上行大動脈へ先端を誘導すること。これにより左房送血や心室中隔穿孔を防ぐことができます。緊急の場合ほど、こうした手技はブラインド操作で行わず、経食道エコーでの観察したに確実に行うべきです。
筆者は下行大動脈置換術で遠位弓部大動脈に中枢側遮断を行う症例で、遮断が不十分なために遮断鉗子の位置を少しずらしてかけなおした際に、大動脈壁が断裂して大量出血した症例を経験したことがあります。遮断鉗子をかけなおす手技を実施した時点ですでに大動脈瘤は大きく切開して、肋間動脈の止血を行おうとした時点でしたので、事すでに遅しで、そこからの体制を立て直すのが困難でした。なんとか、新しい遮断鉗子を出して、その中枢側に遮断して出血がコントロール出来ている間に上半身への送血ルートを確保しないといけない場面で、心尖部送血を行い、冷却して循環停止下に中枢側吻合をすることでその場をしのぎました。低体温、循環停止下の吻合主義の為、心停止、脳循環停止によるリスクが上昇した手術となりました。
この事例では二つの検討すべき点があります。一つは遮断部位で大動脈壁が断裂すること自体、非常にまれなことですが、これは遮断鉗子をかけなおす手技を行ったことが原因で、ラバー付きの鉗子のラバーがずれて鉗子の金属が直接大動脈壁にあたっていたことが断裂の原因であったことです。最初から遮断が不十分にならないような遮断の仕方を行うことで一回の遮断手技で中枢側吻合を行うべきであったと思います。そのためには周囲組織の十分な剥離と露出が必要でした。周囲には反回神経や迷走神経、動脈靭帯なども剥離が困難であったとはいえ、剥離範囲を大きくすることが安全な遮断に繋がると思います。
もう一点は万が一に備えてあらかじめ上半身への送血ルートを確保しておくかどうか、ということになります。非常にそうした可能性がたかい、また必要性が不確定な場合は腋窩動脈送血できるように血管を露出、テーピングしておくなどしてもいいと思います。心尖部送血に慣れている施設であれば、この症例のようにいざというときは心尖部送血、という手順がスムーズにいければ問題ないと思います。心尖部送血が経験ない施設、外科医にとっては日ごろからシミュレーションしておくか、腋窩動脈をあらかじめ露出させておくしかないと思います。
また、常温・心拍動下の手術でも必ず送血路を確保して、上半身の循環も循環補助しながら行う、という考えもありますが、これ自体が過大侵襲な手術といえます。習熟された施設では、非常時の対処がしっかりできるのであれば、より低侵襲な方法を選択すべきであると思われます。